アリシア
「はあ……やばい、やばいよシャーリー」
ビリーの隊に続く、学院生の多くの馬車群のさらに後ろ、いわゆる輜重隊に属する幌馬車の荷台の隅で、祖父譲りのダークブロンドを肩甲骨の長さで切りそろえ、学院生の制服に身を包んだアリシアが、愛らしいと言えば言える顔の眉間にしわを寄せながら呻いていた。
実習中の行軍とはいえ、仮にも貴族。移動の最中は、ごく少数のものを除けば、皆、自分の馬車で移動していた。
アリシアとシャーリーがそのごく少数に含まれていた理由は、単に馬車が用意できなかったからだ。みんなビンボが悪いのだ。
「お嬢様。それはご令嬢のお使いになる言葉としてはいかがなものでしょうか」
ショートボブの黒髪を揺らして麦袋の上に腰掛けたメイド服姿のシャーリーが、頭を抱えているアリシアに向かって、にこやかな笑みを浮かべながら言った。
シャーリーは、小さなころからアリシアに使えている侍女で、アリシアにとっては姉であり親友と言ってもよい間柄だ。
「どうせ誰も聞いてないわよ」
そう言ってアリシアは、皮の袋をひっくり返し、中に入っていた貨幣を荷台の床へと転がした。
銀貨が八枚と、銅貨が四枚だ。それは何度数えても変わらなかった。当たり前だ。
「それは?」
「私の全財産」
「え? 私の貯金より……いえ、比べることもおこがましいですね」
「え? シャーリー、貯金なんかしてるの?」
「……お嬢様、主が使用人の財産に手を付けるのはいかがなものでしょう」
「誰もそんなこと言ってないし!」
「それよりお嬢様。確か四回生の学費の支払いは、この遠征のすぐ後ではありませんでしたか?」
「あああああ、そうなの!」
「さすがに銀貨八枚では足りないような……」
「わかってる! わかってるんだよう……」
サヴール王国の通貨は、賤貨・銅貨・銀貨・大銀貨・金貨・大金貨・聖銀貨・星銀貨の八種類だ。
ほとんど使われていない賤貨が一リブレ、後は聖銀貨までは十枚で上の貨幣になる。
大体銅貨一枚、十リブレで、安いパンが二つ買えるくらいの価値だ。
「僭越ながら私のお給金も──」
「わかってる! わかってるんだよう!」
そう言って頭を抱え、うずくまった彼女の胸元から、ちゃらりと音を立てて銀の鎖に付いている小さな金属の板がこぼれ落ちた。
それは彼女の祖父の形見だった。
「あーもう、おじいさまが生きててくれたらなぁ……」
彼女の祖父、ヴォイドは一種の伝説だ。
それは、ある日突然どこからか現れた男が、辺境の騎士爵の娘を手に入れるために戦場で比類なき活躍を繰り返し、一年で騎士に、二年で名誉男爵に、そうして四年目には名誉子爵へと陞爵していく物語だ。
吟遊詩人の創作だとしたら、手垢のついた陳腐な夢物語に眉をひそめる評論家もいるだろうが、それは現実だった。
彼は、なんでできているのかすら定かでない銀色の太い杖を振り回し、無詠唱で強力な光の魔法を使って大功を積み上げ続けた。
その杖を王家が欲したこともあったらしいが、彼と彼の直系卑属にしか扱えなかったため王家はそれを諦めた。
血縁を結ぶことも検討されたが、さすがに出自の分からない元平民に、王の血族を降嫁させるわけにはいかなかったため見送られたという、いわくつきの魔道具だ。
そうしてその杖は、いつしか“銀星の大杖”と呼ばれるようになり、それが彼の二つ名にもなった。
だが比類なき大功を積み上げたのはいいが、サヴール王国は、彼の多大なる功績を持て余した。
なにしろ大半は防衛戦だ。新たに王国の領土が増えたわけではなかったため与える土地がなかったし、戦費がかさんで金にも余裕がなかったのだ。
とは言え、彼の報償を抑えすぎると、勲二等以下の褒美も抑えられることになり、不満の声が大きくなる。
苦し紛れに叙爵させたはいいが、血筋も確かではない平民の魔法使いが叙爵されるのをよく思わなかった貴族たちの思惑もあって、最終的には一代限りの名誉子爵などという苦し紛れの貴族籍と、東の果ての辺境の村が押し付けられることになった。
しかし、辺境の押しつけなど単なる罰ゲームだ。
さすがにそれだけではまずいと考えた王家は、彼とその直系に、その先にある人跡未踏の深淵の森を切り取り次第の権限を与えた。つまり森を開拓すれば、その部分は永続的に彼固有の領土になる権利を与えたのだ。
巨大な利権にも見えるそれをもって、土地も金もろくに与えず、あるのは単なる名誉のみという貢献に見合わない褒美から目をそらせようとしたのだった。
そうして昨年、その名誉子爵が亡くなった。
そのため貴族籍は失われ、村は返納、年金は打ち切られた。
家族はそのまま肩書のみ準子爵となり、扱い自体は男爵と子爵の間に位置する世襲称号ではあるが、貴族の特権がないため生活環境はほぼ平民といういびつな立場が出来上がった。
彼の一族に残されたのは、そんな有名無実の肩書きと、自ら切り開いた深淵の森の一部だけだった。
その場所は、吟遊詩人たちに散々謡われたせいで名前だけは広く知られていた。
グレナフィオーラ。
それはヴォイドとその妻マリアが初めて出会った場所だった。
深淵の森を切り取り次第の約定があったとはいえ、実際に切り開けるかどうかは別の問題だ。
資金も人員も十分ではなかったヴォイドだったが、思い出の場所だけは妻のために切り開いた。そうして崖の下に咲き乱れていた花にちなんで、グレナフィオーラと名付けたのだ。
そうして彼は、そこに小さな家を建て、終生をそこで過ごしたのである。
「ヴォイド様が亡くなって貴族年金が打ち切られ、家が苦しくなるから仕送りは大丈夫だと胸を張ったのはお嬢様ですよ」
「そうだけど! そうなんだけど! 生活は十分いけると思ってたんだけどなぁ……」
リヴィリア魔法学院には、平民枠で入学する者もいる。
だが、そういう者は、家が極めて裕福か、そうでなければ特待を賜る程度には優秀な者たちで、普通の貴族枠程度の人間はいないのだ。
また、平民ならば国家から補助金が貰えるが、貴族特権がなくなっても扱い自体は貴族枠のアリシアは、それが貰えなかった。彼女は、まさかそんなことになっているとは、露ほどにも思っていなかったのである。
それに気がついたときにはもう遅かった。
慌てた彼女は遠征をキャンセルして働くことも考えたが、ここで遠征に出ず働いたところで、到底学費を稼ぐことなど不可能だ。
いっそのこと退学して……とも考えたが、お金がなくてとなると祖母が悲しむ。小さい頃に両親を事故で亡くした彼女にとって、祖母のマリアが唯一の肉親だった。
彼女は、最後のチャンスとばかりに、この遠征でなんらかの成果を上げて報償を得ることに賭けたのだった。
「とにかくなんでもいいから手柄を立てて、報償をゲットしなきゃ!」
「無理をなさってはいけませんよ。学園を放逐されたところで、マリア様なら黙っていれば知らなかったことにしてくださいます」
「それって、結局知られてるってことだよね……」
そのとき、馬車がゴトリと音を立てて止まった。
「あれ?」
今回の実習の拠点となっている、王国の北東の果てにあるエステスト集落を出て、まだそれほどの時間は経っていない。
ブリーフィングで聞いたポイントまでは、まだまだ距離があるはずだ。
「なんだろう? ちょっと様子を見てくるね」
「お気を付けて」
輜重隊の馬車から飛び出していくアリシアを、シャーリーは心配そうに見送った。




