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初恋  作者: 史音
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料理研究家 並木美穂

庭に出てぼんやりと花を眺めながら歩く。車庫まで行くと、水野さんの旦那さんが車の洗車をしていた。

「お久しぶりです」

声をかけると笑顔になってホースの水を止めた。

「明様とお出かけだそうですね」

「そうです。でも明がまだ準備中で」

水野さんは笑って車庫の黒いS U Vを指さした。

「お出かけ前に洗車しておきました」

「きれいになってますね。ありがとうございます」

国産の黒いS U Vは明の車だ。洗車したてで、ピカピカに光っている。


私は明の車の隣の白いスポーツカーに目線を移した。水野さんがそれに気が付いたのか、気遣うような笑顔をした。

「優さまの車も洗っていますよ」

「うん……」


外国の有名なスポーツカーは優さんのものだ。

持ち主のいない車は、いつ動くかもわからないのに準備万端に見える。

ついその車をじっと見ていると水野さんが声をかけてきた。

「懐かしいですか」

私は苦笑いして首を傾げた。

「そうですね……沢山乗せてもらったので」


あの車には何回も乗せてもらった。

告白したのもあの車の中で、いなくなる前の日に彼と別れたのもあの車の中だった。

あの車に沢山の思い出がある。


「今も洗車してくれているんですね」

その車は本当に新車のように綺麗だった。

「そうですね、私もつい習慣でこれも洗車してしまうんですよ」

「この車を大事にしてましたもんね」

「少しでも汚れるとすぐに洗ってって言われて」

「絶対に汚したくないと思っていましたよね」

水野さんも思い出したように笑った。

「でも汚れる事もありましたよ」

「え?本当?」

「泥だらけで帰ってきたことが何回かありました」

優さんは車が好きで、いつも綺麗にしていた。運転中でも雨が降ると気にして、汚れるような場所は車で行かないこともあったくらいだ。だから泥だらけなんて、想像できない。

「タイヤが泥だらけで、車体にも泥が沢山ついてましたね。どこでついたのだろうと思いました」

「へえ」

珍しいと思った。同時にそれを見て苦い顔をする優さんが思い浮かんだ。

水野さんも笑った。

「泥って時間が経つと落とすのに苦労するんですよ。大変でしたね」


そんなに泥がつくところってどこだろう、と思った。そこに、明がやって来た。

「待たせてごめん、行こう」

明は水野さんにお礼を言って、黒いS U Vの助手席のドアを開けると私に手を出した。

「どうぞ」

「ありがとう」

私が座ってシートベルトをすると、運転席に明が乗ってシートベルトをした。


私はつい、じっと見てしまった。

隣に停まったままの、白いスポーツカーを。

「気になる?」

声がかかって慌てて視線を向けると明がこっちを見ていた。

「あの車の方が慣れてるなら、借りてもいいけど」

私は首を振った。


私の中ではあれは優さんの車で、明と乗る気にはなれない。明は黙って車を発進させた。

「兄貴ああいう車が好きだったよな」

「うん」

誰が見ても素敵だなと思うスポーツカーを優さんは好んだ。国産のセダンに乗りそうな人なのに、いつもこのタイプの車だった。スーツや時計もいつもブランドの高級品だったし、人が羨む様なものが好きだったと思う。

「明は実用主義だね」

「そうだね」

逆に人目を引くスポーツカーに乗りそうな明は、乗り心地や実用性を重視した車を選ぶ。

兄弟なのに、似ているようで似ていない。



目当ての場所に着いたのは昼前だった。

ビルの中の料理教室の待合で、私達はその人が出てくるのを待った。明は仕事でその人と会ったことがある。だから緊張する私を励ますように、そっと私の手を握った。

「大丈夫だよ」

その声を、少しだけ心強く感じる。だけどそこに

「お待たせしました」

扉を開けて入ってきたから、慌てて立ち上がった。

その拍子に手はするりと離れていった。


明が挨拶をした。以前仕事を一緒にしたせいか、相手も穏やかに微笑んでいた。

「今日はお話を聞きたいと言う方を同席させてもらいます」

「はじめまして、並木です」

そう言って笑った彼女は清潔感のある美人だった。

受け取った名刺には『料理研究家 並木美穂』とあった。

彼女と明の会話を隣で聞く。

まとめてしまうと、以前ボツになった優さんの企画の一つに料理教室があって、優さんから彼女に声をかけたらしい。

並木さんは元々ブログで料理を紹介していて、そこから本を出すような人気料理研究家になったらしい。

話している彼女の態度にもおかしなところはない。

「実際は最初の企画はうまくいかなくて」

並木さんそう言って言葉を濁すと、明の方を見た。

「でも。今は副社長のおかげでうまくいくようになって感謝しています」

「副社長?」

私は驚いて聞き返した。


副社長は優さんだったはずだ。

だけど並木さんは明を見て笑った。明が困ったように笑う。

それを見て、ピンときた。


明が口を開く。

「並木さん、それはまだ確定していないので、簡単に口に出さないでください」

「あら、そうですか。でも確定事項ですよね」

そのやりとりを見て確信した。


優さんがいなくなって、その役職に明が就くことになったのだ。


それをなんとも言えない気持ちで受け止める。

でも当然の結果かもしれない。

兄の不在を、明は十分に埋めていたのだから。

多分、今まで以上の形で。



「今は副社長が企画を立て直して、レシピをアプリに載せて動画サイトや教室と繋げたり、医療機関と連携しているので利用者も増えて、うまくいくようになりました」

並木さんは明を見てにこりと微笑んだ。営業用にしても、愛想が良すぎる様にも思う。



並木さんとの面会は大きな収穫もなく終わった。

ピアスの有無を確認することもなかった。

だって並木さんは優さんをなんとも思っていなかった。

むしろ、明への好意をはっきり態度に出していた。それを感じてもやもやした気持ちになる。



「じゃあ、こんなところかな。いいよね?」

考え事をしているうちに明が会話を終えていた。慌てて頷く。

「ありがとうございました」

立ち上がろうとして、ふと思い出して並木さんに向かい直る。


「あの、川村さんとはどこで知り合ったのですか?」

並木さんは考える顔をしていたけれど、すぐに明るい顔になった。

「ブログでよくコラボしている農家の方の紹介ですね。名刺もありますよ」

手元の名刺入れから一枚取り出した。

「この方は珍しい野菜ばかり作っていて、それを活用しようと思って知り合ったみたいです」

並木さんは笑顔を明に向けた。明もそれに応えるように笑った。


名刺の住所は同じ都内だし、今からでもいける距離だ。じっと見ていると

「この方にも会ってみます?」

並木さんが聞いてくれて、私は思わず声を上げた。

「できれば」

「今日がいいですか?」

今日は休日だし、まだ時間がある。でも、と迷っていると私の気持ちを察したのか並木さんが立ち上がった。

「じゃあ、私から連絡してみます。よければ今日でお願いしてみます」

電話を手にして並木さんが部屋を出ると、明は非難するように私を見る。

「何?」

「別に」

明はため息をついた。その態度が気にかかる。

「別にって感じじゃない」

「……今日はこの後食事に行こうって言ってなかったっけ?」


それをすっかり忘れていたから、私は慌てる。

明はそれを理解したのだろう、苦い顔でふいと顔を逸らせた。

「ご、ごめん。急げば間に合うかな」

そう言った時に、並木さんが帰ってきた。

「今日、お仕事中で夕方までなら大丈夫だそうです。組合にいるから連絡くださいって」

そう言って手元のメモに住所と電話番号を記す。私はありがたくそれを受け取った。

「ありがとうございました」


ビルを出て、二人で明の車に乗り込む。車は走り出すと滑るように高速道路に入った。


思わずため息をつくと、隣から声がした。

「疲れた?」

前を向いている明が気遣う様な声をかけてきた。

「ううん。大丈夫」

「こうやって話を聞いて回っても、あんまり収穫はないと思うけどな」

苦笑いの明に私はため息をついた。

「わかってはいるけれど」

こうやって優さんの足跡を追っていたら、いつか会える気がしていた。

だけど実際はこんな風に、虚しく終わることばかりで、手がかりなんて何もない。


私は座席にもたれて窓の外を見た。

「ねえ」

「何?」

私はぼんやりと外を見つめた。

「明はどうしておじ様の会社に入ったの?」

「え?」

明が小さく声を上げた。私は顔を明に向けた。

「あんなにおじ様の会社には入らないって言っていたのに、どうして?」

「どうしてそんなこと聞くの?」

質問に質問で返されてしまった。私は苦笑いする。


優さんはずっと親の会社を継ぐことを目標にしていた。反対に明は親の仕事にちっとも興味を示さなかった。兄弟で後を継いで欲しいおじさまに、いつも笑って「一生続ける仕事くらい好きにするよ」と返事していた。

大学の時も友人とプログラミングを齧ったり、研究に没頭したり、本当に好き勝手やっていた。親の会社の事ばかり考えている優さんと対照的だった。



だけど急に戻ることにした。あの時言っていた、言えない『理由』とはなんなのか。

急に気になってしまった。


「明が急に川村に戻ったから、しかも」

「しかも?」

私はため息をついた。

「おじ樣に言われてイヤイヤ働いているかと思ったけど、ちゃんと仕事をしているから、驚いて」

「嫌々働くとかないだろ?……気が変わっただけ」


そのあまりにもありきたりな返事に、私は驚いた。

「そんなこと?」

「そうだよ」

そう言って、明は大きくハンドルを切って高速を降りた。

信号で止まると私の方を見た。

「おかしい?」

「おかしくはないけど、」

あまりにも簡単すぎて納得できない。もっと大きな理由がある気がしてならない。


だけど明は小さく笑った。

「まあ、俺もやりたいことがあったし」

「それが何か、聞いてもいい?」

明は私を見て笑った。



「秘密」



「何それ?」

私の返事に明は楽しそうに笑った。


「夕食は6時に予約してるから、それまでには絶対帰るからね」


この話は終わりという合図だ。

私にはわかる。明はこうと決めたら、絶対にそうする。だからこの話はこれで終わりだし、夕食の予約に間に合うようにするだろう。


私は明に向かって頷いた。

「わかった」

「よろしい」

笑ってそう言って、明は車を発進させた。



年下のくせに。

そう心の中で思ったのは、秘密だ。

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― 新着の感想 ―
[一言] 更新ありがとうございます(〃∇〃)♪! 明様…謎がほぐれたようなそらしてるような ^^; 半年前から…準備 たくさんのレタス、関東近くの県… (@_@;) 気になります〜 ーーー ヒ…
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