第三話 毒を愛した蛇人
「あのう、失礼します……。……ヒッ、ごめんなさい……!」
第一窓口で「その毒気で他の客が倒れるから外で待て」と追い出された少女が、身を縮こまらせながらオーク材の扉をすり抜けてきた。
下半身がしなやかな大蛇の姿をした魔族、蛇人の少女だ。
部屋の隅で丸くなっていたケルベロスのポチが、三つの首を交互に動かしながら、温かい湯呑みを載せた丸盆をすーっと滑らせていく。
「ひやぁっ!? お茶、ありがとうございます……」
「ポチのお茶、冷めないうちにどうぞ。ようこそ、特別指導課へ。指導員のノア・ヴァレンティです」
デスクの書類をトントンと揃えながら、ノアが穏やかに笑いかけた。
少女は蛇の下半身をきゅっと小さく巻き付け、恐縮しきった様子で丸椅子に腰を下ろす。
「あの……私、皮膚から常に微弱な致死毒の蒸気が漏れていて……。部屋の空気を汚してしまっていませんか?」
「ポチは魔界の犬ですから毒耐性は完璧ですし、私も一応、特製の空気浄化魔術具をデスクの下に置いていますから大丈夫ですよ。……さて、お名前と履歴書を拝見できますか?」
少女は申し訳なさそうに、厚手のガラス瓶に厳重に密封された羊皮紙を差し出した。ノアはそれを取り出し、机に広げる。
【氏名】ミーシャ(19歳)
【前職】元・魔王軍特務毒殺部隊 調薬師(在籍4年)
【保有スキル】『万死の毒胞(全身から強力な神経毒・溶解毒・麻痺毒を分泌・生成する体質)』
【希望職種】薬草園の草むしり、地下採掘場の照明係
【希望時給】問いません(人と関わらず、ひっそり生きられれば……)
ノアは履歴書の項目をふむふむと指でなぞった。
「ミーシャさん。人里離れた場所での一人作業ばかりを希望されていますね」
「……はい」
ミーシャは自嘲気味に長い髪を引っ張り、視線を床へと落とした。
「私、呼吸するだけでも周囲の植物を枯らしちゃうんです。戦争中は相手の城に毒ガスを送り込む『兵器』として重宝されました。でも、平和になった世界じゃ……私の存在そのものが『害毒』なんです」
ミーシャの指先から、うっすらと紫色の気体が立ち上り、一瞬で消えた。
「王都の薬草店に応募した時も、私が店内に入っただけで高級な薬草が全部黒ずんで腐ってしまって……。『二度と店に近づくな!』って塩を撒かれました。誰かを助ける薬を作りたいのに、私自身が毒なんだから……どうしようもありません」
「……ミーシャさん」
「……はい」
「素晴らしい経歴ですね」
「……え?」
ミーシャは呆然と頭を上げた。ノアは引き出しの奥から、蜜の匂いが染みついた黄色い依頼書を取り出す。
「あらゆる強力な毒を無制限に分泌できるということは、裏返せば『世界で最も苛烈な環境でも平然と作業できる、最強の耐性を持っている』ということです」
【求人】王立中央蜂園・最高級『地獄蜜』極秘採取係
【業務内容】魔界由来の凶暴な『殺人狂蜂』の巣からの蜂蜜採取、および巣の維持管理。
【課題】蜂の毒針が凶悪すぎて、並の養蜂家では防護服を着ても即死する。数年間、最高級蜂蜜の供給がストップ中。
【報酬】金貨20枚/月(※試食手当付き)
「王都のパティシエたちが悲鳴を上げているんですよ。あの『地獄蜜』がないと、伝説の王立ケーキが焼けないと。……どれほど刺されても毒が効かず、素手で巨大な蜂の巣から蜜を削り取れる人。ミーシャさん、あなた以外に誰が務まるんですか?」
「え、エ、エ……!? 養蜂……!? 私がケーキの材料を……!?」
「論より証拠です。まずは現場で体験実習してみましょう」
* * *
王立中央蜂園、裏手の隔離温室。
大樹のような巨大な蜂の巣がそびえ立ち、体長30センチはあろうかという真っ黒な『殺人狂蜂』たちが、羽音を爆音のように響かせて飛び交っていた。
「ノア指導員! バカな真似はやめろ! 防護服なしで入ったら、一秒で全身を刺されて骨しか残らんぞ!」
青ざめた養蜂長が、頑丈なガラス越しの安全地帯から必死に叫んでいる。
だが、温室の扉を開けて中へ入ったミーシャは、ぽかんと口を開けていた。
「あの……蜂さんたちが、すっごく嬉しそう寄ってくるんですけど……」
ミーシャが温室に入った瞬間、彼女の体から無意識に漏れ出る微弱な毒の気体。
普通の人なら即死するその毒煙を、殺人狂蜂たちは「極上のご馳走」と言わんばかりに大喜びで吸い込み、ミーシャの周りをすりすりと群がり始めたのだ。
「えっ……痛くない……。針で刺されても、ただの蚊に刺されたくらい……?」
「当然です。彼らにとってミーシャさんの毒は最高の好物であり、同時にミーシャさんの体毒の方が蜂毒より遥かに強力ですからね。蜂側が敬意を払っているんです」
ノアがガラスの外から静かに説明する。
「さあ、ミーシャさん。巣の奥にある、黄金色の塊を削り取ってみてください」
「は、はい……!」
ミーシャは蛇の下半身を滑らかに動かし、巨樹の巣へと近づいた。
素手を差し込み、固まった黄金色の地獄蜜をゆっくりと削り取る。
とろりとした甘い香りが、温室いっぱいに広がる。蜂たちはミーシャを攻撃するどころか、彼女の手のひらに頬を寄せるようにして懐いていた。
「……すごいです……! 私の毒のせいで、蜂さんたちがこんなに元気に……! それに、この蜂蜜……すごく綺麗な黄金色……!」
「お〜い! 生きてるか〜っ!?」
恐る恐る温室の扉を開けた養蜂長が、ミーシャの手にあるバケツいっぱいの地獄蜜を見て、両目を飛び出させた。
「な……なにぃいいい!? 幻の地獄蜜がこんなに手付かずで……!? しかも蜂どもが大人しく懐いているだと!?」
「養蜂長。彼女の分泌する毒気は、この蜂を落ち着かせる芳香剤なんです」
ノアの言葉に、養蜂長はガタガタと震えながらミーシャのもとへ駆け寄り、彼女の手を握りしめた。
「お嬢ちゃん! 頼む、うちの専属になってくれ! 君がいてくれれば、王都中の洋菓子店が救われる!」
「あ……私……私、ここにいていいんですか……? 誰かを喜ばせることができるんですか……?」
ミーシャの大きな瞳から、ぽろぽろと大粒の涙がこぼれ落ちる。
彼女が流した涙は、温室の地面に触れた瞬間に小さな花を咲かせた。
* * *
数日後。特別指導課。
「ミーシャさんから、お礼の品が届きましたよ」
ノアがデスクの上に置かれた大きな木箱を開ける。
中には、地獄蜜を極限まで練り込んだ、黄金色に輝く特大の焼き立てタルトが入っていた。
ドアが静かに開き、ミーシャが入ってくる。
以前の暗い表情は嘘のように消え、養蜂場の可愛いエプロンを身につけ、下半身の尻尾の先には可愛らしいリボンが結ばれていた。
「ノアさん! ポチちゃん! こんにちは!」
「ミーシャさん、いらっしゃい。お仕事はどうですか?」
「毎日すごく楽しいです! 蜂さんたちも私にすっかり慣れてくれて、今では私の肩の上で寝ちゃうくらいで。王都のケーキ屋さんからも『ミーシャさんの採った蜜は世界一甘い』って感謝されました!」
ミーシャは嬉しそうに胸を張った。
かつて「毒虫」と蔑まれ、忌み嫌われた彼女の手。今は王都中の人々を笑顔にする、魔法の手へと生まれ変わっていた。
「タルト、食べてみてください! 蜂さんたちと一緒に作ったんです!」
ポチが三つの首を交互に動かし、嬉しそうに「くぅ〜ん」と喉を鳴らす。ノアが切り分けたタルトを差し出すと、三つの口で同時に美味しそうに平らげた。
「ふふ、ポチちゃん、口の周りに蜂蜜がついてますよ」
ミーシャが優しく拭き取ってあげると、ポチは心地よさそうに目を細めた。
「それじゃあノアさん、私、午後の採取に行ってきます!」
「はい、いってらっしゃい」
元気に手を振り、部屋を出ていくミーシャ。
その背中からは、かつての毒々しい雰囲気は消え、どことなく甘く香ばしい蜜の香りが漂っていた。
「さて……」
ノアは冷めたお茶を飲み干すと、手元を綺麗に整理して、また次の厚い求人票の束を開く。
部屋の隅でポチが満足そうに腹を見せて横たわる中、新しい紙の匂いが静かに広がっていった。




