第十六話 三人
特務調査員のレイを王都水道局の地下へ送り出してから、数週間が過ぎた頃。
王都の喧騒から遠く離れた、国境近くの寂れた街道沿い。看板の文字すら風化して読めない古い酒場の奥まった個室で、夜な夜な怪しい三人の男が集まっていた。
「……はぁー。マジで胃が痛い」
開口一番、机にガクンと額を叩きつけたのは、ダボついた平民の服を身にまとった金髪の青年、世間では『伝説の勇者』と崇められている男だった。
「お前、少しは新しい言葉を覚えろよ」
向かい側で干し肉を噛みちぎりながら、呆れたように手酌で安いエールを煽っているのは、田舎で絶賛隠居中の元・魔王である。
そしてその隣で、ノアは静かに冷めたお茶……ではなく、今日は珍しく度数の低い薄い麦酒の杯を傾けていた。
「勇者様には、宮殿の胃薬は効かないのかい?」
「効くわけねえだろ! 今日なんかさ、神国の特務機関の偉い奴がわざわざ訪問してきてよ。『勇者様、魔王討伐の話しについて詳しく教えてください』だぞ!? 俺、必死で顔をひきつらせながら『いやぁ〜、大変だったよ』ってゴマかすしかなかったんだからな!」
勇者は顔を上げると、血走った目でノアを指差した。
「上の連中、本格的に『影の黒幕』を探し回ってて、今や王国の騎士団とか神国の暗部が合同捜査本部みたいなの立ち上げてんだからな! なにが『ただのハローワークの指導員』だ! お前が平然と書類仕事してる裏で、国中が大騒ぎになってんだよ!」
「ぶっ……! ぎゃはははっ!」
元・魔王がテーブルをバンバンと叩いて爆笑した。あまりの揺れに、ノアの麦酒が少し跳ねる。
「ウケる! 神国と王国が手組んで探してる『噂の黒幕様』が、毎日シリアルナンバー入りの求人票トントン揃えて『お茶冷めないうちにどうぞ〜』とか言ってるだけの男だなんて、口が裂けても言えねえなぁ!」
「笑い事じゃないだろバカ! お前だって捜索対象に入ってんだぞ! 『魔王は本当に死んだのか? 誰かに匿われているのではないか?』ってさぁ!」
「へーきへーき。僕なんて今や『カボチャ王のダニエルさん』で通ってるから。先週なんか、村のバザーで自家製スープ売って表彰されたし」
「お前、魔王としてのプライドどこ捨ててきたんだよ……」
勇者が深々と溜息をつき、頭を抱えてボヤく。
ノアは二人のやり取りを酒のツマミ代わりに眺めながら、干し肉を小さくかじった。
「まあ、上の連中が勝手に空回りして騒いでくれてる分には、こっちとしては都合がいいさ。本物の『黒幕』なんてハナから存在しないんだから、どれだけ探したって見つかるわけがない」
「お前がその『存在しないはずの黒幕』そのものなんだよ!」
「失敬な。僕はただの行政窓口の指導員だよ。書類の不備を指摘して、危険なスキルを持ったはぐれ者にちゃんとした就職先を斡旋してるだけだ」
ノアはすまし顔で杯を干した。
数週間前に水道局へ送り込んだレイの【絶対記憶・空間把握】のおかげで、今や王都の地下水路の完全な全域マップが完成しつつある。神国の追手どころか、王国の暗部すら入れない「完全な聖域」で、レイは意気々々と水漏れのチェックをしているはずだ。
「そういえばノア、ポチは元気?」
元・魔王が自分の腕を撫でながら尋ねた。まだ前回の噛み傷がうっすら残っているらしい。
「元気だよ。最近は近くの肉屋の親父に仕込みで余った肉をもらってご機嫌だ」
「あいつ、僕のこと元・飼い主だって絶対に分かってて噛んできてるよね? あの三つの首、絶対『また来たよこの暇人』って顔してたもん」
「実際、暇人だろ」
「ひどい! 僕は毎日カボチャの雑草抜きで大忙しなんだよ!」
くだらないバカ話が続き、夜が深まっていく。
かつて世界を二分する大戦争の真っ只中、国境の小さなボロ宿屋で「いい加減、この不毛な戦争終わらせようぜ」と三名で膝を突き合わせた夜と、何一つ変わらない空気だった。
神国や王国の上層部がどれだけ血眼になって「影の覇王」や「裏の統括者」の幻影を追いかけ回そうと、当の三人にとっては、ただの「旅先の酒場で意気投合した悪友」でしかないのだ。
「……なあ、ノア」
ふと、少し酒が回った勇者が、杯を弄りながら静かな声でつぶやいた。
「お前さ……本当に今の仕事、満足してんのか? お前の『終戦請負人』なんて大層なスキルを捨てて、あんな狭い部屋で、毎日毎日わけのわからん奴らの相手して……」
ノアは少しだけ目を細め、天井の古いランプ
の灯りを見つめた。
「……満足してるよ」
「そこは、即答しろよ」
「まあ、戦うことしか知らなくて、平和になった世界で自分の置き場所に困ってた奴らがさ……『自分の居場所はここだったんだ』って顔して、新しい仕事に出ていくのを見るのは、悪くない」
ノアは少しだけ口元を緩め、空になった自分の杯をコトンと置いた。
「あいつらがちゃんと飯を食えて、普通に暮らせる世界を作るために、僕らはあの八百長劇をやったんだろ。だったら、そのアフターケアをするのが僕の仕事さ」
静かな沈黙が流れた。
勇者はハッと鼻を鳴らし、バツの悪そうな顔で残りの酒を煽った。
「……けっ、格好つけやがって。相変わらず喰えない奴だな、お前は」
「ほんとほんと! 昔からノアって、こういう肝心なとこだけ男前な発言してズルいよね〜」
「ダニエル、お前は黙ってカボチャ食ってろ」
「いやいや、そもそもあの後に遊びに来ようとするお前が悪いんだろ?無駄に暴れやがって!」
店主が持ってきた次の安酒のボトルが、カチャンとテーブルに置かれる。
国家の陰謀も、聖剣の英雄の重圧も、魔王の過去も全部ここには持ち込めない。
王都の平和と彼らの秘密は、今夜もこの不味い酒が並ぶテーブルの上で、くだらない笑い声とともに静かに守られていくのだった。




