母 川村 明子
私が川村家に行くと笑顔で出迎えてくれたのは、優さんや明の母の明子さんだった。
「突然すみません」
「いいのよ、ちょうど家にいたから」
明子さんを見て私も笑顔になった。応接間に通してもらって、私は明子さんに紙袋を差し出した。
「父からの出張のお土産の日本酒です」
明子さんは嬉しそうにそれを受け取った。おじ様は日本酒が大好きなのだ。
今日は昼間に川村家にやってきた。先日父が出張で買ってきた日本酒を届けにきた。昼間だからおじさまも明もいない。事前に電話したら、運悪く明子さんもこれから用事があって出かけるという。
「渡したらすぐに帰ります。おじ様に早く日本酒を届けたいだけなので」
そう言って短い時間でいいからと無理やり押しかけたのだ。
それには、理由があった。
私はどうしても川村家で確認したいことがあった。
できれば、誰にも気が付かれずに探したい。だからわざと、人の少ない昼間の時間にやって来た。
騙す訳だから、後ろめたい。だけど明子さんは私に笑って話しかけてくる。その姿を複雑な思いで見つめた。
優さんがいなくなって、一番ショックを受けていたのは明子さんだった。傍目にもわかるほど痩せた。でも時間が解決するのか、以前に比べてかなり元気になっている。
二人で笑顔で話しながらお茶をした。
明子さんが悪戯っぽく笑った。
「そういえば明とはどうなの?」
それを聞いて私は驚いた。明がそんなことを話しているのかと、驚いた。だけど明子さんは気にせず笑った。
「あの子は何も言っていないわよ。私が見ていてそう思ったの」
「別にそんな関係では、まだ……」
明子さんは嬉しそうに笑った。
「そうなの?よく一緒に出かけているし、明の態度を見てそうかと思った」
「すみません。まだ決まってはなくて」」
どうして私の周りは私と明をくっつけようとするのだろう。思わず苦笑いしてしまった。そんな私を見て明子さんは笑った。
「気を使わずに待たせればいいの。明はね、ずっと春奈ちゃんが好きだったから、いくらでも待つわよ」
「そんな……」
「でも」
言いにくそうに明子さんは暗い顔をして俯いた。
「春奈ちゃんはいいの?その……あんなことをした人の弟で」
それは心から心配するような声だった。その目に嘘はない。
私は少しの間の後に、黙って頷いた。
「優さんがいなくなって、明が支えてくれました。とても感謝していますし、頼りにしています」
それを聞いて、明子さんはほっとしたようだった。
「実は、優と春奈ちゃんはうまくいっていないって、ずっと心配してたの。何回か言おうとしてあの人に止められた事もあるの」
「そんな……」
「少し二人の間に距離を感じたから、つい……お節介でごめんなさい」
明子さんは気まずそうに笑う。私も居た堪れなくて俯いた。
うまくいっていないと周りに指摘されるのは辛い。でも、それが真実だった。私達のぎこちなさが、想像以上に伝わっていたことに、驚いて悲しくなる。
あの時自分では幸せだと思っていたけれど、周りから心配されていたのだと思うと、ショックだ。
でも、と明子さんは笑った。
「明とは子供の頃からずっと一緒だったでしょう?だから優より明の方が春奈ちゃんに合うと思う。だから今回は安心できるわ。明はしっかりしていて、気を配れるし、何より春奈ちゃんのこと大好きだから」
明子さんは笑った。
「大丈夫だと思うけど、春奈ちゃんは煩くて面倒ではないかって心配。嫌な事があったらいつでも言ってね」
私は慌てて首を振った。
「まだ決まってはいなくて。時間をもらって考えているところです」
私は急いで続けた。あまり期待させても良くない。
「まだ優さんのこと整理しきれていないところもあって、そんな気持ちのままでは明にも悪いので、ちゃんと考えてから、ちゃんと返事をします」
もう少し時間をください。私は明子さんに頭を下げた。
顔を上げると、明子さんは笑って頷いてくれた。
「当然よね、勝手にごめんなさい。でも春奈ちゃんの幸せが最優先だから、それだけは信じて」
「はい」
「みんな春奈ちゃんの味方だから」
とても真剣な顔で、明子さんが私の手を握る。その強さに驚いた。明子さんはふっと表情を緩めた。
「春奈ちゃんと明が喧嘩したら、私が明を怒るから。私もあの人も春奈ちゃんの味方ですからね」
戯けた様に笑うから、私も思わず笑ってしまった。
「明は私よりずっと大人だから、喧嘩にならない気がします」
「そう言われれば、そうね」
そうして笑いあった後に、明子さんは苦い顔をした。
「全く、優は本当にどうしようもないわね」
そうつぶやいた。
多分、私に聞かせるつもりはなかったと思う。だから私も聞こえていないふりをした。
だけど、その時の明子さんの顔がとても冷たくて、思わず見つめてしまった。驚きで目が離せなかった。
でもすぐに明子さんはいつもの穏やかな顔になった。
「ごめんなさい、電話でも言ったけれど今日これから出かけないといけなくて」
「いえ、むしろ急にお邪魔してすみません。でもお土産を渡したいのと、水野さんとも約束していたので」
「よければ夕食を一緒にしたいけど、やっぱり帰ってしまうの?明も春奈ちゃんがいるなら、きっと急いで帰るわよ」
一緒に食事をしたいという明子さんに苦笑いで返す。事前にお土産を渡したらすぐに帰ると伝えてある。そうしないと明やおじさまが戻るまで帰れなくなるだろう。
それはちょっと、困る。できれば、あまり皆には会いたくない。
だから私は手を横に振る。
「仕事の邪魔をしたくないので、今日はお庭を見て、水野さんと話して帰ります」
明子さんは笑った。
「水野さん、春奈ちゃんのためにマドレーヌを焼いていたから、食べてね」
「ありがとうございます」
明子さんは思い切ったように私を見た。その目が真剣で思わずドキリとした
「また、このくらいの時間にくる事はできる?」
「え?」
明子さんの目が気遣うように私を見る。
「ゆっくり話をしたいから、また昼間に来られない?明のこともじっくり話したいから、明やあの人がいない時間がいいの」
「あ、もちろん。いつでも言ってください」
私が頷くと、明子さんは満足そうに笑った。
「よかった。じゃあその時にまたゆっくりお話ししましょう」
明子さんを見送ると、しばらくして出かけた音がした。
私はドアを開けて応接室を出ると、よく知っている家の中を小走りに進む。
目的地は、まだ子供の私達が一緒に過ごした子供部屋だ。2階の奥にあるその部屋の前で息を整えてから、今はほとんど開けられない部屋のドアを開ける。
子供部屋のドアを開けて感じたのは懐かしさだった。
私はとても長い時間をここで過ごした。あの頃のおもちゃを見ると昔を思い出す。
でも、目的はそれではない。
私は真っ直ぐに部屋の奥の本棚に向かった。
明子さんには悪いけれど、突然押しかけて父のお土産を渡したのは、すぐに確認したいことがあったからだ。
どうしても、明のいない時に見たかった。
私のした事がわかったら、きっと明には私が何をしようとしているのか、わかってしまうから。
私は本棚から1冊取り出した。
見たいものは、この中にあった。
ページを捲るとまだ幼い優さんがいた。私がほとんど会っていなかった時期の優さんは、今よりも子供らしい明るい笑顔で写真に収まっていた。坂村さんもいた。そのほかにも部活の先輩や知っている顔があった。
懐かしさを感じながら、私は目的のページを探す。
心臓が大きく打っていた。ページを捲る手がもつれて、何度もやり直した。息がうまくできなくて、苦しくなりそうだった。
「これだ……」
目的のページで、手を止めた。
******
「あら、春奈さま」
キッチンを覗き込むと、水野さんがいつものように笑顔で迎えてくれた。黙ったままの私を訝しむように覗き込む。
「ご気分悪いですか?あら、顔色が悪いかも」
「あ、ううん。大丈夫」
私が笑うと、水野さんはキッチンの椅子を勧めてくれた。
「お茶を淹れましょう」
「ありがとうございます」
水野さんの淹れたお茶を飲んで一息つく。温かいからホッとした。
目的は果たしたし、やらなければいけないこともたくさんあるから、早く帰ろうと思った。
「お庭を見ていたのですか?体が冷えました?」
「あ、うん。そんな感じ」
まあまあ、そう言って水野さんは笑った。
「マドレーヌは今はやめておきましょうか。持ち帰ってゆっくり召し上がってください」
水野さんは机の上のマドレーヌが載ったカゴを手にする。
「悪いからいいよ。食べたい人もいるでしょう」
私の言葉に水野さんが笑った。
「マドレーヌはいつでも焼きますし、一番喜んでくれるのは春奈さまですから」
たくさんのマドレーヌを全部まとめて紙で包む。結構な量でバッグには入りきらない。
「紙袋に入れたほうがいいですね」
そう言って奥の食料庫兼荷物置き場に入って行った。
「こんなにたくさんの量を頂くのは悪いよ」
私は慌てての後を追った。
「いいですよ。春奈さまに差し上げたって言ったら、誰も文句なんて言いません」
水野さんが棚にたくさん入っている紙袋を探しながら満足そうに笑った。
「じゃあ、この袋に入れますね」
水野さんはとても嬉しそうに笑うと、キッチンへ戻ろうと体の向きを変えた。その後に続こうとして、足を止めた。
足元にあったのは野菜の入った段ボール。
それが気になった。
よくある、産直の野菜を家庭用に箱に詰めて送る段ボールだ。
珍しくもなんともない。
だけど、気になることがあった。
この間のレタスの入った段ボールと同じ県の名前が書かれていた。
それがどうしても気になった。
関東の県の名前なのに、どうして気になったのかわからない。
今までだってこの家では事あるごとにお取り寄せをしていた。会社の関係で野菜や食べ物をいただくことが多いのも知っている。だからどの県の荷物があってもおかしくない。
だけど何度も同じ場所から届くなんて、珍しい気がした。
不自然というより、ちょっとした違和感だった。
私は腰を下ろして段ボールを見る。普通の段ボールで、すでに開いている。中から葉物野菜が見えた。
段ボールの表面の配送表の宛名を確認したけれど、伝票は取り除かれていて、差出人はわからない。
それにホッとした。
見たらよくない気がしたから、宛名を見ずに済んだことに安堵して、蓋を閉めようとした。その時に段ボールの中に紙が入っている事に気がついた。
見てはいけない、そう思うのに、私はそれを手にする。
おそらく作り手の農家のチラシだろうと思った。野菜の説明だったり作った農家の紹介だったり、そう言った物を挟むのはよくあることだ。私もそれを取り出して開いた
最初、それは生産者紹介のチラシだと思った。だからぼんやりと見ていて、途中で違うことに気がついた。そのチラシはその生産者の農家の会社か組合のような団体の紹介だった。
その団体の名前に覚えがあった。
大きく心臓が鳴った。
何かいろんなことが一つに繋がりそうな気がした。
それをすぐに確かめたくて、急いで台所に戻ると置いてあったバッグを手にした。
「水野さん、用事を思い出したので帰ります。ごめんなさい」
言うだけ言って、走って台所をでた。
「え?春奈さま?」
驚いている水野さんの声が追いかけてきた。
それに構わずに私は走って駅まで行くと、ちょうど来た電車に飛び乗った。
電車の中で私は震える手でポケットからスマホを取り出した。
あの場所で、あれ以上はできない。だけど家に帰るまでは待てなくて、電車の中で私は震える指を動かす。
そしてとあるページで、私は息を飲んだ。
***
その日の夜、明から電話があった。やっぱりというか、明はちょっと不機嫌そうだった。
「来たなら夕食を食べていけばよかったのに」
「ごめん。でも突然行ったから、水野さんに悪いし、帰りも遅くなるから」
「春奈、マドレーヌ忘れて行っただろ」
「あ」
慌てていて、忘れていた。せっかく包んでくれたのに、申し訳ない。明は電話の向こうで息を吐いた。
「水野さん、悲しんでいたよ」
「ごめんなさい。今度謝る」
「俺から伝えとく。明日、マドレーヌ届けるよ。春奈も休みだろ?」
どう返事をするか迷って、だけど私はそれを断った。
「ごめん、明日は用事があって」
「休みの日に?一日中?」
驚いた声が返ってくる。
「あ、うん。出かける予定があって」
「どこ?俺も時間あるから、車で送るよ」
「あ、ええと。大丈夫。……うん」
煮え切らない返事を見逃すほど明は鈍感ではない。案の定、色々追求される。だけど、私は最後にそれを跳ね除けた。
「大丈夫、明日はね。一人で行きたいところがあるから」
「それがどこかも教えてくれないわけ?」
私は苦笑いした。
「戻ってきたら、教えるから」
それは本心だった。
一人で行って、帰ってくる。
そうしたら、全部明には話すつもりだ。
全部話すから、一人で行かせてほしい。
心配してくれている明に心の中で謝って、私は電話を切った。




