第十八話 あれ?噛み合わない
神国と王国の「合同捜査本部」が特別指導課の扉を破り、挙げ句の果てにポチの気まぐれ一発で叩き出された翌日。
王都の路地裏では、昨日散々な目に遭ったエリート査察官たちが「あの生意気な指導員を即刻拘束しろ」と大号令をかけ、いまにも重装備の騎士団がハローワークを包囲している……はずだった。
だが、当の特別指導課の執務室は、不気味なほど静まり返っていた。
「……おかしいな」
ノアはガタついたオーク材の扉の破片を足元で蹴転がし、壊れた枠の隙間から外の廊下を覗き込んで首をひねった。
てっきり今朝あたり、頭に血が上った騎士団が部屋ごと踏み潰しに来ると思っていたのだが、表の通りから聞こえてくるのは、いつもの威勢のいい野菜売りの声と、日向ぼっこをしている野良猫のあくびくらいだ。
「ポチ、あいつら道にでも迷ったと思うかい?」
部屋の隅で丸くなっていたポチが、「そんなわけねえだろ」と言いたげに、三つの首で同時に深い溜息混じりの鼻息を吹きかけた。
ノアが呑気に冷めたお茶を淹れ直している、ちょうどその頃。
王都の中枢に置かれた合同捜査本部の執務室では、ノアのあずかり知らぬところで、捜査網が支離滅裂に絡まり合っていた。
* * *
「……どういうことだ! 明確な理由を説明しろ!」
昨日、ポチの放った圧倒的な殺気に腰を抜かした神国の監察官が、包帯をきつく巻いた右腕でバシッと痛々しく机を叩いた。
「現場で国家級の危険獣が暴れ、我々監察官が威嚇されたのだぞ! なぜ『特別指導課』への強制立ち入り許可が即座に下りんのだ!?」
報告に来た王国の高官が、胃のあたりを押さえながら青い顔で冷や汗を拭った。
「は、はい……それが、予期せぬ手続き上の問題が各所で相次いでおりまして……。まず、あの部署の裏手を通る王都の地下水路で『大規模な有害ガス漏れと謎の水漏れ』が同時に発生したと、水道局から緊急通告が入りました。周辺エリアが全面立ち入り禁止となり、物理的にハローワークの裏手へ近付けない状態です」
「……水道局だと?」
「ええ。現場の専門技師として配属された特務調査員(※レイ)とかいう男が『今この区画に振動を与えたり強制突入したりすれば、王都全体の水道管が水圧で全滅する』と凄まじい論理を展開しておりまして……。さらに、仮に強行突破を試みた場合、あの指導員の身元保証人に名を連ねている筆頭公爵家から『正当な理由なき公務妨害および威圧捜査である』と、正式な抗議書が届く手筈になっています」
「くそっ、あの老いぼれ公爵まで乗り出してくるとは……! だが、あの指導員が『何か』を握っているのは確実なんだぞ! あの異様な空気感を見ただろう!」
監察官が悔しそうに歯噛みしていると、執務室の重々しい扉がノックもなしに乱暴に開け放たれた。
「おい……また俺を呼び出したのかよ……」
だるそうに入ってきたのは、連日のくだらない公務と変な事情聴取のせいで、顔色をドブのように濁らせた『伝説の勇者』だった。その手には、すっかり見慣れた胃薬の小袋が固く握られている。
監察官は目を見開き、待ってましたとばかりに勇者に詰め寄った。
「勇者様! ちょうどいいところへ! 昨日、王都の行政窓口で異様な魔力を放つ巨獣と、それを手懐ける怪しい指導員を特定しました! 終戦時の『おかしい出来事』、あるいは『魔王』の遺体の行方について、何か知っていることは――」
「ねえよ!!」
勇者は血走った目で即答した。
(やべえよ! あいつらマジでノアのところに辿り着いてんじゃねえか! これ以上突っ込まれたら、あの終戦の八百長も、俺が夜な夜なノアの部屋で胃薬飲みながら愚痴ってるのも全部バレるぞ!!)
背中に冷や汗をダラダラと流しながら、勇者は必死で頭を回転させた。ここでノアを庇うような口ぶりをすれば、逆に「なぜそんな庇う?」と察せられて一発アウトだ。
「いいか!? 俺が魔王を倒したときはなぁ! 目の前の魔王を叩きのめすので手一杯だったんだよ! 俺が知らないとこで、戦争を操ってる奴がいた?そんな器用な奴が裏にいたら俺が真っ先にぶっ飛ばしてるわ!」
「し、しかしあの指導員の部屋には魔界の門番らしき猛犬が……」
「犬なんかどこにでもいるだろ! それよりお前ら、捜査の優先順位が完全に狂ってねえか!?」
勇者は強引に捜査本部の壁に掛けられた巨大な地図をバンバンと指差し、大声でまくし立てた。
「魔王の残党がまだどこかに潜伏してるかもしれないんだろ!? だったらこんな王都のしがない役所の小部屋なんか嗅ぎ回ってないで、かつて魔王軍の拠点だった『北の極寒地帯』とか『南の樹海』の警戒網を増やせよ! 俺の直感だと、絶対そっちのほうが怪しいね! お前ら、俺の『勇者としての直感』を疑うのか!?」
「あ、いや……勇者様がそこまでおっしゃるなら……」
「俺は忙しいんだよ! 二度とくだらない噂で俺を引っ張り出すな!」
勇者は捨て台詞を残すと、手に持っていた胃薬を口に放り込み、逃げるように去っていった。
残された監察官と高官は、呆然と顔を見合わせた。
「……勇者様があそこまでおっしゃるということは、王都のハローワークはただの『囮』なのか?」
「あるいは、かの指導員も単に危険な猛犬を拾って飼ってしまっただけの、運の悪い一般人……なのか……?」
「いや、だが地下水路の異変といい、公爵家の圧力といい、出来過ぎている……。念のため、北の極寒地帯へも調査隊を出せ!」
* * *
一方その頃。
王都から遥か離れた静かな田舎町で、元・魔王は畑のカボチャをせっせと収穫していた。
「ん〜? なんか嫌な気配がするなぁ」
町に入ってきた見慣れない黒づくめの男たちがチラチラとこちらを覗いているのを見つけると、ダニエルは手際よくカボチャの泥を自分の顔になじませた。
「やあやあ、役人さん! 今日もいい天気だねぇ! 美味しいカボチャ買っていくかい?」
すれ違う調査員たちは、どこからどう見てもただの貧しい農夫にしか見えない男を素通りしていく。
「ふぅ、危ない危ない。ノアのところに飛び火してなきゃいいけどねぇ」
* * *
そして、静もり返った特別指導課。
ノアは壊れた扉の破片をちり取りで片付けながら、呆れたように溜息をついた。
「捜査本部ってのも、案外適当なもんだねえ。結局、誰も来ないじゃないか」
ポチが「お前を助けるために周りがどれだけ命がけで誤魔化してると思ってんだ」と言いたげに、盛大にフンと鼻息を吹きかけた。
ノア本人は相変わらず何も知らないまま、今日も平和に部屋を掃除するのだった。




