第2話 銀の月夜の九頭竜
だが、ダンジョンの野郎ってのは、とことんクズの思考を読んでやがるらしい。
――ガギィィィィィィンッ!!
凄まじい衝撃音。
最前列の亡霊騎士が投げつけた巨大な戦斧が、入口の岩盤を直撃した。天井が悲鳴を上げ、巨大な岩塊が土砂と共に崩れ落ちる。
「……あ」
少女の小さな声が漏れる。通路は、完全に塞がれた。
万事休す。前には瓦礫の山。後ろには、今まさに召喚を終えて、ぎらぎらとした殺意を向けてくる数百体の魔物たち。
迷う時間は、もう一秒も残っていない。
「……っらぁ!」
俺は腕の中の少女を、瓦礫の山――一番安全な部屋の隅へと突き飛ばすように押しやった。
入り口側なら、自衛隊が瓦礫をどかして真っ先に来てくれるはずだ。それまで、この「波」を食い止める。
「……お兄さん?」
「いい所見せちゃうよお嬢ちゃん!だから助かったら、年頃のお姉さんを紹介してくれるか、俺の勇姿を街中に触れ回ってくれよ!」
軽口を叩いて、俺は腰から唯一の得物――護身用の安物ナイフを抜いた。
あとは、目つぶし用の煙玉が3つ。それだけだ。
(……はは、笑えねぇ。何物にも成れない俺が、最期に聖者様ごっこかよ)
足が竦むはずの場面。
なのに、心臓の鼓動は驚くほど規則正しく、頭の中は冬の海のように冷たく冴え渡っている。
これが死を覚悟した人間の境地ってやつか?なら、悪くない。
その時だ。頭の中に、しんと冷たい、けれどこの世の何よりも清らかな音が響いた。
『……器よ。護るべき力は、いりますか?』
「当然!女の子がくれるなら、毒でも呪いでも全部もらっちゃうぜ!」
刹那、背中に穏やかな波が走る。青白い輝きの波が俺の全身を包み込み、安物の作業服も、泥まみれの靴も、腰のナイフも――神聖な魔力の奔流に耐えきれず、一瞬で塵となってはじけ飛ぶ。
「う、わぁぁぁあああああ!?俺の服がチリになって……全裸!?全裸にされたのか!?」
脳内で絶叫した。だが、視界に映る自分の手は、白くしなやかで、見たこともない銀色の甲冑に覆われている。
足元まで届く銀色の髪が視界をよぎり、背中には幾何学的な光の翼が展開され、薄暗い広間を昼間のように照らし出した。
『誠司、落ち着きなさい。……全裸ではありませんよ。この装束は私の魔力そのものです』
脳裏に、凛とした女性の声が響く。
「だ、誰だ?セレ、セレナリア……?」
『はい。貴方は、今から私の権能を行使してあの娘を守るのです。……来ますよ』
セレナリアの声と同時に、身体が勝手に反応した。
いや、動かし方はわかる。まるで何年も使い込んできた身体のように、魔力の流れが手に取るように理解できるんだ。
(……なんだこれ。指先一つで、この部屋の魔物全部消し飛ばせそうな気がするぞ)
「グ、ルァァァァァッ!!」
本能的な恐怖を殺意で塗りつぶした『亡霊騎士』たちが、一斉にこちらへ躍りかかってくる。
『その手に意識を。放つのは「月光の楔」。……今です』
「あ、ああ!よくわかんねぇけど、くらえっ!!」
俺が右手を突き出した瞬間。
手のひらから溢れ出した銀色の閃光が、部屋を埋め尽くす異形どもを飲み込んでいった。
銀色の閃光が収まると、部屋を埋め尽くしていたはずの魔物の半分が、塵一つ残さず消失していた。
「……マジかよ」
自分の声が、凛としたソプラノの美声に変わっていることにビビりながらも、俺はその威力の桁違いさに戦慄した。護身用のナイフでチマチマ戦おうとしていたのが馬鹿らしくなる。
『驚くのは後です。残りの個体が、恐怖を「怒り」に変換して襲ってきます。防備を』
「防備って……盾なんかないぞ!」
『今の貴方の背中には、私の翼があります。……展開なさい』
セレナリアのナビに従い、背中の光のライン――「楔の翼」を意識する。
すると、八対の光翼が意志に呼応して俺の周囲を囲むように広がり、絶対的な防御壁を形成した。
ガギィィィンッ!!
亡霊騎士たちの剣が、影狼たちの牙が、光の壁に触れた瞬間に火花となって弾け飛ぶ。
俺の体には、衝撃の一欠片も伝わってこない。
(……すげぇ。無敵じゃねーか。これならお嬢ちゃんを守りながらでも……)
「お兄さん……?なの……?」
瓦礫の陰から、少女の震える声が聞こえた。
そりゃそうだ。さっきまで猫背でヘラヘラしていた男が、いきなり光り輝く女神に変身して浮いてるんだから。
「――安心しろ。俺だ。……ちょっと、その、派手なコスプレ中なだけだから!」
自分で言ってて悲しくなる言い訳だ。鈴を転がすような美声の無駄遣い極まる汚い口調だが、今はそれどころじゃない。召喚陣からは、さらに凶悪な魔力が漏れ出している。38層の「真の主」が、格下の雑魚を蹴散らされたことにブチギレて這い出してこようとしていた。
『誠司、遊びは終わりです。この階層のボス級が召喚を上書きしました。来ますよ……「死を統べる影」が』
「……お嬢ちゃんを守って、この部屋の魔物を全滅させりゃいいんだな?」
『いいえ。今の貴方なら、部屋ごと浄化して「出口」を開くことが可能です。意識を胸の奥に眠る月光へ――』
俺の全身の血管を、今まで感じたこともないような巨大な力が駆け巡る。
「……しゃあねぇ!やってやるよ、セレナリア!!」
銀の髪をなびかせ、俺は迫りくる巨影に向かって、その白い掌を掲げた。
召喚陣から這い出してきたのは、馬の骨と影で構成された、高さ3メートルはあろうかという巨躯の『首無し騎士』だった。
奴が手にした漆黒の大剣が振り下ろされる。空間そのものを断ち切るような重圧。
『恐れることはありません。不快な力を光へ変換しなさい。権能――「静寂の銀月」を』
「うおぉぉぉ!やったらぁああああ!!」
俺が反射的に両手を前へ突き出すと、周囲の空気が一変した。
漆黒の大剣が、展開した光の翼に阻まれて止まる。それどころか、大剣が纏っていた不吉な魔力が、触れたそばから青白い火花となって霧散し、温かな光へと変換されていく。
(……すげぇ、力が吸い込まれていく……!)
『次は反撃です。今のエネルギーを力に変えて放ちなさい』
「おらぁッ!邪魔なんだよ、どきやがれ!!」
掌から放たれたのは、ただの光線じゃなかった。
幾何学的な光の紋章が重なり合い、巨大な杭となって首無し騎士の胸骨を貫く。
悲鳴すら上げさせず、38層の「主」が光の塵となって還っていく。その余波で塞がれていた瓦礫もろとも飲み込み、消滅させ、入口が再び露わになった。
「い、今だ!お嬢ちゃん、行くぞっ!!」
俺は空中に浮いたまま、唖然としている少女を光の翼で包み込むようにして抱え上げた。
背中の翼が羽ばたくたび、鎧の隙間から「直穿き」の肌を夜風のような冷気が撫で上げていく。
スースーして落ち着かねぇ!
『誠司、救助部隊がすぐそこまで来ています。このまま合流を。……ちなみに私の魔力が万全でないため、この姿を維持できるのはあと5、6時間ほどです。本来の半分も持ちません』
「マジかよ、じゃあ5、6時間はこのスースーする体のままってことか!?……って、待てよ。この姿、自衛隊に見られたらマズくねーか!?質問攻めで人生終わるだろ!」
『堂々としていれば問題ないと思いますが……』
入口を抜けると、通路の向こうから複数の強力なライトの光が見えた。
「こちら自衛隊枚方救難部隊!緊急要請により現着!全員、無事かッ!!」
旦那たちの怒号が響く。俺は自衛隊のライトが届く直前の影に滑り込み、腕の中の少女をそっと地面に下ろした。
「――ほら、お嬢ちゃん。迎えが来たぞ。俺のことは内緒にしといてくれよ」
鈴を転がすような美声で囁き、彼女がコクコクと激しく首を縦に振るのを確認する。
直後、隊員たちが「おい、あそこに生存者だ!」と彼女を見つけて駆け寄る一瞬の隙を突き、俺は光の翼を羽ばたかせて、音もなく上層の闇へと飛び上がった。
「……ふぅ、なんとかなったか」
危ねぇ、あのまま捕まってたら一巻の終わりだった。俺は途中の安全な階層の物陰で、セレナリアの助言に従い変身を微調整した。
さすがにあの神々しすぎる「翼の女神」のまま地上に出れば、新興宗教が立ち上がるか、国家レベルの重要参考人として研究所に隔離される未来しか見えない。
「……よし、これでいいな」
神々しく発光していた銀髪を少し抑え、背中の楔の翼を消し、装束を「ちょっと浮世離れした奇抜な私服」程度に見えるように魔力で偽装する。
見た目こそ布地の多い服になったが、ノーパンの股下がスースーする恐ろしい感覚はそのままだった。一刻も早くボロアパートに帰ってマイルームウェアを穿きたい。
鏡がないから分からないが、女神の美貌は隠しきれていないだろう。それでも「ちょっと綺麗な女性探索者」程度には誤魔化せているはずだ――と自分に言い聞かせ、俺は地上へと戻った。




