第3話 五月の陽光と、騒がしい予感
ゴールデンウィークが明け、今日からまた普通の日常が始まります。
今朝はいつもより少し早く起きて、お母さんと一緒に家族全員分のお弁当を作りました。
「湊、卵焼きがとっても綺麗ね。なんだか手際が良くなったんじゃないかしら?」
「そうかな?お母さんのお手伝いをするのが楽しくて」
お母さんに褒められて微笑む僕の脳内では、朝からラーナちゃんが賑やかに騒いでいます。
『湊よ、我は知っておるぞ。昨晩の残りの「からあげ」を端に寄せるつもりだろう!二つ……いや、三つは詰めよ!それと、あの赤い果実は我の美学に反するゆえ、代わりに甘い卵を盛るが良い!』
ラーナちゃんのリクエストに応えつつ、彩り豊かなお弁当を完成させました。彼女の食欲は、どうやら僕の自炊スキルまで底上げしてくれているようです。
◇
久しぶりの学校は、なんだか妙な空気感に包まれていました。
教室に入ると、クラスメイトたちが一斉に僕の方を振り返ります。
「おはよ、相模……。なんか、お前……雰囲気変わった?」
「あ、おはよう。そうかな?少し休み中に歩きすぎたせいかもしれないね」
僕はいつものように挨拶をして席に着きましたが、周囲の視線がそわそわと落ち着きません。ラーナちゃんの魔力が僕の身体を内側から強化しているせいか、姿勢が自然と良くなり、肌にも健康的な艶が出てしまっているようです。
ですが、当の僕はといえば、目が合うたびにみんなが顔を赤くしてパッと視線を逸らしてしまうことに、「久しぶりだから照れているのかな?それとも、僕の顔に何か付いているんだろうか」と、首を傾げるばかりでした。
授業が始まると、ラーナちゃんの恩恵はさらに顕著になりました。
先生の解説がまるでスロー再生のように理解でき、難解な古典の文章も、現代語のニュースを聞いているかのようにスラスラと頭に入ってきます。
「相模、ここの解釈を答えてみてくれ」
「はい。……ここは、作者が過去の栄光を太陽に擬えて語っている場面ですね」
「……うん、正解だ。休み中もしっかりと勉強をしていたようだな」
先生に感心され、クラス中に「おお……」という小さな感嘆が漏れます。
それは、体育の授業でも同じでした。普段はあまり目立たない方だった僕ですが、ラーナちゃんの身体強化が効いているのか、走れば誰よりも速く、ボールを蹴れば正確無比。
「相模!今からでも遅くない、うちのサッカー部に入らないか!?」
運動部の男子が勢い込んで勧誘にやってきましたが、僕が「あはは、蓮くんとダンジョンに行く約束があるから……」と困ったように真っ直ぐに彼を見つめて微笑んだ瞬間。
彼は「っ……!」と息を呑んで硬直してしまいました。至近距離で僕の魔力にあてられ、そのまま言葉を失って撃沈してしまったのです。
僕は固まってしまった彼の前で、「……えっと、大丈夫?本当にお熱でもあるのかな」と、やっぱり不思議そうに瞬きをするのでした。
そしてお昼前、家庭総合の時間は調理実習でした。
メニューは春のピラフとサラダ。家での特訓の成果を発揮して、テキパキと野菜を刻む僕の周りには、いつの間にかクラスメイトが集まっていました。
「すごい!湊くん、まるでお店の人みたい!」
「この盛り付け、めっちゃ美味しそう……!」
わいわいと賑わう中で、一人の女子生徒がうっとりと呟きました。
「ああもう、湊くんを私のお嫁さんにしたい……!」
「えっ、あはは。それは光栄だね」
僕が冗談だと思って笑って返すと、「冗談じゃないよ?本気で私のお嫁に来ない?」と彼女がキャッキャと腕を絡めてきます。その光景を見て、周囲の男子たちが「お嫁……って、相模は男だろ……?でも、あれならアリなのか……?」と、宇宙の真理を探るような顔で挙動不審になっていました。
放課後、校門を出ると5月の爽やかな風が吹き抜けます。
僕の中の太陽は、そんな賑やかな日常をどこか楽しんでいるようでした。
『……ふん、人間どもの選球眼もなかなかではないか。だが湊よ、夜の供物は「ぷりん」に戻ることを忘れるなよ!』
脳内の魔神を宥めながら、僕は明日もきっと騒がしくなるであろう学校生活に、少しだけ期待を抱くのでした。
◇
「お待たせしました!」
僕が調理室に足を踏み入れた瞬間、4人の視線が一斉に突き刺さりました。
「……あ、相模。あんた、なんか雰囲気変わった?皮膚の質感が、その……高級な和菓子みたいなんだけど」
髪をテキパキとまとめながら、結愛さんが目を細めて僕を凝視します。実家の洋食屋の将来を背負う彼女の目は、素材の「質の変化」にとても敏感なのです。
「えへへ、そうかな?凛ちゃん、剛くん、部長も、お疲れ様です」
僕がいつものように挨拶をすると、ショートボブを揺らして凛ちゃんが駆け寄ってきました。
「湊くん、その魔力波長!なんだか全身から『最高級のポーション』みたいな匂いがするよ!体力回復しそう!」
「凛、湊くんをそんなにくんくん嗅がないの。……でも湊くん、今日の君……カメラ越しに見ると、ライティングなしで発光してるみたい。これは動画の再生数が跳ねるわね……!」
部長の琴音先輩がおさげを揺らし、眼鏡の奥で野心的な光を宿しました。その横では、部長の弟で剛くんが、僕を見下ろしたまま、大きくて立派な体を固まらせています。
「……湊先輩。……グレートです」
「ありがとう剛くん。さあ、今日はたくさん作るから、力仕事もお願いしてもいいかな?」
僕が微笑むと、剛くんは「っ……!」と短く息を呑んで視線を逸らしてしまいました。……やっぱり、今日のみんなはどこか体調が悪いのでしょうか。少し心配になってしまいます。
『……ふん、湊よ。この者たちも貴様の変化に気づかぬほど愚かではないようだな。だが雑談はそこまでだ!早く、あの「団子」とやらを形にせよ!』
脳内のラーナちゃんの急かしに従って、僕たちは調理を始めました。
◇◇◇
◆本日のメニューと分担◆
実習室にある備蓄を活かした、賑やかなラインナップです。
・米粉の団子:担当は僕と凛ちゃん。
上新粉を砂糖と熱湯を入れて練って蒸し、手際よく丸めていきます。
半分は香ばしい「きな粉」、もう半分は甘辛いツヤツヤの「みたらし」に。凛ちゃんが「これ一個で魔力一割回復しそう!」と嬉しそうにつまみ食いをして、結愛さんに怒られていました。
・パンケーキとガレット:担当は結愛さんと剛くん。
小麦粉、卵、牛乳、ベーキングパウダー基本の生地に、メレンゲを加えて蒸し焼きにしたふんわりスフレ風。その生地に水を足して伸ばしたものを、薄く広げてカリッと焼いたガレット風。甘いジャムと備蓄のベーコンで「しょっぱ甘い」アレンジ。剛くんの繊細な包丁さばきで、ベーコンが均一に美しく切り分けられていきます。
・梅カツオのおかき:担当は琴音先輩。
乾燥させてあった切り餅を揚げて、梅パウダーと鰹節で和えます。実習室中に、お腹の空く香ばしい匂いが広がりました。
◇◇◇
「よし、実食タイムだ!剛、とにかく美味そうに、かつ綺麗に食えよ!」
琴音先輩がスマホを構え、剛くんの前に山盛りのガレットと団子が運ばれます。
『湊よ、我に、まずはその「みたらし」を……!光り輝く琥珀色の蜜が我を呼んでおる!』
(はいはい、ラーナちゃん。ゆっくり味わってね)
僕も自分の分を口に運び、みんなで和気藹々と感想を言い合いました。
「湊くん、おかきに梅を入れたの正解!爽やかで、連休明けのどんよりした気分が吹き飛ぶわ」
「全体的にこの原価なら安いし、学生向けとしてうちの店でも出せるかも。相模、レシピの詳細を後でラインして」
結愛さんの厳しいコスト感覚もクリアできたようです。
ふと横を見ると、凛ちゃんが剛くんと一緒に、「運動後はやっぱり炭水化物だよね!」と団子を飲み込むように食べていました。
「相模、本当に……。今日のお前、お嫁さんにしたい女子ナンバーワンって感じだな。料理も上手いし、その……見てると落ち着かねぇし」
お茶を淹れていた僕の背後に、結愛さんがぽそりと呟きました。
「お嫁さん?男子の僕が?あはは、結愛さんは面白いね」
僕がいつものように返すと、結愛さんは「あー、もう!鈍感もいい加減にしなさいよ!」と顔を真っ赤にして、逃げるようにガレットの片付けに入ってしまいました。
『湊よ、この「しょっぱ甘い」という概念は……魔導の極致に近いな。甘美と辛辣、二つの相反する力が溶け合っておる……!』
脳内で感動に震えるラーナちゃんの声を聴きながら、僕は相模家の食卓とはまた違う、部活動の賑やかさに心を満たされていくのでした。
◆
ゴールデンウィークが明けた相模湊の周囲は、本人の預かり知らぬところで、まるで沸騰直前の鍋のような騒ぎになっていた。
『ラスメイトたちの困惑と熱狂』
まずは、湊の在籍する二年生の教室である。
男子連中は、休み明けの湊が登校してきた瞬間、集団で未知の哲学に突き当たったような顔をしていた。
「おい……相模って、あんなに『ヤバい』感じだったか?」
「いや……あいつ、前から女子っぽい雰囲気はあったけどさ。今日はなんていうか……直視すると、こう、魂が吸い取られそうな……」
いつもなら適当に「よお!」と肩を叩けるはずの友人が、一歩踏み出すのを躊躇う。湊が髪をかきあげたり、ふと微笑んだりするたびに、男子たちの間には妙な沈黙と、ごくりと唾を呑む音だけが響くのでした。彼らは今、「男としての友情」と「生存本能が告げる恋心」の間で、猛烈なデッドヒートを繰り広げているのだ。
対する女子たちは、さらに複雑かつ情熱的だった。
「湊くん、肌の艶が異次元なんだけど……。どこの美容液使ってるの?」
「っていうか、あの立ち振る舞い!凛としてるのにどこか儚くて……尊すぎる」
女子たちの間では、湊はもはや「クラスメイト」という枠を超え、「歩くパワースポット」兼「理想の推し」へと昇格していた。彼が教室の窓際で日差しを浴びているだけで、そこだけが宗教画のような神聖さを帯びる。一部の女子は、湊の放つ無自覚な色気と魔力に当てられ、「湊くん、もう私のお嫁さんに来て。性別の壁なんて私が壊してあげるから」と、半分本気の目で熱い視線を送っていた。
◆
『料理研究会:喧騒の反省会』
放課後、料理研究会の調理室。そこでは出来立てのお菓子の甘い香りに混じって、非常に現実的かつ熱い議論が交わされていた。
「これ、おかきは小分けにして50円。ガレットとパンケーキのセットは200円が限界かなぁ」
結愛が電卓を叩きながら、シビアな数字を弾き出す。実家の洋食屋を背負う彼女にとって、これは単なる部活ではなく市場調査だ。
「学生のお財布事情を考えたら、週一で通えるのはこのライン。探索者向けには、もっと高カロリーなソースを付けて350円で売るのもアリかも」
「賛成!探索中はとにかく脂質と糖分が必要なんだよ。でも、女子としてはこのパンケーキの『スフレ感』は捨てがたい……。カロリーは気になるけど、美味しいからゼロキロカロリーってことでいい?」
凛がガレットを頬張りながら、探索者としての本能と女子としての葛藤をぶつける。隣では剛《武史》が「……美味いです。これなら三皿はいけます」と、静かに、しかし恐ろしい速度でデカ盛りのお菓子を胃袋に収めていた。
そんな議論の傍ら、メンバーたちの意識は、時折ふわりと漂ってくる「いい匂い」に逸らされていた。
(……なんか、湊のやつ。近くにいるだけで、高級な香木みたいな匂いがする……)
結愛は、レシピを書き込む湊の手元を見ながら、顔が熱くなるのを必死に堪えていた。いつもの石鹸の匂いとは違う、脳の奥を直接刺激するような、神聖で、それでいてひどく官能的な残り香。
剛にいたっては、湊が「剛くん、これもお代わりあるよ」と皿を差し出すたびに、巨体を小刻みに震わせていた。前衛職としての野生の勘が、「この美しさに近づきすぎるのは毒だ」と警鐘を鳴らしているのだが、それ以上に目の前の「女神のような微笑み」に抗えない。
そんなカオスな調理室の片隅で、部長の琴音だけは、別の種類の「熱」に浮かされていた。
「……っ、見て。見てちょうだい、この数字……!」
琴音が震える手でスマホを掲げる。画面に映し出されていたのは、昼休みに投稿したばかりの、湊がみたらし団子を串に通し、ふわりと微笑む動画――。
「今までは、地元の人や学校の友達、せいぜい200回再生がいいところだったのに……。投稿から3時間で、もう3000回再生を超えてるわ!」
「えっ、3000!?マジで?」
結愛が電卓を放り投げて覗き込む。
コメント欄は、かつてないほどの勢いで流れていた。
『このお団子作ってる子、誰!?尊すぎて画面が直視できない』
『光の加減がおかしくないか?宝石が喋ってるのかと思った』
『これどこの学校!?聖地巡礼したいんだけど!』
「湊くんのこの『発光体』みたいなビジュアル、やっぱりレンズを通すと異常なまでの訴求力があるわ……!飯テロ動画のつもりが、完全にアイドル動画になってる!」
数日後、その動画はついに初の1万再生越えを達成することになる。
テンションが振り切れた琴音部長は、「次の活動日は、湊くんをセンターに据えたガッツリメインディッシュ動画を撮るわよ!」と、鼻息荒く宣言するのであった。
一方、当の湊はといえば。
「えへへ、みんなに見てもらえるのは嬉しいね」と、脳内のラーナが「当然であろう、我を映しているのだからな!」と威張っているのも露知らず、やっぱりどこまでも、のんびりと微笑んでいるのであった。




