第2話 ダンジョンに響く少女の悲鳴
「おー、朝っぱらから孤独なお出かけかよ、東雲クン。相変わらずぼっちの道を突き進んでるなぁ?」
樟葉の声が街中で妙に響く。
悠真は無言のまま、足を止めた。
背筋を伸ばし、顔は伏せない。
だが、言葉は発しない。
「ま、同接一万そこそこじゃあ、やっとアタシらの背中が見えてきた程度? ふふ、ちょーっと調子に乗ってるだけじゃないの?」
艶やかな声で鈴音が、わざとらしく微笑む。
彼女の目線は、まるで虫でも見るかのように、冷ややかだ。
腰の黄金のリボルバーに手を添えながら、挑発的な視線を送る。
「ほんっと、目障りだね。ただの悠真の菌の癖に。私たちが一緒に行ってやらないと、深部もロクに攻略できないのにさぁ」
腕を組みながら麗華が鼻で笑う。
その態度は、もはや嘲笑を越えて、軽蔑すら滲ませていた。
背中の巨大な楯が彼女の小柄な身体と、不釣り合いな威圧感を放っている。
「配信って、ほんと便利ですわね。腕が無くても、事故映えすれば話題になるもの。あなたは……そういう"絵面"だけの人間ですわ」
姫香の言葉は、まるで毒を飴に包んで差し出すような残酷さがあった。
レイピアから立ち昇る紫の毒霧が、彼女の言葉に重なり漂う。
その一つ一つの言葉を、悠真は静かに飲み込んでいた。
眉一つ動かさず、口を閉ざしたまま。
ただ、全身の空気だけが僅かに張り詰めていた。
闇色のロングコートが風に揺れ、腰のカードホルスターが僅かに光を反射する。
「なーに無言で睨んでんだよ? 怖っ。配信してんじゃねーの? まさか撮ってんの?」
樟葉が冗談めかして言い、奏恵が乾いた笑いを漏らす。
琥珀色の瞳が、彼を値踏みするように見つめていた。
「ま、安心しろって。俺たちはお前に負けたなんて思っちゃいねーから。ちょっとウケただけ、ほんの気まぐれの風。すぐ止むっての」
その樟葉の言葉は、まるで未来を予言するかのように重たく響く。
だが悠真は、それにも動じず――ゆっくりと、しかし確実に、彼らを視線で見送った。
嘲笑も、冷笑も、罵倒も――全てを受け流し、何一つ返さない。
小柄な体躯、猫背気味の姿勢。だが、その濃い茶色の瞳には、僅かな光が宿っていた。
やがて一軍たちは満足したのか、口々に「あー、スッキリした」と呟きながら、通りの向こうへと去ってゆく。
鈴音の黒革のボディスーツ、麗華の巨大な楯、姫香のメタルビキニ、樟葉の白銀の鎧、奏恵の黒い装束――それぞれの装備が陽光を反射しながら遠ざかる。
そんな背中を彼は静かに見送った。
静寂が宿屋前に戻る。
悠真は、ようやく息をつく。
胸の奥に鉄のような重さが沈殿していた。
それは怒りではなく、呆れでもなく――冷たい硝子のような諦念。
彼は静かに肩を竦めてから、影を背負うように再び歩き出す。
その足取りは、かすかに強くなっていた。
彼にとって言葉は武器ではない。
彼が信じるのは、記録された戦い、映像、そして沈黙の中にある意志だった。
――午前九時。
ダンジョンの三十三階層に至る魔法陣を通過した直後、悠真は目の前に広がる光景に思わずまぶたを細めた。
そこは天然の空間。
だが地下であることは確かであり、遥か上方の天蓋に穿たれた亀裂から、かすかな自然光が差し込んでいるのが確認できる。
それが無数の蔦に反射し、幻想的な淡緑色の光のカーテンを作っていた。
湿度は高め。だが気温はやや低く、鼻をくすぐるのは青葉の匂いと仄かに甘ったるい花の香り。
三十三階層――通称”花葬の階層”は、その名の通り無数の花々が咲き乱れる幻夢の楽園だ。
地面は黒い腐葉土に覆われ、足音すら吸収される静寂の世界。
蝶が舞い、巨大な花弁の隙間からは、小動物の姿も見え隠れする。
魔物の気配は薄いが、油断は禁物。
毒花や擬態する捕食種の存在は、攻略情報でも注意喚起されていた。
「……よし、今日も始めるか」
悠真は深呼吸し、装備の調整を確認しながら、配信開始の準備を進める。
そして全ての準備が整うと、指を鳴らして配信を開始させた。
『おはよう! 悠真くん!』
『待ってました! 今日は花葬階層だよね!?』
『朝から同接1.2万突破してる! すげぇ!』
雪崩れ込むようにコメントで、彼の視界の端が覆い尽くされてゆく。
「おはようございます、皆さん。今日もソロ攻略、張り切ってまいります」
表情は崩さぬまま、悠真は淡々と視聴者に挨拶を返す。
すでに彼の配信は、コメントのみの状態で画面が見えづらくなるほどの賑わいを見せていた。
――かつて、数人しかいなかった視聴者。あの底辺時代が嘘のようだ。
そして僅かにノスタルジックな感情に浸り掛けていると、悠真の神経はふと花の香りとは違う刺激を捉える。
だが次の瞬間、乾いた金属音。続いて――
「きゃあああああっ!」
女性の絶叫。悠真は一瞬、足を止めた。
『なんだ! 今の悲鳴!?』
『何かあった!?』
『女の子の声!?』
コメント欄が沸き立つ中、彼は表情を変えず、視線だけを前方へ向ける。
「……魔物か、あるいは……新人のパーティーか?」
地面に耳を当てると、重低音の振動と断続的な金属の打ち合う衝撃が微かに伝わる。
どうやら戦闘は継続中のようだ。
敵の数は――多くはなさそうだが、追い詰められている様子が伺える。
悠真は直ぐに腰のホルスターに手を添えた。
足音を殺し、花々を踏み散らさぬよう最短距離を進む。
『悠真さん判断が早い!』
『待って、今の横顔かっこよすぎ』
『これは神回の予感!』
悠真自身、助けに入るというよりは――撮れ高への本能的な期待が半分。
残り半分は”もしかしたら知り合いがいるかもしれない”という僅かな可能性への警戒だった。
そして駆け出した悠真の視界に、ほどなくして戦闘の光景が現れる。
そこは花畑の奥、自然に囲まれた広場のような空間。
外周を囲むのはうねるような蔓植物と青葉の壁。
中央では一人の人族の少女が刀を手に、圧倒的な劣勢で一体の魔物と相対していた。
その魔物は、かろうじて人型の姿を保つ。
全身は濃緑色の蔦と苔に覆われ、無数の棘が生えた触手が肩と背から伸びている。
目と呼べる部位には赤黒い光が灯り、口の代わりに裂けたような縦線が蠢いていた。
「……おいおい、なんだよあれ。気持ち悪い見た目の魔物だな……」
彼は即座に敵の見た目から、その危険度を判別する。
そして、その魔物と対峙している少女――その姿に悠真は思わず息を呑んだ。
身長は百六十ほどで真っ直ぐに背筋を伸ばし、まるで一幅の絵のように凛として立つ少女は、東の国風の軽装和装を纏う。
薄紅の上衣と袴風のスカートは、汗と泥に濡れており、袖は所々裂けている。
肩から覗く健康的な肌は汚れながらも、鍛錬を積んだ武人の美しさを放っていた。
艶のある黒髪は量が多く、高めのポニーテールで、力強く後頭部に纏められている。
実戦向きで無駄がなく、動くたびに重みのある揺れ方をする。
前髪は目にかからない程度に切り揃えられ、その表情がはっきりと見えた。
切れ長で意志の強さを感じさせる黒い瞳が、じっと前方を見据えている。
その視線には圧があり、見つめられた者は思わず、身を竦めるほどだ。
顔立ちは整っているが甘さは控えめで、凛々しさが前面に出る武家の美形である。
体型は引き締まった細身。無駄な肉はなく、全身から鍛錬の跡が見て取れた。
姿勢が非常に良く、直立しているだけで武人の気配が漂う。
彼女の腰には太刀が差されていたが、先程の衝撃でそれは手から弾かれ、今や地面の彼方に突き刺さっている。
唯一残された小太刀を懐から取り出し、少女は静かに構えていた。
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