第八話 怖がりすぎな死霊術師
「ひっ……! ごごご、ごめんなさい! 邪魔するつもりじゃ……!」
オーク材の扉が数センチだけ開き、ひょろりとした青年が蚊の泣くような声で呟いた。
部屋を包む香ばしい茶葉の香り。
部屋の隅に鎮座していたのは、かつて魔界の最深部を守護していたはずの巨躯を持つケルベロス、ポチだ。ポチは三つの大きな鼻先を器用に突き合わせると、湯呑みを載せた小さな丸盆をスーッと床の上へ滑らせた。
「ひいいっ!? ま、まさか!?伝説の『冥府の門番』!? な、なんで王都の役所にこんな化け物がいるんですかぁぁ!?」
青年は腰を抜かし、壁の端まで後ずさった。
「ポチのお茶、冷めないうちにどうぞ。ようこそ、特別指導課へ。指導員のノア・ヴァレンティです」
デスクの上の書類をトントンと揃えながら、ノアが穏やかな声をかけた。
「えっ!?は、はい……あ……あの、僕……怪しい者じゃありません。ただの無職です……」
青年はガクガクと膝を震わせながら、羊皮紙の端を握りしめて椅子へ浅く腰掛けた。
【氏名】シエル(20歳)
【前職】元・魔王軍第三軍・極秘死霊術師(在籍1年)
【保有スキル】『精密死霊操作(骨や骸に意思を与え、極めて細かな作業を行わせる体質)』
【希望職種】人が来ない静かな墓地の清掃、夜間の倉庫警備
【希望時給】銀貨5枚(骨と一緒に静かに暮らせれば……)
ノアは履歴書を目で追い、ふむと顎を撫でた。
「シエルさん。魔王軍にいたのですね。ですが……ずいぶんと怖がりなご様子で」
「そ、そうなんです! 僕、血を見るのも痛いのも嫌いで! なのに死霊術の才能があるからって魔王軍に徴兵されて……。最後には戦うのが怖くて逃げ出したんです。街で暮らそうとしても、僕が召喚する骸骨をみんな気味悪がって『悪魔め!』って石を投げてくるし……」
シエルは涙目になりながら、自嘲気味に俯いた。
「僕の骨たちは、誰も傷つけないのに……」
「なるほど。死霊ですね」
ノアが引き出しの奥から、羊皮紙の束を取り出した。
「シエルさん。あなたが呼び出す骸骨を、ひとつ見せてもらえますか?」
「え……? 怖がらないんですか……? じゃあ、一番おとなしい子を……」
シエルが震える手で小さな魔法陣を描くと、床からカシャカシャと音を立てて、一具の古びた全身骨格、上級のスケルトンが姿を現した。
かつて戦場で暴れ回ったとされる伝説の戦士の骨だ。シエルは「暴れないでね……」とおどおど声をかける。
その時だった。
カタカタカタカタ……ッ!
スケルトンが突如として全身の関節を激しく震わせ始めた。
そして、デスクの奥で静かに微笑むノアと視線が合った瞬間。
ガチャーン!!
スケルトンは直立不動の姿勢をとり、胸の前で勢いよく右腕を掲げ、完璧な最敬礼の姿勢をとった。まるで、かつて命を奪われた絶対的な存在に謁見したかのように、膝をガクガクと打ち鳴らしている。
「ええええっ!? なんで!? この子、僕の命令も聞かずに敬礼してる!? ノアさん、あなた一体なにものなんですか!?」
「さあ?」
ノアは穏やかに微笑むと、手元の依頼書を差し出した。
「本題に入りましょう。シエルさん。骨には『肉体がない』という最大の強みがあります」
【求人】王都歴史資料館・『古代出土品の無傷発掘士』
【業務内容】数千年前の古代遺跡から掘り出された、極めて脆い土器やガラス器の復元および発掘。
【課題】人間の手では力加減を誤ると粉々に砕けてしまう。指先が器用で繊細な作業員を求む。
【報酬】金貨4枚/月(※残業代支給有り)
「数千年前のガラス細工を発掘しようにも、力加減一つで壊してしまうと。……汗もかかず、息も吐かず、ピンセットやハケを使って『繊細な作業』で土を払える存在。シエルさん、あなたの骨たち以外に誰ができますか?」
「え……? 骨を使って……古代の宝物を救う……!?」
「では、現場へ行ってみましょう」
* * *
王都歴史資料館・地下発掘室。
「ノア指導員! 本当に大丈夫なんだろうね!? このガラス瓶は古代王国の遺産で、世界にひとつしかないんだ! 触れただけで砕けるかもしれんのだぞ!」
老館長が、生きた心地がしない様子で叫んでいる。
「大丈夫です。シエルさん、やってみてください」
「は、はい……!」
シエルは息を呑み、指示を出した。
最敬礼のまま固まっていたスケルトンが、恐る恐る小さなハケとピンセットを受け取る。
カサ……カサ……カサ……。
スケルトンの指先には、肉も皮膚もない。だからこそ、土の抵抗とガラスの硬度ダイレクトに感じ取り、寸分の狂いもない力加減で土を払い落としていく。
息を吐くこともないため、微細な灰が飛び散ることもない。
ほんの数分後。
数千年前の美しい琥珀色のガラス瓶が、傷ひとつなく土の中から完璧な姿で姿を現した。
「な……なんだとーっ!?」
老館長が拡大鏡を覗き込み、震え上がった。
「傷がない……! 完璧だ! 神業だ!!」
「あ……僕の骨たちが……気味悪がられていた僕の力が……大昔の宝物を守れたの……?」
戦うための呪いだと恐怖していた自分の力が、過去の歴史を未来へ繋ぐための優しい手に変わった瞬間だった。
* * *
数日後。特別指導課。
ドアが静かに開き、シエルが入ってきた。
おどおどした様子は消え、資料館の立派な学芸員服を着ている。
「ノアさん! 報告に来ました! 資料館の『極秘発掘隊長』として正式に採用されました!」
「おめでとうございます。館長さんからも大絶賛の手紙が届いていますよ」
「ふふ、館長さんが『君の骨たちは世界一繊細で優しい職人だ』って、地下に広い骨専用の保管庫まで作ってくれたんです!」
シエルは嬉しそうに胸を張った。
「それじゃあノアさん、午後の発掘作業に行ってきます!」
元気に手を振り、去っていくシエルの背中を見送る。
「さて……」
ノアは冷めたお茶を飲み干すと、次の新しい求人票の束を繰り寄せる。
ノアの視線は窓の外、今日も無事に動き続ける王都の賑やかな街並みへと向けられていた。




