第23話 ドMの少女、仲間になる
「へぇ……」
粉塵の中で少女は、静かに立ち上がる。
頬には数本の裂傷が走り、そこから血が顎へと伝い落ちた。
武道服の残骸が更に裂け、剥き出しになった肩と鎖骨が、魔石灯の光に濡れていた。
だが彼女の表情に、苦痛の色はない。
あるのは──恍惚だった。
「痛いな、今の。……ああ、なるほど。こういうのも、"アリ"かもしれない」
血の滴る顎を親指で拭い、その親指をゆっくりと口に含む。
赤金色の瞳が、悠真を見つめながら細く歪んでいく。
戦闘の興奮と、痛みへの陶酔が入り混じった、どこか甘い息が白く漂う。
悠真は壁から体を引き剥がし、正面に立ち直った。
全身が痛い。息も上がっている。
だが指はデッキケースを離さない。
「……まだまだ、やれるぞ」
その言葉に彼女の口元が、大きく裂けるように笑った。
そして──二度目の激突が始まる。
三分後、広間の石柱が一本、根元から砕けた。
七分後、天井から鍾乳石が雨のように降り注ぐ。
十五分後、悠真の魔法陣が四度目の展開を迎え、デッキケースの残枚数が危険域に入った。
二十分後、少女の拳が石壁に直撃し、壁面に人型のくぼみが刻まれる。
それは悠真を狙ったものだったが、その一瞬彼は前に身を沈めて回避していた。
「速くなってるな、お前」
彼女が低く、しかし楽しそうに呟く。
「そっちこそ、さっきより拳が重い」
悠真は答えながら、次のカードへと手を伸ばす。
戦闘時間、三十一分二十二秒。
その間、何度も地面がえぐれ、魔法陣が張り直され、カードと肉体が衝突し、閃光と衝撃が入り混じった。もはや広間は原形を留めておらず、魔物の死骸の上に新たな破壊の痕跡が、幾重にも積み重なっている。
『これ本当に喧嘩?』
『視聴者十五万突破! すんげぇ~!』
『悠真くん普通に強くない?』
『龍人女の笑顔がずっと怖い』
『二人とも楽しそう』
コメントが更に盛り上がりを見せてゆく。
壁際で観戦していた仲間たちは、全員が言葉を失っていた。
ホウキは太刀の柄を握りしめたまま微動だにせず、切れ長の黒い瞳が戦況の一点一点を見逃すまいと燃えている。
アウラは猫耳を逆立てたまま、青灰色の瞳で戦術的な分析を続けているようだ。
シャルルは長く細い耳を揺らし、翠色の瞳をどこか夢見るように輝かせながら、口元だけで微笑んでいた。そしてアイリスは金色の狐耳を伏せたまま、一言も発せずに蒼い瞳で悠真の背中を見つめている。
そして──運命の刻が訪れた。
三十三分という、長い長い戦いの果て。
「即時魔法──終焉の審判・ラスト・ジャッジメント!」
悠真の足元に展開された魔法陣が、これまでとは比較にならない輝きを放つ。
青白い光が広間全体を飲み込み、天井の鍾乳石が共鳴するように震える。
デッキケースから最後の一枚が射出され、空中で燃えるように輝いた。
魔力の奔流が、少女へと向かい解き放たれる。
彼女は正面から受けた。いや──回避の道を避けたようにも見える。
魔力の激流が少女の全身を打ち、左肩から腹部にかけて幾重にも裂傷が走った。
魚の魔物により開かれた過去の傷口が再び口を開き、赤黒い血が地面へと滴り落ちる。
轟音が消えた。ゆっくりと粉塵が沈んでいく。静寂の中に、彼女は立っていた。
乱れた武道服の残骸は最早布と呼べるものではなく、剥き出しになった肌は血と汗に濡れている。
それでも少女の体は前を向いていた。
膝は折れていない。瞳は──澄んでいた。美しく、純粋な、戦いの快楽に酔い切った瞳が。
『粉塵の中に立ってる……』
『これ終わった? 終わったの?』
『視聴者二十万突破してるんだが!?』
『龍人女、血まみれなのになんで笑ってんの』
『悠真くんも限界じゃん……二人とも化け物かよ』
二人の様子を見たリスナーたちが、続々とコメントを投下してゆく。
悠真は荒い呼吸を整えながら、デッキケースへと手を伸ばした。
残枚数──ゼロ。
指先が空を掴む。魔法陣の光が、静かに消えていく。
二人は同時に、互いを見つめた。
どちらも満身創痍だった。どちらも、まだ立っていた。
長い沈黙の後──少女の口元が、ゆっくりと緩む。
「……ま、いっか」
大きく、深く、腹の底から息を吐く。肩の力が、するりと抜けていくようだ。
燃えるような赤いツインテールが力なく揺れる。
「アタシ、結構満足できたし」
彼女は両手を、ゆっくりと高く掲げた。
「参った! アタシの負けだッ!」
その言葉が広間に響いた瞬間、場の空気が一変する。
張り詰めていた何かが、音もなく解けていく。
波紋は止まり、川面が静かになる。
魚の気配も、いつの間にか水中へと消えていた。
戦場に静寂が戻る。
『終わったああああああ!』
『悠真くん勝った――!』
『龍人女が笑いながら参ったしてるの最高すぎる』
『視聴者、二十五万! 今日一番の配信きたああ!』
長き決闘が終わりを迎え、コメント欄が一斉に沸く。
悠真は深く息を吐き、漆黒の外套の前を整えた。
全身が痛い。足が笑っている。
だが──どこかすっきりとした感覚が、胸の奥に静かに広がっていた。
「……お前、強いな」
それだけ言った。飾りのない、本心からの言葉。
少女は両手を下ろし、血の滲む唇の端をつり上げる。
赤金色の大きな瞳が、悠真を真っ直ぐに見据えていた。
「当たり前だろ」
短く、しかし誇らしげに。
広間の魔石灯が、二人の影を静かに照らし続けていた。
「それにしても……」
彼女は悠真たちのパーティーに順番に視線を送る。
和装の剣士、長耳の自然魔法使い、帝国軍の猫耳狙撃手、金狐耳の没落貴族。
「奇妙な人種の取り合わせだな、あんたら……」
小さく鼻を鳴らし少女は腕を組む。
傷だらけの腕から血が一筋伝い落ちたが、彼女は気にする様子もない。
だが次の瞬間、赤金色の瞳に、はっきりとした光が宿った。
敵意ではない。それとは正反対のもの──決意の色である。
「……よし、決めた!」
少女は突然、足元を蹴るようにして一歩前へ出た。
傷だらけの体から血が一滴垂れ、地面に弾ける。
燃えるような赤いツインテールが、その動きに合わせて激しく揺れた。
「アタシも、お前たちの仲間に入れてくれ!」
その唐突すぎる提案に、場の空気が凍りついた。
シャルルが『ふえ?』と長く細い耳をぴょこんと立て、首を傾げる。
ホウキは手元の太刀に、一瞬だけ手を添えた。
アウラの猫耳が逆立ち、青灰色の瞳が細くなる。
「……正気ですの、貴女」
金色の狐耳をぺたりと伏せながら、アイリスは蒼い瞳を半眼にして口を開く。
だが、彼女は真剣そのものだ。もはや、ふざけている様子は一切ない。
「この先お前たちと一緒にいた方が、何かと退屈しなさそうだからな! それに……お前の、あの能力」
彼女は悠真に視線を定める。短めの前髪の奥で、赤金色の瞳が熱に濡れていた。
「……あれで味わったあの痛み、忘れられねぇよ……」
そう呟くと彼女は、口の端から涎を垂らし始める。
その表情は耽美と狂気の狭間にあり、まるで陶酔そのものだ。
額の両側の龍角が僅かに赤みを増し、硬質な爪の指先が空気を掴むように握られる。
「……ああ、この世にはまだアタシの知らない、未知の快楽があるんだな……ッ! 願わくば数多の快楽と巡り合いたいぜ……! だから、頼む……! アタシを、お前らの旅に加えてくれよ……!」
小刻みに肩を震わせ、白い歯を噛みしめながら、少女は胸を張るようにして叫んだ。静寂。
地下を流れる川の水音だけが、ゆったりと広間に響いていた。
悠真は前髪を掻き、天井を仰いだ。
背後から仲間たちの視線が刺さるのを感じる。
全員が、答えを待っていた。
『え、仲間になるの?』
『これ絶対面白くなるやつ』
『パーティーの治安が終わってく』
『悠真くん引き取れ引き取れ』
『視聴者、三十万いったんだが!?』
彼女の唐突な申し出に対して、コメント欄がざわつく。
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