第二話 錆びの呪い師
「あの……特別指導課って、こちらで合っていますか……?」
第一窓口で「ウチじゃ対応無理」と投げ出された女性が、気まずそうにオーク材の扉を押し開けた。
部屋の空気を満たす茶葉の香りと、薄暗い部屋の奥。
三つの首を持つ巨犬ケルベロスのポチが、三本の鼻先で丸盆をすーっと滑らせ、温かい湯呑みを差し出す。
「ひゃっ!? 怪物……!?」
「ポチのお茶、冷めないうちにどうぞ。ようこそ、特別指導課へ。指導員のノア・ヴァレンティです」
デスクの上の書類をトントンと揃えながら、ノアが温和な笑みを浮かべた。
女性はノアの手元と、自分が手にしている分厚い革の手袋を交互に見つめ、恐る恐る椅子へ腰を下ろす。
「あの……私、手袋を外せなくて。……椅子、壊しちゃったらすみません」
「大丈夫ですよ。で、お名前と履歴書を」
女性は意を決したように、分厚い手袋越しに畳んだ紙を差し出した。
【氏名】シエラ(26歳)
【前職】元・王国軍第三軍団 呪導士(在籍7年)
【保有スキル】『錆滅の呪印(触れた金属を瞬時に酸化・風化させる体質)』
【希望職種】花屋、布製品の検品、図書館の司書
【希望時給】問いません(本が読めて、静かに暮らせれば……)
ノアは履歴書を目で追い、ふむと顎を撫でた。
「シエラさん。希望職種がとても静かな仕事ばかりですね」
「……当たり前です」
シエラは自嘲気味に目を伏せ、胸の前で深く両手を握りしめた。
「私、金属に触れると何でも数秒でボロボロのサビにして崩してしまうんです。戦争中は相手の鎧や剣を腐らせる『兵器』として使われていました。でも、平和になったら……ただの災い女です」
シエラは絞り出すように言葉を続けた。
「昨日まで働いていた縫製工場もクビになりました。ハサミもミシンも、私が誤って素手で触れた瞬間に真っ赤に錆びて折れてしまって……。鍛冶屋にも農家にも『道具を壊すな』と追い出されました。金属のない世界なんて、どこにもないのに……」
静かな部屋に、シエラの呼吸音だけが切なく響く。
「……シエラさん」
「はい……」
「最高の経歴ですね」
「……え?」
シエラは呆然と顔を上げた。ノアはデスクの引き出しから、ずっしりと重い一通の依頼書を取り出す。
「裏返せば『誰の手にも負えない頑丈な金属を、一瞬で安全に解体できる』ということです」
【求人】王都再開発局・旧要塞戦艦『鋼鉄の巨神』緊急解体
【業務内容】廃船となった超大型魔導戦艦の解体、および安全な鉄くずの撤去。
【課題】特殊合金の装甲が頑丈すぎて、通常のタガネや炎では解体に3年かかる。維持費で市が破産寸前。
【報酬】金貨32枚/年(※危険手当込み)
「王都の港に放置されたあの巨大戦艦、邪魔でしょうがなかったんです。解体しようにも刃が通らず、下手に爆破すれば港の民家に鉄くずが降り注ぐ。……道具を傷つけず、音も立てず、鉄を砂に変えられる人。シエラさん、あなた以外に誰がいますか?」
「で、ですが……私の呪いは、力加減が効かないんです……!」
「大丈夫。現場で一回、派手にやらかしてみましょう」
* * *
王都西港。
海風が吹き抜ける桟橋に、山のように巨大な漆黒の戦艦が鎮座していた。厚さ50センチを超える特殊魔導鋼の装甲。何十人もの作業員が巨大なツルハシや爆破用の魔導具を手に、汗だくで格闘しているが、表面に傷一つついていない。
「ノア指導員! 本当に連れてきたのかね、その……解体のエキスパートとやらを!」
再開発局の現場責任者が、半信半疑といった顔で駆け寄ってくる。
ノアの後ろで、シエラは借り物の作業着に身を包み、ブルブルと肩を震わせていた。
「シエラさん。手袋を外して、あのメインフレーム……船体を支えている一番太い鉄柱に触れてみてください」
「ほんとに……ほんとにいいんですか? 壊しちゃいますよ……?」
「それが仕事ですから。思い切ってどうぞ」
シエラはゴクリと唾を飲み込み、震える手で右の手袋を脱いだ。
浮き出た黒い呪印の手のひら。
作業員たちが「おいおい、素手で何する気だ」と騒ぎ立てる中、シエラは冷たい鉄の巨柱へ、そっと手のひらを密着させた。
シュウウウウゥ……。
瞬間、不気味な音が港に響いた。
シエラの手に触れた部分から、漆黒の魔導鋼が瞬く間に赤黒いサビへと変色していく。
サビは生き物のように一気に船体へと広がり、数メートル四方の硬質合金が、まるで腐った木のようにボロボロと崩れ落ち始めた。
「な……なんだと!? 刃すら立たなかったあの装甲が……!?」
「ひっ……! 崩れる……!」
シエラが思わず手を離すと、サビの侵食がピタリと止まる。
鉄柱の中央には、綺麗に大人一人が通れるほどの穴が空き、周囲の構造物に一切の衝撃を与えず、サビた鉄粉だけがサラサラと海風に舞っていた。
「……すごいです、シエラさん」
ノアが隣で静かに拍手を送る。
「音も破片の飛び散りもなく、完璧な局所解体だ。普通の爆破なら港の民家の窓ガラスが割れるところですが、これなら誰も傷つかない」
「あ……私……本当に、壊してよかったんですか……?」
「壊したんじゃないですよ。誰も手が出せなかった『危険な塊』を、安全な土へ還してあげたんです」
作業員たちが、ぽかんと口を開けたまま立ち尽くしていた。
やがて現場責任者がシエラのもとへ駆け寄り、サビ粉のついた彼女の手を両手で握りしめた。
「お嬢ちゃん! いや、技師殿! 頼む、船の反対側のメインシャフトも頼んでくれ! これなら今年度中に港が空く! 街が助かるんだ!!」
「あ……はい……! 私でよければ……!」
シエラの手からボロボロと赤いサビの粉がこぼれ落ちる。
だが、握りしめられた手には、温かい感謝の力が込められていた。
* * *
数日後。特別指導課。
「シエラさん、現場からの評価が凄まじいですよ。『伝説の解体聖女』なんて二つ名までつきかけてます」
ノアが苦笑しながら報告書をめくる。
ドアが静かに開き、シエラが入ってきた。
前のような暗い表情は消え、髪を後ろで綺麗に束ね、すっきりとした作業服を着ている。
「ノアさん、契約の報告に来ました。……私、正式に王都解体公社の専属技師として雇われることになりました」
「おめでとうございます。手袋、今は外しているんですね」
「ええ。職場の人たちが『手袋なんてしてたら仕事にならないだろ』って笑ってくれて。仕事中は素手で、道具は木製のものを用意してくれたんです」
シエラは自分の両手を見つめた。
かつて人々を恐怖に陥れた黒い呪印。今はそれが、誇らしい職人の手に見えた。
「……これ、ノアさんとポチちゃんに。解体現場の近くにあった、木彫りの工芸品です。これなら、私が触っても壊れませんから」
シエラが置いたのは、木で作られた可愛らしい三頭の犬の置物だった。
ポチが嬉しそうに鼻を鳴らし、三つの頭で代わる代わる木彫りをすりすりとなで回す。
「ありがとうございます」
「はい! ……それでは、現場に行ってきます!」
元気に頭を下げ、シエラが去っていく。その足取りは、羽のように軽やかだった。
「さて……」
ノアは冷めたお茶を飲み干すと、手元の書類を整理し、また次の厚い求人票の束を開く。
雨が上がり、窓から差し込んできた陽光が、紙の上の文字を優しく照らしていた。




