第七話 理屈っぽすぎる
「断る! 私は攻撃魔術の理論家だ! 地味な裏方仕事などをするために魔術を修めたわけではない!」
オーク材の扉がバタンと大きな音を立てて開いた。
第一窓口で「論理的思考ができない受付とは会話にならん」と暴言を吐いて部屋に入ってきた青年が、整えられた前髪を苛立たしげにはね上げながら立っている。
部屋を包む香ばしい茶葉の香り。
部屋の隅で丸くなっていたケルベロスのポチが、三つの首を器用に動かし、丸盆をすーっと滑らせて温かい湯呑みを差し出す。
「怪物に茶を淹れさせる暇があるなら、まともな研究職の斡旋を出したらどうだ!」
「ポチのお茶、冷めないうちにどうぞ。ようこそ、特別指導課へ。指導員のノア・ヴァレンティです」
デスクの上の書類をトントンと揃えながら、ノアが穏やかな声をかけた。
青年は湯呑みを受け取ろうともせず、腕を組んで椅子へ乱暴に腰を下ろす。
「いいか、指導員。私は魔術学園を首席クラスで卒業した天才だ。……ただ、現場の魔力出力が追いつかず、理論通りの火炎球が出せなかっただけで『口だけの理論馬鹿』と研究室を追われたんだ」
「なるほど。……お名前と履歴書を拝見できますか」
青年は不機嫌そうに、しわひとつない羊皮紙を叩きつけるように置いた。
【氏名】レオン(21歳)
【前職】元・王立魔術学園・上級理論研究室・助手(在籍3年)
【保有スキル】『精密演算(目視した物を数式化する体質)』
【希望職種】王立魔術研究所の首席研究員、大魔術師の理論参謀
【希望時給】金貨50枚以上(私の頭脳に見合う額を要求する)
ノアは履歴書を目で追い、ふむと顎を撫でた。
「レオンさん。頭の中で寸分違わず計算できるのですね?」
「当然だ! だがどこの研究所も『理論だけの魔術師に価値はない』と私を突っぱねる! 世界は私の頭脳を理解していないんだ!」
ノアは引き出しの奥から、少し煤けた一枚の依頼書を取り出した。
「では、こちらの仕事はどうでしょう」
【求人】王都気象局・『上空大気流・極秘熱気球パイロット』
【業務内容】王都全域の天候予測、および農作物・流通のための風読み。
【課題】王都上空の乱気流は気まぐれで、従来の乗組員では墜落事故が多発。空気の昇降熱を完璧に読み切り、最小限の炎で巨大気球を精密誘導できる人材を求める。
【報酬】金貨15枚/月(※能力に応じて昇給あり)
レオンは依頼書を瞥見すると、鼻で笑った。
「くだらん! 天気予報の気球乗りだと!? 私は世界を揺るがす大魔術の理論を構築したいんだ! そんな地味な運送屋の真似事などできるか!」
レオンはガタッと椅子を蹴るように立ち上がった。
「こんな場所、来なければよかった! 私の誇りを汚すな!」
バタン! と激しく扉を閉めて走り去っていくレオンの背中。
ノアは慌てる様子もなく、冷めかけたお茶を静かに一口すすった。
「……ポチ」
「くぅん」
「あのお菓子を持って、彼を『あそこ』まで案内してあげておくれ」
ポチは三つの首を一度に縦に振ると、ノアのデスクから紙袋をくわえ、すばやい動きで部屋を飛び出していった。
* * *
王都郊外、高台にある広場。
「くそっ、どいつもこいつも私の理論を理解しようとしない……!」
憤慨しながら歩いていたレオンだったが、追いついてきたポチに服の裾をくわえられ、強引に広場の端へと引っ張られた。
「な、なんだこの怪物は! 離せ! ……ん? これは……」
広場には、半壊した巨大な熱気球と、頭を抱えて座り込む無数の技師たちがいた。
上空からはゴーゴーと不気味な風の唸り声が響いている。
「だめだ……! 今日の上空は『悪魔の乱気流』だ! 迂闊に上がればまた墜落だ!」
技師長の悲痛な叫び。
レオンは思わず足を止め、空を見上げた。
彼の眼には、ただの風ではなく、無数の空気の渦と温度のグラデーションが「計算式」として鮮明に浮かび上がっていた。
(……バカな。上空300メートルの寒気流と、地表からの上昇熱が衝突しているのか。なら、あの気球のバーナーを『あと3秒遅らせて、出力をふたつ絞れば』、上昇気流の波に乗って安定するはず……!)
頭の中で計算が完結した瞬間、レオンの身体が勝手に動き出していた。
「おい! そこをどけ!」
「な、なんだあんたは! 今は危ない!!」
「黙って私にバーナーのバルブを握らせろ!」
レオンは気球のバスケットに飛び乗ると、風の流れをじっと見据えた。
強風が吹き荒れ、気球が大きく傾く。作業員たちが悲鳴を上げる。
「三、二、一……今だ! 熱量をコンマ二秒だけ注ぎ込む!」
シューッ!
ほんのわずかな炎。だが、計算し尽くされた熱空気の膨張が、気球をぴったりと乱気流の「隙間」へと滑り込ませた。
グラリと揺れていた巨大な球体が、嘘のように空中ピタッと静止する。
「な……揺れが止まった……!? わずかな加熱だけで、あの悪魔の風を受け流したというのか!?」
技師長たちが目を見開いた。
レオンは自分の手を見つめ、ハッと息をのんだ。
「私の……私の理論計算が……風を制した……?」
大魔術で破壊を起こすことしか頭になかった。だが、目に見えない空気の流れを計算し、巨大な船を空に浮かべた今の感覚は、どんな研究室の論文よりも震えるほど刺激的だった。
「すごい……すごいぞ若者! 君の頭の中には王都の空の地図が入っているのか!?」
技師長がレオンの手を強く握りしめる。
広場の隅で、ポチが紙袋をくわえたまま「くぅ〜ん」と鼻を鳴らした。その紙袋の隙間から、ノアのメモ書きが覗いていた。
『大魔術も、空を飛ぶ船も、空気の計算という点では同じですよ』
* * *
翌日。特別指導課。
オーク材の扉が、今度は静かに開いた。
入ってきたレオンは、昨日までのトゲトゲした雰囲気が消え、どこか誇らしげで、しかし少し照れくさそうに前髪をかき上げた。
「……指導員。昨日は失礼した」
「いいえ。気象局の観測船、見事な初フライトだったそうですね」
ノアは静かに微笑み、温かいお茶を差し出す。
レオンは今度は拒まず、湯呑みを両手で受け取って一口すすった。
「……あの空の上は、最高の実験室だった。私の演算能力がなければ、誰もあの乱気流は超えられない。気象局の連中、泣いて私に専属になってくれと頭を下げてきたよ」
「それは良かった。あなたの頭脳が真価を発揮できる場所が見つかって」
レオンはフッと不敵に笑った。
「大魔術師の参謀なんてちっぽけな枠に収まらなくて正解だったよ。私は王都の空全体をコントロールする男になる」
胸を張って言い放つと、レオンはポチの頭をぎこちなく撫でた。
「おい怪物。昨日は案内ご苦労だったな」
「くぅ〜ん」
「それじゃあノア指導員、午後のフライト計算があるから失礼する!」
手領の手を軽く上げ、爽やかな足取りで去っていくレオンの背中。
「さて……」
ノアは冷めたお茶を飲み干すと、待機させていた次の求人票の束を静かに開く。
ノアの視線がふと、窓から見える遠い空へと向けられていた。




