闇男11
海田千代吉によるテロ、スカイツリーの崩壊
新聞、テレビ、ユーチューブ、どの媒体でもトップに取り上げられたセンセーショナルなニュースはお正月を家族と団らんする国民に様々な感情をもたらした。
大半はああそうなんだと呟いて非日常に思いを馳せながら5秒後には元の退屈な日常に戻る。
こんなことで社会は変わらない。千代吉の狙いはなんだったんだろうか。彼女は一体何がしたかったんだろうか。
事件から2日経った1月2日の午後、光夜は昼のニュースを見ながらぼんやりと考えていた。
横では聖子が黙々とリンゴの皮を剝いてくれている。
聖子が人を制圧するとき以外で刃物を持っていることに違和感を隠せなかった。
個室部屋には気まずい沈黙が流れている。聖子は4個目のリンゴに手をかけた。腹は減っていたがそんなに多くはいらなかった。
「あの~聖子さん」
気まずさに耐えかねて声をかけてしまった。
聖子はリンゴを剥く手を止める。
「2人の時は姉さんでしょ?」
姉さん呼びなど今までしたことがない。
戸籍上は姉と弟であるから問題はないのだが、光夜のことを部下として接していた聖子が家族の仲を強要するなどどういう風の吹きまわしか。
「ぐぅ。聖子姉さん」
呼び慣れていないのだ。思わず言い淀んでしまう。
「なあに?」
聖子は再びリンゴの皮を剥き始めた。そもそも光夜の為にリンゴを用意しあまつさえ皮を剥いてくれるという行為がもうおかしいのだ。
今日の聖子は雰囲気が柔らかい。出会ってからここまで柔和なのは初めてのことである。
「あ…あの」
なぜか言葉が出なかった。何を1番初めに伝えればよいのか分からなくなった。
「今日はなんかおしゃれだね」
目が泳いでしまう。暑くもないのに額から汗が出る。咄嗟に出たものがこんなしょうもない質問だったことに情けなくなった。
しかし気になったのも事実である。いつもはパンツスーツをかっこよく着こなす聖子だったが今日はゆったりとした白のワンピースを着ていた。
白のワンピースを聖子が買いに行っている姿が想像できない。
別に似合っていないわけではない。光夜のイメージとはかけ離れているが清楚な雰囲気が全面に押し出されおり端的に言えば似合っていた。
普段は年相応の大人びた女性に見える聖子だったが今は20代よりも下に見える。
「泣きそうになりながら何を言うかと思えばそんなこと?」
聖子の肩眉がピクッと上がる。怒ってはいないようだ。光夜もつられるように苦笑いを浮かべる。
「まっ。ちょっといろいろね」
「いろいろ?」
聖子は言葉を濁した。いつもは端的にものを言う女である。
今日はずっと様子がおかしい。聖子らしくない。頭の中でますます疑問が膨らむ。
「あなた他に言うことがあるんじゃないの?」
そうだった。話を逸らされた気がしたがまあいい。聖子に言うんだ。仕事を辞めますと。覚悟を決めて顔を上げた時、聖子がそっと胸に光夜を抱き寄せた。
「よく頑張った」
聖子のその一言で涙があふれた。強い敵と戦うのが怖かった。仲間に裏切られるのが怖かった。
でもなにより怖かったのは聖子の期待を裏切ることだった。仕事中も訓練中も聖子の思いが何よりの負担となっていた。
人との過剰な関わりが着実に光夜を弱くしていた。
「仕事辞める」
自分の気持ちをやっと言葉にできた。東京に来て初めて成長を実感できた気がした。
「辞めてどうするの?」
光夜の問いを予期していたかのようにすぐに返答した。
「分からない。とりあえずドヤ街に帰る」
少し間があって光夜が答える。
「そう。それもいいかもね。けどどうして辞めるの?ようやく仕事を覚えてきて使い物になってきたのに」
光夜は黙った。自分を使えると聖子に評価されたのが嬉しかった。続けざまに聖子は話す。
「私は海田に負けた。完膚なきまでにね。悔しかったわ。負けたことじゃないわよ。あなたたちを守れなかったことにね。目を覚ました時に自分の無力を呪ったわ。私が自分を保っていられるのは光夜のおかげなのよ。あなたが海田の暴走を止めてくれたから。普段あなたに偉そうにしている私にできなかったことがあなたにはできた。私は心底嬉しかったのよ」
「そんなんじゃない!」
光夜は強く叫んだ。その声は否定の意味を強く含むものだった。
「何が違うの?」
聖子の声は変わらず優しい。普段からそれくらい優しくしてほしかった。
「俺は聖子が思っているような人間じゃない。怒られたくないし、痛い思いはしたくないし、強い奴となんて戦いたくなかった。それで誰かが困ってもどうでもいいよ。俺が楽に生きられればそれでいいんだ!」
最低の告白だ。退職理由にまるでなっていない。聖子の顔をまともに見ることができなかった。
「そう、言いたいことは大体分かったわ。光夜が決めたのなら私が止めることでもないわね。その旨は次の配属先で言いなさい」
「えっ!」
次の配属先の意味が分からなかった。公安4課以外に光夜の居場所が警察のどこにあるというのか。
「あら、聞いてなかったの?公安4課は解体されるわ。海田は逮捕できたけどスカイツリーも警視庁もぶっ壊れてるからね。責任取らなきゃいけないのよ。とはいえエスパーの人材は引く手数多だからそこら辺は心配ないわよ。どこかがあなたたちを拾うと思うわ。琵琶師範に会ったら謝らなきゃね。気が重いわ」
そんな話になっていたのか。聖子がいないならますます警察に残る意味がない。怪我が治ったらすぐにでも辞めよう。
犬歯に挟まったねぎのように残っていたわずかな義理もこれで完全に無くなった。
光夜がほくそ笑んでいる横で聖子は腰を上げ病室を後にしようとしていた。
「そうそう」
聖子は病室の扉を開く直前光夜の方を向いた。
「私妊娠して明日から育休に入るから、その間の生活費もよろしくね」
「……………………、はあっ!!」
聖子がそう言い捨てて出ていこうとするのを慌てて止めた。
「なんだよ妊娠て!誰の子だよ!」
「そんなの天洋のに決まってるでしょ。他に誰がいるのよ、馬鹿」
2人が使うセーフハウスには何十回と行っているが2人がまともに会話しているのを見たことがなかった。光夜はてっきり成島と聖子は仮面夫婦だと思っていた。
2人は幼馴染と聞いていたが光夜にとっては一緒に住んでいるだけの赤の他人にしか見えなかった。やることはしっかりやっていたのである。壮太は知っていたのだろうか。
「生活費って何だよ?成島さんがいるだろ?」
「彼どこで何やってるのか分からないのよね。業種が業種なだけに詳しいことは聞けないわ。だから当面の世話は光夜に頼もうと思ったのよ。義理とはいえ叔父さんになるんだから」
全くもって寝耳に水だった。何なら戸籍も解消して元のクロに戻りたかった。
そうだ、それを言おう。退職も怒らなかったんだ。許してくれるはずだ。光夜はできるだけの笑顔を作った。
「聖子さん。あの~」
ヒュン
空気を切り裂く音ともに光夜の頬を何かが掠めた。ツーっと血が少量垂れる。
壁にはリンゴの皮を剥くのに使用した果物ナイフが突き刺さっていた。
「何か言ったかしら?叔父さん?」
「何もないです」
「そっ。じゃあお大事にね」
聖子は病室のドアを静かに閉めて部屋を後にした。
光夜は自分の頬をさすった。もうすでに血は止まっている。やはり聖子が優しくなるなどあり得なかったのだ。
思えばワンピースを着ていたのも体のラインを出さないためだったのか。
生活費を稼ぐことを考えたら実質警察を辞めるなと言っているようなものである。最初から光夜の退職を認めるつもりなどなかったのだ。
光夜はベッドに倒れこんだ。
「マジかあ~」
言葉とは裏腹に少しだけほんの少しだけやる気が出ている自分に光夜は驚いていた。
「よっしゃあ!決まったあ!」
きれいに掃除された部屋の片隅でコントローラーを握りテレビの画面を見ながら千代吉は叫んだ。
画面にはストリートファイター6が映っている。この牢屋に収容されてから千代吉が最初に要望したものだった。
ブラウンの絨毯にソファーや家具も充実しておりおまけにテレビまである。
広さも20畳はあるだろうか。めちゃくちゃに広い。
ホテルかと思ってしまう充実ぶりだがそれでも千代吉がこの部屋を牢屋だと認識できているのは窓が無いことと唯一の出入り口が鉄格子になっているからである。
鉄格子の奥には部屋が連なっており、まるで動物園のようだった。
眼鏡をかけた栗山というここの所長に施設の説明を受けたが千代吉はこの男を初対面で嫌いになった。千代吉を見る目が完全にモルモットに対するそれだったからだ。
栗山は1日1回鉄格子の前から千代吉に話しかける。
経過観察だろう。千代吉は栗山を無視するようにずっとゲームをしていた。
スカイツリーの後の記憶を振り返る。
光夜に負けた後、気がつくと病院のベッドで拘束されていた。取り調べや裁判の日々かもしくはそれらをすっ飛ばして死刑かなと思っていたらこの施設に放り込まれた。
外に出られないため場所もどこか分からない。鳥のさえずりがよく聞こえることから田舎であることは間違いないなと思った。
ブザーが鳴る。もうそんな時間かと千代吉はゲームの電源を切った。
食事の合図だった。鉄格子のロックが解除される。千代吉は牢屋を出て薄暗い通路の奥の食堂に向かった。
食堂は50人は座れるぐらい広い。お盆をとり、茶碗に米をよそう。飯がうまいからか食事の量はシャバにいた頃より増えてしまった。バイキング形式で料理をとっていく。千代吉は流れるようにして先に食事をとっている男の前に座った。
「待っとけよな」
「待つ義理ないでしょ。腹減ってるんだから」
金髪碧眼の若者はぶっきらぼうに答えた。山のように盛られた米が爆速で減っていく。体の大きさが千代吉の倍はある。
体の大きさといかつい風貌から大人びて見えるがまだ20歳にもなっていなかった。確か18歳だった気がする。一体何をしたらこの若さでこんなところにぶち込まれるのか。
「またずっとゲームしてんのか?」
箸を止めることなく尋ねてくる。なんてことない会話でも威圧感が出てしまっていた。
「それくらいしかやることなくない?さっきジュリのランク上がったわ」
「そうだな。俺も筋トレしかしてない」
食べ方はきれいだった。いまいち育ちが分かりづらい。
「多分あの栗山とかいう奴の仕業だろうな。最低限の思考を誘導されている」
千代吉の発言に金髪の若者はだろうなという表情で黙々と食事を続けていた。
会話はここで終わる。千代吉も夕食を食べ始めた。
2人はこの境遇を慰め合うこともなくただ食事を共にする間柄だった。
「ごちそうさまでした」
両手をしっかりと合わせ彼は立ち上がった。千代吉の3倍の量はあったのに皿はすっからかんだ。
帰る前に彼は千代吉に尋ねた。
「千代さんはここから出たいと思わないのか?」
千代吉はノータイムで答えた。
「思わない」
彼は不満そうに食堂を後にした。
もう何度目の夜だろうか。牢屋で生活していると日付を気にしなくなっていく。規則正しい生活に体が慣らされていく。
千代吉は布団を敷いて寝る準備を整えた。
「そろそろだと思うんだけどな」
気長に待とう。そう思い布団に入ろうとした時、扉の反対側の壁が破壊された。千代吉の体も衝撃で吹っ飛んだ。プレステも粉々である。
「元気そうで安心したぜ」
「千代さん!俺は助けに来る男なんですよ」
見知った顔が2人並んでいた。ちょい悪親父と金髪小ヤンキーだ。感謝よりもイラつきが勝る。助けに来てくれた手前怒ってはいけない。
「あれ?なんか太りました?」
金髪小ヤンキーの顔面を殴った。我慢したつもりが我慢できていなかった。
横の男は苦笑いを浮かべていた。
「金本さん。ちょっと待っててもらえる?」
「いいけどよお、あんま時間ないぜ」
「分かってるっすよ」
千代吉は鉄格子を破壊して目的の部屋へ向かう。警報が鳴り響いていた。確かにあまり時間はなさそうだ。
目当ての男は起きていた。この騒ぎだから当然であろう。この薄暗闇でも金色の髪と碧色の瞳がはっきりと見えた。
「私と来い!馬王!まだまだ暴れ足りねえだろ?」
千代吉はそう言って右手を差し出した。馬王と呼ばれた男は少年のようにニカッと笑って千代吉の手を握った。




