同級生 黒木エミ
「春奈、久しぶり」
エミは椅子に座ると私に向かって遠慮がちに微笑んだ。
「大変だったね……今もだと思うけど」
それを聞いて逆に安心する。
黒木エミは私の中等部の同級生で、大学までずっと一緒だった。就職してからもよく会っている。明るいさっぱりした性格で、人に好かれる人だ。そのせいか友達も多い。面倒見が良いから後輩からも慕われて、バレーボール部のキャプテンをしていた。
そんな彼女は私の親友と言える人で、昔からよく私の悩み相談にものってくれた。
だから、この人は私がどれだけ優さんのことを好きだったかも、よく知っている。
エミは紅茶とパンケーキのセットを頼むと私を見て笑った。
「本当ならもう結婚してたのに。大変だったね」
私は同じように苦笑いした。
「こんなことになるなんて思わなかったな」
最後にエミにあってから随分経っている。
その時は優さんとの同居が決まっていた。新居で使う家具で悩んでいて、エミにも意見を聞いた気がする。それからまだ日程は決まっていないけど、結婚式でスピーチを頼みたいことを伝えて、それからたくさん、話をした。
「あの時の春奈忙しかったもんね」
「そう、新居の準備とか、大変だった。全部無駄になったけど」
「買ったものはどうした?」
「運良く注文前のものが多くて、オーダーが済んだ物もキャンセルできたから助かった」
「よかったね」
ちょうどきたパンケーキにエミは早速ナイフを入れた。
「でもあの時の春奈、忙しいから同窓会も来ないし。残念だったな。人もいっぱい来て楽しかったんだよ」
言われてあっと思い出した。
ちょうど優さんがいなくなる半年くらい前に、高等部の同窓会があった。
結婚が決まって半年くらい経って、同居が決まってその準備に追われていた時だった。
私とエミの学年だけでなくて、明の学年や、私の一つ上の学年も集まっていた。何となく学生時代全体の同窓会といった感じになっていた。人も多いのでホテルの大会場を借りて盛大に行われて、あとから聞いた話だと、とても盛り上がったらしい。S N Sにアップされた画像も楽しそうなものばかりだった。
もちろん私も行きたかったけれど、確かその日は優さんと優さんのお母様と親戚の家に行く用事があった。だから仕方なく断ったのだ。
エミはもちろん、仲の良かった女子の子や、部活の先輩や後輩たち、確か、明も行っていたと思う。なかなかあんなに人が集まることなんてないのに、いけなくて悔しい思いをした。
「私も行きたかったな」
「そうだよ。みんなで頑張って準備したのに」
その会の幹事はエミと、エミと同じバレーボール部の人だった。バレー部は仲が良くて、最初はうちの学年の同窓会をしようと言っていたのが、バレー部の先輩や後輩に声をかけたいといってどんどん会が大きくなったのだとエミが言っていた。
「こんなことになるなら、いけばよかった」
「まあ、またやるよ。先生たちもね、思ったよりたくさん来てくれて、みんな楽しんでくれたんだよ」
懐かしい同級生や先生たちの顔が浮かんで、私も笑顔になった。
「そういえば、明くん、すごい人気だったよ」
え、と私は動きを止めた。
「明が?」
エミは大きく笑った。
「そりゃあそうだよ。あんなに顔が良くて、頭も良くて育ちも良くて。しかも大企業に勤めててさ、最優良物件じゃない。一気に女の子が寄ってきたよ」
私はそれを苦笑いして受け止めた。
そんな人に、この間告白もどきのことを言われました、なんて言えない。
もう少し黙っていようと決める。
エミは笑顔で私を見つめる。
「でも、明くんはずっと春奈一筋だもんね」
揶揄う様な言い方に、思わずむせそうになった。
「そんなことないって」
だけどエミはそれを見てさらに笑った。
「そうだよ。ずっとそうだったし、私は昔からそれを見てたからね。あの日だって本当は春奈と一緒にきたかったんじゃないかな」
「そんなことないって」
エミは笑って私を見た。ちょっと探るような目だった。
「春奈さ、色々あって今は考えられないと思うけど、明くんにしなよ」
それに私は驚いて、エミを見つめる。
笑っていたはずのエミは真剣な顔をしていた。
「私さ、実はずっと優さんに文句言いたかったんだよね」
「どうして?」
驚いて聞くとエミはものすごく不機嫌な顔をした。
「え、だって春奈に冷たかったよ。いつも仕事、ゴルフで会えないってそればっかり」
「忙しいのは本当だし」
「だけど大事な婚約者に対してひどいと思う。春奈が大事にされてないって私はずっと不満だった」
「そんなことない」
「そんなことあるよ。春奈の誕生日だって」
つい私も苦い顔をしてしまう。
私の誕生日。
忙しいのはわかっていた。でも少し期待していたのだ。もしかしてプレゼントが届くとか、サプライズで会えるとか、せめて電話をくれるとか。
だけど、悲しいくらい、何もなかったのを覚えている。
プレゼントも、外で食事することもなくて、おめでとうの電話もメッセージもなかった。
誕生日を知らなかったのか、知っていて忘れてしまったのか、今となってはわからない。
それを本当に少しだけ、エミに愚痴ってしまったのだ。
後悔している。
でもその時は誰かに言わずにはいられなかった。
「でも本当に忙しかったし、そんな余裕ないよ」
「え、でもさ。プレゼントはお店に電話してオーダーしておくとか、最悪その日は花束の宅配だけして、後日一緒にプレゼントを買いに行くとか、本当に最悪は電話するだけでもいいよ。やり方は色々あるよね?どうしてしないわけ?って私すごく嫌だった」
「仕事大変なんだって」
「でも明くんは同じ様に忙しいのに春奈に誕生日プレゼント、くれたわけでしょ?」
それに私は肩をすくめた。
私の誕生日、明は律儀に私にプレゼントを渡してくれた。4月の私の誕生日は人事異動もある会社が忙しい時期だと思う。明もやっぱり忙しかったのか、仕事が終わるくらいにいきなり私の会社に来て、渡すだけ渡して、あっという間に仕事に戻っていった。
まだネクタイをしているから驚いて聞いたら、会議の合間だと言う。
「そんな急がなくていいのに」
そう言ったら、苦い顔をした。
「誕生日だろ。今日渡したかったんだよ」
プレゼントは革製の手帳で、ちょうど買い替えようと思っていたところだった。超高級ブランド、ではないのがかえって気が楽だ。高級すぎると怖くて使えない私のことをよくわかっていると思う。
結果として、私はそのプレゼントを愛用している。
「まあ、そうだけど」
「それに、食事に行くって言っても結局川村の家で食べることばっかりで」
また言葉に詰まった。
いつの間にか二人で行く食事も川村の家で済ますことが多くなっていた。水野さんの料理は美味しいし、みんなが歓迎してくれるから私は別に構わないと思っていた。でも川村の家に行くと、周りの人とばかり話して終わってしまう。食事が終わってしばらくしたら家に帰ることになるし、優さんとじっくり話すこともできない。
だから時々思っていた。
もっと二人だけで過ごしたいって。
エミは息を吐いた。
「恋人同士だよ。付き合ってるんだよ。それなのにいつも実家で食事してすぐに帰るとか、どうなの?」
「どうって……」
そこでエミは声を顰めた。
「恋人同士なら、そういうこともあったでしょ?二人だけでゆっくりしたい時もあったよね?」
遠回しに言いたいことが理解できて、思わず顔が赤くなった。
「そ、そんなこと」
エミは首を振った。
「何言ってるの。恋人同士なんて、何かのきっかけですぐにそういう空気になるんだから。春奈だって優さんに、ぎゅうって抱きついたりして甘えたい時あったでしょう?それなのにそんな時間も作らないって、恋人に対して冷たすぎ」
私は思わず俯いた。エミは私の様子に気がつくことなく、興奮した様子で話を続ける。
「そういうことする事で、愛が深まると言うか……。その時に、ああ、私大切にされているって実感するじゃない」
私は思わず俯いた。
今の話にどんな返事をするのが正解か、わからない。
私には、わからない。
私は少しの時間黙った後で、エミを見た。
その笑顔が不自然でないことを、願う。
「優さん、そういうの、好きじゃないみたいだった」
エミは驚いた顔をする。
「え、そうなの?」
「……うん」
少しの沈黙の後で、何かを察したのか、エミは明るい声を出した。
「明くんはさ、昔からずっと春奈のこと思っているし、絶対大切にするよ。だからいいと思うよ」
「そんなこと…」
ない、と言おうとした言葉は、エミの強い言葉で遮られた。
「春奈には幸せになる権利があるよ」
エミは私をじっと見つめた。
「私はね。春奈のことが大好き。だから、幸せになって欲しいと思ってる。いなくなった人のことは忘れて、自分のことを大切にしなよ」
エミはテーブルの反対側から腕を伸ばして私の肩を掴んだ。
「優さんは春奈にはもったいない。もっと大事にしてくれる人がいいよ。いいんだよ、春奈は幸せになって」
その言葉は強く私の胸を打った。
いけないと思った時には、涙が溢れていた。
「え、ちょっと、ごめん。春奈」
「ああ、ごめん。最近すぐ泣いちゃうの」
私はバッグからハンカチを出して涙を拭いた。この間から泣いてばかりだ。
涙を拭くと目の前のコーヒーを飲んだ。
「そうだね」
私は顔を上げると、エミに向かって笑った。
「もう、優さんの事、忘れようと思う。優さん、もう戻ってこないし。戻ってきても、もう無理だし」
言葉にしたらとても悲しい。だからあえて、それを言葉にした。
私は泣きながら笑った。
「次は私の事をちゃんと好きでいてくれる人と付き合いたいな」
わざと明るい声を出した。
「今度こそ、幸せになりたい」
エミは笑った。
「そうだよ。今度は幸せになろう」
優さんにとって私はどんな存在だったのか、知りたいと思っていた。
でも、もうどうでもいい気がした。
答えがどんなものでも、もうあの人は戻ってこない。
いつまでも泣いたままではいられない。前を向かないといけない。
だから、もう辞めよう。
私は自分を大切にしてくれる人と、前を見て生きていこうと思った。
エミと別れて電車に乗って家に帰る。
最寄駅で電車を降りて、駅前のロータリーを出たときに、私は足を止めた。
そこに停まっていた黒い車に見覚えがあった。
立ち止まると同時にドアが開いて、そこから人が出てくる。
「明」
明は私の目の前にきて、微笑んだ。
この間彼の腕の中でないてから、会ったのは初めてだ。恥ずかしいと思ってしまうのは、私だけなのだろうか。
「どうしてここにいるの?」
「黒木さんから連絡もらった」
「なんて?」
「泣かせたから慰めに行ってあげてほしいって」
「どうしてそんなこと……」
エミのお節介。心の中で非難する。
明は口元を緩めて笑った。
「来てほしくなかった?」
私は明を見た。
年下なのにいつも自信たっぷりな明が、ほんの少しだけ不安そうに見つめ返してくる。
私は首を振った。
「ありがとう」
明の顔が僅かに緩む。
きっと安心したのだと思う。
私は明へと歩いて行って、微笑んだ。
「来てくれてありがとう」
返事はなかった。
だけど返事の代わりに、手を伸ばしてそっと頭を撫でてくれた。
明に触れられると、自分が大事にされていると素直に思える。
そうしたら、とても心が満たされることを、私は知ってしまった。
この間、明が私に教えてくれたのだ。
抱きしめられた事で、好きになったわけではないし、恋人になったわけでもない。
明だって私が泣いているのを止めようとしただけで、深い意味なんてなかったかもしれない。
ただ、明に抱きしめられた時、明の腕の中が自分にピッタリ合った様な気がした。
またそうして欲しいと思ってしまうくらい、心地よかった。
満たされる様な気になったのだ。
でも、それは私の気持ちが変わってきた証拠かもしれない。
振り返ればいつもそばにいてくれた人のことを、私は特別に思いはじめている。
まだそれが恋かなんてわからない。
でもそれが、優さんを探すのをやめようと思った理由の一つかもしれない。
「明に会えて、嬉しいよ」
私の言葉に、明は嬉しそうに笑ってくれた。
その日から、私は優さんを探すことをやめた。




