第十四話 元・偉い人
暗部の男たちがバタバタと惨めに逃げ去ってから、ものの数分後。
歪んだ扉の隙間から、ひょっこりと間抜けな顔が覗いた。
「いやー、すっごい勢いで黒づくめの男たちが走っていったけど、何事? こんな静かな部署がそんなに大繁盛してんの?」
入ってきたのは、くたびれた綿のシャツに使い古した革のズボンを穿いた、どこからどう見ても冴えないアラサーの男だった。手に持っているのは、そこらの市場で売っている安い焼き芋の紙袋。
だが、部屋の隅にいたケルベロスのポチは、その男を見た瞬間「ちっ、また暇人が来たか」と言わんばかりに、三つの首を同時にだらりと床に投げ出した。
ノアは溜息をつき、手元の万年筆を置いた。
「……お前、なんでここにいる。魔王」
「シーッ! 声が大きいよノアくん。今の僕はただの一般人、田舎で絶賛隠居生活を満喫中のダニエルさん(仮名)だよ。ほら、出来立ての焼き芋買ってきたから食おうぜ」
元・魔王は勝手に椅子を引き寄せてドカッと座ると、熱々の焼き芋を二つに割って、ノアのデスクの上に無造作に放り投げた。
「あのね、ダニエルさん。ここは王都の認可を受けた正式な行政窓口なんだ。一般人がフラッと焼き芋を食べに来る場所じゃないの。……で、転職でもしに来たわけ?」
「まさか! 転職なんて面倒くさいことするわけないじゃん。いまの畑仕事と、田舎の川でのんびり釣りをやる生活、最高なんだから。たださ……」
元・魔王は甘い焼き芋を口一杯に頬張りながら、求職者用のファイルを勝手にごそごそと手で弄り始めた。
「ちょっと『一般人としてハローワークに並んで手続きする体験』ってやつをしてみたくてさ。ほら、僕って昔からそういう庶民の社会手続きとか憧れてたから。……この『一般事務(経験不問・まかない付き)』とか、僕にピッタリじゃない?」
「お前が求人票に本名なり前職なり書いた瞬間、この建物ごと王都の中央騎士団がすっ飛んでくるから絶対にやめろ」
「まあ、書類に『前職:魔王』って書いたら、さすがのノアでも書き直しさせるか」
元・魔王はケラケラと笑い、焼き芋をモグモグと噛み締めながら、ふと思いついたように窓の外を指差した。
「そういえばさ、あのアホ……黄金の金ピカ勇者様は元気にしてるの?」
「昨日もここに来て、散々愚痴を叩きつけて帰っていったよ。胃を痛めながらな」
「……ぶははっ! やっぱりあのアホ、まだ見世物小屋のパンダみたいな生活させられてんの!? ほんと自業自得だよねえ! だってさ、あいつ昔から頭のネジが飛んでたじゃん。僕の城に遊びにきた時もさ、最終的に謎解きの罠とか全部無視して壁をゴリ押しでぶち破ってきたんだよ? 連絡先も聞かずに暴れ回るから世間が勘違いして『伝説の勇者』なんて祭り上げるんだ。本当、あのアホのせいで僕らまで変な茶番劇につき合わされる羽目になったんだから!」
「……お前も迎えに行けばよかったじゃん」
「意地でも僕の城に向かってくるんだからさぁ、待ってあげるのも友達じゃん?まあ、あのアホは途中から無策で突っ込んできてたから余計にタチが悪いんだよ!途中で離脱した元パーティの人とか哀れなもんだよ。本当は何しに行くのかも知らないんだから」
元・魔王は呆れたように肩をすくめ、焼き芋の皮を紙袋にポイと捨てた。
そして、急に少しだけ声を落とし、椅子を前傾させてノアの顔を盗み見た。
「……で、冗談はさておきさ。さっきすれ違った黒づくめ、噂の『神国と王国の最高機関』の手先だろ? ついに僕たちのあの八百長を本格的に疑い始めたらしいじゃん」
「察しがいいな。お前、田舎で隠居してる割に情報が早いぞ」
「だって、僕のいる田舎の酒場にまで、最近見慣れない奴らがチラホラ噂を探りに来てるんだもん。『大戦中の話しに詳しい人間』とか何とか言ってさ。……ねえノア、あいつら本気で君のこと探し出したらどうするの?」
ノアは冷めたお茶を一口すすり、静かに目を細めた。
「どうもしないさ。さっきも言った通り、ここはただのハローワークだ」
「ぶっ……くくっ! 相変わらずだねえ! でもさ……」
元・魔王の目が、一瞬だけかつて魔界を統べた者特有の鋭い光を帯びた。
「神国のお偉方だけじゃなく、王国の連中まで本気で動き出してるってことは……あの『三者会談の夜の誓い』……僕と君とあのアホ勇者の3人で結んだ密約の記録を探してる可能性があるよ。もしあの夜の合意書……僕らが不味いエールを回し飲みしながら、カッコつけてサインしたあの紙切れが公に出たら、勇者も僕も、そして君も……ただじゃ済まないからね。隠し場所、大丈夫なの?」
「問題ない。世界で一番安全で、世界で一番手出しできない場所に隠してある。まあ、あの時は飲み過ぎたしなぁ……半分ぐらい記憶無いし」
ノアの視線が、部屋の隅でぐうぐうと眠るケルベロスのポチへと向けられた。
その太い首に巻き付けられた、古びた革の首輪。その金具の裏側に、折りたたまれた極小の羊皮紙がひっそりと縫い込まれている。魔界最深部の門番であり、神国の騎士団すら一瞬で噛み砕く巨獣の首元から、わざわざ書類を盗み出そうとする馬鹿はこの世に存在しない。
「なるほどねえ! 確かにそこなら誰も奪えないわ」
元・魔王は感心したようにパンと手を叩き、椅子から立ち上がった。
「よし、じゃ僕はそろそろ帰るわ。夕方から畑のカボチャの収穫があるし。……あ、またあのアホ勇者が愚痴りに来たら、『たまには顔出せ』って伝えておいてよ。田舎の酒くらい奢ってやるからさ」
「ああ、また来たら伝えておく」
「頼んだよ〜」
元・魔王はひらひらと手を振りながら扉へと向かい、その途中でふと思い立ったように、丸くなっているポチの前にかがみ込んだ。
「じゃあな、ポチ! ノアのこと、ちゃんと頼んだぞ〜」
わしゃわしゃと馴々しくポチの頭を撫でまわした、その瞬間。
ガブッ!!
「アギャッ!!?? 痛い痛い痛い! 噛むな! 首が三つもあるんだから一個くらい大人しく……痛いって!!」
ポチの右側の首が素早く動き、元・魔王の腕を容赦なくガブリと噛みついた。左の首が「ウザいんだよ」と言わんばかりにフンと鼻息を吹きかける。
「ノア! こいつ全然懐いてないんだけど! 元・飼い主の威厳とかゼロなんだけど!」
「当たり前だろ。ポチはお前のペットじゃなくて俺の相棒だからな。とっとと帰れ」
「くっそ〜! 覚えてろよ自慢の人参喰わせないからな!」
元・魔王は噛まれた腕を押さえ、半泣きになりながら慌てて壊れた扉から逃げ出していった。
ドタバタとした足音が遠ざかり、再び静けさが戻った執務室。
ポチは「ペッ」と口をゆすぐような仕草をした後、ノアに向かって短く「グルゥ」と低く喉を鳴らした。首輪の金属パーツが、ランプの光を浴びて小さく鈍い光を放つ。
「お疲れさん、ポチ。あいつ、相変わらずうるさかったな」
ノアは冷めきった湯呑みを引き寄せ、小さく笑った。
王都の裏で暗躍する最高機関の陰謀と、ポチの首輪に眠る世界の真実。
平和なハローワークの日常の裏側で、静かな嵐の予感が確実に高まりつつあった。




