第37話 一軍の男子と女子は目の前で女騎士たちを……
「……なんだよ、これ……嘘だろ……」
声を殺して樟葉が呟いた。
いつもは余裕の薄ら笑いを浮かべ、周囲を馬鹿笑いに巻き込むムードメーカーの彼が、今は土気色の顔で唇を噛みしめていた。
色素の薄い銀髪が乱れ、深紅の瞳が現実を拒絶するように揺れている。
白銀の鎧は汚れ、聖剣は手の届かない場所に転がっていた。
「む、無理ぃ……無理無理無理……っ! やだやだやだっ……!」
麗華が両手で顔を覆い、水色のツインテールを揺らしながら、泣きじゃくっていた。
普段のぼんやりとした愛らしさが完全に崩れ落ち、小柄な華奢な体が地にへたり込みそうになるのを必死に堪えている。
丸い水色の瞳から涙が止まらない。嗚咽が、静寂の広場に小さく響いていた。
「……っ、何これ……何なの、これ……っ」
鈴音の声は、普段の高圧的な響きを、すっかり失っている。
ワインレッドの髪が乱れ、赤金色の瞳が焦点を失ったように揺れていた。
黄金のリボルバーは没収され、露出度の高い黒革の戦闘衣装に泥がこびりついている。
口元はかすかに開いたまま、言葉が続かない。
一軍の女王として君臨してきた彼女の余裕が、音もなく砕け散っていた。
「……嘘でしょ。嘘って言いなさいよ……っ」
掠れた声が悲鳴に変わる直前で途切れた。
「……くそ、何で、こんなことになってんだよ……」
悠真は物影から、唇を噛んだまま、視線を逸らせずにいる。
視線の先には、あらゆる陵辱を受けて地面に膝をついた王国騎士たちの姿。
鎧は完全に砕かれ、衣服も見るも無残なほどに裂けている。
素肌に流れる血の筋が、その肌の白さを際立たせていた。
レオノーラ、アナスタシア、リディア、アイラ──彼女たちの誇り高い声が、今は掠れ、痛みによる吐息と呻きしか発していない。
「なあ、これ……冗談だよな……」
背後から声が漏れた。シュンリンである。
あの豪胆な龍人族の女が、燃えるような赤いツインテールを揺らしながら、両腕を抱えて震えていた。
赤金色の瞳から、普段の戦闘本能の輝きが消えている。
悠真の隣で身を潜めていたホウキが、静かに首を横に振った。
切れ長の黒い瞳が深く沈んでいる。
「奴ら、これを見せつける気だ。まるで俺たちへの、警告……」
喉の奥が焼けるような感覚に襲われながら、彼は再び正面を見据えた。
──動けない理由が、そこに明確にある。
冒険者たちの配置を、悠真は何度も頭の中で整理していた。
騎士団とクラスメイトたちの周囲に、常に二、三人の見張りが密着している。
もし今、悠真たちが飛び出せば──その瞬間に人質へと刃が向く。
騎士団だけではない。
樟葉、奏恵、鈴音、麗華、姫香。一軍の連中もまとめて、取り返しのつかないことになる。
全員を同時に守りながら動く手段が、今の手札にはない。
「……悠真。敵の配置、把握した。見張りが人質に常時密着してる。私たちが動いた瞬間、奴らは迷わず人質を斬る。……タイミングが、ない」
低くアウラが囁いた。猫耳を前方へ向けたまま、青灰色の瞳が悠真を見据えている。
それが現実だった。冒険者たちは、もはや隠す気すらない悪意を剥き出しにして嗤っている。
その笑いは人のものというより、獲物を前にした獣に近い。
「見てろよ、ガキども! お前らが俺らに刃向かった“つけ”は──こいつらの命で払わせてもらう!」
一人の冒険者の荒々しい手が、無造作にアイラの栗色の髪を掴み上げる。
根元から引き剥がすような乱暴さで頭が引き起こされ、首筋が無防備に晒された。
「──ぁ……っ、や、やめ……」
彼女の喉から絞り出される声は、もはや騎士のものではない。
恐怖に支配され、命乞いすらまともに言葉にならない、ただの少女の断末魔。
大剣が持ち上げられる。刃は鈍く光り、乾いた血の跡が黒ずんでこびりついている。
これまで何人を斬ってきたのか、一目で分かる代物。
「ほら、よく見ろ。最後だぞ?」
ゆっくりと刃が、アイラの首元へと触れる。
冷たい鉄が肌に当たった瞬間、彼女の身体が大きく跳ねた。
皮膚が押され、わずかに沈み込む。
そこに、じわりと赤い線が浮かび上がった。
「……っ、やめろォおおおおおおっ!」
奏恵の絶叫が、場の空気を裂く。
地面に這いつくばりながら、必死に前へ進もうとするが、拘束された身体は無情にも動かない。
「やめてくれ……! 頼む……! 俺らが悪かった……全部、俺らが……!」
「ククク……いいねぇ、その顔。その声。その絶望……たまらねぇなぁ」
冒険者は敢えて刃を、ゆっくりと引いた。
──ずぶり、と。肉が裂ける、湿った音。
「──あ……?」
一瞬、何が起きたのか理解できないような間。
次の瞬間、細い切り口から、じわりと血が溢れ出す。
それはすぐに、止まらなくなった。
「ぁ、ぁ……っ、ぁ……っ」
アイラの喉から、泡立つような音が漏れる。
切り裂かれた気管から、空気と血が同時に漏れ、まともな声にならない。
冒険者は嗤いながら、そのまま刃を横に引き裂いた。
「ほらよ──終わりだ」
ぶち、と。筋肉と皮膚が一気に断ち切られ、首元が大きく裂ける。
次の瞬間、溜め込まれていた血が噴き上がった。
鮮やかな赤が、弧を描いて空中に散る。
まるで壊れた噴水のように、断続的に吹き出し続けた。
「──っ、ひっ……!」
一軍の誰かが、喉を引きつらせる。
血は止まらない。
地面に叩きつけられるように広がり、地を濡らし、黒く変色させていく。
アイラの身体は痙攣した。
指先が何かを掴もうとするように震え、脚が無意味に地面を蹴る。
だが、首から流れ出る血は容赦なく命を削っていく。
「ぁ……ぁ……っ……」
口が開く。だが、そこから出るのは言葉ではなく、血の混じった泡だけだ。
やがて──力が抜ける。
瞳から光が消え、焦点が合わなくなる。
首元から流れ続けていた血も、次第に勢いを失い、ただ溢れ続けるだけのものへと変わった。
「……あーあ、もう終わりかよ。つまんねぇな」
冒険者は興味を失ったように、アイラの髪を手放す。
どさり、と。力を失った身体が地面に崩れ落ちる。
その衝撃で、首の裂け目から再び血が溢れ、土の上にじわりと広がった。
鉄の匂いが、風に乗って漂う。
悠真は思わず目を閉じていた。
だが閉じた瞼の裏に焼き付いた光景は消えない。
耳には未だにあの“音”が残っている。
肉が裂ける音。血が噴き出す音。命が、音を立てて壊れていく感触。
「いやあああああああああっ!」
誰かの悲鳴が、遅れて響いた。
顔に血飛沫を浴びた一軍の者達が、震えながら荒い息を漏らす。
頬を伝う血を拭うことすらできず、ただ恐怖に固まっている。
地面に横たわるアイラは、もう動かない。
ただ、開いたままの瞳だけが──何も映さず、空を見ていた。
「……こんな……こんなのって……」
シャルルが小さく、泣きながら呟いた。
長く細い耳が伏せられ、翠色の瞳から涙が伝い落ちる。
アウラは猫耳を逆立てたまま、青灰色の瞳を固く閉じていた。
帝高軍の制式制服の肩が、微かに震えている。
アイリスは金色の狐耳を伏せ、蒼い瞳から静かに涙を流していた。
ホウキは無言のまま、太刀の柄を握りしめている。
切れ長の黒い瞳が、怒りと悲しみの狭間で静かに燃えていた。
シュンリンは赤金色の瞳を歪め、唇を噛みしめていた。
──全員を、同時に。それが唯一の条件だった。
一人でも取りこぼせば、その命は戻らない。
悠真は漆黒の外套の内側で、固く、固く拳を握りしめた。
「――さて、罰の時間はまだ終わりじゃねぇぞ?」
低く湿った男の声が、広間の空気を撫でるように響く。
斧を担いだ冒険者が一歩、また一歩と近づくたび、地に散った血が靴裏に絡みつき、ぬめる音を立てる。
その足取りには一切の躊躇がない。ただ、壊すためだけに歩く者のそれだった。
「この女たちは……お前らが俺らに逆らったせいで、こうなったんだぜ?」
笑みが歪む。歯の隙間に、まだ乾ききっていない血がこびりついている。
「なあ、見てろよ。お前らの“正義”が、どんな音で壊れるのかをよ」
乱暴に髪を掴まれ、レオノーラの顔が引き上げられる。
赤い髪が引き千切れ、数本が床に落ちた。
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