プロローグ 九頭竜誠司《くずりゅうせいじ》
「いやぁ、今日も窓口の笑顔がまぶしいですね!その輝きを維持するために、今夜あたり敦賀の美味い地魚と地酒で魔力供給……なんていかがです?」
窓口のパーティションに肘を突き、モデル顔負けの長身を無理やり猫背に曲げて、俺は渾身のウィンクを送った。……が、返ってきたのは北極の氷山より冷たい事務的な微笑だ。
「九頭竜様。後ろがつかえています。仕事の邪魔ですので、お引き取りください」
「えっ、脈ナシ!?嘘でしょ!?」
秒で撃沈。だが、俺の心はそこらのダンジョン産ゴーレムより図太い。流れるような動作で、今度は出撃準備を整えていた女子大生風の5人パーティーへターゲットを切り替える。白い歯をキランと輝かせ、爽やかに声をかけた。
「お嬢さん方、これからアタック?その装備だと3層の罠で苦労しそうだ。どうだい、このベテランガイドを格安で雇わないかな?サービスで俺の軽妙なトークもついてくるよ!」
「あ、間に合ってます。行きましょう」
一瞥もされなかった。
周りの男連中からは「相変わらずだな、あのクズ」「顔だけはいいのになぁ」なんて嘲笑が聞こえてくるが、そんなもんは聞き飽きた。
「……ああっ、俺の純情が……!誰か、誰か俺の傷ついた心を癒やして……!」
これ見よがしに膝を突き、ガックリと項垂れてみる。ここで「大丈夫ですか?」なんて親切な子が声をかけてくれれば、そこから運命のラブコメが始まるはず……!
チラリと薄目を開けて周囲を伺う。……が、一分経っても誰も来ない。皆、道端の石ころでも見るような目で俺をスルーしていく。
「……ケッ。どいつもこいつも、宝の山が目の前にあるってのに気づかないんだからな」
スンッ、と一瞬で立ち直り、俺は猫背のまま歩き出す。
さて、営業活動が不発に終わった以上、真面目に小銭を稼ぐとしますか。
敦賀第1ダンジョン。最深部は20層。ここらの中部地方じゃ最大級だが、俺にとっては「近所の庭」だ。
まずは浅い階層を足早に通り過ぎる。ここらは夢見る初心者たちが、雀の涙ほどのドロップ品を求めて右往左往する場所だ。俺みたいなクズでも、未来ある若者の邪魔をするほど落ぶれちゃいないし、何より効率が悪すぎる。
さらに下の、一般のプロ探索者がひしめく中層もパスだ。宝箱の奪い合いだの縄張り争いだの、いざこざはエネルギーの無駄。俺のモットーは「楽して稼ぐ」ことだしな。
俺が向かうのは、凶悪なトラップのオンパレードで初心者の立ち入りが制限された17層から最深部。自衛隊の精鋭部隊が目を光らせながら、道中に張り巡らされた罠についての技能を磨いている――敦賀の最前線エリア。
魔物をぶっ倒す時間より、意地汚い罠の解除に神経をすり減らすクソ環境。だからこそ、俺みたいな『鍵師』の独壇場なわけだ。
「さてと。最深部が20層止まりのここじゃあ今夜の焼肉代が限界だろうし、……明日あたり、大阪の枚方まで遠征すっかな。あっちなら40層もあるし、手付かずの『宝箱』がいっぱい落ちてそうだ」
独り言をこぼしながら、壁の影へと溶け込む。
自衛隊の最新センサーすら反応させない隠密術。モンスターの視線から完璧に外れ続ける野生の勘。
「どうせ俺なんて、誰からも期待されないクズですよ。せいぜい、お役人様たちが残していったお宝、綺麗にお掃除してあげますよ」
鼻歌まじりに、俺は一般的な探索者なら死を覚悟する深淵へと歩みを進めることにした。
上の階層に未練はない。俺は気配を消し、最短ルートで下の階へと滑り込む。
道中、いくつものパーティーが戦闘している場面に出くわした。
この10年で対モンスター戦のノウハウは確立され、装備の質も跳ね上がっている。連携の取れたパーティーが、和気あいあいと魔物を料理していく姿は、まるで攻略動画のお手本のような光景だ。
「……あーあ。青春してるねぇ、お二人さん。いいよいいよ、今の攻撃で吊り橋効果バッチリだろ。ダンジョンから出たらそのまま結婚しちゃえよ、ケッ」
心の中で精一杯の毒を吐きながら通り過ぎる。うらやましくなんてない。断じてない。一人の方が気楽だし、稼ぎを独り占めできる。……ああ、少しだけ、本当に少しだけ、背中を預けられる相手がいるってどんな感じなのか、なんて考えが脳裏をよぎったが、即座にデリートした。俺みたいなクズにはお呼びじゃない。
各階層のボスの広間に着いても空気感は変わらなかった。
ダンジョンはどこもオープン仕様。仰々しい扉なんてものはなく、開け放たれたホールの真ん中で、誰かが起動した召喚陣から現れたボスが揉みくちゃにされている。
万が一、想定外の事態が起きても「エマージェンシーコール」を発動すればいい。そうすれば、近くを巡回している自衛官や他パーティーが雪崩れ込んでくる。だから死者が出るなんてのは、よほどの不運か自業自得な無茶をした奴くらいなもんだ。
「おっしゃあ!討伐完了!」
「やったね!」
格上の強敵を倒したのか、ハイタッチして喜び合うパーティー。その弾けるような笑顔が、少しだけまぶしくて目を逸らす。
「……はいはい。おめでとうさん。幸せそうで何よりだね」
俺は、その熱気の渦に一秒たりとも留まることなく、さらに下へと向かう。
歓声が遠ざかり、代わりに冷たい魔素の臭いが濃くなっていく。光が届かない、自衛隊の精鋭しかいないはずの、俺にとっての「主戦場」へ。
◇
自衛隊の旦那たちは流石に統制が取れている。五人一組のパーティーが各層に三組ずつ、交代で訓練がてらの巡回を行っているのだ。
彼らの基本方針は「安全第一」。
通路に張り巡らされたトラップの発見と解除がメインの訓練であり、ついでにモンスターを処理してドロップ品を拾うのが仕事だ。
訓練にもならずドロップも大したことがないボスの召喚陣の魔力伝導石にはまず触れない。ガチャ要素の高い宝箱は、罠の種類によっては無理をせずにスルーだ。
「お役所仕事万歳!その『取り残し』こそが、俺の命綱なんだよね」
一辺が数百メートル。あの新宿の、1階層だけで200キロメートルに及ぶバケモノ空間に比べれば、俺にとっては『庭の砂場』みたいな狭さだ。
……とはいえ、高密度に罠が詰まったこのエリアを、徒歩で隅々まで探索するとなれば、一般の探索者にとっては十分に嫌な広さだろう。だが、俺は身軽なソロだ。安全マージンを取って5人一組で巡回する自衛隊の旦那方の隙間を縫うなんて、朝飯前である。
まずは17層。奴らが「高リスク」で放置した箱が二つ。
一つ目は石化の呪い、二つ目は神経麻痺の毒ガスが仕込まれた罠。ミスれば即死級のトラップだが、俺の指先にかかれば赤子の手をひねるようなもんだ。
中身は『魔法が込められた宝石』と『防毒の護符』。どっちも消耗品だが、冒険者ギルドに持っていけば確実に金になる。使い古して薄汚れたズダ袋へ、お宝をジャラリと放り込んだ。スタイリッシュさの欠片もないが、ぼっちの夜逃げスタイルにはこれが一番よく似合う。
続く18層。爆破トラップを鼻歌まじりに無力化して、拳大の『翡翠の原石』をゲット。ずっしりとした重みが心地いい。これもズダ袋へポイだ。
そして19層。ここにはランダム転送という、ぼっち探索者には死神も同然のトラップが仕掛けられた箱が二つあった。
罠が発動して別空間に飛ばされれば、エマージェンシーコールを押して自衛隊が救助に来るまでの数分間、たった一人で魔物の猛攻に耐え続けなきゃならない。
もっとも、俺にとってはそんな時間制限デスマッチに付き合う必要すらないんだけどな。
罠を外して手に入れたのは――『鑑定鏡』だった。
ダンジョンが出来た当初なら家が建つレベルの激レア品だが、最近はスマホ連動型の高性能な簡易鑑定アプリが出回っている。かさばる上に、至近距離でしか使えないせいでお宝の判別くらいにしか役に立たず、旧時代の『鑑定鏡』は型落ちとして価値は暴落気味だ。
それでも一応「当たり」には違いない。
「さぁて、二つ目は……おっと?」
二つ目の宝箱の罠も、完璧に解除した。カチリと小気味いい音がして蓋が開いた――瞬間、視界が激しく歪み、カビ臭いダンジョンの通路が朽ち果てた神殿のような場所へと変貌した。
「うぉおおい!解除は完璧だったはずだぞ!?」
不審者よろしく辺りをキョロついたが、野生の勘が「危険なし」と告げている。
「……チッ、何だってんだ。よくわからんけど、危険がないのはわかった」
そう納得して落ち着いて辺りを見回すと、神殿の中央には、儚く明滅する宝玉があった。
なんだか分からんが妙に惹かれるし、守らなきゃいけないような気もしてくる。
「……ふむ。あんまり価値は無さそうだけど、昼飯の足しにはなるだろ」
俺は自分にそう言い聞かせて、それを手に取った――瞬間、宝玉は淡い光となって俺の体へと吸い込まれるように消えていった。
「……おん?消えた?まぁ、売っても二束三文だったろうし、いいか」
光の残滓を目に収めながら、俺は納得の呟きを漏らす。
気づけば元の19層に戻っていた。足元を確認するが、さっきまでそこにあったはずの二つ目の宝箱は、影も形もなく消え失せている。
夢でも見ていた気分だが、心なしか、胸の奥が焼けるほど優しくて、少しだけ切ない。
「……気のせい、か?」
いつもなら、消えた宝箱の分の損得勘定を真っ先に弾くはずの頭が、今は少しだけ上の空だった。効率最優先、楽して稼ぐのが俺のモットーなのに、何故かすぐには次の階層へ歩き出す気になれない。胸の奥に灯った微かな体温が、冷え切ったソロの心を、静かに侵食していくような気がして。
柄にもないセンチメンタルに襲われ、俺はわざとらしく自分の頭をガシガシと掻いた。
「……あー、ダメだダメだ。らしくねぇ。サクッと稼いで、美味いもん食って終わり、だろ」
自分に言い聞かせる声は、いつもより少しだけ、軽薄さを欠いていた。
なんだか宝箱ツアーを続ける気が少し失せちまったが、残るはあと1層だ。俺は少し重い足取りのまま、最後の最深部20層へと滑り込む。
「いやぁ、今日も大漁、大漁!」
目の前には開けた瞬間に周囲がモンスターハウス化する仕様の箱が二つ。
これなら鼻歌を歌いながらあっさりと無効化できる代物だな。
ふんふん鼻を鳴らすのと同時に、指先はすでに箱の鍵穴へと滑り込んでいる。解錠の瞬間にだけ生じる魔力のブレを突き、特殊な手順で強制召喚の回路を焼き切る。一瞬でも遅れれば悲惨なことになるが、こんなもん探索者をやってりゃ誰だって感覚でできる基本技術だ。
ぶっちゃけ、自衛隊の旦那たちのような本物の精鋭なら、この程度の箱は超優良物件のはず。あの人たちなら罠なんてサクッと解除しちゃうだろうし、万が一ミスってモンスターハウスが起動したところで、お得意の集団戦術で圧殺してウハウハのボロ儲けだろう。
つまり、道中の訓練で忙しい彼らが見つけた場合でも、躊躇なく開ける箱ってことだ。
道中の訓練を必要としない、身軽な俺だからこそ、一足先に巡り会えたって訳だな。
「今日のコース選びは大正解だったわ」
旦那たちが先にここへ来ていたら、この箱は空っぽで置かれていたか、時間経過で消えていたはずだ。
今回はたまたま先取りできたけど、俺としては、普段の彼らが放置するような罠の方が競合しなくてありがたいんだけどな。
よし、処理完了。ズダ袋の重みを肩で感じながら、ホクホク顔で箱を開ける。
出てきた報酬は、一つ目の箱から『魔法金属』、そして二つ目からは同じ素材で作られた『小丸盾』。
「おっ、久しぶりの大当たり!」
19層まででも普段の3倍は稼げていたのに、魔法金属まで出るとか、今日の運はやべぇわ。絶好調すぎる。
「これだけツキが回ってりゃ、明日の遠征も期待大だな」
この確変突入状態なら、明日も絶対に上手くいく。そんな根拠のない全能感に背中を押され、俺の足取りはさらに軽くなる。
地上に戻り、受付で戦利品をすべて換金。
道中で拾った原石や消耗品の宝石と護符、型落ちの鑑定鏡。そして魔法金属や盾はそこそこの値がついた。
この手の装備は、エンジョイ勢は買わないし、ガチ勢はもっと上の装備を一気に揃える。需要があるのは、ライト層の一部とダンジョンの授業を取り入れている学校の教材用くらいだ。学校相手ならもっと高く売れるんだろうが、あいつらは基本、数をまとめて発注するからな。俺がピンで持ち込んだところで買い取ってはくれない。
だからこうして、ギルドの窓口で引き取ってもらうのが一番確実で手っ取り早いのだ。
ちなみに、19層で起きた不思議な神殿の一件は、「ダンジョンじゃよくあること」として脳内のゴミ箱へ放り込んである。当然、ギルドに報告なんてしない。面倒事に巻き込まれるのはクズの流儀に反するからな。
「お姉さん、この潤った懐で今夜あたり――」
「次の方どうぞー」
お約束の撃沈を喰らいつつ、その後もすれ違う女性探索者たちにしっかりとコナを掛けて回り、その都度白い目で見られながら、スーパーで値引きされた高めの焼肉弁当を買い込んで、ボロアパートへの帰路につく。
「さて、敦賀はしばらくいいかな。明日は予定通りにちょっと足を伸ばすか」
枚方ダンジョン40層。
そこが俺にとって、ただの「稼ぎ場」から「人生の分岐点」に変わる場所だとは、この時の俺はまだ、これっぽっちも思っていなかった。




