死線
「何だ!?」
魔物の雄叫びを聞いたビリーは、逃げてくる部隊を見て驚いた。
「どうやら学院生の誰かが、魔法を撃ちこもうとしたようですぜ」
顔をしかめながら飛び込んで来たメスカルが、そう報告した。
「くそっ! 退くぞ!」
「退くったって、どこへです?」
仮拠点は単なるキャンプだ。防御力などないに等しい。
とにかく相手は数が多い、開けた場所はダメだ。近場に目立った隘路のような場所が──
「崖に上がる場所が隘路になっている! あそこならしばらくは持つはずだ!」
とは言え、その少し先で、崖はなだらかに下っている。押しとどめている間に回り込まれてしまえば意味のない場所に成り下がるが、今は、そこまで知恵の回る連中ではないことを祈るしかなかった。
幸い非戦闘員は全員がキャンプにいる。逃げるだけならなんとか──
「隊長! 学院生の連中、固まってますぜ!」
「チッ」
初めて経験する恐怖に体が動かないってわけだ。
これが大きな合戦ならそんな役立たずは放っておくのだが……
「貴族の坊ちゃん嬢ちゃん連中じゃそういうわけにもいかんか。おい、お前らあいつらのケツを蹴飛ばして崖の上へ向かえ」
「隊長は?」
「そりゃ、時間を稼ぐしかないだろ」
腰の剣を抜きながら、ビリーは実に不本意だという感情を顔ににじませていた。
「はは、真面目なやつが貧乏くじを引くってのは伝説じゃなかったんですね」
「ぬかせ」
そう言って、部下を学院生のチームへと向かわせながら、ビリーは少し前に出た。
敵の軍勢との距離は、もう200メテルもない。
「はぁ~、こんなことになるんならもうちょっと羽目を外しておくんだったな」
部下たちが学院生を文字通り蹴飛ばしながら退却していくのを見ながら、手に持つ剣を握り直した。
「くそ、長距離攻撃も魔法の援護もなしじゃ、足止めにも──」
「お助けしましょうか、隊長殿」
「なんとかしてくれるってなら、それが悪魔だとしても、魂の十分の一くらいは──って誰だ?」
その声を聴いたビリーは驚いたように振り返った。
そこには、銀色に輝く大きな杖を両手に掲げた、侍女の格好をした女性が、仁王のように立っていた。
「誰だか知らんが、馬鹿なことを言ってないで、さっさと逃げろ!」
アリシアが、十分の一ってケチなんだかリアルなんだか判らないわねと苦笑を浮かべながら、シャーリーの後ろから姿を現した。
「コロネン隊長。私はアリシア・テックフォード学院生です」
「テックフォード? って……生きてたのか!」
ゴブリンの波が100メテル先まで迫って来た。彼らが地面を踏みしめる音が地響きになって伝わってくる。
「その話は後で。シャーリー、やるわよ!」
「はい、お嬢さま」
そう言って、シャーリーが正面に向かって両手に持った杖を突きだすと、そこから白く輝くビームが連続して放たれ、正面の魔物を一瞬で切り裂いていった。
それを見て、こぼれんばかりに目を見開いたビリーは、以前戦場で見た、ヴォイド・テックフォードの雄姿を思い出していた。
「おま、それ、まさか……」
それは、唯一無二のアーティファクトのはずだった。
それは、ヴォイドだけが使えるはずだった。
それが三本?
テックフォードの孫娘はともかく、同じものを二本抱えて振り回しているのは何者だ?
彼は呆然と突っ立って、間抜け顔でそれを見ていることしかできなかった。
その時、微かな悲鳴が耳に届いた。
「今のは……」
ビリーが声の聞こえた方向に集中すると、集落の入り口にほど近い場所で、学院生の女らしき者がオークに抱えられていた。
「おいおい、マジかよ」
助ける? あれを? どうやって?
彼には、たとえ命を投げ捨てたところで、それを達成することはできないことがはっきりと理解できていた。
「フォーディー、あれを助けられる?」
「ネガティブ。現地の騒動に介入することは、緊急事態条項203──」
「OK、解った。つまり物事には優先順位ってものがあるわけね」
「ご理解いただけて幸いです」
「私の命は?」
「何よりも優先されます」
「それだけ聞けば──」
「アリシア?」
「――十分よ!!」
そう言うと同時に、アリシアは敵のど真ん中に向かって走り始め、正面を切り裂いてシャロンへと向かっていった。
「テックフォード候補生!?」
まるで自殺するかのような行為にビリーは我に返った。
いかに大杖が強力なアーティファクトと言えど、一度に発射できるのは一条の光に過ぎない。
四方八方から襲い掛かってくる物量の前には──
「はぁ?」
確かに前方の敵は彼女の光魔法で蹴散らされていた。だが、周囲の敵はどうして倒れている? 魔物は、彼女に触れるどころか、近づくことすらできていなかった。
まるで何かに守られてでもいるように、彼女に近付く魔物は、上空から降り注ぐ細い光の槍に貫かれバタバタと倒れていった。
「いい感じじゃない、フォーディー! ちゃんと守ってね!」
「目茶苦茶です、アリシア」
緊急事態条項203ー0101には例外がある。
フォーディーのガード対象の生命財産に対する脅威になるなら、その条項は適用されないのだ。そして、くびきさえ外れてしまえば、彼は周囲の全魔物を5秒で片付けてしまえると言った。
「おじいさまは言ってたわ!」
彼女は息を切らせて全力で走りながら、インカムに向かって叫んだ。
「人に言うことをきかせたかったら――――体を張れって!」
「それは少し意味が違うように思えますが……」
彼の言葉は、まるで困っているかのような声色に聞こえた。
アリシアは集落の手前まで来ていたオークを簡単に撃ち倒し、掴まっていた女生徒を肩に抱え上げると、こちらに向かって走り始めた。
「なんだ? これは一体、なんなんだ?」
その様子を、何もできず、困惑するだけのビリーが見ていた。
「さすがはお嬢さま」
脇を抜けてこちらへと向かってくる魔物を、二丁の大杖で簡単に始末しながらシャーリーが自慢するように胸を張った。
女性一人を抱え上げて走るのは、仮に最低グレードでも身体強化が使えるだろう学院生としておかしくはないが、追い縋って来る魔物が次々と倒れていくのは意味が分からなかった。
「お前ら、一体どうなってるんだ?」
少数の魔物が隘路の方へ向かうのを確認したが、あの程度の数ならうちの分隊の敵ではないだろうと、ビリーは安堵して、シャーリーを振り返った。
「お気に召しませんでしたか?」
「いや、お気には召したよ。ただなぁ……」
「?」
報告書を書く方の身にもなってみやがれと、彼はなかばやけくそ気味に考えていた。
千を超える魔物がいた集落を、たった一人の学院生――いや、侍女と二人か――が蹂躙した? 今時、盛りに盛った吟遊詩人の英雄譚でも、ベタ過ぎて歌えないレベルの話だ。
しかも目撃したのがビリー一人とくれば、どう考えても捏造だと思われるに違いない。少なくとも自分なら、報告した者とされた者の関係を調べるだろう。
「いや、まだ上位種の連中がいるか。そういう心配は後回し──」
それがフラグになったのか、女生徒を担いで走って来るアリシアの向こう側で、集落の粗末な建物が大きな音を立てて弾け飛び、周囲の魔物よりも二回りは大きい三体の黒いオークが姿を現し雄叫びを上げた。
「なんだありゃ!? ジェネラルか? だが黒?」
そんなオークは知られていない。つまりそれは──
「変異種か! しかも三体だと!?」
黒いオークが叫び声を上げると、周囲にいた魔物の体が青白く発光した。
「強化かヒールか、いずれにしても──」
碌なもんじゃないと続けようとしたビリーの前でそれは起こった。
アリシアが振り返りもせずに後ろに向けた杖から発せられた光が、三体の変異種の首を薙いだかと思うと、次の瞬間、ほとんど血を流すこともなく、それはただずれて落ちた。残された体は、頭を置いて数歩を進んだ後、そのまま転倒して土煙を上げた。
「……はは、そうか、俺は夢を見てるんだな」
だが辺りに漂う焼けた肉の匂いや、踏み潰された草の青い香りは、これが現実だと彼に告げていた。
そうして彼女が、気絶しているシャロンをビリーに引き渡すまで、シャーリーが辺りの残敵を掃討しているのをただ呆然と見ていた。




