第六話 極限の鉄
「あの……すみません。こちらで刃物の相談……ではなく、お仕事の相談ができると聞いたのですが」
第一窓口で「その腰の刀、絶対に抜かないでくださいね!?」と警察を呼ばれかけた女性が、布を固く巻きつけた短い作業刀を大事そうに抱え、恐る恐るオーク材の扉を開けた。
部屋を包む香ばしい茶葉の香り。
部屋の隅で丸くなっていたケルベロスのポチが、三つの首を器用に動かし、丸盆をすーっと滑らせて温かい湯呑みを差し出す。
「ひやっ!? 大きなワンちゃん……あ、ありがとうございます……」
「ポチのお茶、冷めないうちにどうぞ。ようこそ、特別指導課へ。指導員のノア・ヴァレンティです」
デスクの上の書類をトントンと揃えながら、ノアが穏やかな声をかけた。
女性はおずおずと湯呑みを受け取ると、申し訳なさそうに身を縮こまらせた。
「あの、私……手先が器用すぎるというか、包丁を作ればまな板どころか調理台ごと切り裂き、農具を作れば畑の岩までスライスしてしまうんです。道具屋からも『お前の作った道具は危なすぎて売れない』ってクビになりました……」
「なるほど。……お名前と履歴書を拝見できますか」
女性は布袋から、小さく折りたたまれた羊皮紙を差し出した。
【氏名】ルチア(23歳)
【前職】元・神国お抱え鍛冶工房・筆頭弟子(在籍15年)
【保有スキル】『分子切断・極限精錬(金属の原子構造を整え、触れたものを滑らかに断ち切る研磨技術)』
【希望職種】金属加工の補助、鉄くずの解体作業
【希望時給】問いません(誰も傷つけない仕事があれば……)
ノアは履歴書を目で追い、ふむと顎を撫でた。
「なるほど。あの勇者の聖剣を打ったとされる、伝説の神鍛冶師のいちばん弟子さんですか」
「……はい。でも、師匠からは『お前の刃は鋭すぎる。人を活かす道具ではなく、世界を切り刻む災害だ』と破門同然で出されてしまって……」
彼女が落胆して俯いたその時、ふとノアのデスクの上に視線を止めた。
ノアが書類の山を押さえるために置いている、拳ほどの黒い鉄くず、ただの文鎮。
それを見た瞬間、彼女の瞳が極限まで見開かれた。
「こ、これ……っ!? 嘘でしょ……!?」
「ん? どうしましたか」
「この鉄の鍛錬度……! 不純物が一切存在しない、極限の密度……! 師匠が生涯でたった一度だけ打ち直しに成功したと言われる、伝説の『オリハルコン』と同じ……!? なぜ、そんな国宝級の金属がこんなところに転がっているんですか!?」
ガタッと立ち上がる彼女に対し、ノアは穏やかに微笑み、指先で文鎮をかるく突いた。
「さあ?重しにちょうどいいのですよ」
「……っ!」
息を飲む彼女を前に、ノアは引き出しの奥から、分厚い羊皮紙と重厚な封ろうが押された依頼書を取り出した。
「さて、本題に入りましょう。ルチアさん」
「あ……はい」
「『分子レベルで平滑に研ぎ澄ます』ということは、裏返せば『二つの金属の表面を隙間なく完璧に密着させれば、熱を使わずに分子同士が引き合って完全に一体化する』ということです」
【求人】王都大金庫・『超高密度魔導隔壁の冷間溶着士』
【業務内容】王都の最重要財産を護る大金庫の壁面補強。
【課題】魔術や熱による溶接では継ぎ目にわずかな隙間や歪みができ、上級の爆術に耐えられない。熱を使わず、分子レベルで隙間なく金属板を繋ぎ合わされる職人を求む。
【報酬】金貨3枚と銀貨70枚/月(※専用の工房・砥石一式支給)
「王都の大金庫をつくる。金属の表面を狂いなく平滑に磨き上げ、重ね合わせるだけで『一切の隙間がない一枚の鋼』に変えられる人。ルチアさん、あなた以外に誰がいますか?」
「え……? 刀を打つんじゃなくて……金属と金属を『繋ぐ』……!?」
「論より証拠です。現場へ行ってみましょう」
* * *
王都中央銀行・地下大金庫。
「本当に大丈夫なんだろうね!?失敗は許されんぞ!」
金庫室の責任者が、汗を拭いながら叫んでいる。
「大丈夫です。ルチアさん、あの補強用の鋼鉄板の表面を、いつもの要領で磨いてみてください」
「は、はい……!」
ルチアは抱えていた作業刀を置き、用意された特殊な研磨石を握りしめた。
呼吸を整え、無心で二枚の巨大な鋼鉄板の端を研ぎ磨いていく。
シャリ……シャリ……シャリ……。
彼女の指先が動くたび、金属の表面が鏡以上の滑らかさへと変貌していく。光すら歪みなく反射する完璧な平面。
「よし……いきます!」
ルチアは二枚の鋼鉄板の磨き上げた端を、カチッと音を立ててぴったりと合わせた。
カツン。
熱も、魔法も使っていない。ただ重ね合わせただけ。
しかし、分子レベルで隙間が消え去った二枚の鋼鉄板は、まるで最初から一つの塊であったかのように完全に同化し、継ぎ目そのものが消滅した。
「な……なんだとーっ!?」
責任者が目を見開き、拡大鏡を使って継ぎ目を探すが、どこにも境目がない。まるで魔法で一本の鋼に変えたかのようだった。
「継ぎ目が……ない!? 魔術を仕掛ける隙間すら存在しないじゃないか! 完璧だ……完璧な防衛壁だ!!」
「あ……私……人を傷つけるための刃じゃなくて、大切なものを守る『壁』を作れたの……?」
ルチアの手から研磨石がこぼれ落ちた。
極限まで高めすぎた自分の技術が、誰かを恐怖させる破壊の力ではなく、人を守る確かな形になった瞬間だった。
* * *
数日後。特別指導課。
ドアが開き、ルチアが入ってきた。
以前のような硬い表情はなく、作業着の袖をまくり、晴れやかな笑顔を浮かべている。
「ノアさん! 報告に来ました! 王都金庫の専属技師として正式に採用されました!」
「おめでとうございます。素晴らしい仕事ぶりだったと責任者の方からも感謝の連絡が届いていますよ」
「ふふ、現場の職人さんたちが『お前の磨きは神業だ』って、私専用の研磨作業場まで作ってくれたんです。これからは壊すためじゃなく、繋ぐためにこの手を使います!」
ルチアは嬉しそうに胸を張った。そして、ノアのデスクの上に置かれたあの黒い文鎮へチラリと視線を送る。
「あの……ノアさん。最後にひとつだけ聞いてもいいですか?」
「なんでしょう?」
「あの文鎮……やっぱり只物じゃないですよね? あそこまで研ぎ澄まされた鉄、伝説の勇者様が持っていたとされる武器以外で見たことがありません」
ノアはふっと穏やかに目を細め、冷めたお茶を一口すすった。
「さあ、どうでしょうね。ただの重しですよ」
ルチアはぽかんと口を開けたが、やがてくすりと笑った。
「ふふ、ノアさんには敵いませんね。それじゃあ、午後の作業に行ってきます!」
軽やかな足取りで去っていくルチアの背中を見送りながら、ノアはデスクの文鎮をそっと撫でる。
部屋の隅で、ポチが「くぅ〜ん」と鼻を鳴らし、ノアの膝にそっと三つの頭を乗せた。
「さて……」
ノアは冷めたお茶を飲み干すと、待機させていた次の求人票の束を静かに開く。
静かな部屋に、新しい紙のめくれる音が優しく響いていた。




