闇男8
「おっそいよ!死ぬかと思ったじゃない」
傷だらけだが元気そうなすみれの姿に光夜は安心した。当のすみれは今にも泣きだしそうだった。
本当に死を覚悟したのだろう。小刻みに震える膝を見て光夜は思った。
「悪かったよ。とりあえず初っ端お疲れさんです」光夜は肩をたたいてねぎらった。
「気をつけてよ。思ったより狂人じゃないけどまだまだ手札は残ってそう」
すみれの消耗、SAT含めた数百人の警察官の排出、それでもなお倒せないが、弱らせることには成功したようだった。
「分かった。あとは任せてゆっくり休め」
光夜の言葉にすみれはうなづいた。
光夜は黒いアポロを大きく展開した。すみれや警官を包み込む。フロアにいた人間は次々と黒いアポロに吸収され姿を消した。
「毎度のことだけどどういう仕組みなわけ?中に入るの毎回ためらうわ」
ぶつくさ言うすみれだが中に包み込まれていった。
アポロの中がどうなっているのかは光夜には分からない。すみれ曰く景色は黒なのに自分の体は見れる謎の空間らしい。泳ぐように移動することができて上に光が漏れている隙間がありそこから外に出ることができるが、外がどういう状況かは中からは分からないらしい。
光夜はこの中に何が入っているのかは全て認識しており自分の判断で出し入れも自由自在だった。さらにこの中ではどうも時の流れが止まっているようで主に怪我をした人間を入れて病院までもたせるといった使い方をしていた。
すべての人間を回収し終えた光夜は中央でにらみ合っている2人を見た。
壮太の方はすでに全身を自身のダイナで覆っている。いつでも動ける状態だった。
対する千代吉は先ほどの光夜のアポロをずっと観察していた。けだるげに後頭部をポリポリかく。
「2人か。デスタムーアとやるにはムドーから倒せってか。まどろっこしいことしやがって」
背中の汗が止まらなかった。今からこの怪物を相手にするのだ。1分後でさえ生きている保証はどこにもなかった。
自分の任務を心の中で反芻した。壮太の戦いをサポートする手筈だった。
壮太は千代吉の目の前に立ち、その拳を受け止め、1歩たりとも引く姿勢を見せない。あんなに近くで相対して怖くないのだろうか?と疑問に思う。
光夜は50メートルほど距離をとっているがそれでも怖い。
自分の周りにアポロを張っていないと気が気でなかった。
それは壮太も同じだろう。全身にコーティングされた金属のダイナがそれを物語る。いつもなら腕や足など使うところだけにするのだが顔を含めた全身を覆っている。服を着ていることもあっていささか不気味に見える。美術館に飾られている趣味の悪い銅像のようだった。
光夜は静かに壮太の周りにアポロを2つ、ロープのように這わせた。残りの2つは防御用に自分の近くに置いている。いつでも動ける態勢をとった。
千代吉が気に入らないといった表情で話し出す。
「芝崎はどこだ?千田すみれの次は君たち2人のバディとの連戦。私を弱らせておいしいところは自分でっていう作戦なら、あいつの評価を大幅に下げないといけんかね」
イライラした言葉なのに表情は楽しそうだった。
「テロリストからの評価が上がったところでなんかお得でもあるのか?くだらないことで建物ボコボコ壊しやがって。勤務時代も問題児だったって言ってたぞ」
壮太も負けずに挑発した。光夜からしたら気が気ではない。
「ちゃんと調べてるんだ。私は先輩からの受けは悪いんだよ。昔からな」
「だろうな。でもなあ、あんたの後輩は結構心配してたぞ。中にはお前を追いかけて辞めた奴もいるらしいぜ。そうそう。1番心配してたのは矢野って娘だったよ。千代さんを助けてくださいって頭下げられたわ」
千代吉の目に力が入ったように見えた。
「懐かしいなあ。たかだか3か月前のことだが。壮太くん、奈央に言っといてよ。気にすんなって」
「お前が直接言うんだ。俺たちに手錠をかけられた後になるが、自分の口から言うんだ」
壮太の言葉に熱が籠る。何の時間なのだろうか?壮太はたまにこういう無駄なことをする。かつての同僚に罪悪感を感じるような奴ならとっくに逮捕されている。
案の定だった。千代吉は特に思いを変えることはなく戦闘態勢に移行した。
「じゃあおしゃべりは終わりだ。私大晦日は紅白って決めてんだよ」
「ならそもそもスカイツリーなんて襲うんじゃねえよ!」
壮太は両腕を顔の前に置き、左腕をやや前に構えた。ボクシングのフォームである。
対照的に千代吉の方は腕をだらっと下げ、両足で軽く飛び跳ねていた。タイミングを計っているのだろう。お互い視線は一切放していなかった。
一瞬の静寂が1時間にも2時間にも感じられた。呼吸をするのも躊躇われる。これだけ離れている光夜にも緊張感がヒシヒシと伝わってくる。壮太の距離なら心臓が止まってしまうなと思った。
一生続くのではと感じられた静けさはいとも簡単に破られる。
最初に仕掛けたのは壮太だった。脱力された左ジャブが千代吉の顔へ飛ぶ。反応した千代吉は顔をわずかに後方にそらすが壮太のジャブの方が速かった。拳が鼻先をかすめている。続けて右ストレートが放たれた。お手本のようなワン・ツーだった。華奢な女性の体を再起不能にするにはオーバーキルな威力である。相手が海田千代吉でなければ。
千代吉は壮太の右ストレートを左に顔をダッキングしながら返す刀で右のカウンターを放った。こちらの拳の威力も壮太に負けず劣らずのオーバースペックである。重力が乗せられた拳の威力はちょこんと当たるだけでもボディビルダーを楽々KOしてしまうほどだ。直接体感した光夜は屋上で受けたパンチを思い出すと今でも腹がズキズキする。
完璧なタイミングで入ったカウンターが壮太に直撃する。それでも怯むことなく手を休めなかった。
壮太の体には現代格闘技の技が染みついている。特にボクシングの動きにおいてはプロ級だった。
聖子と成島に半年間文字通り死にもの狂いで仕込まれている。ジャブ、ストレート、フック、アッパー、たまにキックも混ぜながらコンビネーションを繰り出す。
洗練された現代格闘技をギガントに合わせて戦う壮太に対して千代吉の動きには野生が感じられた。
ただ危険だから避けるといった獣の嗅覚に近い。おそらく喧嘩で身に着けた技術であろう。構えもなく無駄も多い。だからこそ動きが読みづらかった。
壮太の拳は空を切るが、要所に挟まれる千代吉のカウンターはクリーンヒットする。このカウンターを壮太は防げないでいた。
千代吉の破壊力を正面で受けながらそれでも壮太が下がることはなかった。壮太のタフさはともに聖子からしごきを受けている光夜が1番よく知っている。聖子は別格だが壮太も戦闘のプロだ。テロリスト相手に負けたところを見たことがない。
そんな壮太を一方的にボコしている。元ヤンというだけでどれほどの戦闘経験を積んできたのだろうか。
お互いが最高クラスの破壊力を持つダイナ、それは互いに自覚しているはずだ。このままでは攻撃を受けている壮太の方が先に倒れると思った。千代吉の背後にアポロを配置した。隙を伺っていると戦闘が1度止まった。間をとったのは千代吉の方だった。
攻撃を受けている壮太にとっては間をとってくれるのはありがたいはずだ。なぜ千代吉の方が引いたのか。よく見ると千代吉の額から汗が出ている。壮太の方は金属で分かりづらいがダメージはないようだった。息も切らしていない。この程度でばてないことは知っている。
(あれは血か?)
千代吉の拳から血が流れていた。
「ああっ!痛ってえ!なんか前より硬くなった?こっちの方がもたねえよ」
「2週間も経ってるんだぞ。対策はしっかりしているに決まっているだろ」
壮太は普段動きやすさと硬さを考慮して金を中心とした合金で体を覆う。前回はそのせいで千代吉にワンパンされたが今回はもっと硬いものを混ぜている。
「ダイヤモンドだ。炭素を混ぜた合金だ。今の俺は世界中のどの物質よりも硬い。人の拳程度なら全く効かない」
壮太の言葉に千代吉は頷いた。
「ああっ。それでか。前よりも色がくすんで見える。気のせいだと思ったけど成分が変わったんだな。小細工しやがって」
「その小細工がお前に効いてるようで安心したよ。あとはその顔ぶん殴るだけだ」
拳を握りしめる。
「いいじゃん。いい感じにうざくなったよ。狭山壮太!」
よし!と光夜は思わずガッツポーズした。少なくとも防御力という点において壮太の方が千代吉より勝っている。互いが所有する最強の矛を防ぐ盾を壮太は持っており、千代吉は持っていない。この精神的な余裕の差は大きい。
できることならこのまま自分の出番がないまま千代吉を倒してほしかった。
「この程度でビビると思うなよ!」
壮太との距離を詰める。真正面から堂々と。
「上等だ!」
千代吉の姿勢は低い。レスリングのタックルのような形だ。迷わず壮太は右のパンチを振り下ろす。
拳と額が当たる直前、千代吉の姿が消える。壮太の背後に回っていた。光夜の位置からギリギリ視認できる速さ、目の前の壮太は本当に消えたように感じただろう。
壮太の背後をとった千代吉は壮太の腰に腕を回してガッチリとホールドしそのまま後ろへ投げ飛ばした。余りにも美しいジャーマンスープレックスである。
床のタイルが粉々になり、小さなクレーターができるほどの威力。投げ技に重力のダイナが乗せられていた。使い勝手が良すぎる。
壮太はすぐに立ち上がった。それを見て千代吉は追撃をかける。十数種類の投げ技を壮太にくらわせた。
地面が揺れる。クレーターがいくつも作られていく。立ち上がる壮太の力がどんどんなくなっていった。
光夜はその様をただ震えて眺めることしかできなかった。
13個目の投げ技、雷落としをしたところで壮太は立ち上がらなくなった。千代吉もフーっと腰に手を当てた。ゆっくりとした足取りで首の関節をポキポキ鳴らしながら歩いている。
「待……てよ!ま……だ…終わ………ってねえゲエッポ………ぞ!」
どうやって立っているのか不思議なほど壮太のダメージは深刻だった。かろうじてダイヤの合金は身に纏えているがところどころ剥がれ落ち皮膚が顔をのぞかせていた。
千代吉は呆れたように言う。
「まだ立てるんだ。すごいじゃん。もうちょっとプロレス技練習したかったんだよねえ」
壊れるまでおもちゃで遊ぶ残酷な子供である。
「打…撃な………ら…俺の……方が……強い………はずだ」
傷だらけの口から何とか言葉を絞り出す。
千代吉はため息を漏らした。
「打撃の対策だけして私に勝てると思ってるのが間違いなんだよ。この海田千代吉という人間すべてを考慮に入れなきゃ戦いにすらならない」
千代吉は壮太の目の前に立った。壮太の拳が前に出るが力はない。
「そもそもさあ、打撃の対策ができてるって言うのが間違いなんだよ。というより心外だな」
「?」
壮太の腹をスーッと撫でた。
「ちょっとこの辺、腹のところ、そのダイヤモンドで固めてみろ。そんぐらいはまだできるだろ?」
「何…言って……んだ?お前」
意味が分からないといった表情だ。光夜も分かっていない。いや分かりたくなかった。
「だあカアラあ!ダイヤモンドごときで私のパンチ防げるわけないだろって話だ!分かる?」
千代吉は空手の構えをとった。光夜を本日何度目かの恐怖が襲う。
それは光夜のアポロを貫いた構えだった。
壮太も何か感じたようだった。全身に纏っていた合金をお腹のみに集中させた。
「大惑星パンチ」
光夜の耳に微かに聞こえた必殺技と思しき名前、同時にパンチは放たれた。壮太の前に黒い影が4本立った。壮太の姿が後方に消し飛ぶ。壁を破ってもまだ壮太は後ろに飛び見えなくなった。
人間じゃない。光夜は心底そう思った。この場から一刻も早く離れたかった。
「咄嗟にあの黒いアポロが壁になったか。ま、焼け石に水だけどな。仲間思いなとこもあるじゃん。光夜くん」
千代吉がこちらに顔を向けた。笑っている。こんなに雑魚狩りができているんだ、だからこいつは笑っているんだと光夜は思った。
「お前は何のためにここにいるんだ?」
千代吉に問われる。
地面を蹴る音がするとすでに視界に立っていた。
「うわああああああ!!!!!」
腹の底で蠢いていた恐怖が声になって暴れだす。それに呼応するかのように黒いアポロが千代吉に向かっていった。
「禍々しい。ただそれだけだ。本当にもったいない」
千代吉は交わす。動きが軽やかでとらえるビジョンがまるで見えなかった。神に祈るしかなかった、当たってくれと願うしかなかった。そんな攻撃が当たるはずもないのに。
「終わりだ」
声が後ろから聞こえたと思ったら頭を押さえつけられていた。アポロも消失する。光夜は髪の毛を掴まれた。痛みよりも喉の震えが気になった。
東京になど来なければよかった。
ずっとドヤ街にいればよかった。
マオリーと暮らせばよかった。
何のためにここにいるのか。
千代吉は光夜の口の奥に手を突っ込んだ。ゴキッという音とともに奥歯に激しい痛みが走った。
「先輩が体張ったんだ。お前も私に半殺しに合わないと芝崎に殺されるぞ」
そこから先は対等な戦いではなかった。光夜への無意味な拷問はしばらく続いたが助けてくれる者は誰も現れなかった。




