第十三話 お役所のお仕事
「失礼する。王都直属・特務調査課だ」
ガン、と重いオーク材の扉が、蝶番がひしゃげるような乱暴な音を立てて蹴破られた。
踏み込んできたのは、全身を特製の黒い魔導革鎧で包んだ冷酷そうな男たち三名。いかにも王都の裏社会や暗部で場数を踏んできた殺気漂う面構えで、部屋の空気が一気に凍りつくように重くなった。
だが、部屋の隅の暗がりで丸くなっていたケルベロスのポチは、そんな殺気など蚊の羽音程度にしか思っていなかった。面倒くさそうに片目だけを薄く開き、フンと鼻息を漏らすと、「また変なハエが湧いたな」と言わばかりに、再び巨体を床に預けてぐうぐうと大きなイビキを再開する。
その異様な光景に、踏み込んできた暗部の男たちの足がわずかに止まった。
「ん!?な、なんだ!?犬?犬なのか?あ、うん……ゴ、ゴッホん!」
先頭に立っていた隊長格の男、鉄火場で数々の裏切り者を始末してきたというベテランの査問官が、すぐに険しい顔を立て直し、ギラついた目をデスクの前に座る男へと向けた。
「おい、そこの。……最近、この辺りでやけにスキル事情に詳しい、怪しい役人がいるってタレコミがあってな」
男は懐から、部下から回された雑な聞き込みメモを無造作に突きつける。ただの「怪しい情報提供の数々」を片端からシラミ潰しに当たっているだけの状態だった。
「上の連中が『噂』とかでピリピリしててねえ。怪しい奴は全員引っ張って、地下の尋問室で徹底的に洗うことになってる。お前も一緒に行ってもらうぞ」
男の合図で、背後の部下たちが一斉に冷たい金属音を響かせて抜刀の気配を漂わせた。じりじりと、逃げ場を塞ぐように距離を詰めてくる。
普通の人間であれば、このプレッシャーだけで腰を抜かすか、冷や汗をダラダラと流して言葉を失うところだ。
だが、ノアは眉一つ動かさず、手元のインク壺に万年筆のペン先を軽く浸した。
「なるほどねえ……。で、君たち」
「なんだ、遺言か?」
「その手に持っている『特務調査』の身分証と、王都中央魔導管理部の立ち入り許可証を見せてもらえますか。手続き上の確認が必要なんでね」
男たちは「は?」と馬鹿にしたような鼻息を漏らした。
「今更、命乞いの真似事か? これが本物の王都直属の証拠だ。文句あるまい」
「文句は、大ありですね」
ノアはスッと息を吐くと、引き出しの奥から、分厚くて埃をかぶった一冊の冊子を取り出した。表紙には『王都行政監察規程および関連法規集(全三巻)』と厳めしい文字が並んでいる。
パラパラと慣れた手つきでページをめくり、ノアは冷徹なまでの事務的な視線を男たちに向けた。
「第一に、王都の治安維持権および臨検権は中央騎士団の正式な管轄であり、特務調査課のような非公開部隊が事前の申請なしに一般の行政窓口へ踏み込むことは、規程の第九条に真っ向から違反します。第二に、その手に持っている立ち入り許可証の印影……これ、先月の末日で更新期限が切れてますよ。事務手続き、忘れてませんか?」
「なっ……!?」
男たちがハッとして手元の魔導書や証書を見下ろす。だが、管理部のハンコは確かに先月で切れていた。
「さらに言えばですね」
ノアはトントンと書類を机に揃え、呆れ混じりの溜息をついた。
「ここは王都の認可を受けた正式なハローワーク、特別指導課の窓口です。正当な理由なく公務を妨害し、相談員の業務を脅かした場合、『行政妨害罪および国家資産管理法違反』が適用されます。君たちの所属部隊……特務調査課?正式な手続きでいけば、隊員全員の最低三か月の減給処分になりますが……それでもここで暴れますか?」
ピン、と張り詰めた静寂が部屋を支配した。
刀を抜こうとしていた男の手が、ピタリと止まる。
「い、いや……俺たちはただ、上からの命令で手当たり次第に……」
「上からの命令なら、ちゃんと正式な『窓口相談予約票』を総務部に提出して、三週間後に順番待ちの列に並んでください。うちは役所なんですよ、裏社会の暴力団の事務所じゃありません。ルールを守れないなら、今すぐ不法侵入で警備を呼びますが?あと、『噂』ってなんですか?何の『噂』かもわからんのに、説明できます?『噂』だか何だか知らんけど!?私もそんなんで仕事してみたいもんですな!」
ノアが淡々と、しかし凄みのある声音で言い放つと、百戦錬磨のはずの暗部の男たちは、冷や汗をダラダラと流しながらジリジリと後ろへ下がり始めた。
刃物や魔術なら、どれだけ腕に覚えがあっても力ずくでねじ伏せられる。だが、「お役所の始末書の書類地獄、そして面倒な懲戒手続き」を突きつけられては、国家の特務調査課といえども一歩も引けを取らざるを得ない。下手に暴れれば、自分の首が飛ぶのは確実だった。
「……っ、覚えてろよ……!」
捨て台詞を残すのが精一杯だった。男たちは先ほどまでの殺気が嘘のように慌てて踵を返し、バタバタと逃げ出すように去っていった。
バタン、と再び重いオーク材の扉が激しく閉まる。
静けさが戻った部屋で、ノアはふうと大きく肩の力を抜き、椅子の背もたれに深く体を預けた。
「やれやれ……。お上のお偉方は暇人ばかりだが、こっちは毎日の書類仕事で手一杯だってのに」
すると、ポチが「グゥ」と低い喉を鳴らし、まるで「お疲れ様でした」と言いたげに尻尾を床にトントンと叩いた。
「おっ、ちょうどいい。ポチ、さっき冷めちまったお茶を淹れ直してくれ」
王都の裏で暗躍する最高機関の陰謀などどこ吹く風。
特別指導課の日常は、今日も変わらず、平和で泥臭い手続きの続きへと戻っていくのだった。




