農業 村井
高速を降りて車を10分ほど走らせると、道路の両脇に畑が広がった。明はその中を車で進んでいき、道路沿いの2階建てのビルの前で車を停めた。
「じゃあ、行くか」
休日のビルの中は一部だけ電気がついていて、そして奥にいた男の人が立ち上がって駆け寄ってきた。
そして私たちは挨拶しあった。
「じゃあ、こちらでどうぞ」
そう言ってソファを勧められて、私たちは並んで座った。その男の人は目の前のテーブルに幾つかの野菜を置く。
「川村優さんのことですよね」
村井と名乗った人は、人好きのする笑顔で私たちを見た。農業をしているから、真っ黒に日焼けしている。
この人とは明も初対面だと言っていた。
話を聞いたら優さんは何回かここに足を運んだけれど、結局取引をするには至らなかったらしい。
「川村さんはうちの野菜に目をつけられたんです」
そう言って、目の前の野菜を指さしながら名前を言った。海外で主に作られる野菜で、日本では馴染みが薄いものだ。私も名前はわかるけれど、どう料理するかはわからない。
「うちはこういった珍しい野菜を作っていて、それを川村さんの会社で行っている野菜の宅配サービスに導入したいと思ったみたいです」
「なるほど」
村井さんは苦笑いした。
「でもうちでは、宅配サービスに入れるほどの量は作れないので、結局お断りしました」
手の中の野菜を村井さんは大事そうに触れる。
「だけどその後も話しに来てくださって。うちも川村さんみたいな大手と取引できるのは嬉しいのですが、残念です」
明は目の前の野菜を手に取った。見たことのない野菜だ。サラダで食べると美味しいという。そう言われればわかるけれど、調理法もわからないしスーパーでこれを見ても手に取るとは思えない。
「これも珍しい野菜で」
「確かに珍しいし、どう調理するか困りそうですね」
「そうなんですよ。そのせいであんまり売れないんですけど、すごく美味しいんですよ」
村井さんは目の前の野菜の説明を始める。これは炒めて、これはサラダ、と説明されれば料理をイメージできる。
「珍しい野菜をレシピと一緒に配達するのはいいと思うのですけど、やっぱりうちも一人でやっているので、大量生産できないので」
「でもいいアイデアですけどね」
私が言うと村井さんは悔しそうに笑った。
明は少し考えた後で、口を開いた。
「うちで提携しているレストランで使えそうですね。一度検討していいですか?それなら宅配に比べて一度に出る量も多くないので生産にも影響はないです。野菜をメインにしたヘルシー料理の店があるので、きっとそこならこの野菜も活かせると思います」
「本当ですか?せっかく作ったものだから、みんなに知って欲しい気持ちはあるんです。ただやり方がわからなくて」
明は村井さんに向かって力強く頷いた。
「じゃあ、作った料理を簡単なレシピと一緒に店のSNSで発信しましょう。万が一注文が殺到しても宅配注文と違うので予約にすれば村井さんの負担にもならないと思いますし、手に入らないってことで価値が上がることもありますしね」
村井さんは嬉しそうな顔をした。
「ええ、ぜひ。お願いします。いや、ありがたいな」
「試しにこれを少しいただいて行ってもいいでしょうか。シェフと相談します」
「どうぞどうぞ」
村井さんは嬉しそうに奥に野菜を取りに行く。
明はうまいな、と思う。
優さんの「あと一息足りない」ところをうまくカバーしている気がする。この話だって、優さんが目をつけたものを展開して、いい取引にした。
きっと二人で一緒に仕事をしたら、いい会社を作れたと思う。
たくさんの野菜を紙袋に入れて戻ってきた村井さんに、私は声を掛ける。
「川村優さんとは何がきっかけで知り合ったのですか?」
村井さんは考え込むような顔をした。
「あれ、なんだっけ?」
腕を組んで首をかしげた。
「ええと、確か」
村井さんは私へ顔を向けた。
「実は私、全国の同世代の農業者と交流するグループを作っているんです。例えば廃棄防止の取り組みとか、それぞれの農家の持つノウハウを教えあったりとか、共同でオンラインショップを開いたりとか、色々新しい事に取り組んでいるんです。確かその会のS N Sを見たって言ってました」
「S N S」
「そうですね、ホームページだったかな。どっちかです」
「そのグループの名前って」
「農業未来へつなぐ会です」
後で調べてみよう、と私は頭に止めておく。
そして、思い切って村井さんに向き直った。
「あの、村井さんのところやその会に女性っています、よね?」
村井さんは驚いた顔をする。
「もちろん、いますよ。年齢も幅広いし、結婚している人もいますし」
「ですよね」
隣の明が私をジロリと見つめる。その目が私を非難している。確かにこんな時に場違いな質問だと思う。でも聞きたかったからつい聞いてしまったのだ。
「その会にはたくさん人がいるから、正直私も知らない人がいます。だからなんとも言えませんが」
「すみません、確認です」
私が小さく頭を下げると、明が村井さんに向き直った。
「この野菜のことは、またこちらで検討して連絡します」
「よろしくお願いします」
明はすぐに立ち上がった。私が口を挟んだことをよく思っていないのかもしれない。私も急いで立ち上がった。
車が走り出しても明は不機嫌なままだった。
「怒ってる?」
信号で車を停めると、私は気になって尋ねた。
「いや、怒ってはいない」
「嘘、怒ってたよ」
返事の代わりにため息が返ってきた。明は車を動かすと路肩に止めた。
「これで、あのリストは終わり?」
私は手帳からリストを取り出す。もともと少なかったけれど、もうこれでめぼしい人はいない。
「もう、いない、かな」
「もういいだろう、気は済んだ?」
私は黙ったまま明を見た。
「すんでは、いないと思う」
「どうして?」
私は首を振った。これ以上あてもない事に明を巻き込むのは良くない。
「明はもういいよ。私は続ける」
「何か当てはあるのか?」
「ない」
「じゃあ、どうやって」
「……わからない」
またため息が返ってきた。
私は俯いた。
「もう一度でいいから会いたいの」
「会ってどうする?」
「ちゃんと、さよならを言いたい」
明が車のシートに体を沈めた。手を顎にかけて、苦い顔をする。
「もう戻ってこないよ。兄貴の中では終わってる」
そうだと思う。
明もおじさまも、みんな新しい生活を始めている。
もしかしたら、優さんも。
私だけが、時が止まっている。
私だけが、まだ終わっていない。
膝の上の手を握りしめた。
「春奈」
隣の明が動いた気配がした。シートベルトを外す音がして顔を上げると、明が心配そうな顔をしていた。ハンドルにかけていた手を私の顔に伸ばす。
その手は私の頬をなぞる様に動いて、そして頬を流れる涙を静かに拭った。
「泣くなよ」
明に言われて初めて、自分が泣いているのだと理解した。
「泣くなって」
怒った様に言うくせに、明の方が辛そうな顔をする。泣き止まない私に、困った様に目を逸らせた後で、思い切ったように腕を伸ばしてきた。
「俺がいるから、いいだろ」
明の腕が私を囲う。
「俺は、兄貴みたいに春奈に寂しい思いをさせない。いつも笑顔でいられるように、ちゃんと守る」
涙がまた、頬を伝う。
「もう一人にはしないから」
彼がいなくなってから、泣いたのは初めてだった。
泣く暇もないくらい、忙しかった。大変だった。そして必死だった。
毎日の生活を保つことで精一杯だった。
周りの目が怖かった。しっかり前を向いていないと、挫けてしまいそうだった。
泣いたら自分が可哀想な人間になってしまうから。
頑張ったせいで、私の気持ちはどこかに置き去られてしまった。
だけど本当はとても悲しかった。
彼がいなくなって驚いて、悲しくて、寂しくて……心の中がぐちゃぐちゃだった。
明の腕に力が入った。頭の後ろに手が回って、明の胸に引き寄せられた。
いつも明がつけている香水の匂いがする。
それを思い切り吸い込んで、その匂いに、なぜだかとても安心した。
「春奈」
「……うん」
「俺にしておけ」
私は返事をしなかった。
明もそれ以上、何も言わなかった。
その代わりに、明は私の頭をあやすように撫でた。
頭を撫でる手を、私は振り払うことができなかった。
その手がとても優しく、私に触れたから。
多分その時の私は一人ぼっちで心細くて、頑張ることに疲れていたのだと思う。
だから、誰かに少し寄りかかりたかった。
だから、明の手を振り払えなかったのだ。
こんなふうに、優さんは私に触れることはなかった。
一度でいいから、私はこんな風に優さんに触れて欲しかった。
高価な指輪とか、レストランでの食事とかそんなものはいらなくて、
こんなふうに、優しく、抱きしめて欲しかったのだ。
ただ抱きしめてくれるだけで、良かったのに。
誤字脱字報告いただきました。ありがとうございました。




