第2話 ゴブリン×令嬢騎士=エッチ
「う、うぅ……やめ……っ」
少女の震える声が、絶望を帯びて響く。
「な、なんですかこれは……ッ! ゴブリンが……女の子を……っ、あんな──あんな……っ!」
顔を引きつらせ、ホウキが歯を食いしばる。
「くっ! 正々堂々と勝負せよ、などという言葉も通じぬ下郎どもめ……ッ!」
彼女の切れ長の黒い瞳に宿るのは怒りと、ほんの僅かな昂り。
腰の太刀の柄を握る手に、じわりと力が籠る。
一方で、シャルルはというと──
「んふふ……ねえ、見て悠真くん。ゴブリンってああいう時だけ、妙に団結力あるんだよね。まったく、最低の生き物だよ」
翠色の瞳を細めながら、その手は確かに長杖へと伸びていた。
柔らかな口調の裏に、静かな怒りが滲んでいる。
悠真は静かに息を吐き、仲間たちに目配せする。
「下衆なゴブリンたちから、あの女性を救出するぞ」
デッキケースに手を伸ばし、彼は低く呟いた。
そして即座に配信を終了させるべく、マギスフィア・ミニへの魔力供給を断つ。
それは偏に、こんな生々しい肉欲が漂う現場を配信していては、統制管理局に目を付けられて未来永劫、配信が禁止されてしまう可能性があるからだ。
「承知いたした。悠真様、お任せを」
小さく頷き、覇気の宿る返事を行うホウキ。
そして、もう一人──シャルル。
「んふふ、ようやく見せ場だね」
淡い金色に近い銀髪を背に流し、クリーム色の軽鎧の下から、しなやかな四肢を覗かせるエルフの神聖術士が、長杖を両手で構えた。
翠色の瞳が妖艶な光を帯び、長く細い耳がわずかに前へと向く。
「やる気満々だな、流石だ」
「まあね。それに助けを待ってるお姫様って、実にそそるシチュエーションだと思わない?」
「状況をわかれ! ったく……」
シャルルの軽口に悠真は怒鳴り、再び視線を前へと戻す。
襲われていた少女は、依然として地面に膝をつき、泥と血にまみれながらも、その蒼い瞳だけは炎のように鋭い輝きを放っていた。
ゴブリンの数体は既に興奮しきっており、何かをぶつぶつ呟きながら、少女の軽装アーマーの隙間へと手を伸ばしている。
伏せられていた金色の狐耳が、屈辱と怒りにぴくりと震えた。
「間に合うか……!? おい、大丈夫か! 今すぐ──!」
悠真が一歩踏み出し、少女に向けて声を張り上げる。
だが、しかし――――
「──黙りなさいッ!」
その声は、突き刺すように鋭く、冷えた刃のように周囲の空気を裂いた。
ぴたりと悠真たちの足が止まる。
少女は顔を上げていた。
深く切れ長の蒼い瞳が、まるで毒を孕んだ水晶のように鋭く輝いている。
腰まで届く艶のある金髪は泥に塗れ、頭部の金色の狐耳は怒りに逆立っていた。
一本の尻尾は石床を叩くように揺れ、それでも姿勢だけは崩れていない。
砕けた軽装アーマーの隙間から覗く白い肌が鈍い光を受けながら、彼女は膝をついたままで圧倒的な威圧感を放っていた。
「あなた……何様のつもりですの? この私に"助け"が必要だとでも思って?」
「……っ!?」
「ふざけないでくださいまし! そのような下劣な目で、貴族たる私の姿を覗くなど、万死に値しますわ!」
その声が響くたびに彼女の身体から、まるで電気のような魔力の波動がにじみ出ている。
至る部位が砕けた軽装アーマー。
金の縁取りが剥がれ、家名の刻印が傷ついた装備の下から覗く白い肌と、膝をついたままの体勢。
助けを求めているはずの立場で、彼女は何よりも誇りを選んでいる様子。
「ただの平民風情が、この私──"アイリス・シルヴェスター"に話しかけるなど、千年早いですわ! とっとと失せなさい!」
「なっ……!」
悠真は完全に言葉を失っていた。
アイリス・シルヴェスター。
その名を口にした瞬間、彼女の金色の狐耳がぴんと誇らしげに立ち、蒼い瞳が悠真たちを値踏みするように細まった。
獣人族特有の鋭い嗅覚が、こちらの気配を探っているのか、形の良い鼻がわずかに動く。
そしてホウキが深々と溜息をつき、シャルルが『うわあ……ガチのお嬢様だね、これ』と呆れたように笑う。
「こんな醜悪な下等生物……私一人で屠るには、いささか手間取りますが──助けなど、不要ですわ……」
敵の一瞬の隙を突くようにレイピアを四方八方に振りかざし、よろめきながら立ち上がるとアイリスは戦う姿勢を整え直す。
スレンダーながら女性らしいラインを持つ体躯が、砕けた鎧の隙間から覗く白い肌とともに、鈍い魔石の灯を受けて揺れる。
それでも立ち姿だけは一分の乱れもなく、生まれながらの貴族の気品がそこにあった。
まさしく足元を凍らせられたように、悠真は動けなくなる。
それはシャルルもホウキも同様で完全に言葉を失う。
三人同時に、まるで息を飲んだかのように、その場に立ち尽くしている。
「……なに、あの子。さっきまで……あんな酷い目に遭ってたくせに」
ようやくシャルルが呟くも、その声は掠れていた。
そして、アイリスは優雅に一歩、踏み出す。
「これぐらいの雑魚……私一人で十分ですのよ」
まるで散歩中に遭遇した、野良犬の群れにでも対応するかのような、怯えも怒りもない調子。
悠真の背筋に、得体の知れない寒気が走る。
だが同時にアイリスは、レイピアの柄を強く握り込む。
細く鋭い銀色の刀身が、魔石灯の光を受けて蒼く光る。
貴族趣味の意匠が施された鍔の造形は装飾的でありながら、その刃には無数の戦いの痕跡が刻まれていた。
実用と格式を両立させた、まさしく貴族剣士のための得物である。
しかし、その剣は──真に血を浴びるためのものだった。
「──はあっ!」
鋭い一閃。
アイリスの身体が滑るように動き、目の前のゴブリンの首が音もなく飛ぶ。
紫黒の血が噴き出し、泥に染み込み、臭気が充満するが、彼女は眉一つ動かさない。
金色の狐耳がぴんと前方へ向き、蒼い瞳が次の獲物を静かに捉える。
「くっ……うぉああっ!」
叫びを上げて飛びかかる別の個体を、アイリスは身を回しながら胴を両断した。
その動作には、一切の無駄がない。
足の運び、体幹の旋回、すべてが洗練された流麗な剣技により構成されている。
尻尾がバランスを取るように静かに揺れ、まるで舞踊のような美しさがそこにあった。
「悠真くん……あれ、本当に一流かも知れないね……」
シャルルの唖然とした声に、悠真はただ黙して頷く。
そして肉欲を発散しようとしていた六体のゴブリン。
そのすべてが、十秒と経たずして地面に伏せられていた。
アイリスはレイピアを軽く振るい、飛び散った血を鮮やかに払う。
しぶきが花弁のように舞い、光に反射して儚い幻のように空間に溶けた。
「……汚らわしい。下等生物の分際で、この私の肌に触れようなど」
冷ややかに吐き捨てるとアイリスは、レイピアをひとたび天に掲げ、空気を裂くようにして優雅に鞘へと納める。
その一連の所作に一切の迷いがない。
鍛錬された貴族剣術──いや、それ以上の何かだ。
金の縁取りが剥がれた軽装アーマーを装備したままでも、その立ち姿は微塵も崩れていない。
「……ああいうのって、映えそうだよね。見た目的にはさ」
シャルルの囁きに、悠真は返す言葉を持たなかった。
「……正々堂々とした剣技にございます。認めたくはございませぬが」
低く絞り出すように、ホウキが呟く。
アイリスは一歩ずつ、こちらに歩み寄る。
そして、悠真の眼前で立ち止まった。
蒼い瞳が、悠真を上から下まで一瞥する。
その視線に宿るものは、もはや怒りでも敵意でもない。
ただ、限りなく冷たい拒絶と、絶対的な格差意識からくる蔑視の感情のみ。
「二度と……私の行く手を邪魔しないでくださる?」
吐息のようなアイリスの声が、否応なく悠真の胸に突き刺さる。
そうして彼女は踵を返し、軽やかな音を立て歩いてゆく。
金色の狐耳はぴんと立ったまま、尻尾は優雅に揺れている。
薄暗い広間の中、砕けた鎧を纏う影が、ゆっくりと、しかし確かな足取りでダンジョンの奥へと消えてゆく。
湿り気を帯びた空気が、ふと頬を撫でていく中で悠真は、アイリスが消えた方角を、無言で見つめ続けていた。
地面に目を落とせば、ゴブリンの細切れの死骸が転がる。
彼女が斬り伏せた残骸には、容赦も迷いもなかった。
斬撃の軌跡を思わせる、円を描いた血飛沫の模様が岩の壁に咲いている。
まるで名もなき花のように。
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