元恋人 浜田エミリ2
浜田エミリに呼び出されたのは、それから2週間が経った頃だった。驚いたけれど、話したいと言われて断ることはできなかった。
「ごめんなさいね。呼び出して」
「いえ。大丈夫です」
私は彼女に向き直った。
「今日は何か?」
「あれから、あの人のこと、何かわかった?」
期待のこもった声に、私は戸惑って、それから正直に返事する。
「もう、やめました」
え、と浜田エミリが動きを止めたのがわかった。
「彼のこと探すの、やめたの?」
私は黙って頷いた。浜田さんは驚いたように目を見開いた。
「どうして?あんなに頑張っていたのに」
首を小さく振って信じられない、という表情をした。
私は目を逸らせた。
「新しい情報もないし、探してもいないし。もう手がかりも無くなったんです」
視線を下げてコーヒーを見つめる。
「優さんは戻ってこないし、仮に戻ってきても、うまくいかないです。私たちのことは全部、終わったのだと思います」
浜田エミリは私を見ていた。私は彼女に向かって微笑む。
「あの人は私を好きではありませんでした。私は振られたのです」
浜田さんはじっと私を見て、それから肩をすくめた。
「そう。なら、仕方ないわね」
その返事に驚いた。
「随分あっさりしているんですね」
「私に止める権利はないでしょう?」
浜田さんは笑って、納得したように頷いた。
「確かに結婚直前にいなくなって、他の女性の影があるような人、探す気もなくなるわね」
「そんなわけでは……」
そこで浜田エミリは笑って私の顔を覗き込んだ。
「新しい人とか、できた?」
答えを知っている様な聞き方をされて、答えに詰まる。その反応でわかったのか
「そんな気がした。なんか雰囲気変わったし」
浜田エミリは笑った。
ふっと明の顔が浮かんで、急いで頭の中から追い出す。まだそう決まったわけでもない。
前回会った時は必死に優さんのことを聞いていた。それからあっという間に心変わりした事に呆れたかもしれない。
それに気まずさを感じて、慌てて反論する。
「まだ、そうなった訳ではないです。考え中、というか」
それとなくアピールするが、彼女にはあまり関係なかったようだ。
「でも、もうすぐって感じかしら。別に悪いことではないわよ」
「いえ、違うんです」
私の勢いに、浜田エミリは驚いて目を丸くして、それから笑った。
「そこまで否定したら、相手に悪いわよ」
それで思わず口をつぐんだ。
私以上に浜田エミリの方が切り替えは早かった。見た目は女性らしいのに、サバサバした人なのかもしれない。
「あなたの言うように、もう元通りにはいかない。あなたは十分傷ついたし、これ以上は傷付かなくていいと思う」
私が言葉に詰まると、浜田さんは苦笑いした。
「気を使わずに、幸せになればいいのよ」
ふと気になって、私は口を開いた。
「浜田さんは、今いますか?その、恋人、とか」
それを聞いて浜田さんは笑った。
「もうすぐ、結婚するの」
「え?」
驚いていると、浜田さんは私を見て笑った。
「働き始めてから知り合った人と付き合って、結婚することになったの。だから今は幸せよ」
私を見て、にこりと笑う。
「あ、ええと、おめでとうございます」
お祝いを言うとありがとう、と微笑んだ。
「優とは違う、静かな人だけど、とても優しくて、一緒にいると落ち着くの」
その顔が幸せそうだった。
すごくいい顔をしているから、彼女はその人がとても好きな事も、今が幸せなのも本当なのだと思った。
私の方を見て、浜田さんは困ったように笑った。
「実はね、優と付き合っている時、私かなりひどいことをしたの」
「優さんにですか?」
「そう」
浜田エミリは肩をすくめた。
「優は優しかったし、いい彼氏だったけど、やっぱり私の事は好きではないんだって思って、ずっと寂しかったの。だから、たくさんわがままを言った。誕生日はこのレストランに行きたい。クリスマスはこのネックレスがいい、それでないと嫌だ。ペアリングをつけて欲しい、とか色々。今考えるとくだらない事だけどその時は必死だった。わがままを聞いてくれたら、それが私への気持ちの証明だと思ってた。子供だったのよね」
照れたように笑う。
「不安で振り向いて欲しくて、そんなことをしたの。優はうんざりしてた」
でも私にはその時の彼女の気持ちがわかる気がした。
だって私も同じように思っていた。ただ行動しなかっただけだ。
でもね、と浜田エミリが言って、私は我に返って彼女の言葉を待った。
「恋愛は二人でやるものだから、そうさせた優にも問題はあると思う。お互いを思い合えなかったから、結局私たちはダメだったのよ」
そうして明るい声を出した。
「今度の人はそんなわがままを言わなくてもいい人。私が私らしくいられる人なの」
彼女と目があって、私は口を開いた。
「良かったですね」
私の言葉に浜田エミリは驚いた顔をした。そんなことを言われると思わなかったのだろう。戸惑った顔をして、でも姿勢を正すとお辞儀をした。
「ありがとう」
顔を上げると私を見て、微笑んだ。
とても綺麗な笑顔だった。
浜田エミリは私を見つめた。
「今度の人は、ちゃんとあなたのこと想ってくれているのよね?」
彼女の質問にどう答えるべきか悩んでいたけれど、それを肯定を捉えたのか浜田エミリは笑った。
「よかったわね。あなたの気持ちがその人へ向いたら、付き合えばいいと思う」
浜田エミリがあまりにも嬉しそうにするから、どうしていいのかわからない。困っているうちに彼女は、笑って続けた。
「やっぱり、自分が思うより思ってくれる人と一緒にいた方が幸せになれると思うわ」
雑誌やテレビでよく聞く話だけど、彼女を見ると頷ける。
愛されている余裕なのか、優さんと付き合っていた時よりも、今の彼女の方がずっと綺麗で魅力的だと思う。
そんな風に彼女を変えたのは、今の恋人だ。
初恋は終わったけれど、彼女はそれを乗り越えて新しい幸せを掴んだのだ。
羨ましいと、素直に思った。
それから私たちは和やかに話をした。
浜田さんの婚約者の話をしていたら、私が迷っている相手が弟の明だと気付かれてしまった。浜田エミリは納得したように頷いた。
「ああ、彼。まあ、理解できるかな」
「……そうですか」
「ほら、何回か優の家にお邪魔した時にあなたがいて、その時にもしかしたらこの子はあなたの事好きなのかもしれないなって思った」
何度も大きく頷く浜田さんを、恥ずかしくて見ることができない。
「一途なのね。あんなにモテそうなのに」
私は顔を俯かせる。きっと赤い顔をしていると思う。
「兄弟だけど、優とタイプは正反対よね」
「似てないです。行動パターンも別だし」
そういえば、この間話していた時、明の事を相変わらずって言っていたことを思い出す。
「この間、明のこと相変わらずって言っていましたけど、どういう意味ですか?」
浜田さんは記憶を辿る様にして、でもすぐに思い出したようで、私を見て笑った。
「優の家に行った時に何回か話したけど、年上の優にもはっきり物を言うし、しっかりしているなって。優と意見が合わなくても正論で言い返すから優の方が押されて言い返せないの。兄なのにおかしいでしょう。あんな後輩とは一緒に仕事したくないって思ったわ。優がいなくなった時もいきなり事務所に電話が来て、話をしたいってやってきて、聞きたいことだけ聞いてあっさり帰ったの」
私の時と同じだと思った。あまりにも明らしいから、笑ってしまう。
「まあ、いつもそんな感じです」
だけど浜田エミリは肩をすくめた。
「何を考えているかわからなくて、ちょっと怖い感じもするわ」
そう言ってから、慌てて私を見て謝った。
「ごめんなさい。私の勝手な印象だから、深く考えないで。話したのも数回だし、性格を判断できる程接していないの」
「わかってます」
私は首を振った。浜田さんは息を吐いた。
「だけど、そんな人もあなたには優しいんだろうからね。どんな感じなのか、気になるな」
多分かなり過保護で、かなり甘やかすタイプだと思う。
と言っても比較対象が優さんだけだから、なんとも言えないけど。
私が戸惑っていると、浜田エミリは私を見て笑った。
「彼だったら今度は幸せになれるわよ」
笑って力強く頷いて見せた浜田さんに、また恥ずかしくなる。
「やっぱりちゃんと思ってもらうと、満たされるわよ」
「そうですかね」
そう言われて明に抱きしめられた時のことを思い出す。
あの時の気持ちが落ち着いた感覚を、こんな風に表現するのかもしれないと思った。
浜田さんは穏やかに笑った。
「私が言うんだから、本当。今の人と付き合ったら、優の時と私の気持ちが全然変わった。逆にあの人と一緒にいるようになって、優が私の事を好きではなかったって、実感したわ。大事にされると、こっちにも伝わるのよ」
そして浜田さんは考え込むような顔をした。
「でも、時々思うの。優はどうして私と付き合ったのかなって」
その口ぶりから、何度もそのことを考えたのだろうと思った。
「何か理由があったのかな。私と付き合うメリット、が」
浜田さんと付き合うメリット、と言われて思わず嫌な考えが浮かんだ。あまりにも失礼な考えに、私は思わず首を振った。
こんなに美人で性格も良くて頭の良い女性と付き合うなんて、かなりすごいことだと思う。
大学のミス候補だったとも聞いたし、言い方は悪いけど、自慢できるし、男として認められる気がする。
私が飲み込んだ言葉がわかったのか、浜田さんが苦笑いした。
「付き合うなら見た目がいい子が良いって感じかな」
自分が考えていたことを指摘されて、気まずくなって私は苦笑いした。
「そんな意味ではないです」
「良いのよ。あの人、そういうところある」
浜田エミリはため息をついた。その姿が寂しそうで、私は慌てて口を開く。
「そんなことないですよ」
「いつもいい服着てたし、車も持ち物もそう。彼女もそんな感覚だったんじゃないかな。自慢できる彼女ってアクセサリー感覚」
私は大きく首を振った。
「ちゃんと、浜田さんのこと思っていたと思います。だから、そんな風に言わないでください」
私の言葉に、浜田エミリは視線を下げて微笑んだ。
「ありがとう」
顔を見合わせて私たちはもう一度、微笑んだ。
私たちは優さんの元恋人同士で、本来ならもう少しギスギスしていいのに、思い出話をしながら笑い合ったり、お互い励ましあったり、とても変な感じだった、まるで仲のいい女友達みたいだ。
でも彼女と話すのは楽しくて、だから思わず会話が弾んで、長い時間を一緒に過ごしてしまった。
そして気がつけば、それなりの時間になっていた。浜田さんが時計を見る。
「また、連絡してもいい?優のことを抜きにして会ってくれると嬉しい」
「ぜひ、お願いします。私も楽しみです」
「じゃあ、連絡する」
私の返事に浜田さんが笑った。
お互い荷物を手に席を立とうとして、浜田さんが手を止めた。気になって声をかける。
「何か…」
浜田さんはとても真剣な顔をして、私を見た。
「優の家族は、何も言わない?」
「え?」
思いも寄らないことに私は驚いた。
「どういうことですか?」
浜田さんは言いにくそうに視線を俯かせた。
「いや、川村の会社の長男がいなくなって、もう数ヶ月も経って何も情報がないなんて信じられないなって」
戸惑ったように浜田さんは首を傾げる。
「川村の力やお金を使ったら、探偵だってちゃんと雇える。そうしたら、きっとひと月もあれば、本人を見つけられなくても、何か大きな手がかりを掴めると思うけど……それもないのかしら」
あっと思った。
確かに、川村の次期社長がいなくなって、それであのおじ様が何も動いていないはずがない。
きっと、動いている。そうとなれば、何か掴んでいるかもしれない。だってもう3ヶ月以上経っているのだ。
もしかしたら、みんなは知っているかもしれない。
私以外の人はみんな、優さんがどこにいるか、何をしているのか知っているかもしれない。
明だけでなくて、お互いの両親も、川村の関係者もみんなが。
私以外、みんな。
そう思ったら、急に世界がぐらりと歪むような気がした。
信じている人達が私に隠し事をしている、なんて考えたくない。
でもその考えが浮かんだら、それが真実のように感じてしまう。
黙ってしまった私を、浜田さんが気遣うように声を掛ける。
「ごめんなさい。そんなことないわよね。気にしないで」
「あの」
私は浜田さんを見つめる。
「今日、私に伝えようとしたことって」
浜田さんは思い出したように口を開いた。
「大学に優の高校の同級生がいたから、その人に話を聞いてみたらどうかと思って。高校の時に仲が良かったみたいで、大学でも優はよくその人と話してたの。仕事を始めてからも頻繁に会っていたと思うな」
浜田さんは手帳を出して、その人の連絡先を私に差し出す。
「先輩だから、私はあんまり話したことはなくて、でも優の事ならその人に聞くのが1番だという人が多くて」
この連絡先は人に教えてもらったの、と言って笑った。
その紙を私はなんとも言えない気持ちで見つめた。
私の目線を見て、浜田エミリが眉を寄せた。
「いらない?」
私は慌てて首を横に振った。
「ありがとうございます」
折り畳んだ紙を私は受け取った。
「もういらないかもしれないけど」
そう言った浜田さんに、私はもう一度首を振った。
「いえ。会うかどうかは考えますけど……でもありがたいです。こんな風に私のこと手伝ってくれた人、いないので」
いろんな人に会ったり、話を聞いたけれど、実際に私を手伝おうとしてくれたのは、浜田さんが初めてだった。
一緒に話を聞きに行ってくれたのは明だったけれど、やっていることは否定されていた。
応援してもらっていると思えるのは、とても嬉しくて心強い。
「すごく、嬉しいです」
「優に会いたいのは、私も同じだから」
笑った浜田さんに私も笑顔を返した。
浜田さんと別れて、私はその紙をじっと見つめた。
もうやめるつもりだった。
だからこの紙は使わなくてもいい。浜田さんもそれでいいと言っていた。
また空振りだと思う気持ちと、今回は本当に意味があると思う気持ちがせめぎ合う。
私はその小さな紙を握りしめたまま、立ち尽くした。




