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闇男10

 コツンコツンと乾いた空気を通して階段の音がよく響く。体の痛みは残っているが気になるほどではなかった。ふと外の景色が目に入る。LEDライトで灯された家の明かりは自然界の光を淘汰し、東京の街を美しく彩っていた。その光を美しいと感じた瞬間、この戦いを最後にしようと思った。この世界に足を踏み入れた時から自分を見失っていたように思う。端的に言えば向いていない、この一言に尽きるのだろう。今日という日を巻き戻したい、幾度となく願ったが時間逆光のダイナがこの身に宿ることはなかった。それならばこの明かりの中で生きる一人一人が抱える小さな願い、それを叶えることができたのならもう何も考えない生活をしよう。さあ最後の仕事だ。スカイツリーの頂上が近づいてくる。その奥に見える人影、顔はまだはっきり見えない。海田千代吉の後ろ姿だった。東京の街を見下ろしている。

 彼女も同じことを考えているのだろうかと光夜は思った。

 後ろの気配に気づいたようだ。千代吉はゆっくりとこちらを振り返る。視線が合った時、一瞬驚いた表情をしてまたすぐに戻った。

 社会の歯車として仲間から信頼されていたコンシェルジュと社会の破壊に王手をかけたテロリスト、2つの相反する美しさが千代吉の魅力をより引き出していた。

「動けるんだな。今後一生障害保険が出るくらいには痛めつけたんだけど」

 そう言う千代吉の顔からは落胆の色が見えた。公安4課の4人の中で自分が、芝崎光夜が1番何もできなかった。戦いを楽しむ傾向にある千代吉ががっかりするのも当然である。

「すみれさんのおかげだよ。あいつはギガントの回復力を人に分けることができるんだ。おかげさまであんたに折られた骨や歯も元通りだ。もうあんたの顔は見たくなかったんだけどな」

 全快とまではいかなかったが痛みは大分取れている。

「へ~。すみれちゃんってそんなのできるんだ。でもさあ、人選はミスってるな。光夜くんじゃあ逆立ちしたって私に勝てないよ」

 感心した表情を見せる千代吉だったが光夜には疲労の色を隠しきれていないように感じた。

 芝崎聖子とタイマンを張ったのだ。生きてるだけですごいのにこの女は勝利を勝ち取っている。

 光夜は海田千代吉に尊敬の念を抱き始めていた。

「虚勢を張らなくていいよ。お前もう立ってるのもやっとだろ?驚いたよ。聖子の落雷を耐えきる人間がいるなんてな」

 千代吉は何の小細工もなしに聖子の電気をただ受けただけなのだ。

 千代吉自身をギガントで修復し続ける。それも並みの威力ではない。聖子が生み出す何億ボルトもの光の柱を5分も耐えた。

 1秒でも体が焼け焦げる威力を治し続けた。

 体には今もところどころやけどの跡が確認できる。千代吉の強みは重力のダイナだと思っていたが1番は頑強という言葉では生ぬるいほどの精神力が成せるギガントなのだと光夜は認識した。

「何かいい顔になったな。今なら私に勝てると思ってんのか?雑魚狩り大好きの光夜くん」

「勝てるか勝てないかなんてどっちでもいいよ。俺はただ辞めるなら手土産がないとなって思っただけだ」

「だったらなおさら帰れ。自分で分かるだろ?お前だけがここにいる資格のない人間なんだよ!」

「そんなことは分かってるよ。だから最後にするんだ」

「ああ~うざってえ!達観したような顔すんな!浅いんだよお前はずっと!辛くても苦しくても私たちは自分の役割を果たしていかなくちゃいけないんだ!その責任を放棄したならせめて歯あ食いしばってる奴の邪魔すんじゃねえよ!」

「千代吉の言葉は耳が痛いなあ。でももう決めたんだ」

「だからガキは嫌いなんだ。子供にみんな未来があるなんて思いこむもんじゃねえ」

「全くだ」

 ハハハハハハハハハハハ!!!!!

 千代吉の笑い声は冷たい夜空の空気にかき消されていく。光夜はそれを黙って見つめる。止めようとはしなかった。これが最後だとお互いにわかっていたから。

 光夜の背後から黒いアポロが現れる。靄のようにゆらゆらと揺らぎながら夜の世界と同化する。

 自分の脳みそが頭蓋骨を突き抜け広がっていく気がした。精神が無限の広がりを見せる。津波のように押し寄せる黒いアポロが光夜の頭を支配していた。

 地面を這いながら、千代吉の足を取ろうとする。そこまで速くはなかったが暗がりでは何とも見えづらい。

 上に飛んで避ける千代吉の体はひどく重そうに見えた。

 千代吉はこちらに目掛けて飛んできた。だが恐怖はない。動きもはっきりと視認できる。

 目で追うことすらできずアポロの自動防御に頼りっぱなしだった光夜はもういない。スローモーションに見える。体の反応は追いつかない。その代わり脳は高速で状況を処理しようとしていた。

 足元のアポロで壁を作る。オートではない。明確に光夜が動かした。地面を殴ればクレーターができるほどの右ストレートの衝撃は黒いアポロと衝突し波紋を広げながら離散していった。

「チッ!!」

 舌打ちした千代吉は重力を乗せたパンチを連打で放ち続けた。光夜との距離はアポロの壁を挟んで1メートルもない。

 水面を殴ったところで湖が干上がるわけではない。光夜の視点からは千代吉のパンチの数だけが波として伝わってくるだけだった。

 黒い壁の隙間から足元が見える。光夜は紐をイメージした。頭で想像してからアポロに反映されるまでのタイムラグがほとんどなかった。

 その黒い紐で千代吉の足を絡めとる。鞭のようにしならせ投げ飛ばした。

 壁に激突し瓦礫に埋もれる。その間も黒い世界は広がり続ける。

 瓦礫をどけて千代吉が出てきた。大したダメージはない。聖子の雷を耐え抜いたギガントには物理的ダメージでは押し切れないと思った。

「気色悪い。そのゴキブリみたいなアポロ、だいぶ使いこなせるようになったんだな」

「おかげさまで」

 千代吉は肩についた破片を手で払い、吐き捨てるようにつぶやいた。

「初めて光夜くんを見た時コイツ無理だなあって思ったんだよなあ。関わりたくねえっていうか。嫌なオーラ」

 千代吉のまっすぐな悪意、光夜にとっては毎日向けられてきたものだった。懐かしさすら憶える。ドヤ街でずっと言われてきた言葉だ。

 みんながクロに喧嘩を吹っ掛ける。中には平気で殺しにくる奴もいた。そんな相手を1人残らずぶちのめしてきた。

 それなのに芝崎光夜を名乗りだしてからは怒る回数がとんと減った。失ったといってもいい。

 自分の時間など週に数時間しかとれない中でそんな感情が失われつつあった。周りも悪意を向けない。向けてくるのはテロリストだけ。そこには明確な善悪が設けられていたように思う。

 あれだけ恐ろしかった千代吉をしっかり見つめる。前髪をカチューシャでかき上げたその顔は今まで見たどの女よりも美しかった。こんなにきれいな顔だったのかとびっくりする。

 光夜は笑う。酒の力を借りずに笑ったのはいつぶりだろう。腹をぶち抜かれ、手足をへし折られ、歯も引っこ抜かれた目の前の女に感謝の気持ちを持ち始めていた。

「何笑ってんだよ!」

 眉間に力がこもり鋭い怒りを放ちながら顔をゆがませていた。それでもなお顔の美しさは保たれている。

「馬鹿にしてんのか?骨ポキるだけじゃあ足りなかったみてえだな。全部壊してぶっ壊してやるよ!」

「来るなら来い。お前じゃ俺は変えられないよ」

 光夜は空気をつかむように右手を扇いだ。黒いアポロが津波の形をして千代吉を襲う。

 今度は躱さなかった。千代吉は自分の周りに重力をかけた。

 津波が千代吉の手前で止まった。千代吉を囲むように黒い波が取り囲むが近づけない。

 千代吉はそのままゆっくり光夜に近づいてきた。

「逃げてもいいぞ。ただし捕まえたら足をもらう」

 逃げる必要などない。光夜は両手を蛇のように動かす。その動きに反応して黒いアポロは大きくなったり、動きを変えたり、速度を増したりする。

 千代吉の周りを球体で囲んだ。黒球だ。姿が見えなくなった。完全に光を遮断している。

 黒球は動きを止めない。少しずつ確実に光夜に近づいて来ている。光夜は黒球を維持したまま、地面を覆い尽くすアポロの形状を変化させた。

 光夜はランスを造り出す。中世から近世にかけてヨーロッパで見られた槍だった。

 何本も何本も精製する。その数10本。真っ黒に染められた10本ものランスを上下左右に散りばめ黒球を囲んだ。

 光夜の手が振り下ろされるのを合図にランスが黒球を貫いた。黒球には刺さっている。しかし光夜は反対側まで貫く威力で操作したが、ランスは黒球の中で止まってしまっていた。

 加えて黒球は動き続けている。引き続きジワリジワリと歩みを止めない。

 ダメージは与えられていない。光夜は黒球を解除した。自分の周りにアポロを展開させる。

 中から千代吉が見えてきた。予想通り傷はない。目が合った。次に瞬きした時には千代吉は光夜の頭をたたき割ろうとしていた。20メートルはあった距離を一気に詰めてくる。

 光夜と千代吉の間にアポロが挟まれた。衝撃が吸収しきれない。光夜の額が割れて少し血が流れる。

 自身のミスによる負傷。それでも光夜は冷静さを失っていない。どういう結果になっても納得できた。痛みも恐怖も死ぬことさえも今なら受け入れられる。その心の余裕がアポロに作用する。

 突然体が重くなった。千代吉にはこれがある。ギガントに対応しようとすれば遠距離から重力が、重力に対応しようとすればギガントで肉弾戦に持ち込まれる。

 あちらを立てればこちらが立たず。どちらも千代吉の土俵なのだ。聖子のような破壊力がなければ対応することは不可能である。

 立てない。胸が地面に押しつぶされないよう何とか耐える。

「結局お前はいつも口だけなんだよ。辞める前にどうちゃら言ってたがカッコつけずに私から逃げりゃあ良かったんだ。2回も命拾ったくせになあ。このまま脳みそ床にぶちまけてやる!」

 光夜は集中した。試したことはない。黒いアポロを足元に広げてイメージする。その広さはちょうど重力がかかっているエリアとほぼ同じだった。

 千代吉に押し潰されるのが早いか、光夜のイメージが完成するのが早いか。思考の海に飛び込む。五感の情報が自然と遮断されていた。すべてを頭の中で完結させる。

 地球を飲み込む。

 イメージをその手に掴んだ。最初に動いたのは足だった。右の小指の付け根。それだけが簡単に動かすことができた。次に足の裏、膝、太もも、腰と順番に上がっていく。

 まだなんだ。まだ広がる。光夜の頭の中には小宇宙が完成されようとしていた。

 手、胸ときて最後に頭を動かした。

 光夜は立ち上がった。光夜のアポロが千代吉のダイナを完全に包み込むことに成功したのだ。

 千代吉は唖然とする。武器の1つが失われた。

「芝崎の言ったとおりだったな。ここまでお前が化けるとは思ってなかったよ」

 千代吉はまだ諦めていない。ダイナを封じられたぐらいでは闘争心が衰えることはない。

「この戦いは柴崎にしか期待してなかったんだけどな。撤回するよ。公安4課。千田すみれ、狭山壮太、芝崎聖子、そして芝崎光夜。私は楽しくて仕方がない」

 千代吉は胸の中央に両手をかざした。その中に現れる拳大の小さな球体の何か。球体と定義したが形があったわけではない。その場所だけが空間をねじ曲げるように球体として存在していた。

 スカイツリーの頂上にわずかに届く東京の光もねじれに飲み込まれている。その先は真っ暗な闇だった。

 光夜は自分のアポロと似ていると思った。どこに続いているのか自分でも分からないところが特に似ている。

「これはブラックホールを真似て私が造ったものだ。手のひらサイズだけどこの日本を世界地図から消してしまえるだけの威力はある」

 千代吉は自己紹介でもするかのように淡々と語りだした。

「そんなもんどうするつもりだよ?」

 分かりきったことを聞いた。あんなものを止められるのはこの場において光夜だけだった。

「勝負をしようや。これが今の私の全力だ。当然遠慮はしない。これで日本を消す。この社会ではそれを望んでいる人間の方が多くなっている。悲しいことにね。止められるのはお前だけだ。私じゃない」

 光がない。千代吉の言う悲しいこととやらがあの小さなブラックホールに詰まっている気がした。光夜の中にもあの闇は存在している。みんながすべてを飲み込む虚無な闇を抱えて生きている。

 それでもその闇を社会に解き放つのは違うとはっきり思った。

 光夜のアポロも負けず劣らずの闇を放っている。スカイツリーを包むように流れ出ていた駄々洩れのアポロを手に集約させた。

 これが光夜にできる精一杯だった。

「それでもお前は社会が嫌いか?」

 千代吉の問いに光夜ははっきり答えた。

「ああ。反吐が出るほど嫌いだよ」

 2つの闇が世界と溶け合ってそしてスカイツリーは崩壊した。

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