第12話 一難去ってまた一難
そして龍化を解きかけた彼女の身体が、徐々に人の形へと還りつつある。
深紅に煌めいていた鱗が次第に剥がれ落ち、滑らかな肌が露わになっていく。
額の両側の龍角が縮み、翼の骨格が消えていくのだ。
燃えるような赤いツインテールだけが、変わらず肩に流れている。
ただし──武道服は龍化の影響で破損状態が激しい。
変身の余波で布地が各所から破れ、腹部や肩口が露わになっている。
さらに蒸気を全身に纏うシュンリンは、濡れた肌を晒していた。
「っ……はあ……。久しぶりに使ったから……全身が痛てぇ……」
震えるような声で彼女は呟く。
だがそれが音として認識されたことで、この空間を支配していた無音が、完全に消滅した事を意味していた。
そして悠真はシュンリンの身を案じて声を掛けようとするが――――
「おい! 大丈夫か──」
「っつうか近寄んな、バカ!今のあたし、服、ほぼ……ないんだから……っ」
顔を真っ赤にして、彼女が腕で胸元を隠す。
赤金色の大きな瞳が羞恥に揺れ、額から汗が滴っていた。
彼は咄嗟に漆黒の外套を脱ぎ、そっとシュンリンの肩に掛ける。
手が触れた瞬間、彼女の肌は熱く、確かに震えていた。
「悪い。でも……お前が命張ってくれたおかげで勝てた。ありがとうな」
人差し指で自身の頬を掻きながら、悠真は感謝の言葉を口にする。
「……ん。そう……かもな」
微笑みかけた彼女の頬に、ほんの少し紅が差す。
『外套かけてあげてる……』
『悠真くんかっこよすぎる』
『シュンリンさんの顔赤い』
コメント欄が落ち着きを取り戻し、穏やかに流れてゆく。
だが、その時だった。
地面が低く振動した。
次の瞬間、シュルノームの残骸があった場所を中心に、不可視の魔力が渦を巻くように発生し、静かに一対の石門が出現する。
古代神殿を模したような荘厳な造形の門。
朽ちた石柱に奇妙な紋様が浮かび上がり、中央のアーチには未知の文字が赤紫に発光していた。
「……あれは、門か。謂わば隠しフロアだな」
銃を構えたままアウラは、猫耳を立てて低く呟く。
「魔物の体内に隠されていた転移門……倒さなければ開かない仕組みですの」
金色の狐耳を逆立てながら、アイリスは蒼い瞳で門を見据える。
悠真が一歩踏み出して門に近づいた瞬間、足元から淡い光が漏れ出した。
それは魔法陣である。
複雑な幾何学模様が編まれ、七色に揺らめく光が全員に絡みつく。
「やばい、発動式の転移魔法だ……っ! くそっ! こんな状況でかよ──」
悠真は声を荒げるが抗う暇もなかった。門の中心空間が歪み、眩い閃光が一気に広がる。
「うわっ……!」
「光が……目を開けていられない──っ」
仲間たちも反応を取るが、爆発的に弾けた光が、全員の視界を全てを白く塗り潰していく。
重力の感覚が失われ、身体が浮き上がるような錯覚を覚えた。
耳も感覚も、遠くに置き去りにされたように、何も聞こえない。
ただ、眩しい光だけが、全身を包んでいた。
やがて光が収まる。
ひとしきり目を閉じていた悠真は、眩い余光が去るのを感じて、ゆっくりと瞼を上げた。
「……どこ、だここ……」
口に出す声が、どこか遠くに吸い込まれていくようである。
視界は妙に広く、白く淡い。
天井がどこにあるのか判然とせず、空間全体が半透明の霧に包まれているような印象を与える。
温度は低くはないが、妙に乾いていた。
足元を見れば深く磨かれた漆黒の床──まるで水面のように周囲の像を歪めて映している。
周囲には誰もいない。
ホウキも、シャルルも、アウラも、アイリスも、シュンリンも。
「…………は?」
混乱と不安の入り交じる息を漏らし、悠真は素早く周囲を見回した。
壁はない。視界の限り、ただ果てしなく続く構造物がある。
左右対称に並ぶ大理石のような円柱。
天井から吊るされた無数の無灯ランタン。
巨大な建築物の内部のようでいて、どこにも出入り口はなかった。
音がなかった。耳鳴りが聞こえるほどに、静かである。
何かが頭上に当たった。肩口で、もう一滴。
悠真は思わず空を仰いだ。
濃い霧のように覆われた天井の奥から、ゆっくりと透明な雫が降ってきていた。
「雨……?」
それは雨と呼ぶにはあまりに緩やかで、乾いた空間に紛れ込んだ異物のようである。
「おーい……! 誰か、いるなら──」
デッキケースに手をやりながら、悠真は慎重に一歩を踏み出す。
──その瞬間だった。
頭上の霧の奥から、巨大な魔法陣が展開される。
三重円の構成を持つ幾何学図形が、光を帯びて浮かび上があった。
中心には見覚えのない古代文字。
周囲に揺らめく黒い靄が生じたかと思うと、ゆっくりと中心から誰かが降りてきた。
悠真の呼吸が止まる。
──それは、見知った人影だった。
黒いポニーテールを揺らし、東の国風の軽装和装に身を包んだ女性。
鍛え抜かれた細身の体躯、すらりとした腰のラインを包む和装の裾。
腰には一振り、太刀が携えられている。
彼女は静かに、地に降り立った。
「……ホウキ……?」
悠真は言葉が詰まりそうになる。
それは確かに、ホウキだった。
しかし──彼女の切れ長の瞳が、赤い光を帯びている。
紅玉を思わせるその色は、感情の色を一切宿していない。
口元にはうっすらと微笑のような線が描かれていたが、それはぎこちない、貼り付けたような笑みだった。ホウキの気配が、完全に変わっている。
「……冗談、だろ」
悠真の手が勝手に震えた。
彼女の右手が、ゆっくりと柄にかかる。
軽いと音を立てて、太刀が鞘から抜かれた。
鋭く、容赦のない殺気。
彼の全身を冷たい針が這うような感覚が襲う。
「ちょっ、待──」
それを言いかけた瞬間、空間が揺れた。
一閃。紙一重で身体を捻りかわした悠真の視界を、銀の軌道が掠める。
衝撃波の余波で、ふわりと前髪が宙に舞う。
「っ、なにしてんだよホウキ! 俺だ! 悠真だって!」
応答はない。ホウキの脚が地を蹴り、もう一度斬りかかってきた。
その動きは鋭く、正確で、迷いがない──それでいて、どこかほんの僅かに遅れているようにも見える。
悠真は後退しつつ、デッキケースからカードを引き抜いた。
「簡易領域能力──クイック・デュエル・フィールド!」
足元に魔法陣が広がる。
「ビキニメイド・シールドマリア、召喚!」
純白の盾を構えた、守護型の女性が悠真の前に現れ、ホウキの次の一撃を受け止めた。
金属が軋む音が空間に響き、魔力の光が散る。
「主よ、この方を──」
「攻撃するな! ホウキは敵じゃねぇ……はずなんだ……!」
だがその叫びは、空虚に響いた。
ホウキの斬閃が続く。
シールドマリアが何とか捌くが、その圧力は凄まじく、彼は少しずつ後退を余儀なくされた。
「なにがどうなってんだよ……ホウキ、マジで……俺を殺す気かよ……?」
だが、一瞬。ごくごく僅かに。ホウキの太刀の軌道が、ぶれた。それは確かにある。
たった一度だけ、彼女の斬撃が核心を外れた。
狙える位置で、狙える速さで、にも関わらず──刃は悠真の首筋ではなく、漆黒の外套の肩口をわずかに掠めるだけに留まる。
布地が裂ける。だが皮膚は傷つかない。
それ以上に──彼の胸を締めつけたのは、その一瞬のためらいだった。
「……ホウキ……お前……そこにいるのか……?」
答えは、なかった。彼女は無言のまま、太刀を構え直す。
だが──その構えが、わずかに震えている。
赤く光る切れ長の瞳の奥に、何か別のものが揺れているような気が、悠真にはした。
二人は静かに、霧の中で向かい合ったまま、互いの息遣いだけを感じている。
しかし彼は、もう気づいていた。あの眼差しの奥にある、一種の迷いとためらいに。
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