第6話 軍属の少女
「……六発」
少女が静かに呟いた。残弾は一発。
青灰色の瞳が、わずかに細まる。
少女は最後の群れを一瞥し、銃剣を構え直す。
残された個体には引き金を引かず、無言で銃剣を突き込む。
鈍い音と共に躯が崩れ、最後のアンデッドが地に伏した。
七発目は、撃たれなかった。
「助けたつもりだったが……こいつ、何者だ?」
その一部始終を見届けながら、悠真は思わず呟いた。
静寂が訪れる。
地面には無数の死骸。
風は止まり、天井の魔石灯だけが、青白く瞬いていた。
少女は荒い息を吐きながら、銃剣の血を無造作に払い、ゆっくりと悠真の方を振り返る。
雪白の肌に返り血が散り、頬に、首に、胸元に、無数の血飛沫が花模様のように広がっていた。
それでも青灰色の瞳は揺れない。
ゆっくりと猫耳が、警戒するように前方へと向く。
「なぜだ……なぜ私を助けた」
感情を削ぎ落とした問いだ。
羞恥でも感謝でもない。ただ純粋な、疑問。
その問いの意味を、悠真は理解できない。
「なんだよ? 助けられて不服か?……ったく、御礼ぐらい言ってくれよなぁ」
吐き捨てるように呟いた彼の声は、湿り気を帯びた石壁に鈍く反響した。
それは不満というよりも、状況の苛烈さからくる疲労と、ほんの僅かな呆れ混じりの呻きである。
そして少女は長銃を静かに背中へ戻すと、殺伐とした雰囲気を一変させて深く一礼を行う。
先ほどまでの鬼神の如き冷徹さは収まり、そこにあるのは理知的で礼節を弁えた軍人の姿。
僅かに猫耳が伏せられ、尻尾が静かに揺れている。
「……先程は、助けていただき感謝する。戦闘中は失礼した。礼も申し上げられず」
その声は低く凛としており、一音一音が丁寧に発されていた。
先程まで縄で縛られていた姿が嘘のように、彼女は今や堂々とした気品を取り戻している。
青灰色の瞳が、真っ直ぐに悠真を捉えていた。
「それと自己紹介が、まだだったな。私は──」
少女が名乗ろうとした、その瞬間。
「あ、その前に……こっちも名乗っておくよ」
悠真が片手を挙げて遮った。
少々無遠慮かもしれないが、あまりに堅苦しい空気を、和らげたかったのである。
「俺は東雲悠真。ダンジョン配信者で、ダンジョン攻略を目指している者だ」
女神から渡された漆黒の外套の裾を、悠真は軽く握り見せた。
戦闘の名残で煤と血が混じり汚れが、ところどころに付着しているが、それでも彼の非凡さをかろうじて物語る。
「で、こっちはシャルルとホウキ。俺のパーティーメンバーだ」
悠真に紹介された二人も簡単に会釈した。
シャルルは翠色の瞳を細めて微笑み、ホウキは無言のまま背筋を伸ばして一礼する。
「……私の名はアウラ・ローゼンハイム。所属はヴァルトライゼ帝国、皇帝直属特務部隊──第三機動狙撃旅団・精鋭科。階級は中尉だ」
軍靴の踵を合わせ、胸元に左拳を当てた。まさしく軍礼である。
猫耳が立ち、尻尾が静かに揺れていた。
縛られていた痕跡が肌に残されたままでも、その立ち姿は一分の乱れもない。
ヴァルトライゼ帝国。悠真の脳裏には、かつて資料で見た広大な地図の一角が浮かぶ。
大陸北方の高地に位置し、騎士文化と高度な軍事技術の両立を誇る大国。
「……けっこうな、お偉いさんだったんだな」
静かに悠真が呟くと、アウラは僅かに口角を上げて頷いた。
先程までの冷徹な殺気は、今やまるでない。
あまりに違う態度に三人は言葉を選びかねていたが、ようやく落ち着きを得た今、最も気になっていた疑問を悠真は口にすることにした。
「なあ……一つ、聞いていいか?」
彼の歯切れの悪い言葉に、アウラが目線だけを向ける。拒絶の意はなかった。
「どうして、お前みたいな軍人が……あんなふうに拘束されて、アンデッドの群れの中心に放置されてたんだ? あれはどう見ても、ただの事故や不運ってレベルじゃなかったぞ」
尋ねながら悠真は、あの時の光景を思い出す。
亀甲縛り状態での放置。
それはまるで儀式の供物のように、あるいは囮のように、露骨な意図を感じさせる。
アウラは、しばし無言で、その場に立ち尽くす。
表情は変わらない。
だが、その青灰色の瞳の奥で一瞬、光が鈍く陰ったのを悠真は見逃さなかった。
僅かに猫耳が伏せられる。
「……長い話になる。少し、腰を落ち着けて聞いてもらっても?」
その声は酷く静かだが、言葉に込められた緊張感は、誰の耳にも明瞭だ。
悠真は無言で頷く。
シャルルもホウキも頷いてから膝を折り、崩れた瓦礫を背もたれに使うようにして腰を下ろす。
「我々の任務は、このダンジョンの調査及び、踏破の可能性を評価することだった。帝国は、この迷宮が敵国と通じる地下道となっている可能性を疑い、戦略上の優先度は非常に高かった」
岩壁の側に座るとアウラは、静かに口を開いて話し始めた。
そして、洞窟内に静寂が訪れる。
遠くで何かの水滴が落ちる音が微かに反響していた。
「……私の部隊は、私を含めて十一名。私以外は全員、私より年上の軍人だったが、階級は私の方が上だった。理由は簡単。彼らは皆、既存の軍体系では評価されづらい、個別戦闘能力を持つ特例人材だったからだ。ゆえに戦略指揮や任務全体の構築に関しては経験が浅く、指揮官としての役割は自然と私に回ってきた」
ふとアウラは拳を握りしめる。雪白の小さな手が震え始めた。
「……五十階層までは順調だった。道中での戦闘、罠、魔物、すべて対処できる範囲。しかし、六十階層……この層に入った瞬間、空気が変わった」
照明代わりの魔石灯が揺れ、彼女の表情に影を落とす。
「お前たちも理解していると思うが、この階層のギミックは外部からの侵入者に対し、異常な量のアンデッドを召喚し、持久戦を強いる死の罠だ。圧倒的な物量の前では、私たちの戦力も大きく削られた」
ゆっくりとアウラは目を伏せる。
「最初こそ、皆、勇敢だった。敵の数を着実に減らし、陣形を守って踏ん張った。だが戦闘が三時間、四時間と続くうちに……次第に魔力切れが発生した。魔法剣士も、付呪士も、回復士ですら魔力が枯渇。そうなれば、ただの人間に過ぎない。何百、何千と襲い来る骸に対して、できることは限られている」
彼女の言葉に込められる苦痛の重みが増していく。
「そのうち……ある者は叫び始め、ある者は泣き始め、ある者は呟き始めた。”死ぬかもしれない”と。恐怖が全員を蝕み始めた。そして、最悪の事態が起きた」
アウラの声は、明確に震えていた。
「一人の兵士が、急に目を見開き、何かに憑りつかれたように叫んだ。”こんな場所に、こんな人数で碌な作戦も立てずに来たから、こうなったんだ! だから責任を持って、隊長がアイツらに食われるべきだ!”と」
彼女の冷徹な声を前に、悠真たちの背に悪寒が走る。
「彼は携行していた特殊拘束縄──魔導繊維製を取り出し、私に向かって走った。……私は最初、彼が錯乱していると思い、止めようとした。だが……周囲の者たちが彼に加勢した。”隊長が元凶だ””こいつを餌にすれば、我々は逃げられる”と」
アウラの肩が小刻みに震えた。
まるで悔しさと恐怖が入り混じるような、怒りに近い感情。
尻尾が地を静かに叩いている。
「私は数人がかりで抑えられ、手足を拘束され、その場に転がされた。周囲には骸骨兵たちが、うごめいているというのに。……彼らは私を囮にし、自分たちだけで逃げた」
その言葉の最後には、怒りよりも寂しさが混じっていた。
「……それが、貴様たちが見た光景。私が一人、あの場に倒れていた理由。生き餌として、置き去りにされていたわけだ」
静寂が落ちる。悠真は何も言わなかった。言葉が、出てこない。
「……ひとつ、訊いてもいいか?」
アウラの声は低く、だが微かに柔らかくなっていた。
戦闘の最中に見せた鋭い軍人の声ではなく、ただの一人の少女の、それである。
悠真が軽く目線を送ると、アウラは暗い表情を引っ込め、真正面に視線を合わせてきた。
冷淡な青灰色の瞳が、魔石灯の青白い光の中で静かに揺れている。
最後まで読んで頂きまして誠にありがとうございます。
宜しければ評価とブックマーク登録をお願い致します。
活動の励みとなり更新が維持出来ます。




