第13話 石化解除の報酬は巨乳
「……あなたが、魔物を倒してくださったのですね!?」
突如、ざわめきの中から、ひとりの若き巨乳の女性冒険者が駆け寄る。
長い茶髪を無造作に束ね、鍛え上げられた身体を包む、革製のハンティングジャケット。
目鼻立ちは整っており、口元に浮かぶ笑みは、自信と開放感に満ちていた。
石化から解放された直後とは思えぬほど、その表情は明るい。
「本当に、本当にありがとう! あたし、二年もあの石の中に閉じ込められてたの。もうダメかと思ったわ」
「……ああ、無事でよかった」
戸惑いながらも、悠真は答える。
「だ・か・ら! 感謝の気持ちとして、特別サービスしちゃおうかしら? 恩人さん、あたしの胸──揉んでいいわよ?」
彼の手を両手で握りしめ、にっこりと笑みを零しながら、彼女は妖艶な声を出す。
その瞬間、空気が凍った。
いや、正確には、空気が熱を持ち始めたというのが正しい。
「あ……ああ……?」
悠真の瞳孔が一瞬で開き、前髪の奥の茶色の目が、限界まで見開かれた。
「ま、まじですか!? え、えっとその、マジで!? も、揉ませてもらっても、よ、よろしいんですか!? 本当に!? いや、もう、是非とも……! ああ、手が、手が勝手に──!」
顔を真っ赤に染め肩で息を荒げながら、彼は両手を厭らしく振りかざすように近づく。
童貞らしさがあふれ、理性が焼き切れた電線のように、千切れていくのがわかる。
「ほら、早くしなさいよ~。恩人さんの手で……いっぱい、感じさせて……あげ……」
「……」
そのとき。悠真の足が、ぴたりと止まった。
浮かれた表情が一変し、視線が虚空の一点を捉えて動かない。
脳裏に──あの石像の顔が浮かんでいた。
そう、あのアイリス・シルヴェスターに似た石像である。
「も、もしや……あの石像……って本当に……」
ごくりと唾を飲み込みながら、彼は自分の記憶と照らし合わせた。
腰まで届く艶のある金髪。蒼い瞳。頭頂部の金色の狐耳。
貴族趣味の意匠が施された軽装アーマー。
──間違いない、石化していたあの像は、あの時に一度だけ出会ったプライドの塊のような女。
「……あ、あのお嬢様……だったんじゃねえのか……?」
その瞬間、悠真は背中を氷の針で何本も刺されたような、妙な感覚が駆け抜ける。
「や、やばいって……まじでやばいって……!」
全身から冷や汗が噴き出し、皮膚が粟立つ。
過呼吸のように呼吸が浅くなり、膝が震え出す。
鼻息を荒げていた、先程までの彼とは、もはや別人だった。
「お、俺……さっき……あの、頬とか……変なとこ見て……ふ、触って……唇まで近づけて……あわわわわ……」
呼吸が詰まり、しゃくりあげるような咳を軽く漏らす。
上気していた顔は、いまや死人のように蒼白だ。
(だ、だが大丈夫だろ! 石化中のことなんて覚えてない……はずだ……!)
無理やりにでも、そう思い込まなければ精神が保てない。
拳を固く握りしめ、震える手で額の汗を拭う。
そうしなければ彼は、崩れてしまいそうだった。
「……はぁ……ふぅ……」
数度、深呼吸する。
乱れた精神を少しずつ立て直していくように、悠真は目を閉じ呼吸を整えた。
「ご、ごめんなさい。俺、やっぱり揉むの、やめときます……」
「え……うそ……?」
まさかの断りに、巨乳の女性冒険者は、小さく肩を落とす。
「……なんだ、ちょっとだけ期待したのに」
彼女の唇には微かな動揺の笑みが浮かんでいる。
『悠真なんで断った?』
『さっきまでの勢いはどこへ』
『何かに気づいたな絶対』
コメントが容赦なく流れる中、女性の横をすり抜け悠真は、瓦礫を避けながら、アイリス似の石像があった場所へと歩を進めた。
──しかし、そこに今は何も無い。
彼は石像があったはずの場所へと視線を這わせる。
そこには跡すら残されていなかった。
記憶に刻まれている例の姿が、まるで幻だったかのように。
「……な、無い……」
悠真の喉が鳴った。冷や汗が再び背筋を伝う。
顎が引きつり、呼吸がまたも浅くなる。
過呼吸という単語が頭を掠めた瞬間、彼は額に浮かぶ汗を拭いながら、必死に頭の中で言い訳の構築を始めていた。
──あれは違う。きっと違う。
あんなにプライドが高く、潔癖な女が、あんな姿で晒されているはずがない。
第一、顔もどこか似ていただけで、狐耳の形だって記憶違いだった可能性も──いや、そもそも似たような石像なんてそこら中に……。
悠真は自分に都合のいい推論を積み重ね、わざとらしい安堵を心に溜め込もうとする。
そうでもしなければ、まともな思考ができなくなりそうだった。
「ふ、ふぅ……っ。そう、きっと……べ、別人、だよな。まさか、あんな石像があのお嬢様なわけ……」
半ば呟くように言いながら、彼はもう一度、石像が置かれていた場を確認する。
そこに人の気配はなく、ましてや金色の狐耳を持つ高慢な貴族の気配など、どこにも存在していなかった。
「よしっ……! 無い。うん、何も無い。よかった……まじでよかった……」
まるで審判を免れた被告のように、悠真は全身から力を抜く。
膝が笑いそうになるのを堪えながら、ゆっくりと後ろに身体を向ける。
どこまでも逃げたかった。現実から、記憶から、そして自分の行為から。
『なにがあったか大体わかる~』
『顔が死んでるな』
『ニヤニヤが止まらん』
コメントが容赦なく流れていた。彼は無言で、それを無視する。
だが──彼の脳裏に、もう一つの欲望が形を成した。
「……って、そういや……」
ごくり、と喉を鳴らす。
「さっきは焦って断ったけど……あのグラマーなお姉さん……胸、揉ませてくれるって言ってたよな……?」
その言葉に出した瞬間、理性という名の防壁はあっけなく崩れ去った。
脳内に柔らかな質感の記憶が溢れ出す。
湿気た空気の中で、悠真の身体の内側だけが、妙に熱を帯びていた。
「よしっ……! まだ今なら間に合う! 気が変わってないかもしれない! いや、変わってないはずだ! 急げ、俺!」
己を奮い立たせるように、前髪をかき上げ叫ぶと、彼は地を蹴って走り出す。
「……おっぱい……おっぱい……グラマーの癒し……!」
その呟きは明らかに正気のそれではなく、理性と欲望の綱引きが末期的な段階へと突入した証左だ。
目的は、ただ一つ。
一度はチャンスを逃したが、あの豊満な胸元に再び触れられる可能性があるという、救済にも似た儚き希望を求めての行動だ。
「急がなきゃ……あの人、気が変わらないうちに……!」
そうして一歩、また一歩と進む悠真の背後──否、左肩の直ぐ後ろから、突如として白い手が飛び出した。
「っ……!?」
掴まれた。肩を、確かに、固く、逃げられない力で。
振り向く暇すら与えられないまま、その手の主は彼の身体を引き寄せる。
路地の奥、建物と建物の狭間にある人気の無い空間──薄暗く、人の目に触れにくい死角へと連れ去られた。
そして、次の瞬間である。
彼の背が石壁に叩きつけられた。
乾いた衝撃が背骨を伝い、建物の外壁は冷たく、苔の湿り気すら感じさせる質感。
割れた漆喰の隙間からは、小さな虫が這い出そうとしている。
悠真は咄嗟の出来事に、思考を凍らせたまま、ただ壁に凭れていた。
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