第十五話 正規の転職希望者
暗部を書類で追い返し、元・魔王に焼き芋を食い散らかされた翌日。
ようやく静けさを取り戻した特別指導課の執務室に、コンコン、と控えめだが規則正しいノックの音が響いた。
「はい、どうぞ」
ノアが声をかけると、入ってきたのは全身黒づくめのぴったりとした革装束に身を包んだ、やたらと目つきの鋭い青年だった。姿勢の良さと無駄のない体のこなし。どこからどう見ても、一般の職探しに来る庶民の佇まいではない。
「……失礼する。ここが訳あり専門の『特別指導課』だと聞いた」
部屋を包む香ばしい茶葉の香り。
部屋の隅で丸くなっていたケルベロスのポチが、三つの首を器用に動かし、丸盆をすーっと滑らせて温かい湯呑みを差し出す。
「ポチのお茶、冷めないうちにどうぞ。ようこそ、特別指導課へ。指導員のノア・ヴァレンティです」
青年は警戒心を丸出しにしたままデスクの前に腰掛け、一枚の書類をサッと滑らせてきた。ノアが万年筆を弄りながら手元に目を落とす。
【氏名】レイ(24歳)
【前職】神国・最高情報統括庁・第一種特務調査員
【保有スキル】『絶対記憶』
【希望職種】神国の追手から身を隠せる職場(戦闘スキルゼロ、暗殺不可)
【希望時給】生活できる最低限で構いません
「ふむ……名前はレイ。前職は『神国・最高情報統括庁・第一種特務調査員』ねえ。またずいぶんと物騒な肩書きをお持ちで。神国を脱走してきたってわけですか?」
「……隠すつもりはない。上層部の不条理な命令に嫌気がさしてな。身柄を狙われているが、生きるためには仕事が必要だ。だが、私の前職のせいで、普通の窓口では一蹴された」
「脱走兵と同じだからですね。スキルは履歴書だと……絶対に記憶するってことですか?」
ノアが尋ねると、レイは自嘲気味に口元を歪めた。
「正確には【絶対記憶・空間把握】と【魔力痕跡追跡】だ。半径一キロ以内の建物の内部構造、人間の動き、過去三日間に通過した者の残存魔力をすべて完璧に記憶・解析できる。……だが戦闘スキルはゼロだ。暗殺もできん。諜報専門として育てられたが、脱走した今となっては、ただ『国家の最高機密を頭の中に詰め込んだ歩く爆弾』でしかない」
「あ、なるほど」
ノアは冷めたお茶を一口すすり、書類の余白に万年筆でサラリとメモを走らせた。
普通のハローワーク窓口なら「そんな危険人物、警察に突き出せ」で終わりだ。神国の追手から隠しながら、戦闘にも使えない尖りすぎた情報を処理するスキルなど、一般的な職場では扱いようがない。
だが、ノアは呆れるどころか、どこか楽しそうに目を細めた。
「レイさん、最高の経歴ですね」
「……は?」
レイが呆然とした声を漏らす。
「『建物の構造と人の動きを完璧に把握し、過去の痕跡をすべて追える』って能力……王都の都市計画部と、水道局の管修課が喉から手が出るほど欲しがっている人材ですよ」
「……水道局だと?」
「王都の地下水道は三百年分の継ぎ足し建築で完全な迷宮と化していてね。どこで水漏れが起きているか、どこが崩落しかけているか、誰も把握できていないんだ。君の【空間把握】で地図を作成し、【痕跡追跡】で水漏れの根源を特定できれば、作業効率は百倍になる。おまけに地下作業なら、神国の追手の目も完全に届かない」
レイは目を見開いたまま固まった。
自分が「国家の影の兵器」としてしか扱われてこなかったスキルが、まさか王都のインフラを支える花形専門職として再定義されるとは、夢にも思っていなかったのだ。
「さらに言えば」と、ノアは密かに笑みを深めた。
「王都水道局の地下作業員は『国家重要インフラ従事者』として、王国騎士団の管轄下で身元が強力に保護される。神国の暗部がちょっかいを出そうものなら、王国との外交問題に発展するから手出しできない。完全な合法の隠れミノだ」
「なっ……そこまで見越して……!?」
レイが息をのんで固まった。ノアはまるで今日の天気を呟くような軽やかさで言ったあと、何事もなかったかのようにデスクの二段目の引き出しから、どこか潮風の香りが残る羊皮紙の依頼書を取り出した。
「これです」
ノアは長年のインクで汚れた木目調のデスクの上へ、トントンと求人票を滑らせた。
「本題に入りましょう。レイさん。あなたには『戦闘力がゼロで、戦闘を一切行わない』という最大の強みがあります」
【求人】王都水道局・『地下巨大水路の水漏れ特務調査員』
【業務内容】三百年分の継ぎ足し建築で迷宮化した地下水路の構造把握、および微細な亀裂・水漏れの特定。
【課題】広大すぎる地下構造を完璧に把握できる者がおらず、手探り捜索では効率が著しく悪い。
【報酬】金貨12枚/月(※国家重要インフラ従事者手当、まかない支給有り)
「三百年の継ぎ足し建築で、誰一人として全体図を把握していない暗闇の地下水路。……広大なエリアの構造を一瞬で把握し、数日前のわずかな水の痕跡すら逃さず追跡できる存在。レイさん、あなたの【空間把握】と【痕跡追跡】以外に誰ができますか?」
「え……? 呪いのような私のスキルで……王都のインフラを救い、身の安全まで確保できる……!?」
「では、さっそく水道局へ行ってみましょう」
レイは震える手で膝を握りしめ、やがて深く、深く頭を下げた。
ノアがテキパキと移動準備を進める中、レイがふと感銘を受けたような面持ちで口を開いた。
「しかし……ノア指導員。あなたほどの洞察力があれば、もっと上の立場で世界を動かせるのでは? 最近、上層部が血眼になって探しているが……あなたのような人が、ではと疑いたくもなる」
ノアは準備を止め、いつもの穏やかで捉えどころのない笑みを貼り付けた。
「それ以上は駄目ですよ?変なことに巻き込まないでくださいね。ただの冴えない行政窓口の指導員ですから。僕は就職先の世話をするだけで精一杯なんですよ」
「……失礼した。確かに、そんな大人物がこんな狭い部屋で書類仕事をしているはずがないな。先に外の空気を吸いながら、玄関でお待ちしてます」
レイは納得したように頷き、晴れやかな顔で部屋を出て行った。
バタン、と扉が閉まる。
静けさが戻った部屋で、ノアは湯呑みを手に取り、眠るポチの首輪、世界を揺るがす密約が眠る金属パーツをそっと撫でた。
「やれやれ。再就職させるのも楽じゃないねえ、ポチ」
ポチが短く「グルゥ」と喉を鳴らす。
王都の平和と厄介な求職者の未来は、今日もこの小さなハローワークのデスクの上で、静かに、そして鮮やかに守られていくのだった。




