第14話 あなた!責任を取りなさい!
「な、な……なに……っ」
声が震えた。恐怖と混乱、そして一瞬だけ芽生えた妙に柔らかい感触だったのではという間の悪い欲情のせいで、口調がさらに乱れる。
だが、目の前の光景を見た途端──その、全てが吹き飛んだ。
魔石灯の光が路地の角度に差し込み、その一筋の光が彼女の顔を照らす。
腰まで届く艶のある金髪が揺れている。
深く切れ長の蒼い瞳が、まっすぐに彼を捉えていた。
頭頂部の金色の狐耳は怒りに逆立ち、一本の尻尾が激しく揺れている。
彼女は確かに、そこに居た。
「お、お前は……っ!」
かつて石像として見下ろしていた例の女。
アイリス・シルヴェスターは悠真の目の前に立ち、両手で壁を囲うように突いたまま動かない。
その頬には、はっきりと紅潮が走っていた。
それは羞恥の色でありながら、同時に怒りの熱を孕んでいる。
口元がぎりと歪む。怒っている。それでも、彼女は叫ばなかった。
「……貴方……まことに、下劣な男ですわ……!」
その綺麗な唇を開いて、搾り出すように言う。声は震えていた。
それは怒りによるものではなく、羞恥と、そして何かを押し殺した激情による震えである。
その瞬間、彼は全てを悟る。あの時、あの場で、自分がやったこと。
それが見られていたのだ──否、むしろ彼女自身が体験していたのだ。
石化したまま意識だけが残っていたとしたら。
貴族としての誇りを砕かれ、石像としての静寂を汚された、その屈辱が今、眼前の彼女を突き動かしている。
「……っ、ご、ごめん、いや、あの、俺は――――」
「よくも石化の呪いを受けて動けない私に、あんな下劣な真似をしましたわね!」
悠真の言葉に被せるようにして、彼女の開かれた口からは──閃光のように鋭い言葉が放たれた。
声の響きが、建物の隙間で反響する。
安息地の裏路地。誰も助けに来ない。逃げ場もない。
「それはもう、紛れもなく私への──シルヴェスター家への侮辱でしてよ! それに……っ!」
怒りと羞恥が混ざる表情。アイリスの蒼い瞳が、さらに鋭く細まる。
金色の狐耳がぴんと逆立ち、尻尾が激しく揺れていた。
「私の……大切なファーストキッスを、よくもあんな場所で奪いましたわねっ! 初めてのキスは、大切な方のために……今の今まで守り続けてきましたのに!」
彼女の言葉には、一瞬の迷いもない。
いや、迷いは怒りと羞恥の奥に封じられていたのかもしれない。
悠真は目を見開いた。全身から血が引いていく。
脳の思考が停止しかけ、呼吸が途切れそうになる。
あの時、彼女は完全に石化していた。
動きもせず、目も閉じていたのである。
しかし、そのすべてを感じ取られていたとするならば、もはや言い逃れのしようがない。
アイリスの頬の紅潮は、怒りだけではなかった。羞恥が確かに、そこに混じっている。
そう確信した瞬間、彼は腹を括った。
まるで何かを諦めたように、悠真は力を抜き、静かな声で放つ。
「やはり……あの石像はお前だったのか。やけに似ていたから、もしやとは思ったが……そうか。なんか、色々とすまんな」
その言葉には、反省というよりも妙な諦観が滲んでいた。
少し冷めた態度で、けれど丁寧な声音で続ける。
「許せ、プライドの高いお嬢様」
どこか他人事のような口調だが、そこには逃げも誤魔化しもなかった。
完全に開き直った者の態度である。
アイリスの蒼い瞳が、一瞬だけ揺れた。
怒りのままに叫び続けることを想定していたのかもしれない。
しかし、これほどあっさりと認められると、怒りの矛先が定まらなくなる。
金色の狐耳がぴくぴくと動き、尻尾の揺れが微妙に変化した。
「ゆ、ゆるせですって……!?」
整えられた頬は怒りと羞恥の混じる熱に染まり、なにより蒼い瞳に宿る烈火のごとき光が彼女の激情を物語る。
頭頂部の金色の狐耳は、限界まで逆立ち、尻尾が激しく揺れていた。
「誇り高きシルヴェスター家の者であるこの私の……初めてを奪っておいて……すまんですって……!? ぜ、ぜぜ……絶対に……許しませんわ!」
喉の奥から漏れる声は、嗄れそうな程に感情が高ぶっている。
白い指先が、瞬時に悠真の喉元へと伸びた。
その右手には、レイピアの柄が握られている。
抜かれたわけではない。
ただ、その柄の部分を喉仏へと、ぐっと押し当てているのだ。
彼は眉一つ動かさず、静かに目を細める。
「本当に悪いって思ってんだ。だからさ……許してくれ。なぁ、頼むよ」
その言葉は実に軽かった。
まるで深夜のコンビニでガムを万引きした学生が、苦し紛れに謝っているかのような、温度のない謝罪である。真剣味など、まるでない。
「っ……!」
アイリスは言葉を失った。怒りで肩が震えている。
蒼い瞳に熱のせいか、僅かに涙すら滲みかけていた。
唇が震え、金色の狐耳が小さく動く。
「ただでは済ませませんわよ……!」
ようやく吐き出した一言には、哀しみと怒り、羞恥が混ざり合っていた。
まるで最も大切なものを汚されたような感覚。
彼女からすれば、それは生涯で最も屈辱的な出来事だ。
「シルヴェスター家の者に手を出したからには……その生涯をもって、永久に責任を取って貰いますわ!」
喉元に押し当てていたレイピアの柄を引き下げる。
刃は抜かれることなく鞘に戻された。
しかし目はまだ、怒気に満ちている。
「……やっぱそうなるか。まぁ、だよな。うん、想定の範囲内だ」
目を細めたまま、悠真は肩を竦めた。
「っ、貴方っ、本当に反省の色がないですわね!? ふ、ふざけた態度ばかり取って……!」
アイリスの蒼い瞳に殺気が宿る。
苛立ちを抑えるように深く息を吐くと、ようやくアイリスは視線を巡らせた。
魔石灯の青白い光。ここがダンジョンであるという現実を再認識した様子。
「……ですが」
唇を噛み締めた後、アイリスは小さく吐き出す。
「それよりも今は、このダンジョンを攻略することが優先事項ですの」
そう言うと、彼女は背を向ける。
腰まで届く金髪が、ふわりと宙を舞った。
一本の尻尾が、怒りを残したまま揺れている。
アイリスの背中には、貴族剣士としての矜持が張りついていた。
「貴方の責任問題については──」
彼女の声の調子が再び上がる。
「ダンジョンをクリアしたあと、私の屋敷で話し合いますわよ!」
その言葉を最後に、アイリスは前を向いたまま、一歩、また一歩と進み出した。
空気が緊張のまま凍りつく。
「……ふう。……少々、取り乱しましたわね」
その声は怒気が抜け、落ち着きを取り戻していた。
ようやく悠真は壁から背を離し、大きく息を吐いた。
束の間とはいえ、自身の命が危険に晒された感覚からの解放である。
「……やっと終わったか……」
小さく呟きながら、首筋をさすりながら数歩後退った。
暴力的な手出しこそなかったが、アイリスの放つ剣気のような迫力は、明らかに常人のそれではない。
だが、その安堵の態度を見て、彼女は再び目を細め、声を潜めて放つ。
「……貴方、本当に分かっていますの? 事の重大さというものが」
再び冷たい声。まるで剣の切っ先のように鋭い言葉。金色の狐耳が前方へ向いた。
「誇り高きシルヴェスター家の長女である私を……無垢なる乙女を、あんな……あんな破廉恥なかたちで汚しておいて……その程度の反応で済むと思っていらっしゃるのかしら?」
その言葉に、悠真の眉が僅かに跳ねる。
とはいえ、すぐさま彼の口から出たのは、弁解でも謝罪でもなく──
「……あのさ……それ、ほんとに俺のせい?」
空気が凍った。アイリスは一瞬唇を噛んでから、深く息を吐いた。ぴたりと尻尾が止まる。
そして、そのまま悠真の前まで一歩詰めた。
「……ああ、そうですわ。良い事を思いつきましたの。こうしましょう。貴方、今から私とパーティーを組みなさい。それが貴方に課せられた責任の一部ですわ」
蒼い瞳が鋭い光を宿す。悠真は首を傾げた。
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