証人
本陣のある丘にはマクルーアン、ハートレイ、フォン・パウケンシュラークの三人の司令官、それを補佐する数名の副官がいた。
大きな机の上に置かれた地図と望遠鏡を交互に見ながら戦況を分析し伝令を送って部隊に命令を出していた。
「槍騎兵!」本隊を警備していた歩兵が大声でアニエスの到着を告げた。
その場にいた全員の視線が一旦、三騎の騎兵に気が付き、その内の一人が手にしている軍旗を見てホッとしてから、また元の作業に戻った。
丘の頂上からは戦場が一望できた。五つの堡塁は丘の上からはとても小さく見えた。
堡塁の前にはラゴールの隊列が白い絨毯のように広がっていた。
民兵は各堡塁に立てこもって必死の抵抗を繰り広げていた。敵は三倍の勢力だが、強固な堡塁の抵抗の前に消耗し始めているようだ。
唯一の例外、アルの元いた堡塁は敵の海兵団の手に落ちた。隣接する堡塁、および丘の上の九二連隊の兵士の絶え間ない攻撃でなんとか敵を足止めしている状態だった。
アル以外の三人は馬から降りると司令官たちを前に敬礼した。
「よく戻った! さあ、報告してくれ」マクルーアンが旅から帰ってきた娘を迎えるかのように両手を上げてアニエスを迎えた。
「マーロウの大隊の軍旗を回収しました。それから兵士も一人」
アニエスの言葉に合わせて軍旗をもつ長身のカチンスキ伍長が前に進み出た。
「丘の上から全部見ていたぞ。よくやってくれた」
「君もだ、伍長。褒美にラム酒を一樽与えよう。我が軍では昔からそう決まっとるのだ」マクルーアンは軍旗を受け取ると伍長の肩を軽く叩いた。
カチンスキはアニエスの方をちらりと見た。彼女が許可を意味する小さな頷きを返すと、微笑みながら一歩下がった。
「それで、兵士も一人助けたそうだな」
「ええ」
マクルーアンはアルの方を向いた。
「どうやら大変な目にあったようだな」
「ほとんど死にかけた。ほとんど人間は死んだけどね」
「それでも運がいい」
「運がいいで済まして良いのですか? 閣下」
フォン・パウケンシュラーク少佐が納得いかないと言いたげな表情で言った。
「軍旗は回収できた。それはいいでしょう。しかし、この男まで助けろとは命じてはいなかったはずです」
「ロタラン中尉。確かに危険を犯してまで彼を救う必要はなかったはずだ。下手をすれば、貴重な騎兵を失い、軍旗が敵の手中に落ちていたかもしれない」
「彼はついでです。余裕があったから助けたに過ぎません」無表情を装ってアニエスが反論した。
「ではなぜ、軍旗よりも先に彼を救出させたのだ? さっきも言ったように我々は全て見ていたんだぞ」
「人の命は簡単には取り返せませんから」
「軍旗もだ。事と次第によっては戦いが終わった後に詳しく話を聞かなければならないな」
「それは私に命令違反の嫌疑をかけている、ということでよろしいですか」
「まあまあ。結果が伴っていれば問題ないではないか」屈んで地図を睨んでいたハートレイ中佐が視線をこちらに向けた。
「ポスナニア公は命令よりも大切な、高貴な人間に与えられた義務を果たしたに過ぎない」
「上官の命令以上の物がありますか!」フォン・パウケンシュラークは反射的に反論した。
「命令違反というのは勝手に堡塁から出て敵に無謀な攻撃を仕掛けることを言うのでは?」
「まさか、堡塁を放棄して前進するとは、戦術の常道に反する行為だ」
「マーロウ大尉は悪魔にでも取り付かれたとしか思えん」
「実は、前進を命じたのはサー・ジェイムズなのです」アニエスが意を決するようにして言った。
「何だと?」
「ここにちょうど証人がいるぞ」アルが腕を組みながら皆に言った。「俺はパケナムがわざわざ命令するのを見た」
「証拠は?」フォン・パウケンシュラーク少佐が疑いの目を向ける。
「俺のこの言葉が証拠だ」
「兵卒の言葉はあてにならん。死人を庇っても得はないぞ」
「嘘じゃない、奴はマーロウ大隊を囮にして自ら突撃するつもりだった」
「丘から見る限り、奴は敵に驚かされてすぐに戦場を逃げたようにしか見えなかったが」
「彼は良く戦い、名誉の内に戦死した。今はそれ以上の議論は必要ないだろう」
話題が良くない方向に向かっていると感じたマクルーアンが言った。
「それにしても敵の騎兵はどうなっているんだ、まるで――」
「――銃弾が避けているみたいだった」
「昨日偵察に来た軽騎兵と同じ部隊のようでした」
「マーロウの大隊兵士達がいくら弱くても、軽騎兵が正面からの攻撃したら――」
「敵の騎兵が精強で、マーロウ大隊が弱すぎただけだ! 我々に必要なのは、敵が、最左翼の堡塁を占領したという事実だけだ」
最後に言ったフォン・パウケンシュラークの言葉が司令部のほとんどの人間の意見を代弁していた。つまり、戦闘の勝敗は敵より適切な位置を適切なタイミングで手に入れられるかが問題だった。
個々の兵士の技量が勝敗を左右する時代は魔法とともに消えたのだ。
アルは彼らに人智を超えた力について理解させるのは無理だと諦めるよりほか無かった。
「彼らは聖槍を信じないわ。職業軍人は戦闘がそんな些事で決まるなんて考えない」
「聖槍か」アルは苦い顔で言葉を漏らした。
アニエスは昨日の夜の時点で聖槍に付いては自分の中で諦めがついていた。アルやキアラ、バーンズビーの村の人々に会うまでの半島での生活は陰鬱だった。自らの祖国を滅ぼした国の兵士として生きてきた。
その時、祖国を失い見知らぬ土地で過ごすポスナニア騎兵にとって唯一の拠り所は、魔法を宿したあの長槍だったのだ。たとえラゴール人の管理下だったとしても。
だが、あの時に全ては変わってしまった。よそ者のアニエスに優しくしてくれた村人たちに振りかかる災難を目にして、誰かの命令ではなく、何かを守るために戦う意味をアニエスは知ったのだ。
アニエスはかつての祖国を守れなかった。それは運命、自らの未熟さ、いろいろあっただろうがそれはやり直せない過去だ。
だが今は違う。あの時と同じようにはならない。聖槍など問題ではなかった。彼女にはもっと大事なものが心の支えになる人達がいた。
「大丈夫。もう大丈夫」
「アニエス? どうした」
「なんでもないわ」そういった彼女の顔からは既に感傷は消え、戦いを前にした戦士の顔つきに戻っていた。
二人の隣では若い副官がくまなく戦場を観察していた。彼は戦場の混乱の中に異様な何かに気づき、そして望遠鏡を止めて叫んだ。
「あれはなんだ!」
その声にアニエスが自らの望遠鏡を取り出して彼らの指差す方向を見た。
「キアラ?」
そんなばかな。アルは副官から望遠鏡をひったくる。
「これは夢だ」
アルは望遠鏡を叩いてうなった。丘の上からは両軍壮絶な戦闘を繰り広げ、弾丸が雨にように飛び交い、雨雲が地上に落ちてきたかのような硝煙に満たされている。
その切れ目から、歩兵の一斉射撃が雲に隠れた稲光のように淡く光る。
レンズの向こう側には両軍の歩兵が斉射を浴びせかけるそのど真ん中、まさに鉛の雨が降る死の回廊をキアラの乗る馬が駆け抜けて行く。
「キアラは街に居るんじゃなかったのか?」
「待って」アルは武器を手に走りだそうとする。それをアニエスが呼び止めた。
「何言って……、今取り返さなきゃ!」アルは手をふってキアラのいる方を指す。焦りのあまり、言葉もまともに出てこない。
「歩いて行くつもり? 着くのが日暮れになるわよ」彼女は不敵に微笑んでいた。「後ろに乗ってきなさいな」
「アニエス、あんたも土地の人間らしくなってきたな」
アニエスの腕をかりてアルは自分のライフルを肩にかけ、アニエスの後ろに乗った。
「しっかりつかまって」
「お、おう」彼女の背中に腕を回す。かなり不格好だが、馬に乗れないアルにはこれが精一杯だ。
アニエスは出ようとして、馬上でふと思い出す。彼女の愛馬も自然と歩みを止める。
「どうしたんだよ」
「私は決めたわ。でも彼らはまだ……」
「誰の話だ」
「私の兵士達よ」
彼女にとって問題は自分の部下をどうするかだった。キアラを助けるには敵中に切り込んでいかなければならない。ほとんど自殺行為に近い。そんな死地に彼らを巻き込むのは気が進まない。かと言って、アニエスとアルだけでは確実に辿り着く前に殺されるだろう。
悩んだ末、彼女は部下の騎兵を集合させた。
アルは彼らの顔を見た。煤と土埃で顔は真っ黒だ。それに汗が伝ってまだら模様を描いている者もいる。輝かしさは保てれているものの所々破れた真紅の制服、疲労しているのは明らかだ。
「全員揃いました」ユゼフがアニエスに告げる。
「これから私はキアラという、一人の少女を救うために再び戦場に戻ろうと思っています。これはアングリア軍の作戦行動ではなく、私の独断です。それを承知の上で私から最初で最後の『お願い』があります……。私に力を貸してください」
兵士達の瞳が揺れたのをアルは見逃さなかった。
彼らは彼女の何かを待っている、今のところアルにはそれしか分からなかった。
「これは『命令』ではなく、『お願い』です。だから、その意志のある者だけでいい。私の後に着いてきてほしい」
「残る者はユゼフに従い竜騎兵と合流してアングリア軍の指揮を受けるように」
誰一人、動くものは居なかった。アルは驚いた。愚直なまでに彼女の命令に従ってきた彼らが、一体なぜ?
「どういう事だよ、なぜ連中はなにもしないで、馬の上に乗っかっているんだ?」
「こういう事だ、小僧」ユゼフが厳しい目で二人を見、そしてアニエスに静かに言った。
「我々は反対です。もちろん、我ら全員運命はなき祖国と姫様に預けた身ゆえ、命が惜しいなどということはない。が、今戦場に身を投じては姫様は助からない。それは全員が感じています」
「私に諦めろ、と言うのね」
「兵士は命令とあらばどんな事でも従います。そう命じてくだされば」
「それは出来ないわ。これは私個人の問題なのよ」
「そう、貴方は命じない。お優しい方だから。そして兵たちは貴方に死んでほしくない。だから私に従ってアングリアの指揮下に入ることも、貴方に付いていく事もない――」
「アニエスが諦めるまで、か? すごい忠誠心だ!」
アルは地面を大げさに蹴りあげ、悪態をついた。
「お前らそれでも男か? 今まで弱みをほとんど見せなかった女が、一生に一度の『お願い』。それすら叶えられないなんてな。大事なお姫様の為? どっちつかずのお前らは駄々をこねる赤ん坊だ! そうやって故郷も何もしないまま取られたんだろう? 図星か! 俺は行くぜ。アニエスと、一緒に、キアラを助けにいく」息を切らしてなおも馬上の男たちに向かって喚く。アルは思った。その能力があるにも関わらず、手をこまねいて見ているだけなんて、運命に対する裏切りだ。
「……情けない事に俺は馬に乗れない。行っても彼女の足手まといにしかならないかもしれない。だがあんたらは違う。世界最強の槍騎兵だろう? すべてを無事やり遂げたら村の時みたいに、誰もから賞賛されるだろうさ。そうすりゃこの土地に残ることだって出来る、頼むよ……」最後は懇願に近くなっていた。アルは地に膝をついていた。
男たちはアルを長いあいだ見下ろしていたが、それ以上のことはしなかった。
アルは力を無く立ち上がり、一部始終を見ていたキアラの馬に近づいた。その馬勒に寄りかかるようにして掴む。
「諦めるしかないのかよ」
「彼らは賢いわ。これが恐らく最善」
二人は戦いの終局を見るべく、本陣ある丘へと馬を向けた。
その時、別の蹄の音がして彼女が振り向いた。そこには立派なひげを蓄えた一人の槍騎兵。
「いい騎兵はモテる男でなければならない、貴方はそう言った。女性の言葉を無下にしては良い騎兵のまま死ねないです」
アニエスはほころぶ顔に気がついていたが、それを口で抑えるのももどかしいくらいだった。
「それは私じゃないわ。きっとユゼフがいったのだわ」
彼に続いて続々と馬が近づいてくる。やがてアニエスの乗った馬を取り囲むようにして、男たちが、口々に彼女に自らの思いを告げる。
「生涯忠誠!」
「ポスナニアの馬が他国の馬に遅れをとったことはない」
「後ろの男、姫に触るな。あとで決闘だ」
「好きでした、抱いて!」
アルとアニエスは馬の群れの中心にいた。やがて活気づいた群れは一つの方向へとゆっくり歩みだした。
そう。砲声の止むこと無い戦場へ。
やがて雑然とした馬の集まりは自発的にアニエスを先頭とする二列縦隊となり、隊列は進む。
後ろから駆け足でアニエスに追いつこうとする騎兵がいた。
「私に従う兵士はいませんでした。姫さ……中尉の指揮下に入ってもよろしいですか」
ユゼフが許しを請うかのように言った。アニエスは微笑むと、彼に言った。
「それでは私の指揮下に。それと私のことは姫でいいわ」




