調査
仮拠点の設営を行った後、小隊を整列させたビリーは、周辺の調査を行うために隊員と学生を集めてチームを作らせた。
幸いここは深淵の森と言っても比較的浅い場所だ。実習のプログラムをこなすには手頃な場所とも言えなくもない。
もっと深い場所で行う本来の間引きに、学院生たちを参加させるのには不安があったし、必要なプログラムをこの辺りで終わらせられるのなら分隊の負担も小さくて済みそうだ。
帝国が拠点を作っていたり、連中を蹴散らした何かがまだ残っていたとしたら問題だが、調査だけなら危険は少ない。何かの痕跡でも見つけてくれれば御の字だとビリーは考えていた。
そうして今、面倒な手続きを済ませ、全員に説明をした後、最後の命を下すために小隊長であるテリオスに席を譲っていた。
「というわけで、急遽このあたりの調査を行うことになった。何か質問は?」
「ファーレンハイト小隊長!」
そう言って挙手をした学院生を面倒くさそうに見て、テリオスは、ビリーに相手をしてやれと目で合図をした。
仕方なくビリーは一歩前に出ると「なんだ? ラルー候補生」と言った。
学院生は軍人ではないが、卒院後に軍に入ると幹部としてスタートできるため、在学中に従軍する際は候補生と呼ばれていた。
「結局、我々は一体何を探せばよいのでしょうか?」
「いつもと違う何かだ」
「そうは言われましても、こんな場所ではすべてがいつもと違う――あ、そうでないものもいるようですが」
そう言って質問をしていた男が、アリシアの方を見た。周りの学生からクスクスと笑い声が上がる。
彼女の実家は、深淵の森を切り開いた場所だ。つまり深淵の森に囲まれて育ったってことだ。
どうせ私は辺境の娘よと、アリシアは素知らぬ顔でそれをやり過ごした。
「ラルー候補生」
「はっ」
「今回の作戦は、君たちの実習を兼ねている。君は初めての場所へ派遣されたとき、異常に気付かず部隊を危険にさらすつもりかね?」
「いや、しかし、そんなことは斥候の役割では? 我々は魔法使いですよ?」
「魔法使いだろうとなんだろうと、異常に気が付かなければ死ぬだけだ。それともお手々を引いてもらって、『あれが異常ですよ』と指導してほしいのか?」
煽るようにそう言うビリーのかかとを、いい加減にしてくださいとばかりにライザが軽く蹴飛ばした。
「いえ……分かりました」
ラルーは憮然とした顔でそう言って引っ込んだ。
顔に出すなよとビリーは思ったが、テリオスはそのやりとりを面白そうに見ていた。
解散が告げられ、それぞれが指定された方向へと散っていった後、ライザがビリーに向かって文句を言っていた。
「隊長、いい加減にしてくださいよ」
「なんだよ。あれくらい、言っても大丈夫だろ?」
「違いますよ。もし、あそこで『お願いします』って言われたらどうするんですか。ただでさえ人が足らないのに」
「ええ!? そんなこと言うやつがいるか?」
「隊長は、貴族を舐めてますね」
連中の中には、信じられないくらい怠惰な者がいるんですと、ライザがつばを飛ばしながら熱弁した。
「いや、どう聞いても舐めてるのはお前じゃないの?」
そう言ってビリーは、物見遊山な態度で散っていく候補生たちを、ため息をつくような気分で見ていた。
❖ ◆ ❖
「はぁ……」
アリシアは、まとわりついてくるような緑の森の中を、小さくため息をつきながら歩いていた。
昨日まで降り続いた雨によるぬかるみがあちこちにある道とも言いがたい道を、6名のチームで行きながら、出発前に侍女のシャーリーに言われた言葉を思い出していた。
❖ ◆ ❖
「うう……なんでラルーなんかと一緒のチームに振り分けられるわけ? 罰ゲーム?」
「お嬢さま、猫がはがれかけていますよ」
侍女のシャーリーが、危なっかしい様子のアリシアに、ことさら気楽な調子を装って言った。
「どうせ誰も見てないわよ」
学院生のチーム分けは、言うならば成績順だ。そうすることで各チームの力が平均的に揃うように調整されている。
それなりに強力な攻撃魔法を使うラルー・サンドレイクと、精一杯盛ったところで、そう大したことのないアリシアがペアを組まされる可能性は大いにあった。
彼女には祖父譲りの大杖があったが、授業中にそんなものを使うわけにも行かず、序列は大杖なしのものだったからだ。
だが今回のチームはアリシアにとって、控えめに言っても酷すぎた。
アリシアの所属する隊のメンバーは全部で6名。
スマートで濃い金髪、見た目は申し分のない貴公子然としたラルー・サンドレイクはサンドレイク侯爵の次男だ。
それに追従するように歩いている、こげ茶色の髪に少しぽっちゃりした男はハリス・オーダー。サンドレイク傘下の男爵家で、彼の腰巾着と呼ぶのにふさわしい男だった。
そうして軍から来ている3名は、サンドレイクの息がかかったものが2名と、オーダーから派遣されたものが1名といった有様だった。
つまり、ラルーが王のごとく振る舞っていたのだ。
「アリシア、君はこの辺りに詳しいんだろう?」
先行する護衛が切り落とした枝を踏みしめながら、少し前を歩いていたラルーが揶揄する態度を隠しもせずにそう言って、大仰に両手で辺りを指し示すと隊の他の面々から小さく笑い声が上がった。
拠点となっているエステスト集落は、ヴォイドが亡くなるまで彼女の家の領地だった。
今では一時的に王家の預かりとなっていたが、彼はそれを踏まえて彼女を揶揄ったのだ。
侯爵家の次男である彼は、いつも尊大な態度を取っていたが、アリシアに対するそれは特にひどかった。
祖父が生きていた頃、アリシアは、彼女の祖父が王家と交わした約定と彼女の家に伝わる特殊な魔道具のせいで、言ってみればブランドだった。
サンドレイクは実力主義の侯爵家だ。ある程度子供たちに競わせることで、その武を維持していた。
大抵は長子が継承し続けてきた現実があるとはいえ、次男のラルーも優秀な魔法使いであったため十分に爵位継承のチャンスがあった。
もしもそのブランドを手に入れることができたなら、それはほとんど現実になっていたことだろう。なにしろ王国の守り神のような男の孫娘だ、箔としては申し分ない。
そうして、学院に入学して彼女を見つけたラルーは、下心を隠しつつ自信満々でアリシアに粉をかけた。昔からもてたし、高位貴族家だけに顔も整っていたからだ。
だがアリシアはそれに肘鉄を食らわせ、大勢の目の前で行われた一連の喜劇は、彼の自尊心をいたく傷つけた。
ラルーのような男がそれを根に持たないはずはない。
彼女が後ろ盾を失った今、ことさら、その傾向が強まっていた。
「私が詳しいのは、グレナフィオーラだけね」
彼女は、特になんの感情も乗せずに、事実だけをそっけなく伝えた。
「ああ、あの、ロマンチックだが名前負け──」
さらに嫌味を言い募ろうとしたラルーの声を、先頭を行く護衛の男が遮った。
「し、静かに!」
片手を上げて行軍を止めた彼は、用心深く周囲に注意を向けていた。
森を渡る風のが、前方から、何かの声を運んでくる。
軍の男たちは静かに剣を抜くと、二人が前方の茂みに、一人が後方の警戒をするように素早く位置を修正した。
「なんでしょうか? 大丈夫ですよね?」
人一倍怖がりなハリスが、青い顔をしながらラルーに近付いた。
「はっ、何をビビってるんだ。魔物だとしても、せいぜいが緑の子鬼どもだろ?」
「そりゃあ、ラルー様なら簡単に倒せるんでしょうけど……」
最弱に近いとはいえ、ゴブリンだって魔物は魔物だ。十分に人間を殺せる力がある。
もちろん一対一で正々堂々と戦えば、学院生の誰にでもゴブリンを倒せる力はあるだろう。だが、心は別の問題だし、魔物に対して正々堂々なんて意味をなさない。経験のないハリスがビビるのも仕方がなかった。
「当然だ」
ラルーも内心は不安だったが、今は虚勢を張るべきときだ。
武門の侯爵家を継ぐという野望を持った彼には、アリシアとは違う理由で実績が必要だったのだ。
「どうやら巣のようです」
護衛の男たちの台詞に、ラルーたちは、草むらの影からそっと先をうかがった。
そのすぐ先には、3メテル(*3)程の高さがある崖の縁だった。そうしてその眼下には──
「魔物の集落……」
粗末な家とも言えなさそうな家が建ち並んでいる辺りで、3匹のゴブリンが話をするかのように顔をつきあわせていた。
集落の奥は木々に遮られていて見えなかった。
「あの規模だと、20匹といったところでしょう」
「どうするんです?」
護衛の男の言葉に、ハリスがビクビクしながらラルーへとお伺いを立てた。
アリシアたちに与えられた任務は異常の調査だ。すぐに引き返して巣の位置を報告するのが正しい行動だ。
「そうだな……」
「何を考えてるのよ、ラルー。さっさと引き返して位置を報告しなきゃ――」
「殲滅するか」
「はぁ?」
あまりのことに、アリシアは目を点にした。
向こうの規模はあくまでも推測だ。翻ってこちらは6人。そのうち3人はおそらく近接職で、ハリスは役立たずだし、私は――
彼女は自分の抱えている祖父の杖を見た。背の部分には小さく数値が表示されていて、そこには8と表示されていた。
祖父は、それはこの杖が使える回数を意味しているのではないかと考えていたようだった。使う度に数値が減っていくからだ。
もしそれが本当で、0になったら?
「たかが二十程度の子鬼どもだ。他の者の手を煩わせるほどのことはないだろう。我々で殲滅してやれば手間も省けるし――箔も付く」
「調査もしないで何を言ってるのよ!」
アリシアが声を押し殺しながら訴えたが、ラルーは馬鹿にするように「雑魚は引っ込んでいろ」と吐き捨てると、立ち上がって自慢の火魔法の詠唱を始めた。
「ラルー様?!」
ラルーの行動に驚いた前衛の男が後ろを振り返る。
確かに目の前のゴブリンは3匹に過ぎないが、ここは浅層とはいえ深淵の森だ。
辺りの調査もしないで、群れを作るタイプの魔物に攻撃を仕掛けたりしたら、一瞬で倒さないと仲間を呼ばれて大事になりかねない。
「お待ち──」
「ファイヤー・アロー!」
前衛の男が止める間もなく2本の炎の矢が飛び出した。
アロー系はマジック・ミサイルに属性を乗せた必中の魔法で、素早く動いている魔物にも有効だがその分威力は低く、それを矢の本数で補うのが普通だ。物語には一度に何百もの矢を降り注がせた話も多い。
もっとも、魔物のどの部分に当てるのかは術者の技量次第だ。爪の先をかすっても、判定としては当たりなのだ。
ラルーが放ったファイヤー・アローは1匹のゴブリンの頭に命中し、その命を刈り取った。だが、もう1匹のゴブリンは肩に傷を受けただけだった。
それを見た残りの1匹は、魔法の発動者に向かって威嚇の声を上げた。
「こちらの方が圧倒的に有利なポジションだぞ。連中、的みたいなもんだ。ほら、お前も撃て」
ラルーに促されて、ハリスもおずおずと魔法の詠唱を始めた。
そうしてこちらに向かってくるゴブリンに向かって、その魔法をたたきつけると、そのゴブリンはひっくり返った。
「い、意外と簡単ですね」
「そうだろう。緑の子鬼どもなど、この程度だ!」
そのとき、集落の方で爆発音が聞こえ、護衛の一人が小さくうめいて前へとつんのめった。
「なんだ?」
護衛の一人が、すばやく倒れた男に駆け寄り、状態を確認すると、「ラルー様、伏せてください!」と鋭く言った。
「伏せろ?」
「早く! 何かが撃ち出されています!」
慌てて身を伏せたとき、再び爆発音が聞こえて、何かが頭の上を通過する風切り音が聞こえた。
「ストーンバレット!? バカな、緑の子鬼どもが魔法を使うだと?」
確かにゴブリンメイジは魔法を使う。
だが、主に初級の火魔法だし、そもそも百人規模の集落に一匹いれば御の字だろう。
もしも本当にそうだとしたら、目の前の小さく見える集落には百匹を超えるゴブリンが存在している可能性がある。
「支配系の上位種がいるのかも……」
アリシアは授業で学んだことを思い出していた。
仮に最弱のゴブリンだとしても、上位種は侮れない。アーチャーやウォリアーあたりからはちゃんとした道具を使い始めるし、メイジに至っては魔法まで使う。
それらを指揮するジェネラルは、単体でオークや下手をすればオーガすら凌駕する魔物だし、クイーンやキングともなると討伐難易度はさらに跳ね上がる。
エンペラーが国を滅ぼしたなどという伝説もあるが、少なくとも王国ができてからそれが姿を現した記録はなかった。
「なんとか隊に知らせないと」
アリシアが小さくそう呟いたとき、甲高く悲鳴のような耳障りな声が森にこだました。
「まずい!」
慌てて顔を上げた護衛の男たちの目に、肩を射抜かれたゴブリンが警告の叫びを上げているのが見えた。
そうするとすぐに、集落の奥がざわめいた。次々とあふれ出してくる魔物には、ゴブリンだけではなく、オークのような姿まであった。
「ら、ラルー様、あ、あれ!」
ハリスが情けない声を上げる。
「まさか……」
異なる種類の魔物が一つの集落を作る原因は一つしか知られていない。アリシアが呟いたように支配種が生まれた場合だ。
しかも今回は異種混合の集落だ。
それを率いている魔物はゴブリン種とは限らない。むしろオークやオーガの上位種だと考える方が自然だった。
一瞬、自分が置かれた状況を忘れたように呟いたラルーは、後ろから聞こえた戦闘の音で我に返った。
慌てて振り返ると、そこでは護衛の男が一匹のゴブリンを切り捨てていた。
「まずいです。ワンダリングしていた連中も呼応しています」
護衛の男は苦虫を噛み潰したような顔でラルーに言った。
集落の魔物たちは、崖を回り込むように移動している。
「うろついてるのはどうせゴブリンだろ? さっさと退治して森から出ればいい」
ラルーがこともなげに言ったが、男の表情は変わらなかった。
「まあ、そうなんですがね」
魔物の数にもよるが、接近戦で役に立たない三人の人間を三人の護衛で守り切ることは難しい。しかも一人は重傷で使い物にならないのだ。
どう考えても守れる人数は二人が精一杯だろう。
そもそも彼らが命じられている護衛対象は二人だけだ。
護衛たちは顔を見合わせて頷きあうと、同時にアリシアを見た。
「な、何?」
「お嬢ちゃんにも働いてもらうぞ」
「そ、そりゃ当然だけど……」
その返事を聞いて、にやりと笑った護衛は、「ではよろしく」と言って、彼女を突き飛ばした。
「え!?」
ふらりとよろけた体の下には、地面がなかった。
「きゃああああ!」
彼女はそのまま、崖の下へと落ちて行った。
❖ ◆ ❖
「いった……」
地面にたたきつけられたアリシアは、慌てて上半身を起こそうとして足元の痛みに顔をしかめた。
どうやら左足をひねったようだ。それに体中が擦り傷だらけらしく、あちこちがジンジンする。
寝そべったまま空を見上げると、長く生えた下草がまるで緑の檻のように彼女に覆いかぶさり、小さく切り取られた空間から空と崖が顔を覗かせていた。
この下草が視界を遮り、潰れたそれが青い臭いを振りまいて彼女の気配を隠したのだろう。
魔物たちは崖を回り込む方向へ移動していたため、崖の真下は幸い死角になっていたようだった。
「少なくともすぐに襲われなかったんだからラッキーよね」
彼女は生来の明るさで、無理やりそう思おうとした。
だが、集落の位置は、崖下からさほど距離があった訳ではない。
彼女は顔をしかめながらひどく痛む左足を引き寄せ、靴を脱いで状態を確かめた。完全に折れてはいないようだったが、ひどくひねっているようだし、ヒビくらいは入っていてもおかしくなさそうだ。
「癒しの魔法が使えればよかったんだけど……」
残念ながら彼女が使えるのは攻撃系の魔法だけだ。
それも特筆するような範囲や威力もなく、単体相手に使えなくもないといった程度で、攻撃魔法部隊の員数合わせが精一杯といったところだった。
彼女はあふれそうになる涙を、首にかけた銀の鎖の先にある銀色の板を強く握りしめて我慢した。
その板は、彼女が十二歳の時に祖父から貰ったものだった。細かなドットが規則性があるようなないような模様を形作っている不思議なペンダントヘッドだ。
父を早くに亡くした彼女は、祖父に可愛がられて育った。
詳しいことは聞いていないが、母は父と結婚するために実家と疎遠になっていたらしかったから、両親の死後も祖父の元で過ごしていたのだ。
グレナフィオーラと名付けられたその場所は、辺境の中の辺境ではあったが、そこでの暮らしは穏やかで楽しいものだった。
そんなことを考えていると、つい昨年の葬儀のことが思い出されて、顔に落ちた雨粒が涙の代わりに頬を伝った。
葉に当たる雨がぱらぱらと音を立て始めるのを聞いて我に返ると、周囲をきょろきょろと見回して、自分が持っていたバックパックを探した。その中にはいざというときのためのポーションが入っているのだ。
「あっ」
幸いそれは、彼女が落ちた場所の少し先にある草の間に落ちていた。
彼女は傷む足をかばいながら、少しずつ草むらをかき分けて進み、バックパックに手を掛けたところで、すぐ先にいる何かに気が付いて動きを止めた。
「うそ……」
そこでは、緑色をした二匹の小鬼が、グフグフと何かを話し合っているように見えた。
彼女は息を詰めて、バックパックを引き寄せた。大杖はまだ肩にかかっている。
これほど近くにゴブリンがいたのなら、癒しの魔法が使えなくてラッキーだったかもしれない。もしもそれを使っていたら、確実に見つかっていたはずだ。
「…………」
彼女は極力音をたてないように注意しながらポーションを取り出して左足にかけると、二匹に気付かれないよう、座った状態で離れるように後ろ向きに移動し始めた。
丁度雨脚が強まって、草を叩く音が今まで以上に大きくなった。それが移動時の草の揺れや音をごまかしてくれることを祈りながら。
下級とはいえポーションが効き始めたのか、足の痛みは徐々に薄れ、今なら立って歩くこともできそうな気がした。幸いと言っていいのか、集落の影響で周囲に他の魔物の陰はないようだ。
そうしてそれなりに集落から離れ少しほっとしたとき、彼女の背が何かにぶつかった。
「え?」
後ろ向きに進んでいた彼女は、木にでもぶつかったのかと肩越しに後ろを振り返った。
そこでは、汚れた歯をむき出しにしたゴブリンが大きく棍棒を振りかぶっていた。
「!?」
声のない悲鳴を上げた彼女は、転がるようにしてその一撃を避けると、大杖を向けるまもなく反射的にマジック・ミサイルの魔法を唱えていた。
マジック・ミサイルはアロー系に属する初歩の攻撃魔法だ。威力はさほどでもないが属性を乗せるアロー系よりも発動が速く魔力を使わない。
そうしてアロー系同様、熟練者は同時に打ち出す魔法の数を増やすことで威力を補うことができる、単体相手にも複数相手にも使い勝手の良い魔法だ。
そして、いかに彼女が学院生で魔法の威力がそれほどでもないとは言っても、最弱の魔物の一角たるゴブリン相手なら十分に効果があった。
ラルーがあそこでファイヤー・アローを使ったのは無駄も隙も大きすぎる攻撃だったわけだ。
頭を狙ったはずのそれは、棍棒を振り上げていた腕の付け根に命中し、ゴブリンは後ろへと吹き飛んだ。
彼女が舌打ちをして追撃を仕掛けるよりも早く、それは上半身を起こして、硬い何かをひっかくような酷く耳障りな声を上げた。
「また!?」
彼女は素早く次のマジック・ミサイルで小鬼の頭を吹き飛ばすと、すぐに立ち上がって鈍い痛みの残る足を引きずりながら集落とは逆の方向へと走り出した。
ゴブリンが上げた声は仲間に対する警告音だ。すぐにでも周りにいる仲間が集まって来るだろう。そうしてすでに見えない位置だとはいえ、すぐそこには彼らの集落があるのだ。
彼女には後ろの草むらが、雨とは違う何かに揺らされているように思えて、気が気ではなかった。
*3) メテル
この世界の長さの単位。1メートルと音字。
補助単位付きで
ミリメテル
センチメテル
メテル meter
デカメテル
キロメテル
となる。




