ビリー
「ちっ、なんて貧乏くじだ」
サヴール王国、王国軍第7方面軍士官の末席近くに籍を置く、優秀だが使いにくく、一部の変わった上官を除いて評判の悪いビリー・“アンク”・コロネン少尉が、舌打ちをしながらそう吐き捨てた。
こげ茶色の髪とアッシュグレーの瞳をした、さほど大柄とは言えないどちらかと言えば優男だが、皮の鎧を身に着けた装いが、いかにも歴戦の雰囲気を醸し出している。
彼は今回の遠征に参加している小隊の一つを構成する第2分隊を預かる分隊長だった。
今回の遠征は、昨年以来、ただエンドとだけ呼ばれる辺境の地域にある深淵の森のそばで不自然に活性化した魔物を、冬になる前に間引くのが主目的だった。冬になり餌の取り合いが激しくなると、深淵の森からあふれる魔物がいるためだ。
問題は、今回の作戦が時期的にリヴィリア魔法学院の上級生による実習を兼ねていたことだった。
「ひよっこのお守りなんてやってられるか! ここはエンドなんだぞ!?」
リヴィリア魔法学院──
それは、サヴール王国の南西、スペル公国との国境にあるリヴィリア聖山の麓近くにあるバイリヴィールに創立された学院で、十二歳で入学し四年間の課程を経て一人前の魔法使いを輩出する王国一の魔法使い養成所だ。
とは言え、サヴール王国の魔法使いは数が少ない。
魔法使いの本場は王国の南西に広がるスペル公国で、リヴィリア聖山を中心に先進の魔法文化を花開かせていた。
この山は、地下を流れる巨大な魔素が地上付近に顔を出し、それが湧出している火山で、時折噴き上がる間欠泉は地下で眠る龍の息吹だなどと言われている。
「しかも上が最悪のクソときやがった」
学院生のお守りもさることながら、ビリーにとってさらに悪いことに、小隊を率いる指揮官はファーレンハイト中尉だった。
テリオス・“スナッチャー"・ファーレンハイト中尉。それは軍の下っ端にとって、最悪の代名詞のような男だった。
金髪碧眼で細面の優男といった風貌の彼は、事あるごとに部下の功績を巧妙に自分のものにしてしまう上司で、部下からは『スナッチ野郎』と渾名され酷く嫌われていたのだ。
噂じゃ女癖(*2)も悪いらしい。
ビリーは憤懣やるかたないといった様子で、数日降り続いた冷たい雨でぬかるんだ地面を蹴飛ばした。
「たーいちょう。いい加減にしてくださいよ」
少し先を歩いていた小柄ですばしっこそうな斥候役のメスカルが、飛んできた泥を器用によけながら、肩越しに後ろを振り返ってそうたしなめた。
「ぶつくさ言ったところで、なんにも解決しませんし、鬱憤が溜まるだけじゃないですか」
「そんなことは百も承知だよ! だがな、あんな連中をぞろぞろ引き連れてエンドの哨戒と魔物の討伐だ? しかももう一つの分隊は学院生さまのお守りで、まるで役立たずだ。挙げ句の果てに上司がスナッチ野郎だと? 俺の隊はベビーシッターか!?」
「いや、さすがにおむつは替えませんぜ」
「ケツを拭くことに変わりはないだろうが!」
「違いない」
メスカルはケタケタと笑い声を上げると、また斥候の仕事へと戻っていった。
「しかし隊長。第一分隊はともかく、学院生は、あれでもリヴィリア魔法学院の上級生です。手厚くしておけば、卒院後、一人くらいはうちにも回って来るかもしれませんよ」
ビリーの斜め後ろに控えていた背の高い副長のライザ・ニンブルが、その暗紅色の髪と立派な胸を揺らして、後ろを親指で示しながら言った。
「魔法使いか……」
いくら希少性が高いとはいえ、最前線で作戦中の分隊には、少なくとも一人くらいはいるものだ。
だが、この分隊には魔法使いがいない。
攻撃魔法使いどころかヒーラーすら、分隊発足以来、一度も配属されたことがなかった。
作戦上必要があるときは、臨時でどこかから借りてくるのが慣例だが、どういうわけかいつも都合がつかないようでヒーラーに空きがない。仕方がないので彼らは魔法職なしで作戦をこなし続けていた。
それでも彼の分隊の損耗率はゼロだった。
それはビリーが優秀である証拠であり、上から嫌われる理由でもあった。つまり彼は不合理な命令に違反することをためらわなかったのだ。
その損耗率の低さから、いつしか彼は“アンク”の二つ名で呼ばれるようになっていた。お守りのような男だってことだ。
もっとも彼自身は、その大層な二つ名が嫌いだった。幸運はいつまでも続かないことをよく知っていたからだ。
その損耗率の低さが、いつまでも部隊に魔法使いが配属されない理由にされていた。怪我をしないならヒーラーなど不要ということだ。端的に言えば嫌がらせだ。
彼はそのあたりをよく理解していたため、副長の言葉に小さくため息をついた。
「そもそも使える奴がいるか? そりゃ魔法は使えるんだろうが、どうみても世間を知らねえ貴族の坊ちゃん嬢ちゃんばっかりじゃねぇか」
彼はちらりと後方に目をやって続けた。
「見てみろこの隊の人数を。こいつは一応小隊規模の作戦行動だぞ? それがなんで倍の数の非戦闘員を抱えてるんだよ!」
「まあ、魔法使いの資質はほとんど貴族にしか現れませんし、勉強には結構な金がかかりますからね。学院生が貴族だらけになっても仕方がありません。なら、身の回りの世話をする者たちも必要でしょう」
「軍の作戦行動を、物見遊山と一緒にするんじゃねぇ!」
学院生には貴族が多い、というよりもサヴール王国の魔法使いは、ほぼすべてが貴族だ。
それには魔法使いの因子と貴族の歴史が深く関わってくるのだが、それはともかく、おかげでもう一つの分隊は実習に参加する貴族たちの横やりで、それらに仕えるサーバント部隊のようになっていた。お家の子女を守る護衛ってことだ。
今もチームの中に数人ずつ割り振られ、坊ちゃん嬢ちゃんたちを守っていた。
片方の分隊が隊の行動と関係なく護衛任務を行っているため、小隊規模の作戦を彼の分隊だけでこなしているありさまだ。全体のきめ細やかなフォローなど望むべくもない。
だが、連中に怪我でもさせた日には、自分たちの首が物理的に飛びかねない。なにしろスナッチ野郎が小隊長だ。責任転嫁はお手のものだろう。
「はー……なんてついてないんだ……」
再びぶつぶつと愚痴をこぼし始めた隊長を、周りの部下たちは苦笑しながら見守っていた。
そのとき、先行していたメスカルが、鋭い声を上げた。
「隊長!」
ビリーはすぐに顔を上げて駆け寄ると、彼の視線の先を追った。
「こいつは……」
そこには滅茶苦茶にへし折られた木々が、結構な範囲で折り重なるようにして倒れていた。
「戦闘跡、ですかね」
倒れた木々には、あちこちに削られたような痕が付いていた。
ここはエンドの東の端で、すでに浅層とはいえ深淵の森に踏み込んでいる。
森が破壊された様子から、大きな戦闘だったことは想像に難くなかったが、見回してみた限り死体らしきものは見つからなかった。
「何がこいつをやったにしろ、そいつがヤバいやつだってことに変わりは――ん?」
その時、へし折れた木々の隙間に、金属でできた棒のようなものが見えた。
ビリーはそれに近付くと、皮の手袋をした手で、そっとそれを摘み上げ、そうして掘られているマークを見て大きく目を見開いた。
「こいつはまさか……」
それは北の帝国の印章だった。
ダンガン帝国──それは、サヴール王国の北に広がる大国だ。
リヴィリア聖山のような場所がなかった帝国では、魔法文明の発達が遅れ、代わりに機械文明が発達した。
何年か前に簒奪帝と呼ばれる現皇帝マーガスが立ってから、まるで何かに憑りつかれたかのように周辺国へと兵を送り込み始めた帝国は、金属の弾を撃ち出す『銃』というものを作り出した。
それは、魔法が使えないものにも、土魔法のひとつであるペブルショットのような攻撃を可能にする武器だった。
そうして、かの国はその武器が撃ちだす金属の破片に自国の名前を付けた。
銃から発射されるそれは、その力を持ってダンガン帝国の版図を広げる役割を果たすということらしい。
まだそれほど数がそろっているわけではないようだが、誰にでも使えるということは、作れば作るだけ土魔法使いが増えるのと同じことだ。
いずれ世界はダンガン帝国に席巻されるかもしれない──防衛に携わる者たちは、皆、そう危惧していた。
「も、もしかして、これが銃ってやつなんじゃ……」
ビリーの手元を見たメスカルの目の色が変わった。
「お宝じゃないですか!」
戦場で脅威になっているにもかかわらず、さすがは秘密兵器、厳しく管理されているようで、まだ鹵獲されたことがなかったのだ。
もしこれが銃ならば、このゴミの価値は極めて高いと言っていいだろう。
「ま、スナッチ野郎にバレなきゃな」
「あー……」
そうなった場合の未来を想像して、メスカルは肩を落とした。
「とにかく周囲に気をつけながら、他に何か残されていないか調査しろ」
「了解!」
メスカルが数人を連れて戦闘跡を調べ始めたところで、副長のライザが眉をひそめながら疑問を口にした。
「ですが、どうしてこんな場所に帝国が?」
彼は森の木々の隙間から見える高くそびえる山々を見上げながら言った。
天崖山脈――それが、サヴール王国とダンガン帝国の間に横たわる、物理的な国境線だ。そこは人跡未踏に近い高山が連なっている場所で、この山脈を越えることはほとんど不可能視されていた。
そのため、帝国と王国の接点は、西の果てのゴート湾に面した天崖山脈の始まりにある街道しかなかった。
東側には深淵の森が横たわっていて、魔物だらけのその森を通過することは、天崖山脈を越えることと同様、ほとんど自殺行為だと考えられていた。
サヴール王国は、機械文明を推し進めるダンガン帝国と、魔法文明を推し進めるスペル公国のちょうど中間にある広い穀倉地帯を持つ国で、どちらの影響も受けていたが、どちらかといえばスペル公国の影響が強いのは、そういった地政学的な理由があった。
「東から深淵の森経由で王国に攻め入ろうなんて無謀を計画してるってことでしょうか」
「バカな、と言いたいところだが――」
ビリーは、銃の残骸を、ライザに渡しながら眉をひそめた。
「――こいつがある以上、連中がここまで来たことだけは確かだな」
確かにここから天崖山脈は近い。
帝国が、その東側を抜けて来るなどという不可能事を達成したとなると、今後は王国の東にも注意が必要になるだろう。
「しかも、それほど前の話じゃなさそうです」
ライザは渡された銃らしき物を検分しながら言った。
鉄でできていると思われる部分のさび具合が、それほど時間が経過していないことを物語っていた。
「だが、そんな話は噂にもなっていない」
いかにエンドが辺境だとは言え、帝国が侵攻してきたとしたら戦争だ。
噂にもならないなどということはありえないし、仮にそうなる前に王国に攻め込めなくなるような多大な損害を受けていたとしても、ここからもう一度深淵の森を通って帝国まで引き返すより、知らん顔をしてエンドへ出た方が生還率は高いだろう。
とは言え、数多くの見知らぬ者が東からやってくれば、いかに辺境といえども目立たない方がどうかしている。しかも見慣れぬ武器を持っているとしたらなおさらだ。
「連中が軍服を脱ぎ捨てて一般人に紛れ込んだとしても、軍隊になるほど数が多ければさすがに目立つでしょう」
「まあな」
軍事行動において、損害が全体の三割にも及べば可及的速やかに撤退するのが通例だ。
つまり連中は、帝国を出たばかりの頃は大して損害を出していなかったということだ。銃の威力か、高い練度を誇る精鋭か、はたまたその両方か。理由は分からないが、とにかくここまで来たことだけは確かだ。
「それじゃあ……」
「連中、実は全滅してなんかなくて、このあたりで橋頭堡を築き上げているか――」
「まさか」
「――そうでなければ、ここで何かに殲滅されたってことだな」
それを聞いたライザは、気味が悪そうに辺りを見回した。
「ここまでやって来られるような連中を蹴散らす化け物がこの辺りに?」
なにしろ今は、小隊の半分を占める規模の学院生と、その倍にも上る侍女や従卒を連れているのだ。
「いずれにしろ、調査は必要だ」
ビリーは厄介事が降ってきやがったとばかりに頭をかきながら、全体の停止と仮拠点の設営をライザに命じた。
*2) 女癖
スナッチには、いわゆる女性器の意味がある。お〇んこ野郎ってことだ。




