第5話 新たな仲間を!
「――お名前を、教えていただけませんか」
声音は柔らかく、しかし芯がある。
悠真は一瞬目を瞬かせ、すぐに軽く顎を引いて応じた。
「……俺の名前か?」
「はい。命の恩人に、改めて名乗らぬなど――育ちが知れると言われてしまいますから」
恥じる様子もなく、微笑みながらホウキは言う。
彼女の肌は薄く雪のように白く、喉元の蔦の痕も次第にその赤を薄めつつあった。
悠真は苦笑する。
ここまで古風な語り口は、最近ではあまり見ない。
「悠真。……東雲悠真。年齢は十七。出身は……まあ遠い場所だ。職業は、“デュエリスト”」
「東雲……悠真、様」
小さく口の中で繰り返した後、ホウキは柔らかく一礼した。
胸の前で手を重ね静かに深く、まるで神前で祈る巫女のように。
「改めて私の名は、オリムラ・ホウキです。歳は悠真様と同じく十七です。職業は……“戦巫女”でございます」
「戦巫女……ってのは、戦闘と、祈祷を?」
「はい、左様でございます。ですが……いえ、なんでもありません」
何かを言いかけて、彼女は言葉を引っ込めた。
その顔に翳りが差し、一瞬、眼差しが揺れる。
だが、すぐに表情を整えるのは流石だ。
悠真は無理に続きを求めず、代わりにホウキの名を口の中で反芻する。
「……にしても、オリムラ・ホウキ。良い名前だな。なんかこう、実に馴染みのある発音だ」
「ありがとうございます。悠真様のお名前も、潔くて、まっすぐで……どこか、静かな強さを秘めていて」
「静かな強さ?」
「ええ……けれど、それは声高に叫ぶ力ではなく、しなやかに受け流す柳のような、優しい強さです」
詩的な比喩だった。悠真は思わず視線を逸らし、小さく咳払いをした。
その一方で、ふと彼の胸中に妙な違和感が芽生える。
――反応が、薄い。
自己紹介の際、彼女が東雲悠真という名に対して、何の驚きも見せなかったことが、どうにも彼は気にかかったのである。
これでも悠真は一応、配信者としては名が売れ始めているのだ。
一度、配信を始めれば同接一万以上は確実である。
ダンジョン内で会う冒険者たちからは、『見てます!』『昨日の激闘、リアルタイムでした!』と、黄色い声をかけられるのが常だった。
それが彼女には、まるで通じていない。
悠真は半ば確認するように口を開いた。
「なあ……ホウキ。ダンジョン配信って、興味あったりする?」
「配信、ですか?」
彼女は首を小さく傾ける。
かすかに垂れた黒髪が、耳元で揺れた。
「聞いたことはあります。何やら特殊な魔道具を使い、己の戦いや旅路を映していると」
「じゃあ……俺の二つ名の孤影の決闘士ってのを、どこかで見たり聞いたりは……?」
その問いかけに、ホウキは真剣な顔でしばらく考える。
そして困ったように小さく首を横に振った。
「申し訳ありません。悠真様のお名前を、私は本当に……今日、初めて知ったばかりでして……」
「そっか……」
あからさまに落胆したわけではないが、悠真の口元が微かに緩む。
どこか拍子抜けしたように。
「それに……私はああいう、煌びやかな場が、少し苦手でして」
言葉を探すように、ホウキは視線を伏せた。
「冒険の中に血と汗と泥と、命の重さがあることは理解しているつもりです。ですが、それを“見世物”にすることが、どうにも……馴染めなくて」
それは非難でも、軽蔑でもない。
ただ、そういう価値観で育ってきた――というだけの、穏やかな距離感の告白だ。
悠真は肩の力を抜き、小さく頷く。
「……なるほどな。そういう人も、いるよな。いや、いるべきだとも思う」
ふっと笑うように彼は、頬と表情を緩ませる。
どこか懐かしい空気だ。
配信に巻き込まれた人間ではなく、純粋に“目の前の自分”を見てくれている他者の存在。
久方ぶりの、視聴者の目を通さない、素の会話。
「逆に……新鮮だな。ちょっとだけ、嬉しいかも」
「嬉しい……?」
「ああ、そうだ。たぶん俺、ちょっと驕ってたのかもしれない。誰に会っても名前だけで驚かれるのが当たり前みたいに思ってた。けど、今みたいな空気って、案外気持ちがいい」
彼の言葉を聞いて、ふわりとホウキは笑った。
そして二人は、しばし沈黙の中に立つが、岩の傍へと移動して腰を落ち着かせる。
ホウキは悠真の隣に膝をついて座っていた。
まっすぐに背筋を伸ばし、膝に両手を重ねる姿は、まるで古の姫君のように清廉である。
だが、その目には明らかに戦場を知る者の強さが宿っていた。
「――悠真様。先程は、誠にありがとうございました」
そう言うと、ホウキは丁寧に一礼を行う。
かすかに乱れた和装の袖からは、負傷の痕が覗いていたが、すでに簡易的な治療は済ませてある。
だが衣の裾には、泥と血が乾いた色を残していた。
「助けていただいた命、決して忘れはしません」
その声には揺るぎがない。
そして次に彼女は、視線を悠真に戻し、唇に静かなる決意を宿したまま、口を開いた。
「――私に、何かお礼をさせてください。生憎と流浪の身ゆえ、できることは限られておりますが……私に可能なことであれば、どのような事でも」
「……ん?」
悠真は反射的に聞き返す。
どのような事でも――今、彼女は確かにそう言った。
(どのような……って言ったよな?)
心の奥で声にならぬ呟きが膨れあがっていく。
今の状況が、“ダンジョンの花畑で命を救った美少女に対して、どんなお願いも聞くと申し出られる”という、現実感の薄いものであることに、悠真の理性は気づいていた。
(いや……冷静になれ、東雲悠真。落ち着け。たしかに、今の彼女の言いぶりなら――胸を揉ませてくれとか、下着を一枚くれとか、言ったとしても断れないかもしれない。だが……それを言うのは人間として終わってる)
その瞬間、悠真の脳内では天使と悪魔が戦いを繰り広げている。
だが、最終的に勝ったのは、少年の浅はかな欲望ではなく、冒険者としての理性だった。
(俺はダンジョン攻略者――冒険者だ。目指しているのは、“ダンジョンクリア”なんだ。こんなことで魔が差して、彼女との信頼を壊すわけには……)
そして何より、悠真には確信がある。
この先、一人で深層へ挑み続けるのは、限界が来るのだ。
補給の煩雑さ、心理的な孤独、そして映像映えの不足。
どれも、独りでは埋められない。
(……戦える女の子。それも、大和撫子系の美少女。戦場で刀を振るう、伝統武芸の申し子。これ、もし仲間にできたら……映えるぞ)
そう、映像としても“使える”――
悠真は己の配信スタイルを冷静に分析し、ホウキという存在の価値を静かに、だが確かに見出していた。
そして数秒後。彼は静かに立ち上がった。
顔を上げたホウキの目の前に、悠真の右手が差し出される。
「だったら……一つ、頼みがある」
「……はい?」
「俺の仲間になってくれ。一緒に、このダンジョンを攻略しようぜ」
決して軽薄ではない。かといって重すぎない。
その声には、少年の中に確かにある“まっすぐさ”と、“孤独な意志”が滲んでいた。
ホウキは、目を見開く。
しばしの沈黙ののち、ゆっくりと彼女は腰を浮かせ、立ち上がった。
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