第1話 灼熱地獄にて
灼熱──という語句が、どこまで正確に、この空間の性質を言い表せるのか。
少なくとも、悠真の足元を這い回る溶けかけた石畳の模様を見て、単なる熱帯や真夏日などという程度で表現するには、あまりに生ぬるいと感じるだろう。
現在、悠真一行は当然の如く配信中であり、第七十四階層――炎王の回廊における異常気象”灼熱暴走”の様子を全世界の視聴者に届けていた。
『やばいやばいやばい! これガチで全装備溶けるやつじゃん!?』
『この装備って高い奴だろ!? 悠真ァァァ! 逃げてぇぇ!』
『うそ……シャルルさん顔真っ赤じゃん……汗やば……』
『わたくしのアイリス姫が瀕死の状態にいいいいい!』
コメント欄は荒れていた。だがそれも当然である。
フロア内気温、摂氏七十二度。風速ゼロ。
風はなく、上昇する熱波だけが皮膚を蝕むように、舌なめずりを繰り返す。
酸素濃度も極端に薄く、呼吸するたび喉奥が焼けるような刺激に襲われた。
「っぐ……は……アイリス……おいっ! アイリス! こっちを見ろ!」
彼の肩に、腰まで届く金髪が、べったりと貼りついている。
汗と熱で乱れた金色の狐耳が伏せられ、尻尾が力なく垂れていた。
「……あつ、く……あぁ……。わたくしは……こんな……無様な……格好で……」
アイリスは誇り高いシルヴェスター家の令嬢としての矜持を、まるで毒でも食らったかのように、
ゆっくりと崩しながら蒼い瞳を閉じかけている。
その頬はすでに赤く火照り、陶器のような白い肌が痛々しい紅潮に覆われていた。
「喋るな、バカ。今シャルルが水の魔法で、お前を冷やしてる……っつか、シャルル、もういい! もう無理すんなって!」
「ふふ……大丈夫、です……まだ……魔力は残って……っあ……」
悠真が声を荒らげると、少し離れた岩陰から細く穏やかな声が聞こえる。
だが次の瞬間には、その場に座り込む影が、彼の視界に映った。
水の魔法陣を展開していた彼女が膝を折り、そのまま崩れ落ちたのである。
淡い金色に近い銀髪が石畳に広がり、長く細い耳がへなへなと伏せられた。
透き通った水のカーテンが一瞬その肢体を包んだが、次の瞬間には軽い音を立てて魔力切れにより消え失せる。
「シャルルッ! おい、魔力尽きたのか!? くそ、こんなところで──!」
即座にアイリスの身体を地面に横たえ、悠真は走り出そうとした。
だがその刹那、シャルルの指が、震えるように空中で何かを描く。
いや、それは円ではなく──花。水の花の魔法陣である。
「……最後の……贈り物、ですよ。……アイリスちゃん……お身体、冷やして差し上げます……から……」
幻のような水の粒が、アイリスの肌を優しく包み込んだ。
装備の隙間から浮かび上がる、柔らかな輪郭が徐々に冷却されていく。
その魔法は、どこか妖艶なまでに幻想的。
だが、次の瞬間。シャルルの身体が、大きく前に倒れる。
「──っ! シャルルッ!」
悠真が駆け寄る頃には、彼女は意識を完全に失っていた。
だが、その唇には満足げな笑みが残されている。
長く細い耳が完全に伏せられ、翠色の瞳が静かに閉じられていた。
その表情は、まるで自らが望んで全ての魔力を使い切った者のそれである。
灼熱の風が再びフロアを這いずるように吹き抜けた。
彼は即座に、ホウキたちにアイコンタクトを送りシャルルを任せると、自らは歯を食いしばり再びアイリスの身体を背負う。
「冗談じゃねえ……こんなとこで……死んでたまるかよ……っ!」
アイリスの柔らかな身体が、悠真の背中に重くのしかかる。
だが重量以上に、その熱が彼の背筋を直に焼くようだ。
装備に施されていた耐熱加護は、もう時間切れが近い。
漆黒の外套の警告紋様が、執拗に赤い光を点滅させていた。
そして――突如として地鳴りが起きる。
次の瞬間、灼熱の闇の中から十二体の魔物が現れた。
悠真は息を呑んだ。
それは、これまで遭遇してきた、どんな魔物とも異なっていたからである。
獣のような四肢を持ちながらも、その全身から滲み出る魔力の密度が根本的に違う。
ダンジョン深層特有の灼熱暴走の異常気象を、まるで栄養として吸収したかのように、その体躯は灼熱の空気と同化していた。
皮膚は溶岩が冷えて固まったような質感で、表面に走る亀裂から赤黒い炎が漏れ出している。
四肢の筋肉は異常なまでに発達しており、一歩踏み出すたびに焼け石の床が陥没した。
そして顔は──人間に似ている。
だからこそ、余計に不気味だった。
歯を剥き出しにし、知性の光を宿した瞳が、一直線に倒れたシャルルへと向いている。
単純な獣の本能ではない。弱った者を、最も効率的に狩る方法を、その瞳は明確に計算していた。
「……魔力数値、計測不能、あの魔物はダンジョン特有の環境すら全身に取り込んで己の力にしている……。こんな個体、軍の資料にも存在しないぞ」
アウラが低く呻いた。猫耳が限界まで逆立ち、青灰色の瞳が初めて明確な動揺を宿している。
悠真はデッキケースを握り締めながら、十二体の魔物を見渡した。
一体一体が、単独でもゴールドランク冒険者を圧倒できるレベルだと、直感が告げている。
それが十二体、群れとして統率された状態で眼前に立っていた。
これまでの戦いで培った経験が、全身に警告を発している。
──これは、今までとは違うと。
「……あの目、完全に狙ってやがるな……」
危機的状況を瞬時に察知すると、最悪の状況を回避するべくアイリスを下ろし、安全な場所に預けてからデッキケースを解放して、彼はカードを引き抜く。
「簡易領域能力──クイック・デュエル・フィールド!」
足元に魔法陣が展開され、青白い光が灼熱の赤に混じり広がる。
「ビキニメイド・インフェルノクイーン、召喚ッ!」
深紅の光が炸裂し、黒と赤のビキニアーマーを纏い、大型の炎の大剣を携えた威風堂々たる乙女が、悠真の前に現れる。だが彼の手は止まらない。
「即時魔術カード──炎陣の号令・ブレイズ・オーダー! デッキからビキニメイド・エンバーウィッチを特殊召喚!」
漆黒と炎が混じる不思議な色合いのビキニアーマーを纏い、炎の魔杖を携えた乙女がインフェルノクイーンの隣に現れた。
一方でアイリスは、岩壁に背を預けたまま動けずにいる。
金色の狐耳が伏せられ、蒼い瞳が朦朧としていた。
金髪が汗に濡れて頬に張り付き、レイピアを握る指先に力が入らない。
「ホウキ、シュンリン、アウラ──シャルルとアイリスを頼む。あの魔物たちは俺が引きつける!」
「悠真様……っ!」
ホウキが太刀の柄を握り締めながら叫ぶ。
だが彼は既に動いていた。
「ターンエンドまで耐えてみろよ……俺が全員引きつけてやるッ!」
そう叫ぶと同時に、悠真は魔物の群れへと飛び込む。
群がる魔物たちはシャルルをちらりと見てから、まるで目的を変えたかのように彼へ向かい突進する。
それはデッキの魔力干渉による囮効果だ。
そしてインフェルノクイーンの炎の大剣が三体を一閃で薙ぎ払い、エンバーウィッチの魔杖から放たれた炎の奔流が別の個体の群れを吹き飛ばす。
しかし、それでも魔物たちは連携を崩さず進軍し、ついにダンジョンによる強化を受けた渾身の一撃を仕掛けた。
「っがあああああっ!」
悠真の腹部に鋭い爪が突き刺さる。
温かい体液が零れ落ちてゆく。
視界が赤く染まり、膝が崩れる。
その瞬間、簡易領域は強制的に解除され、ビキニメイドたちも光の粒子となり消えた。
そして同時に、マギスフィア・ミニも破損し、配信は強制的に終わりを迎える。
「……ああ、クソ……こんな……」
生命力が抜け落ちていくような細い言葉を彼が吐く。
すると時を同じくして、シャルルが意識を取り戻した。
長く細い耳が逆立ち、翠色の瞳が怒りと恐怖に燃えている。
「悠真くんッ!」
彼女の叫びは、まるで悲鳴のようだ。
「駄目……そんな……貴方がここで倒れるなんて、許されませんっ!」
震える指で、鞄からポーションを取り出すと、それを一気に飲み干す。
魔力の衝動が、彼女の中を駆け巡り、翠色の瞳が紅く染まる。
魔力酔い寸前の状態で、シャルルは長杖を握り締め、詠唱を開始した。
「シャルル……無理を……しては……」
岩壁に背を預けたアイリスが、朦朧とした意識の中で呟く。
「無理じゃありませんっ」
強く彼女は言い切る。
長く細い耳が震え、銀髪が灼熱の風に揺れた。
「──癒光の奔流、命の鼓動、豊穣の泉よ……愛しき人を、連れ戻しなさいッ!」
シャルルの詠唱と共に魔法陣が輝き、悠真の傷口が緑と金の光に包まれる。
「お願い……僕の、初めて大切だと思った人なんだよ……戻ってきて、悠真くん……!」
その光の中心で、彼女は長く細い耳を震わせ、涙を流しながら、必死に叫び続けた。
悠真の衣服は裂け、腹部には深々と裂傷が刻まれている。
皮膚は蒼白で、唇は乾ききっていた。
生命の火は今にも消え入りそうに揺らぎ、その周囲で仲間たちは、魔物に警戒心を向け戦闘態勢を維持しながら血と汗と涙で汚れた姿を晒している。
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