邂逅
どこをどう走ったのだろう。
アリシアは、周囲から聞こえるキーキーという声に追い立てられ、時折現れる危険な何かを大杖の光魔法でなぎ倒しながら、息を切らせて森の中をさまよっていた。
一匹や二匹ならアリシアにだってなんとかなるかもしれないが、周囲の様子からすると結構な数のゴブリンたちが追いかけて来ているようだった。
立ち止まった瞬間、それらに襲われる未来が目に見えるようで、苦しくとも移動をやめることができなかった。
「シャーリー……絶対生きて帰るからね!」
彼女は強がるようにそう呟いたが、徐々に森の奥へと誘導されていくような気がしていた。
涙で風景がぼやけそうになるのを我慢しながら、それでもキーキーといった声の聞こえない方へと走り続けた。
アリシアが、必死で集落から離れようと走り続けて、どのくらいが経っただろうか。
すでに大杖に表示されている数値は0になり、魔法が発動しなくなったため、祖父に謝りながら重いそれを木に立てかけて手放した。
息は上がり、苦しい呼吸を繰り返し、それでも何かに追い立てられているような気がして足を動かしながら逃げ続けていたが、不思議なことにしばらく前から魔物に遭遇しなくなっていることに気が付いた。
最初は巨大な集落があるせいで、森の端の弱い魔物たちがそこを避けていたのだろうと漠然と思っていたが、ここはもう緑の小鬼など何匹いようとものともしないクラスの魔物がいてもおかしくないエリアだ。
もしかしたら、何かが森の奥からやって来て、この辺り一帯を縄張りにしているのかもしれなかった。こんな状態でそんな何かに出遭ったら──
「おじいさま……」
彼女は、息苦しさと不安にさいなまれ、浮かんでくる涙を振り払うように、祖父の形見となったペンダントをもう一度強く握り締めた。
❖ ◆ ❖
それが近づいてきた反応に、彼は浅い眠りから目覚めた。
入り口付近のカメラが捉えた映像によると、どうやらそれを運んでくるのは少女と言える年齢の女性のようだった。
とは言え銀河連邦の調査員とは思えないし、合理的に考えて現地人だろう。
未知の惑星にホモ・サピエンスと変わらないように見える現地人? それは進化論の観点からも驚きと言う他はなく、彼は強く興味を引かれた。
❖ ◆ ❖
その声は、突然アリシアの耳に届いた。
「停止してください」
「きゃっ!」
どこからともなく聞こえてきた声に、アリシアは驚いて立ち止まり、周囲をきょろきょろと見回した。
「2498YC35162、ロイ・シュットガル少尉のIDタグを確認しました」
「だ、誰!?」
喋る魔物がいないわけではない。例えば、年経たドラゴンや伝説の悪魔たちだ。
だが、そんなものに出遭った人間がどれだけいるというのだろう。ましてや生き残れた者などいるかどうかすら定かではない。
だからそれは、あくまでも伝説の中で、その存在を確認するのがせいぜいだった。
「一体、どこから──」
そう言おうとした時、彼女の視界の隅が揺れたかと思うと、そこに突然何かが現れた。
「──箱?」
それは蔦に覆われてはいたが、箱のような形をした明らかに人工的な物体だった。それが突然現れたのだ。
こんなものを造りだすのは大抵ダンガン帝国だ。
だがこんな場所にそんなものがあるとは思えない。もしかしてこれが名にし負う遺跡というやつだろうか。
アリシアは追われていたことも忘れて、呆然とその箱を見つめていた。
「そのタグをどうされましたか?」
どうやら声は目の前の箱から聞こえてくるようだった。
もしもこれがダンガン帝国の何かだとしたら、こんなに王国の土地の近くに何かの施設が作られているのを知られたくはないだろう。とっくに自分の命はないはずだ。
だが、本当に遺跡だとしたらもっと奇妙だ。なにしろ活動している遺跡など今ではひとつも残されていないからだ。おとぎ話の中を除いて。
聞こえてきた声には、彼女を害するような響きはなかった。
それは若い男の声のようにも聞こえるし、もっと落ち着いた年配の声のようにも聞こえた。いずれにしてもそこには心を落ち着かせるような響きがあった。
彼女は、不思議に思いながら訊き返した。
「タグ?」
「あなたが首からかけている、銀色の板のことです」
「これ? これは──」
そうして彼女から語られた言葉は、彼に大きな衝撃を与えた。
「──おじいさまから頂いたのよ」
❖ ◆ ❖
フォーディーは混乱していた。
この惑星に知的生命体がいたというだけでも驚きなのに、推定現地人のその女性は、少しイントネーションが変わっているとはいえ、十分自分たちの言葉として通用する言語をしゃべっていた。
未知の惑星に発生した知的生命体という仮説は、そのことだけでも否定されなければならなかった。
では、この場所が銀河連邦の一員なのかというと、そうとも思えなかった。彼の観測では電波が飛んでいなかったからだ。
ロイが出て行ってから標準時間で38年が経過している。生きているとしたら66歳だ。
言語の観点から言っても、身体的特徴から言っても、ロイと生殖が可能である確率は高そうだ。
だから、彼女がロイの孫である可能性は十分にあったが、逆にロイを殺して戦利品としてそれを奪取した者の子孫だということも考えられた。
前者なら自らを相続する者だが、後者なら敵性体だ。
この場合はどちらの可能性も同じくらいあった。そうして結論を出せなかった彼は、より直接的な手段でそれを確かめることにして、コンテナの入り口付近にある認証用のボックスを開いた。
「そこに手を置いてください」
「え? どうして?」
「あなたが、ロイ・シュットガル少尉の子孫かどうかを確認させていただきます」
「おじいさまは、そんな名前じゃないけど……」
「なんというお名前ですか?」
「その昔、おばあさまが崖下で倒れていたおじいさまをお助けしたの。その時は何も覚えていらっしゃらなかったそうだけど、ただ自分のこと訊かれた時、テックフォードとだけ仰ったらしいわ」
それを聞いた彼──フォーディー──は、奇妙な感情のようなものに囚われた。
すべてを忘れた男が、一つだけ覚えていた言葉。
彼は自分の回路を流れるその感情めいた情報の正体に名前を付けることができなかった。
「そして、記憶を失った自分は何物でもないと仰って、ヴォイド・テックフォードとお名乗りになったの」
「ヴォイド・テックフォード」
「そうよ」
それはおそらく事故だったのだろう。
そうして記憶を失くした男は、運よく助けてくれる女と出会い恋におちた。まるでベタな星間ムービーの物語のようだとフォーディーは感じた。そう、人間はこれを苦笑と呼ぶに違いない。
「その方は今?」
そう訊かれた彼女は、寂しそうにうつむいて腕を後ろに組むと、小さな声で「去年お亡くなりになられたわ」と囁くように言った。
「そうでしたか。それで、あなたのお名前は?」
「アリシア・テックフォードよ」
そう言って彼女は箱に近づくと、言われた場所に手を置いた。
フォーディーには彼女のDNAを調べる前から結果が分かっているような気がしたが、それでもルールに則ってそれを確認した。チクリとした痛みがあったかもしれないが、ほとんど気にはならないはずだ。
結果はもちろん──
「アリシア」
「なに?」
「あなたをロイ・シュットガル少尉の血縁者だと認め、緊急事態条項999ー0003に従って所有権を移転します」
「所有権? なんの?」
「私を含む彼の──そうですね、遺産とでも呼ぶべきものです」
声がそう告げると、蔦のカーテンの向こう側で、箱の一部が小さな音を立てて開いた。
「あなたを含む、おじいさまの遺産?」
「そうです」
「あなたって、おじいさまの奴隷か何かだったの?」
彼女の言葉には驚きが色濃く漂っていた。
もしも祖父が使っていた奴隷が、ずっとここで彼を待っていたのだとしたら、その奴隷がまだ生きている可能性はあるだろう。だが、それほど忠誠心にあふれた奴隷がいるだろうか?
「所有物であるという点では同じですが、奴隷ではありません。銀河連邦における奴隷の所有は銀河連邦宇宙憲章第7条で禁止されています」
「意味が解らないのだけれど」
そう答えた瞬間に、遠くで幾つもの鋭い声が上がり、びくりと身をすくませたアリシアは、慌てて後ろを振り返った。
「そうだった! 私、緑の小鬼に追われてたんだ!」
「緑の小鬼?」
「ゴブリンのことよ。この辺りではそう呼ぶの」
「ゴブリン?」
フォーディーはスリープする前、近づく敵性体を駆除するためのプログラムを実行していた。
そして、周囲にいた敵性体の中には、彼女の言った名称に相応しいと思われるものも確かにいた。だがそれにゴブリンという名称が付けられている?
彼に搭載されているデータベースによると、ゴブリンは架空の生き物だ。
ロイが子孫を残せたことといい、言葉のことといい、架空の生き物の存在といい……この星には奇妙なことが多すぎる。
「ねえ、お願い! あなたにどんな力があるのか知らないけれど、できるなら助けて!」
「状況を説明してください。まずは中へどうぞ」
アリシアはそう促されて、蔦のカーテンの向こうに開いたドアを恐る恐るくぐった。
後ろでドアが閉じた時にはびくりと体を震わせたが、これでゴブリンに襲われることがないと思うと少しの安堵も感じていた。
その部屋は、窓もないのに柔らかな光で満たされていて、彼女は言われるままに用意されていた椅子に腰を掛けた。その椅子は柔らかく彼女の体を包み込み、まるで疲れが溶けだしていくかのように思えた。
だが、声の主は未だに姿を現さない。
彼女は彼がどこにいるのだろうと辺りを見回しながら、ここに来るまでのことを話した。
「確認しました。周囲の森の中にいる敵性体の数は二四〇三。周辺にいる人間だと思われる反応は一〇七です」
「二千四百三!?」
どの程度の範囲を調べたのか分からないが、ここに二千四百体以上の魔物が存在しているとなると、大部分はあの集落に属しているに違いない。
対応するためには、大規模な軍隊が必要になる数だ。
「人間の映像出ます」
突然彼女の目の前に何かが浮かび上がった。
「ええ!? 何これ!?」




