お隣の猫さん
本日は六月上旬。早いところでは蝉の合唱がそろそろ始まりそうな季節。そして、しっとり暖かい梅雨の季節が本日始まった。
三浦茜はふと、隣の席に目をやった。すると、そこには学校指定ではない薄手のパーカーを堂々と羽織りながら気持ちよさそうに深い眠りについている少女がいた。
「佐伯さん、佐伯さん、授業始まってるよ」
「……あと五分」
一瞬、目を覚ました彼女はそれだけを言い残して睡魔に絆されていった。どうしたものか、と茜は思うが先生も先生で気づいていないのか諦めているのか、こちらに注意しに来る様子はない。
目の前で怒られているのを見たくないという気持ちもあるが、隣で爆睡されるのもそれはそれで気になる。そんな茜はちょくちょく隣を観察してみることにした。
彼女は教科書類を枕にして少しでも上質な睡眠を取ろうとしている。しかも、高めの枕が好きなのか、筆箱も巻き込まれていた。
痛くないのかな?そう思うと同時に気持ちいいのかな?そんな疑問が湧いてくる。
まだ、一限。昨日までは普通に授業を受けていたというのにどうして突然こうなったのか。夜更かしでもしたのか?
……猫みたいだな。
心做しかそう思えた。
◇◇◇
一限終了のチャイムが鳴った。それと同時に教師の説明が終わり、学級委員によって号令がかけられる。五十分、硬い椅子に腰掛けていたので背筋を伸ばしてやるとこれが気持ちいい。
「うーん……んん」
茜が二限の準備をしようと廊下へ出ようとした時だった。隣から猫のような声が響いた。もちろん、猫が実際に教室にいる訳では無い。佐伯猫依。先ほど爆睡をかましていた彼女だった。
「……あ、おはよ」
「え、ああ、おはよう」
猫依がケロッと顔を上げ、あくびをしながら茜の横を通り過ぎて行った。そして、猫依は次の授業の教科書を持ってくる。
「……何か?」
「え?」
「いや、なんかぼおーっとしてるからさ。熱中症?」
「いやいや、別にそんなんじゃ……」
「……ふーん」
猫依はすぐに着席し、机上を整える。その形は到底授業を受ける設備ではなく、できるだけ快適に寝るための設備であった。あれこそが真の睡眠学習なのだろうか。
「……また、寝るの?」
「え、うん」
ふと、気になったので茜は聞いてみたが、猫依は「当たり前でしょ?」みたいな目で二つ返事を返した。ここまで反ストイックな人間は初めて見たかもしれない。
「もしかして昨日、夜更かしした?」
「十一時睡眠、六時起床」
「あら、健康的」
七時間睡眠をしたというのにまだ睡眠を求めるのか。……なんなら、一限寝てたから実質八時間睡眠か。つくづく猫みたいだな、と思う。
「で、でも……昨日までは普通に授業聞いてたじゃん」
「昨日までは梅雨じゃなかったから」
「……ん?」
「梅雨だとなーんにもやる気起きないんだよね。……あーあ、除湿機欲しい。早く梅雨終わって欲しい。マジで嫌い」
理由になっていない気もするが、気持ちはわからなくもない。梅雨とかいう日本で一番暮らしにくい時期はやる気が起きないのは茜も同じだ。
……だけど、それにしては無気力すぎやしないか?
彼女曰く、毎年梅雨の時期になると食欲低下や吐き気などに悩まされるらしい。……その症状は猫だ。梅雨の時期に多く見られる猫の体調不良だ。
佐伯猫依は体の作りが猫に近いのかもしれない。
「まぁ、無理はしないよう──」
その一言をかけて茜が次の授業の準備をしようとした時だった。理不尽なるチャイムが二限の始まりを告げた。
「あ……」
まだ、先生が来ていないのならギリギリ間に合う可能性がある。まだ行けると、先ほどまで隣で爆睡していた人間に呆れていた人間が同じレベルの行動をしようとした。
……だが、その希望も儚く、二限の論表の教師はすぐさま教室に入ってきた。
そのまま、号令をかけられ、完全に出るタイミングを失った茜は諦めて大人しく席についた。
「ねぇ、三浦くん。良かったら私の見る?」
「え?いいの?」
「なんか、私と話してたからこうなっちゃったんだし……たぶん、私寝るし」
余計な二言目がなければ素直に感動はしていたが、ありがたいことには変わりはない。茜は少し身を乗り出して猫依が開く教科書を覗き込もうとした時だった。
「それじゃあ、見にくいでしょ」
そう言い、猫依が机をくっつけた。そして、二つの机の中心に猫依の教科書が置かれる。
「あ、ありがとう」
「じゃ、私は寝るから」
「……え」
教科書を失った猫依は自身の腕を枕代わりにして授業が始まって二分で伏せた。この場合、猫依が注意されたら茜もその巻き添えになる可能性が高い。ので、茜は少々慌てる。
「ちょ、佐伯さ──」
「あと君さ、一限の時私の事チラチラ見てたよね?」
不意打ちのように猫依が顔を上げて茜に聞く。
「それは、その……」
「えっち」
「なっ……!?」
猫依はしてやった顔をして再び伏せ、今度は本当に寝息を立てて寝ていた。
……気まぐれで、周りへの影響を考えずに行動する。……本当に猫のような人だ。茜はそう思った。
結局、その日は猫依は注意されることなく授業を終えた。
隣の猫は本当に梅雨が嫌いらしい。




