第10話 まるで本物?石像たち
「も──! またそうやってからかう!」
二人のやり取りを聞いていたシャルルは、両手を上下に勢いよく振りながら声を荒げる。
『火照りってそういう意味でしょ!?』
『入浴配信待ってます!』
『ホウキさんの横顔が尊い……』
視聴者たちのコメントが、また一段と加熱していくなか、ゆっくりと悠真は立ち上がった。
「……よし、残りの採取物は鉱石があと二種類。草と果実は大体回収済みってとこか。……うーん、この先の奥も気になるところだ」
周囲の探索範囲を確認しつつ、彼は外套を軽く払う。
「しかし……奥の区域には未確認の魔物が現れたという報告もある。深入りは危険ではないか」
アウラが眉をひそめる。
猫耳がわずかに後方へと傾いた。
「大丈夫だ、そんなに奥までは行かない。ちっとばかし様子を見て来るだけだ」
肩を竦めてみせると、悠真は足を進めて奥へと向かう。
そしてダンジョン第七十階層──その深部、開けた空間に彼は一人、足音を忍ばせながら歩いていた。
「……ここはまた、随分と様子が違うな」
悠真の声が遺跡に響いた。
反響音が、酷く長く尾を引く。
周囲に敵性反応はない。だが何かが、違っていた。
視界の先、天井の高い石造りの空間が広がっている。
全体の構造は半壊した神殿のようで、天井の大部分が崩れ、むき出しになった岩盤からは青白い魔光が微かに降り注いでいた。
壁面の彫刻は風化し、誰かが記録したであろう、古代文字の多くは判読不可能になっている。
石畳の床にはひび割れが走り、苔が繁殖していた。
風通しは良すぎるほどで、空気が循環していることに、かえって不安を覚えるほど。
そしてなにより──目に留まるのは石像の数々。
「……これ、全部……?」
悠真が歩を進めると、その周囲に並ぶ石像群が、よりはっきりと見えてきた。
人の背丈ほどもある石像が無造作に、まるで捨て置かれたように立ち尽くしている。
男女様々、体格も年齢も異なっていた。
その中には若い女戦士のような姿もあれば、年老いた魔術師然とした男もいる。
だが、共通している点もあった。
──どれもこれも、驚愕の表情を浮かべている。
両目を見開き、口元を凍りついたように歪めたまま、全身を硬直させた石像たち。
彫刻されたものとは到底思えぬほど、その表情は生々しく、まるで直前まで動いていたかのような臨場感を放っていた。
「……冗談だろ」
悠真は一つの石像に近寄り、その頬を優しく右手で撫でる。
冷たい石の感触。しかし、その細工は尋常ではなかった。
髪の毛一本一本が丁寧に彫られ、肌の質感までもが表現されている。
まるで生きた人間を、そのまま石にしたような──そんな異様さ。
視線をずらす。次の像も、その次の像も、どれも似たような表情と構えをしていた。
剣を振り上げたまま固まっている者もいれば、逃げ出す途中で振り返ったような格好の者もいる。
そして彼は、ある事実に気づく。
──この石像たち、冒険者の格好をしている。
レザーアーマーやローブ、軽装鎧に至るまで、どれも実用的な戦闘装備。
装飾品の一つ一つも、ダンジョン探索者が実際に用いるものと瓜二つだ。
服装、武具、表情、姿勢──そのすべてが”実在する人物”を元にしているようにしか見えない。
「これ……本物だったり、しないよな?」
喉の奥で呟きが漏れる。悠真の茶色の瞳が鋭くなった。
ダンジョンで石化の呪詛に見舞われる例は稀ではない。
しかしこれほどの数、それも同じような驚愕の表情で、というのは尋常でしかないのだ。
しかも、その中には綺麗な状態で保存されている像もある。
割れも欠けもせず、まるで今しがた作られたかのような美しさを湛えた石像が、点々と空間に佇んでいた。
そして彼は形容し難い悪寒を感じると、マギスフィア・ミニを操作して、自分が今見ている光景を視聴者たちに届ける。
『うお、なんだここ』
『石像だらけじゃん』
『なんか怖くね?』
『この階層、こんなギミックあったっけ?』
『悠真、早く戻れ』
即座に多くのコメントが流れた。
その大半が、この異常空間に対して、違和感を感じている様子。
いつもの軽口が影を潜め、どこか切迫したような言葉が多い。
「……確かに。これ、普通じゃねぇな」
悠真は声に出し、改めて周囲を一望した。
光源は天井の崩落から射す魔光とのみ。
それでも、闇の中から浮かび上がる像の群れは、視界を支配するには十分すぎた。
足を止め、息を潜めながら一体ずつ、像を観察していく。
だが……ふと、足が止まる。
「……なんだ、こいつだけ……」
彼の視線が、一体の石像に留まる。そこだけが、異様なのだ。
「これは……まさか、あの女騎士?」
悠真は近づき、腕を組みながら石像の周囲を、ゆっくりと歩く。
──あの、鼻持ちならないほどプライドが高かった女。
だいぶ前に別の階層で接触した人物だ。
礼儀知らずな態度と、剣技への過剰な自負が印象的で、彼の中では悪い意味で記憶に残っている。
そんな女性の石像が今、悠真の目の前にあり、それはまるで本人のように瓜二つだ。
貴族趣味の意匠が施された軽装アーマーが、精巧に石として再現されている。
だが、それにもかかわらず、その隙間から覗く肌の質感までもが生々しい。
金の縁取りが石の中に刻まれ、家名の刻印すら正確に再現されていた。
頭部には大きな金色の耳──獣人特有の形状まで一本一本の毛並みが丁寧に彫り込まれている。
腰から延びる一本の尻尾は、まるで風に揺れる直前で止まったかのような、自然な角度で固定されていた。
「職人の……技術なのか? いや、これは──」
腰を屈めて悠真は、石像の脚部を見つめる。
腿のあたり、鎧の合間から見える部分に、うっすらと傷が刻まれていた。
まるで戦闘中に負った斬撃の名残のように見える。
彼の眉間に皺が寄った。
「まさか、本物が……石化された?」
声に出して言いながらも、信じられぬ思いで、その表情を眺める。
石像の顔は──怒りと恐怖とをない交ぜにしたような、異様に生々しい顔つきで空を睨みつけていた。
叫び声の直前で止まったかのような唇、張り詰めた頬、見開かれた蒼い瞳。
前に出会ったときの傲慢な笑みなど微塵もなく、ただ強烈な感情だけが、その石の顔に刻み込まれている。
腰まで届くはずの艶やかな金髪は、石となった今もなお品よく広がり、前髪は乱れなく整えられたまま固まっていた。
スレンダーながら女性らしい曲線を持つ体躯が、砕けかけた鎧の隙間から白い石肌を覗かせている。
「──くっころ、ってやつか……?」
悠真は思わず呟いた。
その言葉を口にした瞬間、目の前の石像が怒りに震え、こちらを睨み返してきそうな錯覚に襲われる。
「……悪かったな。そう思われても仕方のない格好をしてるんだよ、これは」
その声もまた、沈黙の空間に吸い込まれてゆく。
悠真は息をつき、腰元から生体反応用のクリスタルを取り出すと、石像の胸元にかざす。
淡く発光する青白い光が、石肌を舐めるように走る。
……だが、何の反応も示さない。
「生体反応、ゼロか。やっぱり……ただの像か?」
否、それは希望的観測にすぎなかった。
これほどの完成度──否、存在感を放つ石像など、ただの美術品であるはずがない。
彼は立ち上がり、石像の顔を改めて見つめ直した。
白く硬いはずの石の頬には、まるで涙の痕のような光沢がある。
ふっくらとした唇は形状を保ち、鼻梁は高く、凛とした意志を感じさせた。
頭頂部の狐耳は、怒りに逆立ったまま固まっている。
美しかった。
美しいからこそ──この姿で動きを止められたことに、どこか背徳的な気配がある。
「これを彫った職人がいるとすれば、そいつは──とんでもない変態か天才のどちらかだな」
皮肉気に笑いながら悠真は、最後にもう一度、石像の全身を見渡す。
その瞬間、背後の闇が僅かに蠢いた気配がした。
風もないはずの地下空間で、微かに前髪がなびく。
けれど魅惑的な石像を前にして、思考は静かに、しかし確実に別の方向へと逸れていく。
──石像の、わずかに開いた唇。
──スレンダーながら、はっきりとした女性らしい曲線。
──白い石肌から覗く、柔らかな小腹のくびれ。
「…………っ!」
脳裏を一筋のよこしまな発想が稲妻のように走る。
(……いや、カメラを隠せば誰にも見えないよな?)
自分でも呆れるほど、低次元な衝動。
だが、童貞の欲望とは理性を凌駕する。
それが例え石像であっても、美しい女の姿を前にして、動物的な本能は否応なく刺激されるのだ。
悠真はマギスフィア・ミニのカメラを布で覆う。
配信者としての最低限の心得。映してはいけないものは映さない。
そして、ゆっくりと手を伸ばした。
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