闇男7
時刻は18時を回った。気温は8度と冬の真っ只中の割にはそこまで寒くないと言えるだろう。東京スカイツリーの中で待機している分には寒さもそこまで気にならなかった。
大晦日だというのにあふれる人混みでごった返す。それもそのはずである。スカイツリーでは毎年、年越しを祝うカウントダウンイベントが行われていた。その人混みに紛れるようにして千代吉は歩みを進めていた。
心臓が高鳴っているのが自分でもわかる。仕事前のこの緊張感が嫌いではなかった。
あちらこちらで制服を着た警官がこれ見よがしにうろうろしている。1年の労をねぎらう日にご苦労なことである。千代吉が今もホテルマンとして勤務していれば今日という日を家族と過ごせた人間もいたのだろう思うと少し申し訳ない気持ちになった。それでも誰かがやらなければならないことだと自分に言い聞かせる。
周辺を見渡した。芝崎聖子や狭山壮太の姿は見えない。直観だが上で警備しているのではと判断した。今日のテロは聖子経由で伝わっているはずである。下っ端からも緊張感を感じた。
あまりのんびりするのもよくない。千代吉は早くエレベーターに昇ろうと歩みを進めた。
「はーいはーい!ちょっとすいません!っどわっと!」
人混みをかき分けて来たかと思いきや突如目の目に人が倒れこんだ。制服を着ている。と言っても警官ではなく学校の制服だった。それは女子高生だった。肌艶から若さがあふれている。
「いった~」
無視しようかとも思ったが千代吉との距離は絶妙であった。ほぼ反射的に手を差し伸べた。女は千代吉の手を掴んで立ち上がる。顔に傷はなかった。顔面を強打していたので少し心配だったが鼻血も出ていなかった。
「足元には気をつけてください」
できるだけ本来の自分と真逆の態度を心掛けた。
「あっはっはっは!ありがとね。気をつけるよ」
そう言って女はスカートの埃を払いのけた。1つ1つの動作が大きい。いかにも若い娘ですといった感じだった。千代吉はこの年の女子のエネルギッシュな雰囲気が好きになれなかった。自分もこうだっただろうかと振り返る。この頃の自分はまさかテロリストになっているとは思いもしないだろう。
「お姉さん、1人?彼氏とかは?」
初対面の人間に対しての絡み方としては赤点もいいとこだった。女子高生という点を差し引いても目の前の少女のことが嫌いになりそうだった。
「1人で来たのよ。怪我がなかったらもういいかしら」
早くこの場を切り上げたかった。苦笑を交えて返答する。
「私も1人だよ。ねえお姉さん、一緒に行こうよ。暇だったんだよね?」
千代吉の態度もお構いなしだった。この手の人間が人の感情を態度で判断できるわけがなかった。言葉でしかいや言葉にしても感じ取れないだろう。
千代吉はめんどくさいので無視することにした。この人混みだ。すぐに撒けるだろう。千代吉がエレベーターに向かおうとした時、右腕を掴まれた。思っていたよりも強い力に一瞬キレそうになる。ここで暴れてもよいかとも思えてくるほどだった。
「まあそう邪険にしないでよ。1人で見たってつまんないじゃん」
千代吉はこの時、その女子高生の顔をはっきりと見た。始めの印象よりも大人びて見えたのだ。少なくとも高校生には見えなかった。
もう1度女の顔を見つめた。そして気づいたと同時に敗北感に襲われた。なぜ気づかなかったのだろうか、初手は千代吉の敗北だった。
「上には行かさないっすよ。海田千代吉さん」
「ごめん。今気づいたわ。制服が似合ってたもんで分からなかったよ。千田すみれ!」
千代吉はすみれに向かって殴りかかろうと右拳を握った。その時、待ってましたとばかりに周りの警官が千代吉に飛び掛かる。数に圧倒される。身動きが取れなかった。
千代吉を抑えているのは警官だけではない。カウントダウンを祝うためだけに来たはずの一般人までもが千代吉に襲い掛かったのだ。
改めて考えれば当然のことである。日にちまで指定してテロの予告をしているのだ。警備的観点から見て一般人を入れるはずなどないのだ。つまりこのフロア、いや今日東京スカイツリーにいる人間は全て海田千代吉を逮捕するための警察官なのである。
「たかがテロリスト1匹に大袈裟なことだな」
警官だろうが所詮は非エスパーの集まりだ。ギガントぐらいなら使える人間もいるのだろうがごく少数だろう。それは先日警視庁を襲撃した時に確認済みのことだった。あの時千代吉に対応できたのは公安4課のメンバーだけである。
何人束になろうが重力のダイナで沈めてしまえばいいだけのことだ。
千代吉は覆いかぶさる警官を一気に払いのける。人が紙吹雪のように飛び散った。
すぐさまダイナを発動する。反撃の隙を一切与えない。すみれも含めフロアの人間が地に伏せる。多少の力自慢が数人何とか立っている程度だった。
「おおお!!!重い!」
あちこちで悲鳴が上がる。このまま全員圧し潰そうとした。
「撃てえええええ!!!!」
フロア中に千田すみれの絶叫が響き渡る。その叫びを合図に何発もの銃声が千代吉を襲った。咄嗟に壁際に隠れる。重力の影響で狙いが反れているのか、足元の床を打ち抜いたり、弾がほほをかすめたりした。
「やっぱり。お前の重力のダイナ、さすがに狙撃手まで広げることはできないだろう。半径1キロメートルなんて言われちゃあ手も足も出なかったけど想像通りでよかった。スカイツリー全体にダイナを発動して私ら総勢約400人を抑えながらギガントで狙撃を躱す。集中力が持つわけがない。その内被弾するぞ」
地に這いつくばり芋虫のようにうねうねしながらすみれは叫んだ。情けない姿に吹き出しそうになるが言っていることは正解だった。
エスパーと言えど銃は脅威である。ましてや狙撃銃ならなおさらのこと。千代吉も一か所にとどまらないようにしているがどこからでも千代吉のことを狙えるようでいつ被弾してもおかしくなかった。
なによりダイナの発動範囲が広い。拳に重力を乗せる程度ならギガントと併用してもそこまで気にならないのだが、今の状況は千代吉の脳に多大な負荷をかけている。ラーメンとケーキを同時に作れと言われているようなものだ。いささか分が悪かった。
息を深く吸った。
「みっともない格好でドヤ顔解説してるとこ悪いけど肝心の狙撃の腕が悪いんじゃあ話にならないぞ」
ドゥアン!ドゥアン!
千代吉の髪と肩をわずかにかすめる。
すみれの調子がさらに勢いづいた。得意げな顔にだんだんと怒りが増してきた。すみれだけでも先に殺してしまおうかとも思った。
「強がらなくていいっすよ。今当たりかけたじゃん。このまま尻尾撒いて帰るんなら見逃してやってもいいぞ。くそばばあテロリスト」
我慢比べは終わりだ。千代吉はダイナを解いた。お望みどおりにギガント勝負に持ち込むつもりだった。
倒れていた警官が次々に起き上がる。
「私だ。狙撃中止。狙撃中止」
やはりすみれは狙撃を止めた。味方を撃つ危険をなくしたのだろう。すみれは狙い通りといった顔だった。自分の思い通りに事が進むのが気持ちいいといった面持ちだ。気に入らない。
「やっぱダイナは解かざるを得ないよね。でもさあこの人数相手に勝てると思ってる?」
「非エスパーを何人集めたところで足止めにもなんねえよ。全員残らずぶっ殺してやる」
すみれは不快な笑みを崩さない。
「非エスパーねえ。まあやってみたら分かるよ」
千代吉は1番近くにいた男を殴った。非エスパーなら一撃で失神する威力である。しかし男は倒れずあろうことか殴り返してきたのだ。
何人も何人も千代吉に覆いかぶさってくる。それを振り払う。全員がギガントで襲ってきたのだ。
「気づいた?ここにいる人間は全員ギガント持ちだよ」
千代吉は信じられなかった。こんな短時間でエスパーに目覚めさせるなど不可能だと思った。ある1つの方法を除いて。千田すみれならそれができる可能性があった。
「お前さあ、まさかエスパードラッグを使ったのか?」
すみれは手を叩き今日1番の笑顔で答えた。
「正解です。よく分かりましたね。あなたを逮捕するための改良版ですよ」
エスパードラッグ。金本から聞いたことがあった。その映像を見るだけでエスパーの才能が開花する。全員ではない。覚醒するかしないかはその人次第で、パスカルでも昔使用者がいたそうだと聞いた。たしかその時はダイナだけだったと思う。
開発者は千田すみれであり、芝崎聖子に逮捕され公安入りした経緯がある。ダイナではなくギガントに絞った代わりに全員がエスパーを使えるようになる。名づけるならジェネリックエスパードラッグといったところか。
千代吉の眼前には人の波であふれている。向けられる視線は殺意以外の何物でもない。
この人数のエスパーを相手にするのは並のギガントでは難しい。ボクシングヘビー級の世界チャンピオンでも約400人の喧嘩自慢相手ではなす術がないのと同じだ。
「それだけ本気ってことか」
非人道的な話だとテロリストの千代吉でも思った。その本気度は千代吉の闘志を完璧にたぎらせた。
「したところでたかが知れてるけどなあ!」
ギガントをフルで活用する。目の前に現われるもの全て殴り倒した。全力だった。四面楚歌。上下左右、360度、あらゆる方向からパンチ、キック、掴みと飛んでくる。
殴る、殴る、殴る、殴る、拳は血にまみれ、骨が軋む。息が苦しい。人の波にのまれる。鼓動が早くなる。
何より楽しかった。高校時代からタイマンよりも1対多の方を好んでいた。
倒しても倒しても倒しても倒しても次々と敵が湧き出てくる。一生殴り続けていたかった。
屍がどんどん積まれていく。千代吉は移動した。逃さないように敵もついてくる。自分がブラックホールの中心にいるようだった。吸い込まれるようにして獲物が集まる。
油断している暇はない。数の暴力に押しつぶされる。
何人倒しても減っている実感がわかない。
後ろから髪の毛をグッと引っ張られた。動きが鈍る。それを見逃してはくれない。ボディーブローが突き刺さる。顔面に拳が入る。その程度では千代吉は止まらない。髪を振り乱し、一撃で葬り去る。
何事もなかったかのように戦闘は継続された。
もう何分経ったのだろうか?時間の感覚が分からない。数秒かもしれないし、数時間かもしれない。はたまた数日かもしれない。呼吸の音も骨の軋みも血液の流れも何もかもを感じ取れた。
気がつくと千代吉の他に立っている者は誰もいなかった。
「ついでだ」
転がる屍を後にして一瞬外に出る。ものの1分ほどで帰ってきた千代吉は腹に溜まった空気を吐き出した。
「スナイパーを……殺したのか?」
血だらけの千田すみれがいた。出血が尋常ではないが殴った記憶がなかった。
「気にしてない。死んでるかもしれないし生きてるかもしれない」
「ふざけやがって!化け物が!」
「こっちのセリフだよ。エスパードラッグなんか使いやがって。そこまでして勝ちたいかよ。芝崎の命令か?」
「芝崎さん?いや違うよ。私がやろうって言ったんだ。研究のためだよ」
千代吉は拳の血をぬぐいながらゆっくりとすみれに近づいた。
「どっちにしろお前は殺す。科学者ってのが不快極まりないって知れたのは今日の収穫だな」
「まだ終わって…ねえんっすよ」
千代吉に突っ込んできた。反応が遅れる。みぞおちに頭突きを食らってしまった。戦闘タイプと思っていなかったゆえの油断。膝をついた千代吉に追い打ちをかけるように連打が飛ぶ。
「お前は科学者を勘違いしてるぞ!」
薄れる意識の中ですみれが叫んでいた。
「実験は自分の体で試さないと気が済まないんだよ!」
なるほどと納得がいく。千田すみれのダイナは人を操る。それを自分自身にかけているのだ。自己暗示のようなものだ。今のすみれは自分のことを世界最強だと信じて疑っていないのだろう。
千代吉は中指に重力を込めてすみれにデコピンをかました。凄まじい威力にすみれの首は上を向く。額が割れて膝から崩れ落ちた。
「くだらん!所詮は暗示だ。お前が倒れた警官を操って私に特攻を仕掛けるとかならまだ見込みがあったんだがな」
千代吉は拳を握った。すみれの意識を完全に刈り取るつもりだった。
「じゃあな、マッドサイエンティスト。芝崎は部下の育て方がへたくそだ」
千代吉の拳が放たれる。だがその拳がすみれに届くことはなかった。
「その出来損ないの部下であんたを逮捕してやるよ」
「お前じゃあ無理だよ!狭山壮太!」
壮太の合金の体が千代吉の拳を防いだ。
さらに地面の下から黒いアポロに包み込まれ、そのまま壁に押さえつけられた。
「警察辞めてドヤ街に帰ったと思ったよ。光夜くん」
「負けっぱなしはむかつくんだよ」
まだまだ戦いは続きそうだ。楽しみと苦しみの狭間に千代吉は飲み込まれるしかなかった。




