第五話 捨てられた翻訳士
「あの……すみません。耳栓をしていても、大丈夫でしょうか……?」
第一窓口で「え?あ……受付はあちらになります」と案内された女性が、両耳に固く綿を詰め、頭から深くフードを被った状態でオーク材の扉を開けた。
部屋を包む香ばしい茶葉の香り。
部屋の隅で丸くなっていたケルベロスのポチが、三つの首を器用に動かし、丸盆をすーっと滑らせて温かい湯呑みを差し出す。
「ひやっ……!? 大きな怪物……あ、違います、ありがとうございます……」
「ポチのお茶、冷めないうちにどうぞ。ようこそ、特別指導課へ。指導員のノア・ヴァレンティです」
デスクの上の書類をトントンと揃えながら、ノアが穏やかな声をかけた。
女性はおずおずと耳栓の上から耳を押さえつつ、椅子へ腰を下ろす。
「あの……私、言葉だけじゃなくて、街の雑音や機械の稼働音まで全部『意味のある言語』として頭の中に翻訳されちゃう体質でして……。耳栓をしていないと、頭が割れそうになるんです」
「あ、なるほど。過剰な言語翻訳能力ですね」
ノアは静かに羊皮紙のメモ用紙とペンを取り出した。サラサラと文字を書き、カリンの目の前へ差し出す。
『ようこそ、特別指導課へ。指導員のノア・ヴァレンティです。耳栓をしたままで構いません。お名前と履歴書をどうぞ』
女性は申し訳なさそうに、小さく折りたたまれた羊皮紙を差し出した。
【氏名】カリン(22歳)
【前職】元・勇者パーティ『光の誓約』解読士(在籍2年)
【保有スキル】『万物解読(文字、記号、魔術言語、構造物の振動や雑音を強制言語化する体質)』
【希望職種】静かな地下保管庫の整理、無人の図書室の管理
【希望時給】問いません(静かな場所で暮らせれば……)
ノアは履歴書を目で追い、ふむと顎を撫でた。
新たに紙を一枚引き寄せ、ペンを走らせた。
『カリンさん。序盤の古代遺跡攻略では、あなたの解読術が大活躍したと聞いていますが』
「……過去の話です」
カリンは自嘲気味に目を伏せ、胸の前で深く両手を握りしめた。
「中盤から魔王軍の幹部と直接戦うようになって……旅は力押しばかりになりました。徐々に読むべき古代文字もなくなり、戦闘力の無い私は、……途中の街でパーティを降ろされたんです」
カリンは絞り出すように言葉を続けた。
「それから街で翻訳家になろうとしたんですが、私の能力はレベルが上がるにつれて、コントロールが効かなくなってしまって。本を読もうとしても、机の軋む音や時計の歯車の音が『痛い、重い、すり減る』って頭の中に大声で翻訳されて流れ込んできて、パニックになってしまうんです。私、もうどうしていいか……」
静かな部屋に、カリンの切ない溜息が落ちる。
ノアはペンを走らせた。
『最高の経歴ですね。今、王都の心臓部で、喉から手が出るほど欲しい人材です』
「……え?」
『人の話し声が混ざるからパニックになるのですね。では、人の声が一切しない無音の場所で『ひとつの機械の音だけ』を聴くならどうですか?』
「え……? ひとつの音だけ……?」
カリンは呆然と顔を上げた。ノアは引き出しの奥から、油と焦げた魔力の匂いが染みついた重厚な依頼書を取り出す。
『音や振動が『言葉』として聞こえるということは、裏返せば『外からでは絶対分からない、構造物の限界や壊れかけている悲鳴を正確に聞き取れる』ということです』
【求人】王都大魔導工房・老朽化魔導炉『極秘対話診断士』
【業務内容】王都全域の魔力を支える超大型魔導炉の内部診断、および事故防止。
【課題】魔導炉が老朽化し、いつ大爆発を起こすか分からない状態。外観や測定器では故障箇所が特定できず、技師たちが命がけで点検中。
【報酬】金貨12枚/月(※別途、危険手当て有り)
ノアはデスクの隅から紙をもう一枚滑り出させると、カリンに見える位置で滑らかに文字を書いていく。
『王都の技師長が頭を抱えているんですよ。魔導炉の中から不気味な音がするが、どこが原因かさっぱり分からないと。……機械に耳を当てて、ピンポイントで教えてくれる人。カリンさん、あなた以外に誰がいますか?』
「え……魔導炉……!? 機械の声を聴く……!?」
『論より証拠です。耳栓をつけたまま、現場へ行ってみましょう』
* * *
王都地下、大魔導工房。
ビル3階分ほどもある巨大な金属の魔導炉が、ゴゴゴ……と不気味な低音を響かせ、熱気を吹き出していた。
「ノア指導員! 本当に大丈夫なのかね!? この魔導炉はいつ爆発してもおかしくないんだぞ!」
全身ススだらけの技師長が、大声で叫んでいる。
「大丈夫です」
ノアはトントンと指先で軽く叩いてカリンへ差し出した。
『あそこの部屋に入ってください。それから声を聞いてみてください』
「は、はい」
カリンは重い扉をしっかりと閉じ、呼吸を整えてから耳の綿をそっと抜いた。
周囲では数十人の技師たちが怒号を飛び交わせているが、魔導炉の脇に設置された分厚い鉄製の「点検用室」の中は、完全に外界の音が遮断されていた。
カリンは怯えながらも、巨大な鉄の壁へと近づいた。耳栓を少し浮かせ、熱を帯びた金属へそっと耳を当てる。
瞬間。
彼女の頭の中に、雑音ではなく、明確な『機械の叫び』が流れ込んできた。
『熱い! 熱い! 三番目の冷却パイプが錆びて詰まってる! このままだとあと3日で破裂する! 助けて!』
「ひっ……!伝えないと!!」
管を通じて、魔導炉の純粋な悲鳴だけがクリアに頭に響いてきた。カリンは室内の黒板に素早く文字を書き、窓の外にいる技師長へと掲げた。
『三番目の冷却パイプ内部が錆びて詰まっています! 破裂まであと3日!』
「な、なんだと!? 三番目だと!? 測定器には反応が出てないぞ!?」
「カリンさんを信じて!いいから急いで確認してください!」
技師長たちが半信半疑で三番バイパスの装甲を引っぺがすと、果たしてそこには、極限まで膨れ上がり破裂寸前になった熱湯パイプが露わになった。
「うわあああ! 本当だ! 冷却水を止めろ! 緊急バルブを開けろーっ!」
作業員たちが一斉に動き出す。
パイプの圧力が抜け、魔導炉の異常加熱がスーッと収まっていく。
『……あぁ、楽になった。ありがとう、お姉ちゃん……』
魔導炉の発する重低音が、穏やかなブーンという稼働音へと変わった。
「……助かった……! 爆発が防げたぞ……!」
技師長がガタガタと震えながらカリンのもとへ駆け寄り、彼女の手を両手で強く握りしめた。
「お嬢ちゃん! いや、診断士殿! 頼む、うちの専属になってくれ! 君がいれば、この魔導炉を壊さずに全部修理できる! 王都の命の恩人だ!!」
口の動きと必死な表情から、彼が発している言葉の意味がゆっくりと頭の中で像を結んでいく。
「あ……私……捨てられた私の能力が……街を守れたの……?」
カリンの目から、大粒の涙がぽろぽろと零れ落ちた。
耳に響く音は、もう彼女を苦しめるノイズではなく、彼女を頼りにする感謝の声に変わっていた。
* * *
数日後。特別指導課。
ドアが静かに開き、カリンが入ってきた。
暗いフードは脱ぎ捨てられ、工房特製の可愛らしい防音ヘッドフォンを首にかけ、すっきりとした技師服を着ている。
「ノアさん! 報告に来ました! 私、大魔導工房の首席診断士として正式に採用されました!」
ノアは静かに頷くと、手元に用意していた白紙の羊皮紙へ、カリンの目線に合わせるようにゆっくりと文字を滑らせた。
『おめでとうございます。表情がすごく生き生きしていますね』
「ふふ、工房の人たちが『カリンちゃんが集中できるように』って、地下に完全防音の広い個室を作ってくれたんです。必要な時だけヘッドフォンを外して、魔導炉や魔導具の声を聞く仕事なんです」
カリンは誇らしげに胸を張った。
「勇者様のパーティを追い出された時は、自分が役立たずになったと思っていました。でも……戦場じゃなくても、私を必要としてくれる場所があったんですね」
ノアは静かに微笑み、温かいお茶を一口すする。
カリンはポチの前にしゃがみ込むと、首を優しく触った。
「ポチちゃん、これあげるね。工房で余った最高級の肉ペーストだよ」
ポチが三つの首を同時に動かし、嬉しそうに「くぅ〜ん」と鼻を鳴らして舐め始める。
「それじゃあノアさん、午後の点検に行ってきます!」
元気に手を振り、カリンが去っていく。その背中は、最初に来た時とは見違えるほど頼もしかった。
「さて……」
ノアは冷めたお茶を飲み干すと、手元の紙を整えて引き出しへ仕舞い、また新しい求人票の束を繰り寄せる。
新しい紙の匂いが漂う中、ノアの視線がふと、窓から見える遠い街道へと向けられていた。




