始まりの日
会社を手に入れると決めたすぐ後に、高校の同窓会があった。
今振り返ってみると、その日の出来事がたくさんの人間の運命を変えてしまった。
全てがあの日に始まった。
同窓会の会場のホテルの大きな宴会場で、俺は友人たちと飲みながら話していた。
その時にはもう春奈と兄貴の同居は決まっていて、春奈は結婚準備で欠席だった。春奈はいないし頻繁に女性から声をかけられてうんざりしていたのもあって、俺は担任に挨拶を済ませたら、さっさとその会を出ようと思っていた。
その時背後から声がかかった。
「明くん」
急いで振り返ったら、目の前にいたのは春奈の友達の黒木エミだった。
「久しぶり」
彼女はそう言って笑顔で俺に手を振った。
俺が春奈によく声をかけていたから、黒木エミは昔から俺にも気軽に声を掛ける。それが気になるけれど、結局そのままにしていた。
「ああ。久しぶり」
「もう!私は先輩だって言ってるのに、いつも偉そうだな」
俺の返事に黒木エミは笑って俺の肩を叩く。その馴れ馴れしさを面倒に思いながら、黙ってそれを受けた。
「で、何?」
「明くん、お父さんの会社に入ったの?春奈が驚いてた」
「ああ、うん」
さすが情報が早い。よく春奈と連絡をとっているのだろう。黒木エミは俺に向かって首を傾げた。
「親の会社には行かないと言っていたのに、どうして?」
俺は心の中でため息をついた。無神経な人だと思う。
それは、自分の好きな人を手に入れるためです。
いや、もう過去形か。全部終わってしまったのだから。
納得できない気持ちを必死に押し殺して、この間祝ったことを思い出す。
だけどその時に俺がしたことを知ったら、この人はどんな顔をするだろう。
ふと想像しておかしくなった。
俺の心の中なんて知らない黒木エミは俺に近づいて声を顰めた。
「ちょっとお願いがあって」
「は?」
「明くん、お父さんの会社って食品関係だったよね」
「そうだけど……」
予想もしない話に、俺は眉を顰めた。黒木エミは視線を俺から逸らせた。
視線の先を追うと、一人の男性がいた。サイズの合っていないスーツを着て佇む姿は、ちょっと気弱な印象を受ける。
だけど、それが誰かわかって、俺は思わず息をのんだ。
黒木エミは俺に視線を移した。
「わかる?明くんの同級生。目立たないから記憶にないかも知れないけど」
俺は信じられない思いで黒木エミに視線を走らせた。黒木エミはあの子は少しだけバレー部だったの、すぐにやめちゃったけど、と付け加えた。
「今は彼、実家の農業を継いだけど、仕事がうまくいかなくて悩んでいるらしいの」
「農業?」
「そう、取引先を増やすとか、オンラインショップとか色々やりたいけどやり方がわからないの。一緒にやっているお姉さんも、そういう方面はさっぱりで、二人で困っているみたい。ね、相談にのってあげてくれない?」
「俺が?」
俺は思わず声を上げた。だけど黒木エミは大きく頷いた。
「そう。だって川村の会社のサポートがあったら心強いよね?ね、同級生だし、いいでしょう?」
思わず言葉を失った。
こんな所で仕事の紹介をするのは難しい。嫌がる人の方が多いだろう。
川村家もそうだ。こんな集まりで寄ってくるのは大抵、川村の名前を利用したい人ばかりだから、こっちも警戒する。そもそもこんな所で声をかける人の印象は最初から良くない。
だから仲介する方も注意が必要だ。
本人が直接俺に声をかけないことも、俺は不満だった。
自分の仕事の話なら、自分でやるべきだと思う。
俺がジロリと見つめると、黒木エミは期待した様に俺の顔を見てくる。
その話は俺を苛立たせたけれど、笑顔で俺を見つめる黒木エミの顔は、自分が悪いなんてちっとも思っていない顔だった。
「さっき仕事で困っているって聞いて、それなら相談するのにぴったりな人がいるって私が明くんのこと勧めたの、ね、いいでしょう?」
お節介な人だな、と俺はため息をついた。
本当に気遣いのできる人は、こんなところで仕事の話はしないものですよ。俺はそう言いたい気持ちになったけれど、それはしなかった。
俺には黒木エミに注意することよりも、優先すべき事ができたからだ。
だから俺は愛想良く黒木先輩に笑った。
「先輩の頼みなら、聞きますよ」
俺の返事に黒木エミは目を見開いた。
「本当?さすが明くん。明くんなら絶対力になってくれると思った」
黒木エミは満面の笑みを見せた。そしてその人に向かって手招きする。やってきたその人は俺に向かって深いお辞儀をした。
自己紹介なんてされなくても、俺はその名前をわかっていた。
彼の名前は 谷川仁志。
谷川仁志は俺の同級生で、そして谷川仁美の弟だった。
谷川仁志を見た時に、これで全部上手くいくと思った。
俺は谷川仁志の話を聞いた。農業はしっかり真面目に頑張っている。でも事業拡大は難しいし、やり方もわからないから困っているらしい。
「一応、姉が頑張ってくれていて、事業拡大のために同世代の農業をやる人達のグループに入ったんだ。そこに入ってだいぶマシにはなったけど、でもまだまだダメ」
「例えば?」
俺の質問に谷川仁志は、悩んだように眉を寄せた。
「例えば、そのグループのオンラインショップはあるけど、そこだけだと売り上げも大きくは変わらない。やっぱり今いる地域で通販とか、通販以外の販売経路も作りたいけど、どんな方法があるかもわからないし、僕も姉もパソコン関係には疎くて宣伝方法もわからない」
俺は少し考えて、それとなく谷川仁志に尋ねた。
「他にパソコン関係に強い人はいないの?地元の人とか……あとはお姉さんの旦那さんとか、恋人とか」
谷川仁志は首を横に振った。
「地元にはそういうのが得意な人はいない。姉も独身だし、俺もダメだからもう全滅」
そう言って困った様に笑った。俺は手を顎にあてた。
「なるほどね。ネット戦略と地元産業の活性化の2方向で伸ばしたいってことだね。後はそれを行う手法の取得。まずはそんなことかな」
俺の返事に谷川仁志は顔を綻ばせた。
「まとめるとそうだね。すごい、さすがだね。川村くんはずっと成績1番だったし、やっぱりすごいな」
それを俺はあっさりと聞き流す。
やる気はありそうだから、うまくサポートすればそれなりに結果は出そうな気がする。
でも、本当の目的はそんな事じゃない。
俺のしたいことは、それではない。
期待して俺を見る谷川仁志に向かって答えた。
「話はわかったけど、俺だけでは決められないから、持ち帰って相談してまた連絡する」
「ありがとう。頼りにしてるよ」
「ちなみに、自分のブログとかホームページはある?あれば教えてほしい。なければ……参加してるグループの名前を教えてもらっていい?そこの情報をチェックするから」
「ブログやホームページはない。でも、グループのホームページがある。S N Sも。……その団体はね、農業未来へつなぐ会って名前なんだ」
俺はちょっと戸惑った。
まず、そのグループの名前を変えた方がいい。
そう思いながら、俺はその名前を頭に刻み込んだ。帰りに見ておこうと思った。
谷川仁志は嬉しそうに笑った。
「本当にありがとう。川村くんには感謝しかない」
その屈託のない笑顔に、俺も笑顔を返した。
「だけど」
俺の言葉に、谷川仁志は怯えたように動きを止めた。
俺は声を落とした。
「こういう場で、仕事の話を出すのは嫌がる人もいるから、今後は気をつけたほうがいいよ。今日はどうせ黒木先輩に言われたのだろ?」
谷川仁志も困った様に笑った。
「実はそう。僕が仕事の愚痴をこぼしたら、絶対に救ってくれる人がいるって言ってくれて……でも本当に言って良かった」
それを聞いて俺は苦笑いした。
あの人が言いそうな事だな、と思った。
「でも本当に助かる」
そう言って頭を下げた谷川仁志に、俺は片手をあげた。
「悪いけどまだ絶対に助けられるとは約束できない」
「わかっている」
俺は声を落とした。谷川仁志の目を見つめる。
「変に期待させても良くないから、今日俺に相談したことは誰にも言わないほうがいい」
しばらくして、谷川仁志は素直にそれに頷いた。
「そうだね。面倒なことをさせてごめん」
人を疑うことを知らない人間の笑顔だった。
俺は彼に向けて笑顔を見せた。
「助けられる様なら、担当者から連絡させるから。待っていて」
「ありがとう」
その無邪気な微笑みが眩しかった。
きっと俺が救ってくれると信じているのだろうなと思った。
多分、救えると思うけど。
救うのは俺ではない。
谷川仁志の後ろ姿を見つめながら俺は小さく笑った。
面倒だったけど、来て良かった。
その時の俺には、これから自分が何をするべきかわかっていた。
家に帰って俺は兄貴の部屋を訪ねた。昼間に母さんと春奈と出かけたのは知っていたけれど、随分早くに帰っている。俺なら春奈ともっと長く一緒に過ごしたいけど、と思いながら声をかけた。
「兄貴、ちょっといい?」
「ああ」
兄貴は部屋でパソコンに向かっていた。俺は部屋に入ってドアを閉めた。
「今日同窓会で会った同級生から、実家の農業がうまく行ってなくて、相談にのってほしいって頼まれた」
兄貴はパソコンから顔を上げて、俺の方へ体を動かすと顔を顰めた。
「川村の名前を利用したいんだろ?簡単に仕事を受けるなよ」
俺はため息を吐いた。
「俺もそう思う。だけど、どうしてもって頼まれて……断れなかった。一応連絡先を聞いたけど、会社と相談してダメなこともあるって話してある」
「そうやって近寄るヤツはどうしようもないのばかりだ、やめとけ」
俺は兄貴の部屋に置いてある椅子に座る。顔を顰める兄貴に笑った。
兄貴は俺に手を差し出した。
「名刺は?」
「ないよ」
それにあからさまに大きなため息をついた。呆れた顔をする。
「名刺もないのか。ダメだな、それ」
俺は苦笑いした。
「名刺は無くても仕方ないよ。会社員ではない訳だし」
あからさまにバカにした様な態度に、思わず庇ったけれど兄貴の態度は変わらなかった。
俺はため息をついた。これ以上会話するのを、少し面倒に感じ始めていた。
「じゃあ、やっぱり断るか。俺もその方がいいと思っている。でも同級生で断りづらいし」
指で兄貴のパソコンを指した。
「一応兄貴も見てもらっていい?その活動をしている農業未来へつなぐ会っていう団体のホームページとかS N Sを見てもらえればわかるから」
俺は家に帰るまでに農業未来へつなぐ会のホームページを見ていた。だからそこに、兄貴の知る人が出てくるのを知っていた。
しかも、今回は最近の塾生の活動報告としてホームページの最初の画面に記事を書いていた。飽きっぽい兄貴でも、すぐに見つけられる。
俺は何も言わない。
名前も言わない。
詳しいことも言わない。
だけど、見たらわかる。
見れば、わかる。
それで十分だ。
俺の仕事は見る様に仕向けるだけ。
「じゃあ、暇な時見てもらっていい?明日、返事を教えて」
「ああ、わかった」
俺は椅子から立ち上がる。兄貴はパソコンに向き直った。
「農業未来へつなぐ会、だから」
「はいはい」
ちょうど開いていたサイトで、検索を始めたのを見ながら、俺は部屋を出た。
翌日の朝、家を出る前に兄貴に声をかけられた。
「明、昨日のあれ」
「あれ?」
想像はついていたけれど、俺はわざとわからないふりをした。兄貴は言葉を濁す。
「同級生の頼みってやつ」
「ああ、どうする?断るか」
「いや、いい……俺が対応しておくから」
俺は笑った。
「ああ、そう?兄貴忙しいのに、悪い。断るなら同級生だし俺がやるよ」
「いや、いい。俺がやる」
そう言って兄貴は俺から目を逸らせた。
やましいことをする人間は、やっぱり人の目をみられないのだと実感した。
だけど、これでうまくいくと思った。
谷川さんを忘れられない兄貴が彼女に会いたいと思っている事、そのためにこのチャンスを逃さないと俺は予想した。
兄貴が谷川さんの事をどれほど好きなのかは、わからない。でも実際はそれほどでもないと思っている。
谷川さんはまだ兄貴が挫折を知らなかった楽しい時代の象徴だ。その時の思い出が美化されて、それを強い愛情と錯覚している可能性もある。
そして谷川さんは独身で、頼る男の人もいないようだった。兄貴と別れる時に揉めたくらいだから、気持ちが残っている可能性が高い。
お互いを想いながら別れた二人が再会したらどうなるか、想像するのは簡単だ。
結果的に兄貴は谷川さんに会いに行って、そのまま彼女と付き合いを始めた。
兄貴が谷川さんにのめり込むのと、仕事で居場所がなくなるのは同時だった。彼女に会うために仕事に穴を空けるようになって、それは加速度的に進んだ。そのうちに兄貴の不在を誰も気にしなくなった。
それは自分の仕事に手を抜いた、兄貴のせいだ。
全部、兄貴がやったことだ。
俺は何もしていない。
もちろんリスクがないわけではない。
谷川さんの現在の居場所を兄貴に教えたのが俺だと、知られる可能性はある。
兄貴や谷川さん、それから弟の谷川仁志が春奈に言う事は絶対にないとは言えない。
だけどその可能性はとても低いと思った。
居場所をどうやって知ったのかと谷川さんに聞かれて、プライドの高い格好つけたがりの兄貴なら、自分の力で見つけたと話すだろう。
間違っても嫌いな弟に教えてもらった情報で会いに来た、とは言わない。
同じことは谷川さんにも言える。
谷川さんも俺のことは好きではない。谷川さんが真実を知っても、きっと真実を受け入れない。兄貴が自分に会いたくて探した、と都合よく解釈する。
自分たちがまた出会えたのは、嫌いな俺のおかげだと思いたくないはずだ。
二人とも。
記憶なんて、都合の良いように変えられる。
自分の思い通りに塗り替えられるのだ。
もし俺の紹介だったと知られても、焦ることはない。
忘れたととぼけることもできるし、『俺は止めた』と言える。
その次に言う言葉は決まっている。
「兄貴は俺にはやめろと言った」
それに、もし兄貴が春奈にその事実を伝えても、一度自分を裏切った兄貴と自分を支えてくれた俺と、どちらをより信用するかと言われたら……多分、俺を選んでくれると思う。
残るのは探したのも、会いに行ったのも、裏切ったのも、兄貴という事実だ。
俺は何もしていない。
同窓会で会った、困っている同級生の相談に乗っただけだ。
確かに二人をつなぐきっかけを作ったのは俺だ。谷川さんの情報を教えたのも俺だ。
谷川さんに会いに行ったのも、会い続けたのも
そのために全てを捨てたのも全部兄貴が決めたことで、俺は何もしていない。
でも、まさかいきなり失踪するとは思わなかった。
だけど、それも俺がきっかけだと思う。
失踪する前の日、夜遅くに帰ってきた兄貴と廊下で会った。その顔色が驚くほど悪かったから気になって、思わず俺は兄貴に近寄った。
「体調悪いの?」
春奈と食事に行くのは知っていた。だから何かあったのかと思った。
「いや」
兄貴の返事は恐ろしいほど小さかった。
俺は兄貴の目を見た。
「ねえ、兄貴」
「なんだよ」
兄貴は嫌そうな顔をした。だけど、反対に俺は笑った。
「俺、親父の後を継ごうと思う」
それを聞いて、兄貴の顔がこわばった。ゆっくりと俺の方へと顔を向ける。俺は笑って続けた。
「社長とか俺には合わないと思っていたけど、結構向いているかもしれない」
兄貴の目が俺を見た。その目から目を離さないようにして、俺は笑った。
「兄貴が俺の大切な者を奪ったから、俺も兄貴から大切な物を奪ってもいいよね」
兄貴の顔がこわばった。
「それは、どっちだ?」
口を開いた兄貴が、問いかけた。
「お前はどっちの事をいっている?」
俺は少し考えて、それから笑顔を消して兄貴を見つめた。
「やっぱり両方にしても、いい?」
だけど、それに兄貴は返事をしなかった。
「俺、絶対獲るから。覚悟しといて」
言うだけ言って、兄貴を残して部屋に入った。
翌朝、兄貴がいなくなった事がわかった。
騒然とする家の中で、俺だけは冷静だった。
いつか何かが起きるような予感があった。
膨らみすぎた風船は、必ず弾け飛ぶ。
それが、今だったのだ。
親に何か変わった事がなかったかと聞かれて、俺は何もないと答えた。
でもそんなことない。
『いつも通り』などではない。
俺のやったことが決め手になったと思う。
だから、いなくなったのだ。
兄貴を追い詰めたのは、俺だ。




