一難去らずにまた一難
シャーリーが戻ってきたとき、アリシアは机の上に置かれた革袋を前に呆然としていた。
「そりゃ、『今回手に入れた魔石から、来年分の学費を払って』って言ったよ? 言ったけどさ……」
まさか、その魔石が一つも残っていないとは、誰が想像するだろう。
「コロネン少尉にお願いすれば、立て替えてくださるかもしれませんよ?」
「ほとんど赤の他人なのに? そんなことをしたら、召集時に何をやらされるか分かったもんじゃないでしょ」
アリシアは自分の財布代わりの皮の袋を開いて、机の上で逆さにした。
転がり出てきたのは、銀貨が五枚と銅貨が二枚だ。それにコロネン少尉が持ってきた金貨が三枚、それが彼女の全財産だった。
来年の学費である金貨百五枚にはほど遠い。
「お嬢様。それでは私のお給金も出ませんが」
「うっ」
シャーリーの突っ込みに胸を押さえていると、フォーディーが尋ねた。
「それがこちらのお金(*5)ですか」
「そう。私の全財産」
「全財産? どのくらいの価値があるのでしょう」
「これが銅貨。一枚で十リブレ。安いパンがふたつ買えるくらいかな」
それを聞いてフォーディーは十リブレが大体一GD(銀河標準ドル)くらいの価値だと推測した。
「で、こっちが銀貨で百リブレ。さっき貰った金貨は千リブレね」
つまり彼女の全財産は、三千五百二十リブレ。つまりは三百五十二GDといったところだ。
それはアリシアの歳なら、少し多めのお小遣い程度の金額だが、それで生活していけるのだろうか?
本来物資管理用のAIでもあるフォーディーは、悪気なく訊いた。
「報奨金がなければ、節約しても五日ほどしか生活できないように思えますが、こちらでは食料品や雑貨が格安なのでしょうか?」
「ぐっ……」
痛いところをつかれたアリシアは、苦しげに胸を押さえた。
「フォーディーさん、まったくその通りです。報奨金を学費に回すとしたら、お嬢様の命はあと五日。どうすればいいと思います?」
「銀河連邦では、一般的に労働の対価として金銭を得ます。もちろん、最低限度の文化的生活が保障されている社会では、セーフネットに頼ることもありますが」
「セーフネット?」
「生活できるように国がお金をくれるのです」
「えええ!? なにそれ、ずるい!」
がっくりと肩を落としていたアリシアが、突然跳ね起きると、握った拳を上下に振って憤慨していることをアピールした。
もっともどんなに憤慨しようと、サヴール王国にそんな仕組みはない。
「後は何かを売ってお金を得ることができますが、こちらは統治機構によっていろいろなルールがあるため一概には言えません」
「売るものかぁ……なんかない? フォーディー」
「その質問にお答えするためには、文化や市場、それに常識の情報が必要です」
「そうか、銀がありすぎてほとんど価値がない世界で、銀を売っても仕方がないもんね」
「その通りです」
「うーん……」
もしもフォーディーが提供してくれる何かを売ることができるなら、それは労せずして大金になる可能性が高い。
だが、あまりにも性能が隔絶しているため、絶対にトラブルの元になる。
貴金属という手もあるが、後ろ盾のないアリシアが、何の準備もせずに気軽に売るのは少々どころではなく危険だった。
「もしもこちらで気軽に販売するとしたら、ずっと需要のある非耐久消費財でしょう。文化レベルが違っても、香辛料や調味料、石けんを始めとする化粧品類や嗜好品などは存在していそうです」
過去には未開の星に麻薬をばらまいて大儲けした者もいたようだが、もちろん銀河連邦宇宙憲章違反だ。
そんな手段を執るわけにはいかない。
「しかしフォーディさんに用意して貰ったものは、品質が隔絶しています。絶対出所を探られると思いますが」
「そうなんだよね……」
派手に売ったりすれば、非常に目立つ。
カバー用の商人くらいは用意しないと、絶対にまずいことになるだろう。
「まずは時間的なリミットと、ゴールになる金額を設定してください」
「えーっと……支払期限まではあと十四日ね。金額は、とりあえず最低で金貨百五枚」
それを聞いたフォーディーは、十四日間で十万五千リブレ――一万GD超――を資本なしで稼ぐ方法を素早く検討した。
日給七百GDを超える仕事? 都市部の合法だが高額な接客業でも難しい金額だ。そもそもそんな場所で未成年は働けないが。
「アリシア」
「何?」
「世の中には諦めるという選択肢が──」
「ないから! そんなのないから!」
「では、秘密を守れる商人に、利益率の高いぜいたく品か、高額でもある程度の需要がみこめる嗜好品を売ってもらうとかでしょうか。心当たりは?」
「ううう……」
いままで懇意にしていた貴族や商人がいるというなら話は別だが、秘密を守ってくれるほど親密に付き合っていた人間はいない。
「お嬢様が社交を怠ったツケと言うやつですね」
「そうだけど、そうなんだけど! そんなにはっきり言わなくても!」
「甘言を弄しても事態は好転しません」
「そうだけどぉ……」
フォーディーの世界なら、銀河ネットワークにeコマースサイトでも立ち上げて、商業ライセンスの手続きをすればすぐにでも売買を始められるが、王国にそんなものはないだろう。
「何かを売るとなると、正攻法なら、商業ギルドに登録して商業権を得るのかな。はっきりとは分からないけれど……」
「ではまずは、商業ギルドで情報を仕入れることをお勧めします」
午後とはいえ、まだ日は高い。
時間のない彼女は、すぐに出かけることにして立ち上がったが、その時再び入り口がノックされた。
「誰か来る予定なんかあったっけ?」
「いえ、そんなはずは……」
そう言って、シャーリーがドアを開けたところに立っていたのは、学院の事務官だった。
「あれ? どうしてまだ片付いていないんです?」
事務官の男は、不思議そうな顔でそう言った。
「すぐに部屋を空けてくれないと困るのですが」
「へ?」
アリシアは、何を言われたのか分かっていない様子で首を傾げた。
「学年の終わりまでに来期の寮費が振り込まれていませんでしたから、この部屋は今日の午前で契約が終わっているんですよ」
「え? え? 来期の支払いって、休み明けが期限なんじゃ……」
「それは学費ですね」
「ええ!?」
通常、学年の始まりから終わりまでが寮を借りられる正規の期間で、学年の終わりから新しい学年の始まりまでの間は、部屋のメンテナンスや、次の学年の利用者が部屋を準備する期間にあてられる。
もちろん継続して借りる場合は、そのまま同じ部屋に居続けることができるが、それはあくまでも便宜上の措置だ。
そうでなければ、新たに入学してくる生徒に部屋を割り振ることができないからだ。考えてみれば当たり前のことだった。
つまり、学費は新学期早々に間に合えばいいが、寮費のリミットは旧学期の終わりまでだったのだ。
さっき、ミス・デイジーがおかしな顔をしたのは、退去する様子がまったくなかったからだろう。
「三日後には新しい人が入居予定です。今日中にメンテナンスを終わらせたいので、二時間以内に退去してください」
そう言って迷惑そうに眉をひそめた男は、アリシアの言葉に耳も貸さずに部屋を出ていった。
「うぞ……」
この部屋が、学期の終わりで解約されている?
呆然としているアリシアを尻目に、シャーリーはテキパキと室内の物を自分のチョーカーに収め始めた。
なにしろ二時間しかないのだ、私物を丁寧にまとめている時間などない。取りあえず収納しておいて後からどうにかするしかないだろう。
幸い家具は備え付けのものだったから、全てを収納することもできそうだった。
そうして二時間後、ミス・デイジーに鍵を返した二人は、寮の前で呆然と木枯らしに吹かれていた。
「お嬢様、これからどうします?」
「一泊くらいならなんとかなるけど……」
さっきコロネン少尉に貰った金貨が三枚ある。だが、その後は?
彼女は泣きそうな気分で、途方に暮れた。もはや学費がどうのなんて言っている場合ですらなかった。
「アリシア」
「何?」
「私の認識によると、先ほど部屋を追い出されたように見えたのですが」
「……ソウデスね」
いつもの元気がなりをひそめ、まるで心に吹いてくる隙間風に揺れるようにふらふらとしながらアリシアが答えた。
「悲惨な状況は理解しますが、移動拠点を使わない理由はなんでしょう?」
「あっ……」
そうだ、あの非常識な馬車があったんだ! と、彼女は息を吹き返した。
早速誰もいない学院の裏手で馬車を取り出すと、鼻を鳴らすセイランをひとなでしてから馬車へと乗り込み、居室へと入った。
「はー、よかった。ここがあったんだ」
「むしろ寮の部屋よりも住み心地が良さそうです。お嬢様の私物は主寝室に入れておきますね」
さすがにそれを入れたままだと、チョーカーの容量がつらい。
「ありがとう。じゃ、残った部屋のどちらかは、シャーリーが使って」
「ではお嬢様の部屋の向かいをお借りします」
片付けを終わらせたアリシアが、居間のソファでくつろいでいると、目の前に空間投影モニターが表示され、セイランの声が聞こえた。
「マスター、何者かが近づいてきます」
表示された人物は、学院の事務官の一人のようだった。もうすぐ夕方だが、一体何の用だろう?
彼は恐る恐ると言った様子で近づいてくると、セイランを遠巻きに観察しているようだった。
不思議に思ったアリシアだったが、ここで引きこもっているわけにはいかないし、仕方なく部屋を出て馬車へと乗り込み、そのドアを開けた。
「あ、よかった。誰かいたんですね」
「どうかしましたか?」
「いえ、どうかしたと言いますか――」
ずいぶん長時間止まっている見慣れない馬車があるが、馬は繋がれたままだし御者らしき者の姿は見えないしで、不振に思った事務官が調べに来たのだそうだ。
そもそもここは、馬車を停めるような場所ではない。なにしろ学院の裏庭なのだ。
「馬を放置していると、ボロだって出ますし」
「ああ、そうですね」
ゴーレムはボロなんて出さないけれど、そんな説明をするわけにもいかないアリシアは、曖昧に頷いていた。
「なるべく早く移動させてください」
「はい」
事務官はそれだけ伝えると、そそくさと去って行った。
「ここにはいられないのかぁ」
そう呟いて、再び途方に暮れそうになったアリシアは、気温が急に下がったような気がしてぶるりと身を震わた。
「マスター、もうすぐ日も暮れます。ここにいられないならどこかに移動しませんと」
「うーん……」
そうは言っても、移動する先にあてがない。
学院自体は十四日間休みだから、しばらくは戻って来られなくても大丈夫だ。もっとも下手をすると二度と戻って来られないかもしれないが……
学費のことを思い出したアリシアは、さらに気分を落ち込ませながら馬車へと戻った。少なくともそこは暖かいのだ。
「一難去って、また一難ってやつね」
「お嬢様。お言葉ですが、難は一つも去っていません」
「そうだけど! そうなんだけど!」
「とにかく、どこかへ移動させましょう」
「……うん」
シャーリーが馬車の中から御者席へと移動すると、すぐに馬車をスタートさせた。
「馬車は走るものです。走っている間は文句を言われることもないでしょう」
「そりゃそうかもしれないけど……」
普通、夜は走らないし、御者席に御者のいない馬車も走らない。ずっとシャーリーを御者席に座らせておくわけにも行かないし……
そう思っていると、シャーリーがチョーカーから何かを取り出して羽織っていた。
「それ何?」
「フォーディーさんに頂いた、『こんふぉーとこーと』なるものです」
暑いときは涼しく、寒いときは暖かくなり、常に快適な環境を周囲に作り上げる服らしい。
「え? いいなぁ」
「お嬢様の分もお預かりしていますよ」
「やったー! ……って、売れないかな?」
「お相手に心当たりがおありですか?」
「ぐっ……」
「とにかく今晩はどうにかしのいで、明日になったら商業ギルドへ行ってみましょう」
「そうね」
だがバイリヴィールに、馬付きのまま馬車を無償で停められる場所などあるのだろうか。アリシアにはまったく心当たりがなかった。
セイランならこのまま一晩中走り続けても平気だろうが、御者のシャーリーはそうはいかない。
「取りあえず、街の外で過ごすしかないか」
「不用心ですが、仕方がありません」
街の中を夜中中走り回っていたりしたら、不振なことこの上ない。すぐに衛兵に捕まって職質されるだろう。
仕方なく彼女たちは、門が閉まる前にバイリヴィールの街を出て、あてもなく街道を走り始めた。
*5) こちらのお金
サヴール王国の通貨は、賤貨・銅貨・銀貨・金貨・大金貨・聖銀貨・星銀貨の7種類。
対応するGD(銀河標準ドル)と円のイメージは次の通り。なおGCは銀河標準セント。
リブレ 銀河標準ドル 円
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賤貨 1 10 GC 10 円
銅貨 10 1 GD 100 円
銀貨 100 10 GD 1,000 円
金貨 1,000 100 GD 10,000 円
大金貨 10,000 1,000 GD 100,000 円
聖銀貨 100,000 10,000 GD 1,000,000 円
星銀貨 10,000,000 1,000,000 GD 1,000,000,000 円




