第7話 学年一のギャルがなぜか俺だけを見つけてくる
昼休みの教室は、いつも少しだけ騒がしい。
弁当のふたを開ける音。購買で買ってきたパンの袋を破る音。誰かが椅子を引きずる音。そういう日常的な音の上に、女子たちの笑い声や男子たちの雑談が重なって、教室全体がゆるい熱を帯びていく。
その中心に、彩藤リリカはいた。
「ねえねえ、今度の日曜さ、駅前の新しいパンケーキ屋行かない?」
橘木姫乃が弁当箱を片手に、いかにも楽しそうな声を上げる。金髪のツインテールが、話すたびにぴょこぴょこと揺れていた。
「行く行く! あそこ、内装めっちゃ可愛いんでしょ?」
早乙女心春がすぐに乗る。ハニーベージュのミディアムヘアをふわりと揺らし、すでに予定を組む気満々の顔をしている。
「そのあとプリも撮りたい。駅前の新しい機種、盛れるらしいし」
篠崎未羽は、ダークブラウンのボブを耳にかけながら、さらっと会話に混ざった。普段は聞き役っぽいのに、こういうときだけ妙に情報が早い。
「いいじゃん。じゃあ日曜、予定空けとくね」
リリカがそう言って笑うと、三人の空気がぱっと明るくなる。
それが、当たり前のように見えた。
リリカが笑うと、その場が少しだけ華やぐ。誰かが話題を振れば自然に受け止めて、別の誰かへ話を回す。軽い冗談にも、少しくだらないボケにも、ちゃんと笑って返す。自分が目立とうとしているわけではないのに、気づけば会話の中心にいる。
学年一のギャル。
その言葉は、たぶん肩書きとしては少し大げさだ。けれど、こうして眺めていると、誰かがそう呼びたくなる理由はわかる気がした。
「リリカー!」
教室の入り口から、別クラスの女子が顔を出した。
「昨日のノートありがと! マジ助かった!」
「あ、全然いいよー。次の小テスト、範囲そこっぽいから見といたほうがいいかも」
「え、神? ありがと!」
その女子が手を振って去っていくと、今度は廊下側の窓から男子の声がした。
「彩藤、ちょっといい?」
「んー?」
「茶道部のポスター、デザイン相談していい? 去年のやつ、彩藤が手伝ったんだろ?」
「まだ早くない?」
「早めに予約!」
「予約制なの、あたし?」
リリカが笑うと、周りも笑った。
それだけでは終わらない。昼休みの短い時間の中で、後輩らしき女子が「リリカ先輩、この前の髪の巻き方教えてください」と言いに来る。隣のクラスの男子が「彩藤、これ落ちてた」とリリカの友達のハンカチを届けに来る。先生まで通りがかりに「彩藤、放課後に掲示物の件で少し頼めるか」と声をかけていく。
人に頼られることに、リリカは慣れている。
慣れているのに、それを雑に扱わない。誰に対しても、ちゃんと目を見て、ちゃんと笑う。軽いノリで返しているように見えて、相手が困っていれば自然に手を貸す。
そういうところが、たぶん人を集めるのだろう。
俺は弁当の白米を箸で崩しながら、その様子を見ていた。
やっぱり、住む世界が違う。
教室の中心にいるリリカと、教室の端で弁当を食べている俺。見えている景色が違う。話しかけられる人数も、向けられる視線の種類も、たぶんぜんぶ違う。
なのに最近、その中心にいるはずのリリカが、なぜか俺のところへ来る。
「依澄くん」
ほら、来た。
弁当を半分ほど食べ終えたところで、リリカが俺の机の横に立っていた。
ベージュのカーディガンの袖が、机の端にふわりと触れる。そのまま彼女は体重を預けるように身を乗り出し、机に手をついた。
至近距離。ふっと、彼女の甘い香りが鼻腔をくすぐる。淡いピンクのネイルが施された指先が、俺の机をリズミカルに叩いた。
「図書室行く?」
「……なんで俺が行く前提なんだ」
「行くでしょ?」
「まあ、行くけど」
「ほら」
リリカは勝ったみたいに笑った。
その笑顔が近い。顔の距離が近すぎて、彼女の長いまつげまで数えられる。
さっきまで教室全体に向けられていた明るい笑顔とは、少し違う。俺だけに向けられている距離感に、妙に心臓が跳ねた。
「また?」
姫乃が即座に反応した。
「また図書室?」
「またってなに」
リリカが振り返ると、姫乃は弁当の卵焼きを箸でつまんだまま、じとっとした目を向けてきた。
「いやいや、最近のリリカ、昼休みになると依澄くんのとこ行くじゃん。しかも、ふたりで図書室。怪しくない?」
「怪しくないよ」
「怪しいよ」
心春が楽しそうに頷く。
「てか、学年一のギャルが毎日図書室通いって時点で、もう事件じゃない?」
「心春、それ偏見♪」
未羽が冷静に言ったあと、ちらりと俺を見る。
「でも、リリカが依澄くんを気に入ってるのは事実だよね」
「み、未羽?」
リリカの声が少しだけ上ずった。
珍しい。
リリカは基本的に、からかわれても笑って流す。姫乃が何を言っても、心春がどれだけノっても、上手くかわしてしまう。そのリリカが、今はほんの少しだけ慌てていた。
俺は思わず視線を逸らす。
やめてほしい。俺まで巻き込まないでほしい。
「依澄くん」
リリカが俺の制服の袖をきゅっと引いた。
軽い力だった。けれど、指先の熱が布越しに伝わった気がして、箸を持つ手が一瞬だけ止まる。
「行こ」
「……ああ」
席を立つと、背後で姫乃が「ほらー、やっぱ怪しい」と騒ぎ、心春が「これは追跡したほうがいいやつ?」と悪ノリし、未羽が「今日は泳がせよう」と妙に冷静なことを言っていた。
やめろ。
魚扱いするな。
俺とリリカは、そんな声を背中に受けながら教室を出た。
廊下に出ると、教室の騒がしさが少し遠のいた。昼休みの廊下は人が多くて、笑い声や足音があちこちから響いてくる。リリカはその中でも何人かに声をかけられ、そのたびに短く返事をした。
「リリカ、放課後ちょっといい?」
「ごめん、今日は無理かも。明日なら!」
「彩藤さん、これ先生に出しといてって」
「え、あたし経由なの? いいけど」
「リリカ先輩、今日も可愛いです!」
「ありがとー。君も可愛いよ」
本当に誰とでも距離が近い。
なのに、今は俺の隣を歩いている。
それがどうにも不思議だった。
「依澄くん、なんか考えてる?」
「別に」
「嘘。眉間にしわ寄ってる」
「元からこういう顔だ」
「そんなことないよ。図書室であたしが耳元で読んであげたときは、もっと面白い顔してた」
「忘れろ」
「やだ」
即答だった。
リリカは楽しそうに笑う。廊下の窓から入る光が、ラベンダーグレージュの髪に透けて、ほんの少しだけ柔らかく見えた。
からかわれている。
間違いなくからかわれている。
でも、嫌な感じはしない。リリカは俺の黒歴史を笑いものにはしない。恥ずかしがる俺の反応を楽しんではいるが、作品そのものを馬鹿にしているわけではない。
それがわかるようになってしまったから、余計に困る。
黒歴史なのに。
リリカにあれを大切そうに扱われると、ただ恥ずかしいだけでは済まなくなる。
* * *
その日の放課後、少し嫌なことがあった。
今までも同じようなことがなかったわけではない。
それこそ中学のころはこんなことが何度かあった。
高校に入ってからはめっきり減っていたんだけどな……。
ちょうど、帰り支度をしていたとき、後ろの席の男子たちが話し声が耳に入ってきた。
「これ知ってる?」
「なにこれ。『君の隣は、世界でいちばん甘い』? ラノベだよな」
「兄貴の本棚にあった。タイトルがさぁ……ちょっときつくね?」
「うわ、セリフもきついな。作者、これ真顔で書いてたのかな」
笑い声。
それは、たぶん悪意のあるものではなかった。
昔の作品を見つけて、少しからかっただけ。タイトルやセリフがキツイのも事実だ。俺自身、あの作品を黒歴史だと思っているのだから、他人にそう思われたところで怒る資格などない。
そう、わかっているのに、胸の奥だけが妙に冷えた。
リリカにあの作品を肯定されて、少しだけ勘違いしていたのかもしれない。
もしかしたら、あれは本当に誰かに届いていたのではないか。
もしかしたら、あの頃の自分はそこまで間違っていなかったのではないか。
そんなふうに思いかけていた。
でも、普通に見ればそうだ。
痛い。
恥ずかしい。
黒歴史。
たぶんそれが普通の反応なのだろう。
俺は誰にも気づかれないように教室を出た。リリカに声をかけられる前に帰りたかった。
今日だけは、あれの話を聞きたくなかった。
* * *
駅前の通りに出ると、夕方の空気が少し湿っていた。商店街の店先から揚げ物の匂いが流れてきて、学校帰りの高校生や買い物客の声が混ざる。
いつもなら気にならないざわめきが、今日はやけに遠く聞こえた。
「依澄くーん!」
聞き慣れた声に、足が止まる。
振り返ると、リリカがいた。
姫乃、心春、未羽と一緒に、駅前のアイスクリーム屋の前に立っている。四人とも制服のままなのに、放課後の街に自然と馴染んでいた。
姫乃はカップアイスを片手に笑い、心春は限定フレーバーの写真を撮り、未羽はスプーンをくわえたままメニューを眺めている。
リリカはその輪の中にいた。
やっぱり、住む世界が違う。
そう思った瞬間、リリカと目が合った。
彼女は少しだけ首を傾げた。笑顔のまま、でも目元だけがふっと真面目になる。俺の顔に何かを見つけたような表情だった。
「ごめん、ちょっと行ってくる」
「え、リリカ?」
姫乃が驚いた声を上げる。
「すぐ戻る!」
そう言って、リリカは俺のほうへ小走りで来た。髪が肩の上で揺れる。近づくにつれて、ふわりと甘い香りがした。香水なのかシャンプーなのか、もう区別がつかない。ただ、リリカが近くに来たのだとわかる匂いだった。
「依澄くん」
「……なんだ」
「元気ない」
「気のせいだ」
「気のせいじゃないよ」
言い切られた。
リリカは俺の顔を覗き込むように、少しだけ身をかがめた。左目の下の泣きぼくろが、いつもより近くに見える。
「なんかあった?」
「別に」
「別にって顔じゃない」
「どんな顔だよ」
「今にも世界を終わらせそうな顔」
「そんな物騒な顔はしてない」
「してるよ。依澄くん、すぐ顔に出るもん」
リリカは少しだけ笑った。
でも、その笑い方はいつものからかうようなものではなかった。俺の反応を楽しむというより、どう声をかければいいのか探っているような、そんな慎重さがあった。
胸の奥が、少しだけ揺れる。
「……大丈夫だ」
「大丈夫って言う人ほど、大丈夫じゃないんだよ」
「誰の受け売りだ」
「千沙登ちゃん」
反射的に顔を上げてしまった。
リリカは、いたずらを見つかった子どもみたいに笑う。それから一歩近づいた。
「ちょっとだけ……」
そう言って、俺との距離を半歩詰めてくる。
嫌な予感がした。リリカがこういう言い方をするときは、だいたい俺の心臓に悪いことをする。
「……」
黙っていると、リリカは悪戯っぽく目を細めた。
「元気出るやつ、いらない?」
「いらない」
即答した。
しかしリリカは、まるで俺の拒否を最初から聞く気がなかったみたいに、にこっと笑う。
「いる」
「決めるな」
言い返したものの、リリカはすでに一歩近づいていた。
彼女はそっと背伸びをして、俺の耳元に顔を寄せてくる。駅前のざわめきが遠のいた気がした。近くを通る自転車の音も、信号機の電子音も、どこか膜の向こうへ押しやられる。
耳に、リリカの吐息がかかった。
温かい。
首筋のあたりが、ぞわりとくすぐったくなる。髪の先が頬に触れて、反射的に肩が跳ねた。
「……落ち込んだ日は、隣にいてあげる」
小さな声だった。
「だから、ひとりで平気なふりしないで」
耳に、リリカの吐息が直接かかる。温かい。首筋のあたりが、ぞわりとくすぐったくなる。彼女の髪の先が俺の頬をかすめ、甘い匂いが思考を奪う。反射的に肩が跳ねた。
知っている。第四巻、観覧車回。
文化祭の失敗で落ち込んだ悠生に、千沙登が言った台詞だ。正確には少し違う。リリカが、ほんの少しだけ言葉を変えている。
引用。
でも、ただの引用ではない。
今の声は、千沙登のものではない。
リリカ自身の想いがこもった声だった。
「……お前」
「なに?」
「セリフ、少し変えただろ」
「バレた?」
「バレるに決まってんだろう。そのセリフ書いたの……」
言いかけて、言葉を失う。そう、俺が書いたセリフだ。俺が書いた恥ずかしいセリフ……。
「依澄くん、作者だもんね」
「やめろ」
そう言うと、リリカはくすっと笑った。
笑ったあと、手に持っていたアイスを俺の前に差し出す。淡いミルク色に、ピンク色のソースが混ざっている。見た目からして甘そうだった。
「はい」
「……なんで」
「元気出るから」
「いらない」
「一口だけ」
「それ、食べかけだろ」
「うん」
リリカは当然みたいに頷いて、スプーンを差し出す。そのとき、彼女の柔らかい指が俺の唇にほんの少しだけ触れた。
わざと、なのか。それとも偶然か。どちらにせよ、唇に残る指の温もりに、心臓の音がうるさくなる。
俺は固まった。
食べかけ。
つまり、そういうことだ。
考えるな。考えたら負けだ。アイスだ。ただのアイスだ。駅前で女子から食べかけのアイスを差し出されているだけで、そこに特別な意味を見出す必要はない。
いや、普通にあるだろ。
「リリカ、戻ってこないと思ったらなにしてんのー?」
遠くから姫乃の声が飛んでくる。
心春が「え、あれ間接キスじゃない?」と言い、未羽が「リリカ、攻めるね」と冷静に呟くのが聞こえた。
聞こえている。
やめろ。
余計に意識するだろ。
「ほら、早く」
リリカはスプーンを俺の口元へ近づけた。
「自分で食べる」
「だーめ。今はあたしが依澄くんを元気にする番なんだから」
「なんだよ、それ……」
言いながらも、逃げられなかった。リリカの目が、まっすぐ俺を見ていたからだ。彼女の瞳に、俺の顔が映っている。その距離感に、自分が試されているような錯覚に陥る。
俺は観念して、差し出されたスプーンのアイスを食べた。
冷たい。
甘い。
ミルクの味と、たぶん苺のソース。口の中で溶けるその甘さよりも、リリカがさっきまで同じスプーンを使っていて、いま彼女の指が唇に触れたという事実のほうが、頭の中でやけに大きく響いた。
「どう?」
「……甘い」
「でしょ」
リリカは満足そうに笑った。その顔は、ほんの少しだけ上気しているように見えた。
「少しは元気出た?」
「少しだけな」
「よかった」
その言い方が、妙に優しかった。
リリカは、俺の顔を見てほっとしたように目を細める。学年一の人気者。誰にでも明るくて、誰からも頼られるギャル。さっきまで友達と楽しそうに笑っていた彼女が、わざわざ俺のところへ来て、耳元で黒歴史ラノベの台詞を囁いて、食べかけのアイスまでくれた。
意味がわからない。
でも、胸の奥が少しだけ軽くなっているのは事実だった。
「じゃ、あたし戻るね」
「ああ」
「また明日、図書室ね」
「勝手に決めるな」
「え、来ないの?」
「……行くけど」
「うん!」
リリカは満足そうに笑うと、姫乃たちのところへ戻っていった。
戻った瞬間、姫乃が何かを言ってリリカの肩を揺さぶり、心春が両手で口元を押さえて騒ぎ、未羽がこちらを見て小さく手を振った。リリカは三人に囲まれて、いつものように笑っている。
やっぱり、住む世界が違う。
そのはずなのに、さっき耳元で聞いた声が、まだ残っていた。
落ち込んだ日は、隣にいてあげる。
あれは千沙登の台詞だ。
俺が中学の頃に書いた、痛くて甘くて、思い出すだけで顔を覆いたくなる黒歴史ラノベの台詞だ。
それなのに、リリカの声で囁かれると、どうしてこんなに胸の奥が落ち着かなくなるのだろう。
俺は駅へ向かって歩き出しながら、もう一度だけ振り返った。
リリカは友達と笑っていた。
教室の中心にいるときと同じように、明るくて、華やかで、誰からも好かれる顔をしていた。
でも、俺は知っている。
彼女が俺の黒歴史ラノベを大事そうに持っていることを。何度も読み返して、サインの筆跡まで覚えていたことを。そして、俺の調子が悪いと、友達との時間を抜け出してまで見つけに来ることを。
なんでだ。
純愛ラノベなら、他にもいくらでもある。
もっと売れている作品も、もっと綺麗な文章の作品も、もっと有名な作家の作品もある。
なのに。
なんで、俺の作品なんだ。
その疑問だけが、アイスの甘さみたいに、いつまでも口の奥に残っていた。
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ここまでお読みいただきありがとうございます!
リリカと依澄のやり取りを楽しんでいただけましたら、
ブックマークや評価、いいねで応援していただけると嬉しいです。
皆さまからの応援や感想が、作者の大きな励みになっています。
また次回、二人の放課後にお付き合いください。
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