第56話 即死回避
俺の今の状況を極限まで微笑ましく表現すると、〝トリミングされていない大型犬がじゃれついていきている〟といったところだろうか。
「あの……長くない?」
「明日は土曜日……。部活していないのに、何を急ぐの? ふふっ……」
いや、急ぐとかじゃなくてさ、その……長いとか短いの問題じゃないんだよ。俺の言い方が悪いのかな?
遠回しに『もうやめてくれ』と言ったつもりなんだけど、どうにも上手く伝わらない。それとも俺の気持ちをわかった上でやってるのかな?
「雲倉さん、言いづらいんだけど……周りから見たら不審者だよ? 俺ら」
ほら、めっちゃ見られてるよ。彼らの目は、微笑ましいカップルを見るそれじゃないよ。好奇な目とでも言うべきか、侮蔑の目とでも言うべきか、なんにせよあまり良い気分はしない。
「ふひっ……。舞台の上に立った気分だね」
「ポジティブすぎるよ」
どんな舞台を想像したのか知らないけど、どう考えても見世物小屋だよ。
なんでこの人は、俺の体臭をくまなく嗅いでいるんだ? ただの匂いフェチなら、場所をわきまえないバカップルで片付けられるんだけど……その……なんだ。
さきほど〝大型犬がじゃれついてきている〟と表現したが、どっちかといえば〝麻薬探知犬に疑われてる〟のほうが正しいかもしれない。
「えっと、風呂はちゃんと入ってるけど……」
「……」
「あの……あのさ、なんで怪訝そうな顔してるんだい? そんなに酷い臭いかい?」
「……うん。酷いスメルだね……」
えっ……嘘っ……。
入浴はもちろん、洗濯もしてるよ? そりゃ学ランはアレだけど、今着てるのはワイシャツだよ? ちゃんと洗濯してるって。
「臭いのつき方からして香水はありえないね……。胸元に顔を埋められたとすれば、晴家さんは違うね。彼女の身長でそれをするなら、相当不自然な仕草になる。まあ十中八九、雨宮さんなんだろうけど……」
……えっ、怖っ……。
確かに彼女の言う通り、雨宮さんに抱きつかれたよ。でも匂いなんて全然ついてないぞ? 自分の臭いがわからないのは仕方ないとしても、雨宮さんの匂いなら俺もわかるだろ? なんで雲倉さんだけ嗅ぎ取れるんだ? しかもすれ違いざまだよ? すれ違いざまに『ちょっといいかな?』って呼び止められたんだよ? 人間の嗅覚を超えてるよ。
「腰の部分にピンポイントで臭いがついているね。位置的にも抱きしめられた時の手汗と見るのが順当かな」
もしかして見てた? あの現場を目撃してた? さすがに人間の嗅覚でそこまで当てるのは不可能じゃないかな。
「私にはアレ以来一切会いに来ないし、連絡もくれない。それなのに雨宮さんと抱き合うなんて……ひひっ」
〝アレ以来〟というのは、先日のこと……久々に再会した日のことだろう。元々長い空白期間があったのだから、今更すぎないかな? 一週間、二週間空いたくらいで騒がなくても……。というか、その笑い方やめない? 見た目も相まって怖いし、本当に何があったらそうなるの? 誰に何をされたんだ? なんで、手遅れになる前に相談してくれなかったんだ? そんなに信用ない?
「えっとだね、じっくりと話ができる頃合いというか、チャンスを伺ってたといいますか……」
「お互い、いつでも空いてるのに?」
……そう言われてみればそうだね。部活や習い事の類は一切してないし、友達もいない。暇じゃない時がないぐらいだし、仮に忙しくてもメッセージを送るぐらいならいつだってできる。
まずいな、まるで俺が言い訳をしたかのような空気になってる。
「俺は暇かもしれないけど、キミが忙しそうに……んぐっ!?」
何が気に食わなかったのか、雑に口を塞がれた。女の子が手で口を塞いできたと言えば青春の香りがするけど、雑すぎてアイアンクローをくらっているようにしか見えない。一体なんのつもりなんだ? まさか顔の皮を剥ぐってわけじゃあるまい。
「もういい、もういいよ。ふふっ……」
この状況で意味深なセリフはやめてほしい。まるで浮気男に愛想が尽きて処理するかのような……。
「善吉君は口を開けば言い訳ばかり……もういいよ……」
「言い訳なんて……んぐっ……」
アイアンクローを剥がして弁明しようとするも、全力で抵抗されて上手く喋ることができない。
いや、本当に待ってくれよ。言い訳ばかりってなんだよ。むしろ俺は、言い訳なんてしないタイプだよ。愚直なまでに、事実をありのまま話すタイプだよ。解釈違いではないだろうか。
「お願いだよ……私に強引な手段を取らせないで……」
なんですがるような目をしてるんだろう。まるで俺が悪いことをしてるみたいじゃないか。誰がどう見ても被害者なのに。
「暴力でわからせるなんて……そんなことしたくないんだ……」
この状況で言われても説得力に欠けるよ。とりあえず解放してくれないかな? 呼吸が苦しいんだけど。
「何も言わず、体を委ねてほしい。大丈夫……信じてくれる?」
体を委ね……? 何を……。
「なんで返事してくれないの? 頷くことぐらいできるよね? というかその目、猜疑心が宿ってない? そっか……信じてくれないのかー……」
なんか勝手に猜疑心を宿らされたよ。俺の目には慈愛しか宿ってないって。
いや、それよりも危険な雰囲気が漂ってない? なんて表現すればいいのかわからないけど、引き金に指をかけている人特有の喋り方というか……。
「……そっかー」
目の前にいるのはただの女子高生。元は活発な少女だが、それでも単純な力でいえば俺のほうが強い。弱々しくなってしまった今なら、なおのことだろう。
性格のほうも、〝竹を割ったような性格〟という言葉が似つかわしい。もし彼女が軍師だったら、計略などを用いずに特攻命令一本で勝負するだろう。
要するに比較的安全な人物のはずなんだが……。
「おっとっと、驚いたよ。なんで急に逃げるの? 私が怪我したらどうするの?」
気付いた時には彼女を振りほどき、思い切り後ずさっていた。
根拠など全くないし、具体的な説明もできない。本能が彼女を危険な生き物だと判断し、俺の体を突き動かしたのだ。
こんな華奢で、ボサボサの髪の女性を恐れた? 心の底から震え上がった? どうして? 直感を無視しがちな俺が、無意識に動くなんて……いや、動かされるなど考えにくいことだ。
「ごめん! 怪我してないかな!?」
「えっ……?」
「ちょっと失礼!」
「ちょっ……ちょっ……」
戸惑う雲倉さんに構わず、体をくまなく触診する。
惚れた相手を公共の場で触りたおすなんて、辱め以外の何物でもない。だけど、これが正解行動に思えてならないんだ。
だって……これも無意識の行動だもの。
「痛くない? 足とか捻ってない?」
「だ、大丈夫……」
俺の奇行に困惑する雲倉さんだが、一切抵抗せず、なされるがままになっている。
「だ、だめ……こんなところで脱がすなんて……」
ああ、ダメだろうよ。放課後で人通りが少ないとはいえ、廊下で靴下を脱がすなんて変態以外の何者でもない。でも今は彼女の安否を確認するのが先決だ。
「ふー……怪我はしてないみたいだね……」
「…………うん」
本当によかった。大げさかもしれないけど、急に突き飛ばされて足をくじくというのは、まあまあありうることだからね。
うん、本当に怪我がなくてよかった。本当によかった。何よりも……。
「ひょ、拍子抜けしたなー。用事思い出したから帰るよ……ふひひっ」
俺の本能が雲倉さんを危険人物リストから外してくれて、本当に嬉しい。
もう敵意は一切感じられない。俺の本能がどこまで正しいのかわからないけど、これで明日からも仲良くできそうだ。
いや……今まで以上に仲良くできそうだよ。
そうだ、家に着いたら雲倉さんにメッセージを送ろう。構ってほしそうだったし、遊びに誘えば来てくれるはずだ。
明日が楽しみだなぁ。まだ約束取り付けてないけど。




