剣と魔法の
いつだって戦いはギリギリの境界を行き来する。アルはそう考えた。
目の前でキアラが倒れるのを見たアルは迷いなく引き金を引いた。
全速力で駆ける馬をあやつるアニエスにつかまりながらの射撃という、曲芸的な技だったが、上手くいった。
「撃つときは言って!」
「すまん!」
アニエスは突然背後から聞こえた銃声に驚いたのだろう、一瞬鞍を抱え込むような体勢になった。
「来たか、亡国の姫!」ドスタンが挑発するように叫んだ。
「好きなようにはさせないわ」
赤い騎兵達はアニエスを戦闘にダイヤモンド型の陣形で突撃した。その場所は窪地になっていて、敵の軽騎兵からは突然、槍騎兵が現れたように見えただろう。
槍騎兵は最初の一撃が最も大事だ。馬体の脚力を槍の穂先に集中させ、敵を容赦なく突き落としていく。
アニエスは右の手と脇で槍をしっかりと保持し、衝突の瞬間を迎えた。槍はあごひげの見事な騎兵の脇腹に深々と突き刺さり、相手は倒れかかる。
それと同時に後ろでアルの抱える腕のちからが強くなった。一瞬のバランスを崩してアニエスが倒れそうになる。
ここで無理に力んでは槍が折れる。硬い樫でできているとはいえ、やはり木は木だ。
アニエスは振り子の原理で串刺しになっている死体を地面に落とした。弓なりに槍がしなり、遠心力で槍が死体から抜け、槍は折れることはなかった。
アニエスは再び槍を構え、次の敵を探す。おおむね槍騎兵は善戦している。
ただ一人、槍騎兵と戦い慣れているドスタンは安々と槍の一撃をかわし、懐に入り込んでは槍騎兵を血祭りに上げていた。
軽騎兵は白兵戦を仕掛けた。槍の間合いは絶対的だが、それも最初の一撃を避けてしまえば、致命的な隙となる。乱戦に持ち込めばあとは彼らの得意分野だ。
「降りるぞ」
「待って、まだ危ない――」
制止も聞かずにアルはアニエスの馬から飛び降りる。乱戦の中、キアラは敵に取り囲まれつつある。その敵の只中にアルは駆けいていった。
近づくアルを見て敵は格好の獲物とばかりに斬りつけた。
アルは腰を落として頭上から降ってくる騎兵のサーベルを避け、キアラの元へ向かう。
「ユゼフ、彼を援護して!」
アニエスの命令を受けて老兵はその衰えを感じさせない槍さばきでアルに近づこうとする敵を蹴散らした。
壮年の赤い槍騎兵は馬に拍車を掛けると、アルの背中を追いかける。相手の一人を左手のピストルで撃ち、右手の槍を中央部から後端部に持ち替えると、風車のように振り回して残りの三人を切りつけた。
「無茶をするな、無駄な死人が出る」ピストルをしまいつつ、馬上からユゼフが声をかける。
「あんたも、だいぶ無茶だな」
「技が伴っていればそれは無謀ではなく挑戦なのだ」
短く言ってユゼフは槍を振り回しながら、さらに逃げる敵を追いかけた。
アルは倒れこんだキアラを見つけると、挟まった足を見ようとしゃがみこんだ。
「キアラ! 無事か!」
「馬が……、それに足もなんかおかしい」泣きそうな声でキアラが言った。
「まだ敵がいる、ここで俺が見張っているから、自力で立てるか?」
「無理かも」キアラの顔が曇った。
「それよりこれを。ドスタンが狙っているわ」キアラは地面に落ちた軍旗を指し示した。
「敵が狙っているのはこの槍だ。だから――」
「これはアニエスにとって大切な物だよ! 失った自分の国の最後の宝物なんでしょ! 私も村が無くなって、アニエスの気持ち分かるようになった」
アルは考えを巡らした。アニエスの槍はとても大事なものだ。アニエスの部下が彼女に従い、こんな辺境の地である半島まで行動を共にしてきたのは、この槍が単に魔術的な力を秘めているだけでなく、それがかつてあった自分たちの祖国の証だからだ。
だが、それが失われても、彼らはアニエスにつき従うだろう。それはアルが彼らと戦場で共に戦う内に分かってきたことだ。
時間がない。最悪、ドスタンと取引することもあるかも知れない。槍と引き換えに命を見逃す事を。
(いや、こんな血なまぐさい乱戦では取引なんて成り立たない!)
ほんの数秒、アルの思考が戦場から離れてしまった。
「アル! 後ろ!」
考えるより先に身体が避けていた。
刹那、白刃が振り下ろされ、空気を切る音が耳に届く。
キアラの言葉がなければ、今頃はどうなっていたかわからない。とにかく、アルはそれを避けて身体を一回転させ、切りつけた相手に向き直る。
「ドスタン……!」
「見事だ。密猟者だけあっていい身体をしている」
「見逃すつもりはないか」
「持ち物は元の人間に返してもらわねばな」
ドスタンは再び馬をターンさせ、サーベルを水平に顔の高さまで掲げると、アルに向かって斬りつけてくる。
アルは手にしたライフルを構えて引き金を引く、撃鉄が落ちるが小さな金属音を立てるだけで、弾は出なかった。
「装填してない!」
迂闊だった。キアラの元に急ぐあまり、次弾を装填していなことすら忘れていた。ドスタンはスピードを上げてこちらに向かってくる。
アルはライフルを逆さに持つと棍棒のように構える。その姿ははたから見れば不格好そのものだ。
「なんだそれは? 古代の蛮族か――はあっ!」ドスタンはそう言うなりサーベルで斬りつける。
アルはライフルの銃身でその一撃を受け止めた。
「試してみるか? これで水牛を仕留めたこともあるぜ!」
「面白い」
ドスタンはそのまま数歩馬をすすめて、止まった。顔に張り付いた薄ら笑いを取るように顔を拭うと再びこちらに向かってくる。
「アル!!」
その時、目の前の敵を倒して事態に気がついたアニエスがアルの名前を叫び、馬をドスタンに向けて突進させる。
「白馬のお姫様までご登場というわけか!」
「二人から離れなさい!」
「小娘は連れて行くぞ、あの時のようにな」
「許さない……、貴方だけは」
「ダメだ、挑発に乗るな!」アルの叫びは届かない。
「それでは私と踊ってもらおう……!」
ドスタンは馬の頭をアニエスに向け、挑発するような言葉を放つ。サーベルをムチのかわりにして馬の尻を叩く。奮い立った馬はアニエスに向かって矢のように駆ける。
対するアニエスもその挑戦に応えるかのように拍車を入れて馬を急かす。
両者は騎士の決闘よろしく互いが互いに突っ込んでいった。
「アニエスを助けて」倒れたままのキアラが言った。
「ああ……、畜生! 弾が入ってない!」
アルは制止しても無駄だとわかると、思い出したようにライフルに弾を込めはじめる。
(間に合ってくれよ……)
こんな時に装填のしづらいライフルしか手元に無いのが悔しい。必死の形相で火薬を注ぎ、弾を革布に包んで押し込む。いつもと変わらない作業なのに苛立ちを隠せない。
アルは銃を装填しながらも二人の戦いから目が離せなかった。
双方の距離は一気に縮まる。アニエスは槍の穂先が風を受けてブレるのを何とか抑える。あっという間に槍の間合いとなる。
ドスタンの顔を見た。相変わらず、ふてぶてしいままの顔でアニエスの目だけを見ていた。
アニエスは彼の胸に向かって槍を付き入れる。穂先が刺さると確信したその時、ドスタンが横薙ぎを入れてきた。槍は穂先四分の一のところで折れた。
アニエスはドスタンの口角が釣り上がるのが見えた。相手は振り下ろした刃を今度は上に掬い上げるようにして、下からアニエスの顔を斬りつけてきた。
心臓を真冬の川に落としたような感覚がアニエスを襲ったが、彼女は混乱することはなかった。
彼がこれくらいの芸当をやってのける事くらい知っていたのだろう。
アニエスは折れた槍の柄を捨てると、すかさずサーベルを抜いて相手の凶刃を弾き飛ばす。
お互い以上に密着したまま、今度はアニエスが左方向、ドスタンの頭の位置をなで斬りにする。伸びきった腕で反撃できないドスタンは頭をひねらせてかわした。
彼の頭上の毛皮の帽子が二つに割れて落ちた。
帽子はアニエスの正面に落ち視界を一瞬、遮られる。そして次に相手が見えた時は相手はなんと左手にピストルを持っていた。
ドスタンはピストルを腰だめに構える直前だった。
ピストルの引き金が降り切る寸前でアニエスは斬りかかった。同時にアニエスは手綱を離すと左手で自らのピストルを抜いた。
「これで終わりよ!」
アニエスは銃口をドスタンの脇腹に押し付けようと、ピストルを手にした腕を伸ばした。
同時に二発の銃声が鳴った。
男の呻き声があたりにこだました。彼は左手で顔をおおい、牛が鳴くように低い呻き声を上げた。
二人は同時に銃口を向け合っていた。
ドスタンはすかさず彼女の右腕を引っ掴んだ。右手のサーベルから手を離すことになったが、腕に通した紐飾りで手にぶら下がる形になり、地面には落ちない。
苦痛を与えようと頭上に向かって細い腕を捻り上げた時、両者の銃が火を吹いた。その時、アニエスのピストルは顔の真横にあり、発火した火皿の上の火薬がドスタンの顔を焼いた。致命傷とは程遠いが、これはドスタンに衝撃を与えるのに十分だった。
切り傷を受けることがあっても、顔に火傷を感じることなどほとんどなかった彼にとって、それは屈辱的な出来事だった。
それは彼は左手のピストルを落としてしまうほどだった。だが、彼女の腕だけは決して離さなかった。
「うぅ……あぁ……、忘れられない痕になりそうだ」長い息をついてドスタンがうめいた。
「なんて悪運なの……」
「村の時のようにはいかないからな!」
アニエスは彼の腕を振り解こうとするが、信じられないほどの強い力で彼女の腕を離さない。ドスタンは馬の尻を叩き、馬は勢いづく。強い力で引っ張られたアニエスは鞍の上でバランスを崩す。
腕が千切れそうになったアニエスは手放した手綱を探す。だが引っ張る力は馬の脚力と彼の腕力が合わさっている。
「いやああ!」
アニエスは馬から落とされた。それでも手を離さないドスタンはアニエスを引きずり回す。
やがて泥まみれのアニエスが動かなくなって、ドスタンは手を離した。
「これで少しは懲りただろう」
勝ち誇ったドスタンの笑み。アルは銃の装填を止めた。
鉛の弾は銃身の中ほどで止まっている。あと数秒あれば一発撃てただろう。だがもう残された選択肢は無い。
「魔法の力がそんなに欲しいか」
「無論だ。それ以前に我が軍旗を敵に渡すわけにもいかないだろう?」
「……なら、やるよ」
「ほう」ドスタンはアルの言葉に興味をもったのか、剣を鞘に収めて向き直った。
「アル! 何言って――」
「命は限りある。アニエスだってそう思うさ――これはお前にやる。ここから去れ」
アルは倒れたアニエスを一瞥した。若干だが手足が動いている。死んでないと思うが、こちらから彼女の表情は見えない。
アルは聖槍を手にすると逆手にもって投げた。ドスタンはそれを受け取る。
「さあ、行け」
勝敗はついていない。他の槍騎兵達は優位に立っているものの、劣勢に立つ軽騎兵は防戦に戦術を変えていた。敵から逃げるように、消極的な戦闘が続き、双方決め手に欠けていた。
「潮時、かもしれんな」ドスタンは独りごちると手綱を引いてアルに背を向けた。
悔しさがアルの胸に去来したが、それも二人を救えるなら一時の痛みだ。
だが、ドスタンはふと思い出したように振り向くとアルを――正確にはその更に後ろにいるキアラ――を凝視した。
「……そうだ、まだ返してもらわねばならない」ドスタンの瞳が暗く淀むのがアルにはわかった。
「おい、やめろ」
「その小娘も!」
ドスタンは取り付かれたように馬を急き立て、アルに向かって突進した。
「返せ!」
アルは彼の狂気に震えた。今の彼には銃は効かない。それは聖槍のもつ魔法の力だ。
銃に弾丸を装填できたとして、ヤツには効かない。鉛球は届かない。
(そうだ、鉛球は届かない!)
アルはドスタンを見据えたまま、胸元のペンダントを引きちぎり革紐を打ち捨てると銃口に入れる。
(ドンピシャだ!)
ペンダントは狙って作ったかのようにするすると銃身の中に入っていく。すでに装填してある鉛の弾と二重装填状態だが気にはしていられない。
時間はなかった。ドスタンは聖槍を振り上げ、アルの腹に狙いをつけている。ドスタンの火傷で歪んだ顔がアルに迫る。
アルは装填動作の大半を省略した。槊杖で突く事もせず、かわりに銃床を数回、地面に叩きつけて構える。
命中精度は落ちるが、この至近距離では無視できる誤差だ。
彼我の距離は近い。アルは撃鉄を起こす。汗をかいた馬が発するむせるような臭気をアルは感じた。
「銃は効かぬと言っただろうが!」
「魔法の時代は終わりだ!」
アルは引き金を引いた。
撃鉄が降りて燧石が火皿を叩く。火花が散ると同時に火皿の中の火薬の中に落ちていく。火皿の火薬に火がつく。それは次の大きな発火につながった。
銃口から赤い炎が白い煙と渾然一体となってほとばしる。
弾丸は二発入っていた、最初に装填していた鉛球と剣歯のペンダント。
空気が振動して空気が揺らぐのが見えた。聖槍がその効果発揮したようだ。だがそれはどのみち鉛の弾も入っているので、成功したかどうかはまだわからない。
アルは見た。
ドスタンは馬の首にしがみついていた。
何が起きたか分からないという顔だった。胸からは温かい血液が溢れ、馬の首を濡らす。
驚きと怒りと恐怖が彼の顔にありありと浮かんでいた。
すぐにドスタンの腕から力が抜け、手にした聖槍を落とし、掴んでいた馬の首からも落ちて地面に打ち付けられる。
馬は至近距離での銃声と硝煙の濃い匂いに驚き、恐慌をきたした。不運にもドスタンは落馬した時に鐙から足を離そうとしたが、右足が抜けなかった。
暴走した馬がアルの右脇を抜けて戦場から逃れるように遥か彼方へ駆け去っていく。
その後ろを馬具の絡まったドスタンが転がるように引きずられていく姿を披露したアルは見ているよりほかなかった。
全ては終わった。
他の軽騎兵はドスタンの敗北を、戦いの決定打と見たのだろう。自軍の陣地へ逃げる者、刀を返し、投降する者。軽騎兵の抵抗はやんだ。




