第4話 少女との邂逅
「ッ、ぐぅぅ……ッ! く、うぅ……!」
喉を押さえられた少女は、苦悶と涙に濡れた瞳で宙を仰ぎ、白い喉元からは涎が糸を引いていた。
呼吸困難により、意識が混濁しかけている。
鼻からは荒く漏れる息があり、涎と涙が頬を伝い、地面に落ちていく。
和装は既に裂かれ、白い布地があられもない姿で落ちていた。
晒しもずれて、柔らかな胸元の曲線が露わになっている。
更に腰から下の袴も破れ、足を広げたまま膝をつくその姿勢は、まるで――
「……ッ、クソがッ!」
怒鳴るように叫び、悠真は走った。
黒のローブを翻し、最短で少女との距離を詰める。
リスナーが残した言葉が、脳内で警鐘のように鳴り響いていた。
――触手で拘束、麻痺させて、種を穴に埋め込む。
――芽吹くまで魔力と体液を養分にする。
「まだ間に合う!」
少女の背後には、先程倒した個体と同型のシード・アポストルが立っていた。
人型のシルエットに、蔓と葉と花弁が不規則に張り付き、顔面には仮面のような種鞘が浮かんでいる。
その手――否、蔦から生えた指のような器官を蠢かせながら、彼女の身体へと更に触手を這わせようとしていた。
悠真は再び炎の剣を構える。
その刃は魔力を通し、業火の如く刀身から火を放つ。
そして視界が白熱するほどの一閃が走る。
「斬れろおおおおおおッ!」
叫びと同時に振り下ろされた刃は、触手を一刀両断した。
絞めつけていた触手が断ち切られ、少女の身体が崩れ落ちる。
その拍子に、残っていた布が肩から落ち、柔肌が露出する。
「おい、しっかりしろ!」
地面に膝をつき、彼女を支えるように、彼は抱きかかえた。
彼女の細い肩は汗で濡れ、震えている。
涙と涎に濡れた顔が紅潮しているのは、毒のせいか羞恥か、それとも単なる酸欠か。
「取り敢えず一旦、配信中断っと……」
簡易領域を解除しながら、悠真は小さく呟いた。
マギスフィア・ミニへの魔力供給を意図的に断つと、即座に視界の端に表示されていたコメント欄と視聴者数のカウンターが霧散し、彼の意識は完全にこの空間へと戻る。
炎上し炭と化した魔物を背に、沈黙している少女が一人。
細い首筋に、まだ赤く残る触手の痕。
その喉を押さえながらも、彼女は静かに立ち上がり、地面に落ちた刀を拾い上げた。
白く小さな手の甲には、蔓により裂かれた細かな傷が滲んでいる。
和装の裾は裂かれ、白い脛が覗いていたが、それを気にする素振りすら彼女は見せず、堂々たる態度で刀を収めた。
「……命、助けられました。……誠に、感謝致します」
その声音は、透き通るようでありながら、芯があった。
胸に手を当て、背筋を伸ばした礼は、明らかに“武家”の所作。
無駄がなく、儀礼的ですらある動きに、悠真は思わず見入った。
「いや、あんなのは俺も初めて見た。……あれを一人で相手してたんだな」
「……話すべきでしょう。貴殿は命の恩人です。それに、この階層の危険性を他者に伝える為にも、事の次第を明らかに致します」
彼の言葉に彼女は頷き、そして膝をつく。
着崩れた和装の袖を整えると、深く一礼してから静かに口を開いた。
「そ、そうか? 別に話したくないなら無理にとは――」
悠真は首を横に振る。
「いえ、話します」
その瞳には決意が宿っていた。
まだ頬には熱と赤みが残り、呼吸も整ってはいない。
だがその姿は、命を懸けた剣士の威厳を失っていなかった。
「私は、東の国の者です。遥か極東、白煙の山々に囲まれた寒村にて、剣の道に生きて参りました。名は、オリムラ・ホウキ」
その名前を口にする時、ホウキと名乗った少女の声は、僅かに誇りを帯びている。
「修行を積む中、私はある問いに行き着きました。――“己の剣が、何を護るためにあるのか”。その答えを探すために、私は師の許を離れ、流浪の旅に出たのです」
空を見上げる。魔石灯が照らす空はまるで現世の夕焼け空のようだったが、そこには鳥も雲もない。
「一月前、この花葬の階層の噂を耳にしました。美しくも危険な地。仲間を得ずして挑むには、まさに最適の試練と……」
「……それで、ソロで?」
悠真は思わず口を挟んだ。ホウキは頷く。
「はい。これは私の“孤独”への挑戦でもありました」
その声音には微かに悔しさが滲んでいた。
ホウキは袂から小さな包みを取り出す。
破けた布の中には、潰れた握り飯と、梅の香を漂わせる漬物がひとつ。
それを見つめ彼女は、僅かに笑った。
「今朝、三十四階層への入口近くにて、この食事を取るつもりでした。握り飯と、漬物。……ささやかですが、東の地では、これが祝いの膳でもあるのです」
「祝い、って……?」
「三十三階層の制覇です。……己を褒める為の膳でした。しかし、その食を口にする前に、魔物の群れに襲われました」
魔石灯による疑似的な夕焼けが、より深く朱に染まる。
悠真は沈黙した。ホウキの声には、どこか空虚な響きが混じり始める。
「何体も相手し、斬り伏せました。ですが……空腹は、剣を鈍らせます。脚がもつれ、呼吸が浅くなり、気が遠くなった頃には、囲まれていました」
袖をめくる。白い腕に刻まれた噛み痕と蔓の痕。
それらは既に血を止めていたが生々しい。
「それでも、私の足掻きは続きました。恥を忍んで言えば――斃れることが怖かった」
彼女は悠真の目を真っ直ぐに見た。
あまりに純粋な、死にたくないという願い。
それを口に出せる強さが、逆に彼の胸に重たく刺さる。
「ですが……終わりは訪れました。私は――これ以上、足掻くのは無様だと、そう判断しました」
「……まさか」
「はい」
彼女は刀を抜き、鞘に添えたまま膝を折る。
そして腹部の左脇を僅かに開いた衣の下、白くしなやかな腹筋の下に、赤い筋が一筋、斜めに刻まれていた。
「切腹を、しようとしたのです。東の地の武家では、敗北と死の間際には、それを選ぶ者もいます」
「――それは、“美徳”か?」
悠真は思わず呟いた。ホウキは微笑む。
「いいえ。ただの、逃げかもしれません。私自身の弱さが、そうさせただけでしょう」
その微笑みはあまりに淡く、痛々しくて――悠真は息を呑んだ。
そのまま彼女は姿勢を正し、再び一礼する。
ホウキの姿は凛々しくも、痛ましかった。
戦闘で裂けた和装の袖。
左肩から肘にかけて血が滲み、首筋には深く赤黒い痕が残る。
花の香に汗の香が混じり髪は乱れ、淡い紅を差した頬には涙の跡が乾ききらぬままこびりついていた。
それでも――その眼差しは未だに獣のような怒りに燃えている。
「……あのようなもの、満腹であれば一刀です。斬るのに、迷いなど要らぬ相手でした」
ホウキは拳を固く握った。白い手が、爪の食い込みで赤くなる。
肩で息をしながらも、言葉には鋼の響きがあった。
悠真は一歩距離を置き、彼女の吐き出す言葉に耳を傾ける。
「悔しい……悔しくてたまりません」
しばし、沈黙。
その間に周囲を囲む花々が、ゆるやかに風に揺れたように見えた――否、それは彼女の怒気に反応した残留魔素か。
だが突如、ホウキの瞳が、まっすぐに悠真を射抜いた。
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