第10話 酒の力
「……悠真」
いつもの硬質な軍人の声ではない。
「今日、お前がいなければ……私は、とっくに壊れていた」
青灰色の瞳が、まっすぐに悠真を見据えている。
「だから……その、なんだ」
アウラは視線を逸らし、グラスの縁を指先でなぞった。猫耳がさらに深く伏せられる。
「……感謝している。それだけだ」
「アウラ……」
「それ以上言わせるな。恥ずかしい」
ぼそりと吐き捨てて、彼女は再びグラスを口に運んだ。
だがその耳の先が、真っ赤になっていることに、アウラ自身は気づいていない様子。
そして今度は隣から、頬を赤らめたホウキが、自身の胸に手を添えながら――――
「悠真様が……命を懸けて守ってくれたこと、私は忘れておらぬ。あの時、背を向けず、私を信じてくれたその姿勢に……この命を賭けるに値すると、そう思ったのだ」
薄紅の唇を噛み締めながら、彼女は静かに言葉を紡いだ。
切れ長の黒い瞳が、珍しく感情を露わにして揺れている。
「悠真が今日見せた勇姿……私、心を奪われてしまいましたわ」
甘い微笑を浮かべたままアイリスは、金色の狐耳をゆったりと揺らしながら悠真に囁く。
そして今度は彼の背後から、今にも涙を零しそうな翠色の瞳で、シャルルは訴えかける。
「僕ね……悠真くんが他の子と仲良くしてると、胸が苦しくなるんだよ。これって……もしかして、恋……かなって……」
「しょ……正気か……お前ら……」
悠真の声が震えた。
揺れる魔石灯の光の中、五人の仲間たちが、それぞれの想いを口にしている。
部屋の中は熱気と料理の香りに満ちており、時計が静かに時を刻む音だけが、現実の存在を辛うじて示していた。
すでに皆、戦いの疲労と酒の酔いにより、身を任せるように椅子にもたれかかっている。
その様子を見渡しながら、悠真は困ったように前髪を掻いた。
「ったく……おまえら、どんだけ酒に弱いんだよ」
彼の声は穏やかで、どこか呆れを含んでいる。
とは言え、その目は疲弊しながらも優しく、信頼を寄せてくれる仲間たちを見守っていた。
一人目は、ホウキ。
黒いポニーテールが解けかけ、東の国風の和装の襟元が酔いにより、わずかに乱れていた。
薄紅の頬に潤んだ切れ長の黒い瞳。
酔いと火照りで露出した白い鎖骨に、汗の粒が煌めいていた。
二人目、シャルル。
淡い金色に近い銀髪がふわりと乱れ、長く細い耳が伏せられている。
酔いで上気した頬と潤んだ翠色の瞳が、普段の穏やかさを更に甘く染めていた。
法衣のボタンが、いつの間にか幾つか外れており、白い胸元が無防備に晒されている。
三人目はアウラ。
帝国軍の制式制服は酔いにより襟元が緩められ、上着は椅子の背に掛けられている。
銀灰色の長髪が乱れ、猫耳がぺたりと伏せられていた。
熱のこもった呼吸が吐息となって漏れ、青灰色の瞳が普段よりも柔らかく揺れている。
四人目、アイリス。
腰まで届く金髪が肩に流れ、金色の狐耳がゆったりと伏せられていた。
頬に朱を帯び、尻尾が揺れている。
酒により、いつもの冷静さが丸みを帯び、蒼い瞳が潤んでいた。
五人目、シュンリン。
燃えるような赤いツインテールが乱れ、赤金色の大きな瞳が獣のように、しかしどこか甘く輝いていた。
額の両側の龍角が僅かに赤みを帯び、引き締められた体躯が、椅子に大きくもたれかかっている。
五者五様の色気と雰囲気が、熱を持つ空間を更に濃密なものへと変えていた。
密室の空気は、次第に重さを増していく。
「悠真くん……っ」
先に口を開いたのは、シャルルだった。
「僕……ずっと、キミのことを……特別な人だって、思ってたんだよ……」
その声音は甘く蕩け、悠真の鼓膜を揺らす。
長く細い耳がふわりと揺れ、悠真の手に自らの指を絡めた。
「わたくしもですわ、悠真。貴方の冷静さと優しさ……それに、わたくしを助けてくださった時のあの背中、忘れられませんの……!」
続けて、アイリスが身を起こし、ふらつきながらも毅然とした口調で放つ。
金色の狐耳が立ち、尻尾が力強く揺れた。
次いで、アウラが低く吐息を吐きながら、頬を赤らめる。
「悠真がいなければ……私は、あの幻覚の中で壊れていた。命を預ける相手に……情が移っても、仕方ないだろ」
猫耳がぺたりと伏せられたまま、視線を僅かに逸らしながら彼女は呟く。
「アタシはな……弱い奴が嫌いだ。でも悠真、お前は違う。ボロボロになっても立ち上がる、そういうとこが……好きだぜ」
燃えるような赤いツインテールを揺らしながら、シュンリンは赤金色の瞳を細めて悠真を見据えた。
「悠真様……そなたの背に、我が身を預けられる者など、他にはおりませぬ」
最後にホウキが静かに、しかし凛とした声で言い放つ。
悠真は完全に虚を突かれる。
(いやいや、これは……酔ってるからだよな。こんなん、どう考えても酒の勢いってやつだろ。だって、俺なんかに──そんな、はずが……)
心臓が早鐘を打つ。彼は戸惑いながらも、一人ひとりの手を、震える指で優しく握った。
茶色の瞳が潤んでいる。感情が爆発する直前、ようやく絞り出された言葉は──
「ありがとう。ほんとに……ありがとうな……!」
その声は、誰よりも純粋で、誠実で、誰の心にも真っすぐ届く力を持つ。
五人は驚いたように、あるいは嬉しそうに微笑んだ。
そして、それ以上は何も言わず、静かに自分の椅子へ身を預ける。
誰も、これ以上を望もうとはしなかった。
それが一瞬の夢だと理解している。
酒の力に頼った、幻想のような夜の出来事だった。
――そして、とある日のダンジョン配信。
悠真たちが第七十九層──空響の奈落へと足を踏み入れた瞬間、世界から音という概念が削ぎ落とされる。
冒険者ギルドの記録によれば、この階層は特殊な音響干渉現象が報告されている未踏領域だった。
踏み込んだ者の殆どが、音の消えた恐怖に精神を蝕まれて、撤退を余儀なくされているという。
天井は高く、滑らかな青黒い岩肌が鈍い光を放つ。
光源は見えないが、全体的に仄暗く、夜明け前のような曖昧な青に包まれていた。
濃密な空気が体の隙間にまとわりつく。
床は黒曜石のような質感のプレートで構成されており、一歩進むごとに自分の足音が返ってこないことが、不気味さを増幅させた。
悠真は叫ぶ。確かに声を発しようとした。
しかしその声が喉の奥で震えながらも、一片の音も発しないことに彼自身が最も驚いている。
六人のパーティーは、この階層で配信を行っていた。
魔導配信端末は肩に装着されたまま、無音の中でも淡い緑光を点滅させ、録画は継続されている。
アウラが眉間に皺を寄せ、手話のような動きで、悠真に指示を出そうとした。
猫耳が逆立ったまま固まり、青灰色の瞳が困惑を映している。
普段の厳格な軍人気質とは裏腹に、明らかに戸惑っていた。
無音の空間は、彼らの連携を根本から崩す。
視線、手振り、表情だけで意志を伝えようとしても、これまで培ってきた戦術が機能しない。
そして、その時だった。
蒼黒い天井の隙間からずるりと降りてきた"それ"は、その巨体を彼らの前に無音のまま滑らせる。
まるで黒いマントを反転させたようなシルエット。
体躯は人の五倍以上、鞭のように撓る六本の触腕。
中央に位置する顔のような部分には、眼球も口も存在せず、代わりに無数の円形の空洞が波紋のように広がる。
吸音魔・シュルノーム。
この存在は周囲の音波を完全に吸収し、音の代謝によって魔力を増幅し攻撃を行う。
音がない限り不活性であるはずだった。
しかし、その個体は既に悠真たちに気付いている。
音の無い世界そのものが、奴の領域なのだ。
シャルルが長杖を掲げる。
細い指が流れるような動作で、詠唱を行っているはずだ。
しかし音は発されない。
淡い金色に近い銀髪が、無音の空間で緩やかに舞い、長く細い耳が伏せられていた。
翠色の瞳に焦燥が滲む。
──発動しない。音声詠唱が封じられている。
悠真の脳裏に、最悪の可能性が閃いた。
言霊で成る魔法が封殺される状況。
戦いの基本手段を根こそぎ奪われるということだ。
咄嗟に太刀を抜き、ホウキが突撃する。
黒いポニーテールが翻り、東の国風の和装の裾が静かに舞う。
しかし、その一撃は触腕の一本に軽く弾かれ、宙を裂くに留まった。
シュンリンが龍化した腕で突進する。
燃えるような赤いツインテールが乱れ、硬質な爪の拳が触腕を直撃した。
しかし、見えない膜のようなものに阻まれ、弾き返される。
赤金色の大きな瞳が驚愕に見開かれた。
アイリスが幻影を展開しようとする。
金色の狐耳が立ち、レイピアを構えたが、幻影もまた音を媒介とする部分があるのか、展開が不完全なまま霧散した。
蒼い瞳が悔しさに細まる。
シャルルが距離を取ろうと後退しようとするが、シュルノームの触腕が床を叩くと、その振動で黒曜のプレートが砕けた。
衝撃にバランスを崩し、彼女が倒れる。
悠真は即座にスライドするように、彼女のもとに駆け寄り、その体を抱き起こす。
微かに震える肩。
彼女の唇が何かを言っていたが、当然聞こえない。
長く細い耳が伏せられたまま、翠色の瞳が揺れていた。
それは、怖いのか、痛いのか、わからない。
音のない世界では、己の心音が余計に響く。
アウラが攻撃の隙を狙い、魔力を込めてシュルノームの側面に跳躍した。
しかし、見えない膜のようなものに押し返され、壁に叩きつけられる。
帝国軍の制式制服の裾が裂け、猫耳が伏せられた。
悠真は奥歯を噛み締める。
出したい声は出ず、出すべき指示も出せない。
(──やるしかない。俺が、最前に立つ)
そう思いながら、デッキから取り出しのは、一枚のカードだった。
通常は音声詠唱で領域を展開し、そこから召喚を行うが、この空間では通用しない。
ならばと悠真は、魔力の流れだけで、直接カードに意志を込めた。
右腕が焼けるように熱を帯び、デッキケースの魔力紋様が青白く発光する。
『ビキニメイド・アクアセイバ――――』
口が動く。声は出ない。しかし魔力だけが、その意志を形にした。
光の粒子が彼の前に集まり、水のように滑らかな女性型の召喚体が現出する。
水色のビキニアーマーを纏う細身の女性が、無音のまま悠真の前に整列した。
召喚が完了した瞬間、シュルノームの動きが僅かに鈍る。
魔力を伴う出現が刺激になったのだ。
アクアセイバーは無音のまま、滑るように魔物に接近し、その水刃を触腕に叩きつける。
液状の刀身が一閃し、一本の触腕を切断した。
黒い霧のような何かが弾け、空間に拡散する。
アクアセイバーの水刃が、触腕を切断した余韻が、視覚的な残光として空間に残っていた。
その隙を、悠真は見逃さなない。
手振りでホウキに、右側への回り込みを指示した。
切れ長の黒い瞳が一瞬で意図を汲み取り、黒いポニーテールが翻る。
太刀が閃き、切断された触腕の断面へと、一閃を叩き込む。
黒い霧が再び散る。
しかし連携は、まだぎこちなかった。
アウラが魔力を込めた拳でシュルノームの側面を狙い、同時にシュンリンが龍化した腕で正面から突撃を仕掛けようとする。
しかし音による合図がない状態では、二人の動きが僅かにずれ、互いの軌道が干渉してしまった。
アウラの猫耳が逆立ち、シュンリンの赤いツインテールが乱れる。
二人が視線を交わし、苦い表情を浮かべた。
悠真は必死に手振りで合図を送り、全員の動きを整えようと試みる。
最初はぎこちなく、視線のやり取りも辿々しかった。
だが数分の攻防を経て、少しずつ視線と手のサインによる連携が形になる。
悠真がシャルルに向けて左上方を指差す。
その意図を彼女は汲み取り、長く細い耳を立てながら長杖を構え、魔力の奔流を左上方へと解き放つ。
音なき魔法が視覚的な光の軌跡だけを残して飛翔する。
同時に悠真が、デッキからカードを引き抜いた。
魔力だけを込めて意志を乗せる。口が動く。声は出ない。
ビキニメイド・スナイプ・ルージュが現出した。
狙撃手のような構えを取る女性が、シャルルの魔力弾を増幅して追撃する。
ホウキとアウラも視線を交わし、斜め後方から挟撃に入った。
シュンリンが正面で注意を引きつけ、アイリスの幻影が別方向から圧力をかける。
金色の狐耳が立ち、蒼い瞳が集中に細まっていた。
完全とは言えないながらも、連携が機能し始めていり。
冷たい無音の空間に、見えない絆の熱が生まれ始めていた。
しかし──その瞬間である。
魔物の触腕が突如、異常な動きを見せる。
通常よりも速く、鋭い軌道がシャルルの死角から迫った。
無音のため、その異変に誰も気づかない。
彼女自身も、背後に忍び寄る殺意に、反応できなかった。
淡い金色に近い銀髪が、衝撃で大きく舞う。
悠真は目を見開いた。
考えるより先に体が動く。
悠真はシャルルの前に飛び込み、同時にデッキからカードを引き抜く。
ビキニメイド・ガーディアン・エメラルド。
緑色の光を纏う守護型の魔物が、悠真とシャルルの前に瞬時に実体化した。
盾を構えた少女が、迫りくる触腕を真正面から受け止める。
衝撃で床のプレートが砕け、エメラルドの光が激しく明滅したが、防壁は破れなかった。
間一髪である。
悠真は荒い呼吸を整えながら、シャルルを背に庇ったまま膝をつく。
振り返ると彼女が、震える手で悠真の外套に触れていた。
長く細い耳が伏せられ、翠色の瞳が涙で潤んでいる。
それでもその頬には、確かな微笑みが浮かんでいた。
口が静かに動く。
『──ありがとう、悠真くん』
無音の世界の中、それは確かに伝わる。
彼らの絆は、音をも超えて繋がっていた。
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