第11話 石像を生み出し魔物との一騎打ち
「はぁはぁ……!」
冷たい。石像の頬に触れた指先は、まるで墓石にでも触れたかのような寒気を覚える。
しかし、その硬さとは裏腹に形状はあまりにリアル。
滑らかな石肌の起伏、細やかな質感。
むしろ生身よりも丁寧に造られているかのような完成度。
(おいおい……職人、お前絶対変態だろ)
悪戯心に突き動かされ、ついに彼は顔を近づけた。
ひび割れひとつないその口元に、自らの唇を重ねようとした、その瞬間────カタリ。
「……え?」
石像が──動いたように見えた。
ごく僅か。指先に伝わるほどの振動。
だがそれは、確かに"拒絶"のような気配を帯びていた。
「今の……気のせいか?」
悠真は一歩、後ずさる。
冷や汗が背中を伝う。
視界の片隅で石像の口元が僅かに──歪んだように見えたのは、ただの幻覚だろうか。
固まったままの瞳が、まっすぐにこちらを向いているような気がした。
再び沈黙が、通路を支配する。
彼は、もう一度石像を見た。
そして、静かに言い放つ。
「……わかった。調子に乗りすぎた。ごめんな」
その声は誰に向けたものだったのか。
像か、自分自身か、あるいは観測者のいない神への言葉だったのか──
悠真は布を外し、再びマギスフィア・ミニを石像へと向けた。
そう、まるで何事もなかったかのように。
『なにしてたんだよ、悠真』
『カメラ切れてたぞ』
『何してたの?』
『石像に何かしてたんですか~?』
コメントが容赦なく流れた。
悠真は前髪を掻き上げ、何も答えない。
「にしても……やたらと多いな」
彼の呟きが宙に消える。
改めて周囲を占める石像の多さに、悠真は違和感を覚えた。
どれもこれも、異常なほど精緻で、しかも"人"を象ったものが多い。
その中には苦悶の表情を浮かべたまま固まったような像もあり、芸術というより呪いに近い不気味さを醸している。
美術館にしては生々しすぎ、遺跡にしては数が多すぎるのだ。
「……いや、まさかな」
嫌な予感が脳裏を駆け巡るが、その考えを否定するように悠真は眉をしかめる。
そんな時だった。背後から突如として──
「きゃあああああっ!」
金切り声にも似た女の悲鳴が空間を裂いた。
咄嗟に振り返った悠真の視界に、長い銀髪を振り乱しながら全力で走る、女性の姿が飛び込んでくる。
顔には恐怖の色が濃く、白い喉元まで露わな、軽装のローブが乱れていた。
長く尖った耳──エルフ族である。
外見的な年齢は若い。二十歳前後。
肌は白く、整った顔立ちは絶叫に歪みながらも、美貌を隠しきれていない。
腰には短弓を提げていたが、それすら忘れたかのように両手を振って逃げていた。
「はっ、はっ、はあっ……!?」
その場に立ち尽くす悠真を見つけるや否や、彼女は全身を滑らせるように止まり、額から汗を滴らせながら目を見開く。
「なっ……なにしてんの! すぐに逃げてっ! あなた、何にも気づいてないの!? この階層は、もう終わってるのよ!」
「はぁ? 一体何の話を──」
「ここには"蛇工鬼"がいるのよッ!」
鬼気迫るエルフの声から、その名を聞いた瞬間、彼は心臓が跳ねた。
聞き覚えはない。しかし、悠真の本能が告げていた。
"それ"は間違いなく、ただの魔物ではない。
彼の手がデッキケースへと無意識に伸びる。
「さっきまで、仲間が五人いたの。私たちパーティーで、この階層を攻略してて……。でもあいつ、目が合った瞬間に──瞬きひとつの間に、みんな……石になった。全員が。何の叫びもなく。ただ、一瞬で……! もう──私しか、いないのよ!」
彼女の肩が震えている。
冷気でも、疲労でもない。
あきらかに、怯えの震えだ。
悠真は無意識に、周囲の像へ視線を移す。
どれも生々しい。
苦しみの表情、助けを求める手の形、叫びかけたように開いた口元。
「ちょ、ちょっと待ってくれ。順番に話して──」
彼が聞き返そうとした、その瞬間である。
──音がなかった。
足音も、気配も、風切り音すら。
女性の背後の闇から、それは滑るように現れる。
「──っ!?」
気づいた時には、すでに遅かった。
濡れた肉音が響く。
「──ッッ……あ゛あ゛あ゛あ゛あッ!」
女性の絶叫が、遺跡の天井まで突き抜けた。
肩口に魔物の牙が、深々と食い込んでいる。
悠真は一歩踏み出しかけたが──次の瞬間、足が止まった。
女性の肩口から、白い何かが滲み出していた。
石化だ。
噛まれた部位を中心に、みるみるうちに肌が白く変色していく。
指先から、腕から、首筋から──まるで水が染み込むように、石の色が全身へと広がる。
「──逃げて……!」
彼女の声は、すでに掠れていた。
石化が喉元まで迫っているのが見て取れる。
それでも女性は、最後の力を振り絞って、悠真へと視線を向けた。
「貴方まで……石化して、しまう……!」
それだけ言うと彼女は──完全に動かなくなる。
絶叫の表情のまま、腕を悠真へと伸ばしたまま、そのまま白く固まっていく。
数秒後には、そこには一体の石像だけが残っていた。
静寂が戻る。
「…………」
しばらく彼は動けなかった。
目の前で人が石と化したのである。
ついさっきまで喋っていたエルフが、今や冷たい石として場に佇んでいた。
「……落ち着け。考えろ」
深く息を吸う。
ゆっくりと視線が、遺跡全体を改めて捉え直す。
無数の石像。驚愕の表情。叫びかけた口元。
逃げようとした姿勢。助けを求めた手の形。
「……そういうことか」
全てが繋がった。これらは彫刻でも工芸品でもない。
全て、この場所で魔物に噛まれた者たちだ。
冒険者の格好をしているのは当然のこと。
彼らは皆、このダンジョンを攻略しようとして、この遺跡エリアに踏み込んで、そして──
「元凶は今、俺の目の前にいる」
悠真の視線が女性を噛んだ魔物へと向く。
だが視線を交わす事は出来ず、あくまでも腹部の位置までだ。
それは──人の形をしている。
上半身は女性だった。
胸元は薄い鱗だけで覆われており、豊満な双丘の輪郭が、はっきりと浮かび上がっている。
腰まで届く漆黒の髪が、風を受けて優雅に揺れていた。
肌は鱗に覆われており、青緑色の光沢が魔石灯の光を受け、妖艶に輝いている。
顔立ちは当然の如く確認できない。
そして下半身は、巨大な蛇である。
鱗に覆われた長大な胴体が地を這い、その動きに合わせて微かな音が反響した。
腰のくびれから、蛇の胴体へと移行する部分には、細かな金の鱗が密集しており、まるで装飾のように美しい。
そう、美しいのだ。
そして、なにより致命的に危険である。
蛇工鬼。その瞳と目が合えば、あるいは牙が触れれば──石化する。
「……ったく、目を合わせるな、噛まれるな……ってか。はぁ、縛りが多い魔物だな」
デッキケースを開けると悠真は、静かに闘気を全身に巡らせて戦う決意を固めた。
「領域能力――"決闘結界”デュエル・フィールド! オープン!」
戦闘開始の言葉を告げ、彼の足元に魔法陣が広がる。
デッキケースから、五枚のカードが空中へと浮かび上がった。
そして蛇工鬼から伝わる視線の圧が、悠真の動きを静かに迫る。
更に魔物からは唸り声のような、重低の音のようなものが囁かれ、それは対話が不可能であることを告げていた。
『うわやばい』
『さっきの女性……』
『悠真、目合わせんなよ絶対』
『これマジのやばいやつじゃん』
『頼む! 悠真ッ!』
コメントが怒涛のように流れる中、やや視線を逸らしたまま悠真は、手札から一枚のカードを引き抜く。
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