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神話の適合者《アダプターズ》 ――伝説の神を宿す――  作者: 渡部安恵


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第1話 クズなりの矜持

 枚方ひらかた遠征4日目。この日が、俺の「気楽なクズ人生」の最終日になるとは、露ほども思っていなかった。


 大阪・枚方ダンジョン。

 地元、敦賀の倍はあろうかという巨大なダンジョンの入り口は、近畿一円から集まった探索者たちの熱気で蒸せ返っていた。俺はいつものように、ギルドの出張窓口や装備品店に並ぶ女性陣へ、挨拶代わりのナンパを敢行していた。


「お姉さん、その鋭い剣筋、惚れ惚れしちゃうなぁ。どうだい?今夜その剣のメンテナンスを兼ねて、俺と枚方名物の粉もんでも……」

「アンタ顔だけはいいのにもったいないな!」

「おっと、そっちの可愛い魔法使いさん。杖の加護より、俺の愛の加護の方が……」

「……キモい」


 結果は清々しいほどの惨敗。

 大阪の女性はガードが固いというか、ノリが良すぎてツッコミのキレが鋭すぎる。「キモい」の一言で心臓に風穴を開けられるのは、敦賀の事務的なスルーより堪える。


「……あーあ。今日も独り身、独り飯か……」


 俺は大げさに肩を落として、エントランスのベンチにどっかと座り込み、幽霊のように項垂れてみせた。

 これは俺の「同情誘いポーズ」だ。こうして死にかけの野良犬みたいなオーラを出していれば、たまに心優しいお節介焼きが「大丈夫ですか?」なんて声をかけてくれる。そこから運命の逆転ラブコメが始まる――なんて、クズ特有の妄想を垂れ流していた、その時だ。


「あの……大丈夫ですか?」


 不意に、上から澄んだ鈴の音のような声が降ってきた。

 予期せぬ天使の降臨。俺は「よしきた!」と心の中でガッツポーズを作りながら、ゆっくりと、消え入りそうな表情で顔を上げた。


 そこには、探索者デビューしたてといった風情の、中学生か高校生くらいの女の子が立っていた。

 まだ新品の香りがする軽装鎧に、手入れの行き届いたショートソード。何より、その瞳にはダンジョンの泥臭さも世間の汚れも一切混じっていない。


「そんなにへこまないでください。あなた、見た目はすごく良いんですから。普通にしていれば、いつか絶対に素敵な彼女さんはできますよ!」


 ……えっ、天使 菩薩様?枚方のダンジョン神が俺を哀れんで遣わした使者か?


 あまりに真っ直ぐで、一片の曇りもない応援。

「お姉さんの紹介を!」とか「連絡先を!」なんてスマートに繋げようとする俺の汚れた脳内シミュレーションが、その無垢な光に焼かれて一瞬で灰になった。あざとい演技で近づこうとした自分が、急に恥ずかしくなってくる。


「……ありがとう。お嬢ちゃんにそう言ってもらえると、なんだか本当に作れそうな気がしてきたよ。その言葉を大事にして、いつか必ず彼女を作ってみせるよ」


 俺は芝居がかった嘆きを捨てて、苦笑い混じりの本音で答えた。

 彼女は「はい!頑張ってくださいね」と、満開のひまわりのような笑顔を残し、仲間たちが待つパーティーの輪へ戻っていった。


 彼女のパーティーは6人組。

 同じ学校の同級生だろうか、みんなでお喋りをしながら、期待と少しの緊張を抱えてダンジョンの入り口へと進んでいく。


「いいなぁ、青春だねぇ……」


 あの頃の俺なんて、化け物揃いの家族から逃げ回るか、姉貴の「愛の鉄拳」を食らって気絶するか、生き残るために溝のドブ板を這いずるような訓練をさせられるか、その三択しかなかった。

 あんな風に、仲間と笑いながら未来にワクワクするなんて、俺の人生には欠落していたピースだ。


「がんばれよ、お嬢ちゃんたち。……あの子たちなら、きっといい結果が出せるさ」


 柄にもなく、心の中で小さなエールを送る。

 さて、クズにはクズの生活がある。

 少女たちの眩しい背中が暗い穴の中へと吸い込まれていくのを見届けた後、俺もまた、気合を入れ直して自分の「仕事場」へと足を向けた。


 深さ40層を誇る枚方ダンジョンの、そのさらに奥。

 青春の輝きも、甘っちょろい希望も届かない、冷たくて残酷な「深淵」が俺を待っている。


「……よし。お宝ちゃん、待ってろよ。クズの俺が、綺麗に掃除してやるからな」


 猫背をさらに丸め、俺は音もなく歩き出した。


 ◇


 意気揚々と潜り始めたはいいが、枚方ダンジョンの空気は敦賀のそれより数段重い。


 20層あたりまでは、近畿一円から集まった「売出し中」のパーティーや、企業スポンサーのついたエリート探索者たちがひしめき合っている。最新の魔導装備に身を固め、ドローンを飛ばして攻略配信に勤しむ連中だ。

 あいつらは、とにかくもめ事と「映え」にうるさい。クズの俺がコソコソとお宝を漁っているのがバレれば、正義感という名の娯楽でSNSの餌食にされ叩き出されかねない。


「はいはい、お邪魔虫はさっさと退散しますよ……っと」


 俺は「野生の勘」の感度を最大まで上げ、他人の視線とモンスターの索敵範囲を、まるでパズルを解くように縫っていく。一気に30層まで駆け下りた。


 この階層まで来ると、流石に空気の質が変わる。

 自衛隊の精鋭や、一握りのプロしか立ち入らない静寂の領域。

 枚方の魔物は敦賀よりも「一撃」が重いが、トラップ自体は比較的素直なものが多い。そのせいか、自衛隊が粗方回収した後らしく、目ぼしい宝箱の残りは絶望的に渋かった。


「……ケッ、お役所仕事のくせに、今日はずいぶんと隅々まで掃除済みじゃねぇか」


 空振りが続く。それでも俺は諦めない。

 誰も見向きもしない岩の裂け目、崩落した天井の裏。自衛隊のマニュアルには載っていない「死角」を、俺はネズミのように嗅ぎ回る。


 そうして辿り着いた、38層。

 そこは、これまでの狭苦しい通路とは打って変わって、見通しのいい、50メートル四方はある巨大な大部屋だった。


「……うわぁ」


 思わず、乾いた声が漏れた。

 部屋の奥、不自然なほど等間隔に並んだ四つの宝箱。

 自衛隊がここを放置した理由は、一目で分かった。危険の匂いがプンプンする。いや、もはや死臭に近い「嫌な予感」が、俺の脊髄をチリチリと焼いていた。


「四つ連動のモンスターハウス、か。……悪趣味な設計しやがって」


 一つを開ければ残りが連鎖し、部屋の中心にある巨大な召喚陣が起動する。そうなれば、この広間は瞬時に数千の魔物で埋め尽くされるだろう。

 だが、そのリスクに見合うだけの「お宝」の気配が、あの箱の中には詰まっていた。


「……やってやるよ。俺の指先をなめんなよ、ダンジョン野郎」


 俺は地面を這うようにして宝箱に歩み寄り、安物のピッキングツールを取り出す。

 極限の集中。四つの箱を同時に無力化するための、ミリ単位の解除作業。

 あと一つ。最後の一つに手をかけた、その瞬間だった。


「……あ!敦賀の、お兄さん!?」


 背後から響いた場違いなほど明るく、そして切羽詰まった声。

 俺の心臓が全力で肋骨を叩いた。


「お、おい……!?なんでお嬢ちゃんがここにいんだよ!」


 振り向くと、そこにはさっきエントランスで俺を励ましてくれた少女が立っていた。

 顔は土気色に汚れ、自慢のショートソードは鞘ごと失くしている。肩を激しく上下させ、今にも泣き出しそうな目で俺を見つめていた。


「わからないんです……宝箱を触ったら、急に景色が変わって……っ、みんなとはぐれちゃって……!」


 ランダム転送。

 本来なら深層にしか存在しないはずのものが、数万回に一度、浅い層の箱にまで紛れ込む悪魔の『ハズレ』トラップ。

 よりにもよって、あの子がそれを引き当て、30層以上も深いこの地獄に放り出されたのか。


「……ったく、なんてクソみたいな運勢してやがんだ」


 俺は最後の一つの解除に全神経を注ぎながら、努めて冷静な声を絞り出す。


「いいか、落ち着け。……原因は転移のトラップだ。もう済んだことはいい。……宝箱を開ける前はちゃんと確認しろって、ギルドの講習で習わなかったか?無理そうなら引く。冒険ってのは死なないことが一番なんだよ」


「……はい。ごめんなさい……あの、お兄さん……ここから戻りたいんですけど、一緒に行ってくれますか?」


 不安げに潤んだ瞳で見つめられ、俺は二つ返事で頷きかけた。

 ……いや、一瞬。本当に一瞬だけ、考えてしまったんだ。


(あと一個……あと一個でこのトラップは終わる。彼女を安全なところまで送り届けてから、後で回収に来ても……)


 その、クズ特有の「欲」が生んだ一瞬の逡巡。

 焦りと欲で、つい作業中に独り言が漏れてしまった。


「……クソ、これで最後の一個、解除……ッ!」


 カチリ、と俺のツールが手応えを返した。終わった。だが、四つ連動の罠だ。すべてのロックが外れたこの瞬間が、魔力の回路が一番不安定になる。同時に特殊な手順を踏んで回路を焼き切らなきゃ、完全な無力化にはならない。


 しかし、その微かな金属音を、極限の不安の中にいた彼女は「すべてが終わった合図」だと勘違いしてしまった。


「トラップ解除……終わったんですよね!気が気じゃなくて、つい……」


 少女の指先が、救いを求めるように、俺が今ロックを外したばかりの宝箱の蓋にスッと触れた。パニックによる過呼吸のせいか、その手元が狂い、デリケートな状態だった蓋が数センチだけ持ち上がる。


「あ、待て、まだ開けるな――ッ!!」


 俺の制止は遅かった。

 最小限の魔力ロックが外れただけの、まだ回路が生きていた箱。手順を踏まないイレギュラーな開放。それはこの部屋にとって、明確な「侵入」の合図だった。


 ――ビ、ィ、イ、イ、イ、イ、イ、イ、イ、イ、ッ!!


 鼓膜をつんざくような警報音が鳴り響き、部屋の中央に巨大な召喚陣が浮かび上がり、どす黒い輝きを放ち始める。紫電が走り、空気を震わせて、異形の軍勢が次々と生み出されていく。


「クソがぁッ!!」


 俺の判断は、自分でも驚くほど速かった。指先が弾かれるように腰のポーチへ飛び、探索者必携の「エマージェンシーコール」のスイッチを全力でぶっ叩く。救難信号は飛んだ。

 ……だが、最悪なことにこの階層の哨戒部隊は、さっき交代のために上の層へ引き上げたばかりだ。旦那たちが異変を察知して、この湧き上がるモンスターの壁を突破して駆けつけるまで、早くて10分。いや、15分はかかる。


「お嬢ちゃん、伏せろ!」


 呆然と立ち尽くす少女の腰を抱き寄せ、強引に脇に抱える。

 召喚陣から溢れ出すのは、枚方38層の「主」たちだ。全身が腐った鎧に包まれた『亡霊騎士レイスナイト』に、三つの目を持つ巨大な『影狼シャドウウルフ』。一匹でも初心者パーティーなら全滅確定の化け物が、文字通り雲霞うんかの如く湧いてきやがる。


「……っ!?いやっ、離して……!」

「黙ってろ!死にたくなきゃ俺に捕まってろ!」


 俺は「野生の勘」をフルブーストし、唯一の活路――部屋の入口へと爆走した。

 通路の外にもモンスターはいるだろう。だが、この密閉空間で沸き続ける軍勢を相手に、まともな武器すら持たずに少女を抱えて逃げるなんて、逆立ちしても不可能だ。


 目の前、あと数メートルで入口。そこを抜ければ、複雑に入り組んだ岩場がある。俺の隠密スキルなら、自衛隊の旦那たちと合流できるまでやり過ごせるはずだ。

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